俺にしか描けない

東妻蛍

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三年生

初めての努力

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「結構ひどい言われようだったけれど、本当に努力をしたことがなかったの?」
「まあ。勉強も運動もそこそこできたし。 別にそこそこでよかったからね」
「嫌味な男ね」
「聞いといて何て言い草だ……」
 優一がクロッキー帳に線を引いているのを近宮は面白いものでも見つめるかのような表情で眺めている。しかし優一には近宮に構っている時間などなかった。文化祭は九月だからまだ三か月ほど先ではあるが、それでも三か月しかない。陽太の姿を描くのであれば中途半端な作品にはできない。優一はそう決意してまずデッサンの練習に取り組んでいた。近宮に言われたように石膏像を点と線で描写していく。だが全くうまく行かない。石膏像をちゃんと見て描いているはずなのに、できあがった絵は全然石膏像とは似ていない。優一の人生でここまでうまく行かなかった経験は初めてだった。
「めちゃくちゃ下手だな、俺」
「ほぼ初心者にしてはよく描けていると思うけど」
「三年間の集大成って形で出すんだから、ちゃんと努力の痕跡がないとおかしいでしょ」
「三年間ほとんど外ばかり見ていたから仕方ないじゃない。なめないでよ」
「そりゃそうだ……すみません」
 絵に真剣に取り組むようになって、優一は近宮や田中の絵の上手さに改めて気が付いた。あれほどの絵を描くために、二人はいったいどれほどの努力をしてきたのだろう。きっと陽太と同じように幼い時からずっと努力を積み重ねてきたのだ。ああ、そう。陽太。陽太は努力が報われないと知った時、どれほどの絶望だったのだろう。それを思うと優一は胸がぎゅっと締め付けられる思いがした。
「近宮さんは怖くないの」
「なにが」
「努力が報われなかったらと思ったら、怖くないの」
 近宮に尋ねれば少しは陽太の気持ちが分かるかもしれない。そう思って口にした言葉を、近宮は鼻で笑い飛ばす。優一が目を丸くしているのを見て、近宮は口元に弧を描いた。
「一番怖いのは努力が足りなかったらってことだけね。まあ小島君と違って藝大は何浪でもできるからそう言えるだけかもしれないけど」
「な、何浪でもって」
「言葉通りよ。諦めなければ、チャンスはある」
 優一は一瞬近宮が冗談でも言っているのかと思った。しかし近宮の表情はいたって真剣なもので、一切冗談とは思えなかった。自分なんかとは覚悟が違う。優一は改めて己が何もなしてこなかったことを自覚する。知らず知らずのうちに手に力がこもっていたようで、手元の紙がくしゃりと音を立てた。
「こら。そんなことしても上手くはならないわよ」
「はい……」
「でも、小島君を描くのならあなたしかいないと思う」
「え?」
「私が描いても上っ面しか描けないもの。一番長く、しっかり見てきたあなただから描けるものがあるのよ」
「そうかな……」
「誰よりも見てきた自信はあるのでしょう?」
「そりゃもちろん」
「ならやってみせなさい。石膏像だってそう。しっかり見てから描くの。あなたは観察が甘いわ」
「はーい……」
 近宮の言葉は厳しいが、きっと励ましてくれているのだろう。優一はもう一度自分が描いた石膏像を見つめる。何が似ていないのか。どこが悪いのか。しっかり見極めなければ。せっかく陽太を描くのだから、自分史上最高に絵を上達させた状況で臨みたい。
「前、恋心が尊いか同課の話をしたの覚えてる?」
「え、ああ。下心の話?」
「そう言ったのはあなただけよ。……それだけ必死になれるのだから、あなたの恋心は尊い愛情なんじゃないの」
「……どうも」
 どうやら近宮は俺が陽太に抱いている感情を随分高く見積もってくれているらしい。本当はそんなことないのに、と優一は思う。本当は陽太を独り占めしてしまいたい。落ち込んでいる陽太に甘い言葉だけをかけて俺に依存させてしまいたい。でも俺のもとに堕ちてきた陽太は本当に俺が好きな陽太なのだろうかとも思うのだ。大好きな陽太を見ていたいなら、俺が陽太の隣に立つための努力をしないと。そう思いクロッキー帳の次のページを開いた。
「描くのなら小島君のこともちゃんと見ておきなさいよ」
「分かってる」
 レギュラーに選ばれないと察していても陽太は毎日ちゃんと練習に出ていた。大学の入部テストへ向けての練習というのもあるのだろうが、優一は一度陽太から花形であるレギュラーだけではなくそれを支える裏方だって大事なのだと言い聞かせられたことを思い出す。あの頃俺はちゃんと陽太の話を聞いていただろうか。報われないかもしれないのに努力を重ねる陽太のことを本当の意味で優一は理解できていないのかもしれない。しかし思いが、恋心が通じるか分からないのに陽太のことを想う自分のことを考えると少し見当違いかもしれないが理解できたような気がした。
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