俺にしか描けない

東妻蛍

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一年生

入部初日

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 入学二日目。授業は始まったものの、まだ本格的に勉強が始まったわけではない。優一は各教科の教師が口々に言う「受験は今から始まっている」だの「高校の勉強は中学までとはわけが違う」だの「受験は団体戦」だのの言葉を聞き流しながら、クラス名簿を眺めた。昨日陽太が言っていた美大志望の女子というのはきっと近宮直子のことだろう。「ちか」から始まる名字の女子は彼女しかいないので間違いないはずだ。
 優一は一度近宮に話しかけてみようしたが、自分の中で最優先なのはどうしても陽太と喋ることだし、それ以外の時間は他のクラスメイトに声を掛けられてタイミングを逃した。そのまま近宮と関わることなく放課後を迎えた優一は足早に美術室へと向かった。
 優一は美術室のドアを開けて勝手知ったるとばかりに誰もいない中に入る。昨日は勝手に侵入したが、今日の自分にはここに入る資格がある。そう思いながら一直線に窓の方へ向かう。しかし早く着きすぎたようで、美術部の部員もまだいなかったが野球部の練習もまだ始まっていなかった。
 ぼんやりと外を眺めながら、優一はカバンに手を突っ込む。購買にスケッチブックが売っていてよかった。絵を描くかは分からないが、格好だけはつく。そう思いながら優一がペンケースを出していると、昨日と同じく唐突に扉が開いた。音の方を見ると見覚えのある女子生徒が立っている。近宮は優一を見てあからさまに顔を顰めた。そして一言も発しないまま美術室に入ると、優一の方を見ないようにして椅子に座りカバンから本を取り出した。自分などいないかのような近宮の振る舞いに優一は気圧されてしまってものが言えない。しかし優一が美術部に入ったことを知らないのだろう近宮からしてみれば確かに自分は美術室にとっての異物なのだ。そう考えた優一は意を決して近宮に話しかけた。
「近宮さんだよね」
「そうだけど、なに?」
「同じクラスの上沢優一です。よろしく」
「……よろしく」
 どうやらせっかくのクラスメイトからの印象はなぜかよくないらしい。とげとげしい反応をする近宮を前に優一は内心で首を傾げる。何かしてしまっただろうか。でも今まで一度も話したことがないのだから無礼を働いた記憶もない。呆気にとられた優一を、近宮はなぜか睨みつけた。
「なんでこんなところにいるの。部外者は立ち入り禁止でしょ」
「いや、俺、美術部に入ったんだよ。近宮さんも……美大志望なくらいだし、美術部入ったんだよね?」
「……女子が多い部活だからって、そういうの狙いで来られるの邪魔なんだけど」
「は、はあ……?」
 一体彼女は何を言っているのだろう。近宮の言葉の意味が分からず、優一は戸惑う。女子がどうとか、なんとか。そんなの全く考えていなかった。俺にとって重要なのは、この窓から見える景色だけなのに。そういう意味では確かに不純かもしれないけれど。何も言わない優一のことをどう思ったのか、さらに文句でもつけるためにか近宮はまた口を開こうとした。しかしそれを制するように大きな音を立ててドアが開け放たれる。ドアの向こうには昨日会った美術部部長――田中晴香が申し訳なさそうな表情で立っていた。
「女子が多いかどうかなんて、上沢君は知らないよ~。ていうか別に女子多くないし。ここに来るのなんて私と近宮ちゃんくらいになるんじゃないかな~。あ、上沢君も来るんだっけ」
「ど、どういうことですか?」
「ほとんど幽霊部員だからね。ちゃんと活動してるの、私くらいだったし。あとは先生ね」
「は、はあ? なんでそんな不真面目な人たちを容認してるんですか!」
 近宮の剣幕に優一も田中も驚いて体を揺らす。先ほどから見ていて分かったのだが、近宮は随分と生真面目な人間らしい。そんな近宮からすると美術部員なのに絵を描かないというのは怠慢に映るのだろう。面倒なことになったかもしれない。内心でため息を吐いた優一をよそに、田中はにこりと近宮に笑いかけた。
「他の人は関係ないでしょ。自分がちゃんとやるんだって思ってさえいれば」
「そ、それはそうかもしれませんが」
「それとね、部員はできるだけ多い方がいいの。部費の配分に関わるからね~」
 ケラケラと笑う田中に、優一は心の中で感心した。のんびりした人だと思っていたが、しっかりと「自分」を持っている強い人間だ。そして抜け目もない。ちらりと近宮の方を窺うと、近宮は自分の中の不満とどうにか折り合いをつけたらしく目を瞑り深いため息を吐く。そして優一の視線に気づくと、近宮はキッと優一を睨みつけた。
「……あなたはここに来るの」
「え、そうだけど」
「邪魔だけはしないでよね。私は、私は絶対に芸大に進みたいんだから」
「……了解」
 どうしてここまで言われなければならないのだろうか。優一は不満を覚えたが、ぐっと我慢して返事をした。ここでぶつかっても面倒なだけだ。それに窓からの景色と天秤にかければどんな問題も軽くしか思えない。
 近宮を無視して優一はカバンからスケッチブックを取り出す。とりあえず枚数が多いのを選んできたが、これで間違いがないかを田中に確かめてもらいたい。そう思って顔を上げると、らんらんと目を輝かせた田中と目が合った。
「えらーい! ちゃんと準備してきたんだね!」
「あ、はい……どれがよかったのか分からなかったので、とりあえずいっぱい描けそうなのにしました。あれ、でもこれ画用紙じゃないですね」
「うんうん。これはクロッキー帳って言ってね、画用紙より薄い紙を使ってるよ」
「その、クロッキーってのは? スケッチと何が違うんですか?」
「スケッチはじっくりと描くことで、クロッキーは素早く描くことって感じかな。よく言うのスケッチは風景を描くのに向いてて、クロッキーは動きのあるものを描くのに向いてるとか言うのもあるんだけどね!」
「は、はあ……」
 田中はよほど絵を描くのが好きなのだろう。説明が止まらない。優一は次々に田中から投げられる言葉を理解しようとしたが、耳慣れない言葉はどうしても右から左へ流れていく。とりあえず後で調べよう。そう思い聞き取れた単語をクロッキー帳とやらの端っこにメモした。
「上沢君にはちょうどいいかもね。だって、上沢君、運動部の絵を描きたいんでしょ?」
「え」
「あれ、違った? 窓の外をよく観察してるから、そういうの好きなのかと思ったんだけど」
「あ、あー……違わないです」
あからさまではあったが、まさかそこまで見抜かれていただなんて。本心を見透かされたようで、優一は顔から火が出そうになった。黙り込んだ優一をよそに、田中は「近宮ちゃん!」と近宮に声を掛けた。
「ほら、上沢君、ちゃんと部活のために準備してきてるよ!」
「……そうみたいですね。なーんにも知らないみたいですけど」
「そりゃ初心者だから仕方ないね~。近宮ちゃんも初めはそうだったでしょ?」
 優一に対する近宮のあからさまな嫌味に気が付いているのかいないのか、田中はのんびりと対応する。それに毒気を抜かれたのか、近宮はため息を吐くと再び自分のスケッチブックに向き直った。こちらから関わるつもりはないのだから、せめて険のある対応はやめてほしい。優一は大きなため息を吐いて窓際の椅子に座る。そしてクロッキーとやらを一度やってみようと鉛筆を取り出した。
 こんな空気の中に毎日来るのは少し気が重い。優一はそう思ったが、ふと聞こえてきた元気な声で一気に気分が浮上した。間違いない。野球部の練習が始まったのだ。背筋を伸ばして窓から外を覗き込む。予想した通り、野球部員が次々とアップし始めている。その中で一際光る小さな、だけど大好きな姿。俺が見間違えるはずもない。陽太の姿だ。一目見られただけでも嬉しかったのに、なぜか今日は陽太が上を、優一がいる方を見上げた。そして優一を見つけたのか、こちらへ向かって大きく手を振る。顔は見えないが、きっといつもの晴れやかな笑みを浮かべているのだろう。小さく手を振り返して、そして誤魔化すようにずるずると椅子に体重を預けた。
 こんなご褒美があるんだったら、こんな空気何でもない。クラスメイトからの悪態くらいどれだけだって耐えられる。別に誰にどう思われてもいい。そんなことはどうでもいい。ただただ陽太の頑張る姿が見られるだけで、優一には最高の部活だった。
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