龍神様の神使

石動なつめ

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6 露天風呂

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 夕食を済ませて片づけを終えた後、雪花は氷月の屋敷にある露天風呂に入っていた。
 立待から、

「体調の悪い時以外は毎日入るように。氷月様の下で働くのですから、ちゃんと身綺麗にしなくてはなりませんよ」

 と言われたからである。
 これまで雪花は身体こそ綺麗にはしていたが、毎日風呂に入る事はなかった……というよりも風呂に入る日を決められていた。風呂は週に二回、それも冷めたお湯に浸かるくらいだ。
 だからここへ来て風呂に入った時、その温かさと気持ちの良さに驚いた。風呂とはこういうものなのかと、入浴が好きになりそうになった。
 ――しかし。
 いくら雪花自身はそう感じていても、これまでに刷り込まれた考え方はなかなか変える事は出来ない。立待から風呂について話を聞いた時、自分なんかがこんな贅沢をして良いのかと雪花は恐縮していた。

(忌み子の自分なんかが……)

 それはずっと言われ続けていた言葉だった。だから自然とその言葉が頭に浮かんで、罪悪感に縮こまってしまったのである。
 自主的に入ろうとすると足が止まってしまうのだ。

「……ふむ?」

 そんな雪花を見て立待は少し思案して、氷月を連れて来た。

「よう、雪花。立待から話を聞いたんだが、お前、もしかして風呂に入るのが嫌か?」
「いえ、そんな事はありません! ただ……」
「ただ?」
「自分のような忌み子などが、そのような贅沢をさせていただくわけには……」
「ははーん? そかそか。嫌じゃないんならいいわ。あるんだから入れは入れ。はい、主の命令」

 そして氷月はそう言い放った。隣では立待がこくこくと頷いている。
 こう言われてしまったため、雪花は毎日風呂に入る事となったのである。

(……何だかとても甘やかしてもらっている気がする)
 
 雪花はそんな事を考えながら露天風呂に浸かって、ふう、と息を吐いた。
 今日もお湯の熱が心地良い。
 ――なんて思っていると、不意に身体のあちこちがじくじくと痛み始めた。筋肉痛である。

「あいたたた……」

 反射的に雪花は小さく呻いた。
 雪割村で過ごした十七年、雪花はほとんど身体を全体を使うような運動をする事がなかった。屋敷の奥に閉じ込められていたからだ。それが氷月の屋敷で働くようになって急に身体を使う事となったので、筋肉痛になってしまったのである。
 しかし雪花にとってはその痛みは不快ではなかった。

「これが……筋肉痛……」

 痛みを感じながらしみじみと呟く。身体を動かすと痛みがあるし、まるで重石を付けられているような感覚にもなる。けれどもそれが自分の身体を自分の意志でちゃんと動かしているという実感に繋がって、雪花は何となく嬉しかった。
 人に生かされているのではなく、自分で生きている――そんな風に思えたから。
 ふふ、と小さく笑いを零しながら雪花は右腕を軽く持ち上げる。

「少しくらいは私の腕も……」

 太くなっているだろうか。そう思って見れば何も変わっていなかった。まぁ働き始めて数日しか経っていないので、劇的な変化はないのは当然といえば当然だが。

(……それにしても細いですね)

 自分の腕をしげしげと見て雪花はそう思った。
 雪花の腕は碌に筋肉がついていないので細い。ついでにそれは腕だけではなく身体全体にも言える事だった。
 線が細くて薄い、華奢な身体。こんな腕や身体では重い荷物を運んだりも出来ない。

「……私の腕や身体も、氷月様や立待様のようになれるでしょうか」

 頭の中に氷月と立待が浮かんだ。体格の良い氷月と線が細いが意外と筋肉のある立待。二人と比べると雪花なんてまるで小枝だ。

「お二人のように、立派な体格になれれば……」

 そうしたら、きっともっと二人の役に立てる事があると思うのに。
 そんな事を雪花がぽつりと呟いた時、

「何だ、誰かを褒めるような時はな、本人がいる前で言え。嬉しいからさ」

 突然、直ぐ近くから氷月の声が聞こえた。

「ひゃあっ!?」

 雪花は思わず小さく悲鳴を上げて声の方へ顔を向けた。そこにはタオルを腰に巻いた氷月が、にやにやと意地の悪い笑顔を浮かべて立っていた。

「ひ、氷月様……」

 気配はまったくなかったし、露天風呂と脱衣所を繋ぐ扉が開く音も、もちろん足音もしなかった。
 こうして驚かされるのは昼間に続いて二度目である。
 心臓が痛いくらいにドキドキと鳴って、それを落ち着かせるために雪花は胸に手を当てた。

「い、い、いつの間にいらっしゃったのですか!?」
「ん~? 筋肉痛がどうのって言っていたくらいだな。気付かなかっただろ? 気配を消すのは得意なんでな」
「いえ、どうして気配を消してお風呂にいらっしゃるのです……?」
「趣味。お前が良い声で驚きそうだったからさぁ」
「氷月様……遊んでらっしゃいます?」
「ははは」

 やはりこの主人は雪花をからかって遊んでいる気がする。
 雪花が何とも言えない顔になっていると、氷月はカラカラと笑いながら露天風呂に入って来た。水面を揺らしながら雪花の隣へ移動して、そのままちゃぽんと湯に浸かる。
 はぁ、と氷月の口から吐息が漏れた。

「やっぱり風呂はいいなぁ~」
「……はい。とても良いものだと、思います」
「そうだろ? そう言えば、どうだい? お前も風呂に少しは慣れたか?」
「はい。あまり長湯はしてはいけないのはちゃんと覚えました」
「ああ~、最初はのぼせてたからなぁ。あの時は立待が珍しく慌てていたわ」

 氷月が楽しそうに笑う。それから彼は目だけを雪花に向けて、

「なぁ、雪花。立待の奴はどうだ?」

 と聞いて来た。

「どう、と仰いますと?」
「ほら、何だ。接し方と言うか……。あいつは生真面目だから、冷たく感じる事があるかもしれんが、悪く思わんでやってくれ」

 氷月はそうも言った。雪花は不思議に思って首を傾げる。
 立待はいつも優しくて丁寧だ。冷たいと感じた事など雪花は一度もない。

「立待様はとてもお優しい方です。私のような者にも、丁寧に分かりやすく教えてくださって……。あんな風に親切にしていただいたの初めてで、とても嬉しいです」

 屋敷にいた頃は誰かに何かを尋ねても、嫌そうな顔で無視されるか、冷たい返答をされるかのどちらかだった。話しかけるなと怒鳴られた事だってある。
 けれども立待は雪花が質問をしても変わらない態度で答えてくれる。雪花はその事にとても感謝していた。
 なので雪花は氷月に嬉しかった事をせっせと話す事にした。

「ふ、ははは。そうかそうか。なぁ、立待。良かったな!」

 氷月は楽しそうにひと通り聞き終えると、急に立待に呼び掛けた。
 雪花は「えっ?」と思って周囲を見回す。しかしどこにも立待の姿はない。
 不思議に思っていると、ややあって雪花の後ろの岩陰から白い蛇がにょろりと姿を現した。

「……何故バラすのです、氷月様」

 すると蛇の口から立待の声が聞こえた気がして、雪花は目を瞬く。

「お前が気を遣って隅っこに隠れたまんまだからだよ」
「分かっているなら見ないフリ、言わないフリをするのが良い上司です」

 ……やはり蛇からは立待の声が聞こえる。

「蛇から立待様のお声が……?」
「立待は蛇の妖なんだよ」
「なるほど……?」

 氷月に仕えているからには、人ならざる者だというのは理解していたが、蛇なのは初めて知った。

「立待様は蛇の姿もお美しいですね」
「……ッ」
「ははは。立待が照れてる」
「氷月様!」

 抗議するように口を開いて、シャー、と怒る立待。氷月は楽し気に笑うだけだ。

「あの、立待様は何故そのお姿に?」
「……いえ、その。私が入っていたら、あなたが来たもので、つい」

 言い辛そうな立待の言葉に、雪花はハッと両手を口に当てた。もしかしたら立待がゆっくりと浸かっているのに、邪魔をしてしまったのかもしれないと思ったのだ。

「も、申し訳ありません! 入る時に確認するべきでした!」
「い、いえ、別にここは一人用というわけではありませんし。あれは単に私が……」

 あたふたと謝る雪花に、立待が少し慌てた様子でそう言いかけた時、不意に、その頭がくらりと揺れた。

「あなたが……謝る必要、は……」
「立待様?」

 何だか呂律も怪しくなって来た。どうしたのだろうかと思った瞬間、立待の頭がくたりと倒れた。

「たっ、立待様ー!?」
「ああ、やっぱり。のぼせたなぁ」

 悲鳴を上げる雪花、目をぐるぐると回している立待。
 そんな二人を見て氷月はやれやれと肩をすくめた。
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