俺にしか描けない

東妻蛍

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三年生

決別、そして

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 陽太の誤解は解けたものの、未だに優一が近宮と付き合っているという噂は消えてはいないようだった。しかし二人とも噂のことを気にせず過ごしていたらわざわざ口に出して揶揄われるようなことはなくなった。
「人の噂も七十五日とはよく言ったもんだね」
「二か月半も噂してたら長すぎるでしょう。暇人ばかりね」
 三年生になり、部員全員の賛成で部長と副部長に選ばれた近宮と優一は今日も二人で美術室にいる。近宮は石膏像のデッサンをし、優一は窓から野球部の練習を眺める。三年間ほとんど一日も欠かしたことのない毎日を二人は今日も過ごしている。
「小島君、どうなの」
「俺に聞かないでよ」
「それだけ見ていれば知ってるんでしょう」
「……まあ、はい」
 近宮の刺すような視線に耐えられず、優一は近宮から目を逸らした。陽太のことなら相当何でも知っている自覚はある。もちろん野球部の連中にはかなわないかもしれないが、それでも。そう、今年入ってきた一年生にスーパールーキーがいて、しかもそいつが陽太と同じポジションなことくらいは知っていた。すごい新入生もいるのに、同じポジションの二年生もここにきて打撃が好調だとか。本人は決して言わないけれど、陽太のことなら何でも知っている。陽太に関する噂には常にアンテナを張っているから。
「自分に関する噂に気づいていなかったあなたが、小島君については詳しいのね」
「……確かになあ。俺、自分に興味ないからかな」
「小島君以外に興味がないの間違いでしょう」
 近宮の辛辣な言葉に優一は何も言えない。春は陽太がレギュラーだった。でも夏の大会のレギュラー争いはどうなるのだろうか。陽太の努力は監督もコーチもみんな知っているはずだ。だからどうかあれが報われますように。優一は何度も何度も信じてもいない神に祈り続けた。
「……多分、俺レギュラー無理だわ」
 なぜか陽太と優一が帰り道で二人きりになった日。陽太は絞り出すような声で優一にそう告げた。予想外のことに優一は困惑する。だって夏の大会までまだ日はある。春大会は終わったばかりで、これから練習にも熱が入るはずだ。なのに、陽太はどうしてそんなことを言うのだろう。
「……え。え、でも、まだ分からないよね。決まってないんでしょ?」
「この時期になると練習メニューで分かるんだよ。……俺、入ってきたばっかの一年に負けたの」
 陽太は吐き捨てるようにそう言うと、道に転がっていた小石を乱暴に蹴り飛ばした。石蹴り遊びなんかとは違う、八つ当たりじみたそれに優一はびくりと肩を揺らす。どうしよう。俺はなんと声を掛けたらいい?
「樹林は多分レギュラー。内川も。今日、監督に呼び出されたやつらは全員そう。……笑っちゃうよな。一緒にいたのに、俺だけ」
 きっと陽太は辛くて、悲しくて、泣きたいはずなのだ。なのに俺の前では決して涙を見せてくれない。もし俺が陽太の恋人なら、陽太は弱い姿を見せてくれたのだろうか。でもただの親友相手にはそんな姿は見せてくれないのか。黙り込んだままの優一を置いて陽太は歩き続ける。優一は慌てて陽太を追いかけながら必死に言葉を探す。
「ま、まあまだ、その。何があるか分からないじゃん」
「主力の怪我を願うような真似はできねえよ」
「そりゃそうだけど……。ここから陽太が伸びる、とか」
「無理。だって俺、頑張ったもん」
 陽太は足を止めると、子供のような口調で呟いた。ぐっと目元を拭ったあたりもしかしたら泣いているのかもしれない。優一は本当は陽太を抱きしめてやりたかった。しかし自分にはそんな資格はない。そう思い直して、陽太の方を見ないように視線を明後日の方にやる。だってきっと陽太は自分が泣いているところなんて俺には見られたくないはずだから。
「陽太が頑張ってたの、俺だって知ってるよ」
「……そうか? 何を知ってるって?」
「え?」
 ぐいと服を引っ張られて、優一は陽太に向き直る。陽太が今、俺を引っ張ったのか。俺の胸倉をつかんでいるのは、あの陽太なのか。目を白黒させている優一をよそに、陽太は真っ赤な目元で優一を睨みつける。
「なんにも知らねえだろ!」
「し、知ってるって。ずっと見てたんだから!」
「見てたって、何を? 俺のことなんて全然見てなかっただろ」
「それは……」
 見ていた。見ていたさ。少しずつタイムを縮めたベースランも、飛距離を伸ばしたトスバッティングも、捕球ミスがすっかり少なくなった守備練習も。三階の美術室の窓からこの二年ほどずっと。でもそれを言って、激昂している陽太の耳に届くだろうか。
「……ずっと頑張ってたんだよ。お前に何が分かんの」
「陽太……」
「一生懸命やらなくても、なんでもできるお前に、何が分かるんだよ!」
 そう叫ぶと陽太は優一を突き飛ばして駅の方へと走り去った。まるで文理選択で揉めたあの日みたいだ。優一は襟元を正して陽太の背中を見送る。きっと今追いかけたところで、俺には陽太の心に届くような言葉は口にできない。だって、陽太の言う通り俺は何かに向けて必死に努力なんてしたことがない。きっと本当の意味では陽太の気持ちが分かってやれない。
「暴力沙汰はご法度じゃない?」
「……いつからいたのさ」
 近宮に声を掛けられて、優一は内心で動揺する。近宮の言う通り、きっと暴力沙汰なんて御法度で見つかったらいくら優一が庇っても選手に選ばれないどころか退部処分までありうる。
「さあ。しかし小島君も勝手ね。あなたがどれだけ彼のことを見ていたのか、彼だって知らないのに」
「陽太のこと悪く言わないで」
「あら、ごめんなさい」
 自分のものとは思えないほど低くて怖い声が出た。しかしそんな優一の声にも近宮は動揺を一切見せない。どうしてここまで肝が据わっているのか。優一はいっそ感心しながら顔を上げた。
「俺に何ができるだろうね」
「……頑張ってみればいいんじゃない?」
「なにを」
「美術部にやれることなんて絵を描くことだけよ」
「何を描けって言うのさ」
「そんなの決まってるじゃない。田中部長と私のありがたいお言葉を忘れたのかしら」
「……二年も前の話を」
「好きなものを描くのって本人にしかできないのよ。好きなものを一番美しく描くために、私たちは描いてるの」
「好きなもの」
 そういえば一年生の時に田中と近宮に似たようなことを言われたことを優一は思い出した。あの時はよく理解できなかったが、今はその言葉がどうにも心に刺さる。そうか、陽太を描けばいいのか。陽太がどれだけ努力していたのか、俺はちゃんと知っている。その姿を描けばいい。陽太が一番輝いている姿を描けるのは、世界で俺だけなのか。
「でも、描いてどうするの」
「二年間デッサンしか展示してないあなたに教えてあげるわ。美術部はね、文化祭に展示をするのよ」
「そこに出せって?」
「私の絵だけだと寂しいでしょう」
「そりゃそうかもだけどさあ」
「まあいいわ。やるの。やらないの。あなた、今大好きな人に気持ちが全く通じてないのよ。そのままでいいの?」
「……よくない。やるよ。やります。俺が初めて頑張って完成させた作品を、陽太に見てもらいたい」
「よろしい」
 陽太は俺がどれだけ陽太を見てきたのかを知らない。俺は陽太が言う努力を、苦労を知らない。だとすれば俺たちは理解し合うべきだ。俺は努力を知るべきだ。しっかり同じ土俵に立ってやろう。俺が陽太のこれまでの努力を描くのだ。だってそれは誰にもできない。ずっと陽太を見てきた俺にしかできないことなのだから。
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