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第18話 う!汗くさぁっ

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「ふうっ! あっちー!」

 そう言って騎士コートを脱ぎながら入って来たのは、長めの前髪が鬱陶しそうな超絶美形の騎士である。

「ご苦労だったね、デニス」
「全然、何て事ねえですよ。この辺は雑魚ばっかなんで」
「サビーナ、お茶を入れてあげなさい」
「あ、はい!」
「あー、いい、いい。水で十分だからよ」

 そう言ってデニスは自前の水筒をキュポンと開けると、勢いよく飲み始めた。口の端から少し水が溢れ落ちながら、ゴッキュゴッキュと音を立てて飲む姿は豪快だ。

「ップハーーー!」
「……飛びましたよ、デニス」
「あ、セヴェリ様、すんません!」

 勢いで水滴が飛び散り、セヴェリの顔に当たったようだ。すぐにデニスは脱いだコートでゴシゴシとセヴェリの顔を拭き始める。あ、っと思った時にはもうデニスのコートがセヴェリの顔にくっ付いてしまっていて、止める暇も無かった。

「むぐ、やめなさい! 汗臭いですよ、あなたのコートは!」
「え? そうですか?」
「いいから座ってください」
「へーい」

 サビーナは慌ててタオルに少し水を含ませ、それをセヴェリに渡した。セヴェリは無言で顔を拭き、「ありがとう」の言葉と共にサビーナに返してくれる。
 デニスは言われるがままどっかりと座り込み、今度は自分の汗をコートで拭いていた。

「デニスさん、これを使ってください!」
「お? 悪ぃな。サンキュ」

 騎士コートで汗を拭くなど、言語道断だ。新しいタオルをグイッと差し出すと、目を細めてニコッと笑顔で返された。ほんの少し、脈が速くなるのが分かる。
 デニスは細身で身長もそれほど高くはないが、やはり班長という立場なだけあって、かなり鍛えられている体だ。髪の色は銀よりも淡く、白よりも濃い。白銅色とでも言うべきか。
 長めの前髪から覗く目は、少し釣り目だが大きい瞳を持っている。鼻筋は通っていて、唇は薄く、笑うと可愛い。

 誰だっけ、馬鹿な美形ほど手に負えないって言ってたのは……

 不覚にもサビーナは、少し鼓動が高くなるのを感じた。計算でやっていないのが分かるだけに、余計にタチが悪い。
 デニスはゴシゴシと汗を拭くと、ポイッとタオルをサビーナに放り投げてくる。しかしいきなりの事にサビーナはそれを受け取れず、顔面でキャッチしてしまった。ばさりと妙に湿ったタオルがサビーナの顔に纏わりつく。そこから匂ってくるのは、彼の……

「うっ! 汗くさぁっ」
「あ? そっかぁ?」

 サビーナはその汗の匂いが染み付いてしまったタオルを慌てて取り払う。視界が開けたそこには、デニスが楽しそうに笑っていた。先ほどの可愛い笑顔ではなく、見るからに悪ガキのする顔で。
 サビーナは少々イラッとなりながら、そのタオルを畳んで片付ける。そんな姿を見たからか、セヴェリが呆れたようにフッと息を吐き出した。

「まったく、あなたは……昔はよく女の子にいじめられて泣かされていたというのに……」
「うっ、セヴェリ様! それはー」
「デニスの子供の頃は、それはもう可愛かったんですよ。アンゼルード人形顔負けです」
「女の人形に例えんのは止めて下さいっ」

 アンゼルード人形とは女の子の理想の集大成である愛らしい人形だ。それを比較に出すという事は、この美形男子の幼少はさぞ可愛かったに違いない。

「生徒会室に泣きながら避難しに来ていた日々が、懐かしいですね」
「やーめーてーくーれーっ!! 俺の黒歴史ッッ」

 デニスがカーッと顔を赤くして手をわきわきさせる姿に、思わず笑ってしまう。女の子に泣かされてベソをかいているアンゼルード人形のようなデニスが、容易に想像できた。
 サビーナの笑う姿を見て、デニスはますます顔を赤くさせている。

「くそー、セヴェリ様! それは言わないって約束だったじゃないですか!!」
「すみません、つい思い出してしまったもので」

 セヴェリは相変わらずクスクスと楽しそうに笑っている。デニスはふくれっ面で腕を組んでいて、拗ねる姿はまるで子供のようだ。なんだか少し微笑ましい。

「セヴェリ様とデニスさんは、子供の頃からの知り合いだったんですね」
「ええ、デニスは私よりひとつ年上ですが、幼年学校からずっと一緒だったので。上級学校に入った辺りから、背が伸びて生意気になりましてね」
「生意気になったんじゃなくって、本来の俺に戻れたんですよ」
「ではそういう事にしておきましょうか」

 やはりクスクスと笑うセヴェリに、デニスは悔しそうに顔を紅潮させていた。

 そうして二人の思い出話を聞いていると、馬車はひとつ目の目的地に到着した。ビネルという小さな町だ。急ぐ時には馬をここで交換し、夜通し走れば朝までにユーリスに着くらしいが、今回はここで一泊する予定になっている。

「他に騎士を連れてくれば、交代で走れたんじゃないですか? 何で今回はこんな少人数なんすか」

 馬車を降りて、宿に向かう道すがらデニスがセヴェリに聞いていた。

「あまりユーリスで目立つ行動を取りたくないんですよ。ぞろぞろと大人数を引き連れていては、人目を引いてしまいますし」
「ふーん、少数精鋭ってわけか」
「精鋭ではない者も、一人混じっているようですが?」

 リカルドがそう言い、チラリとエセ騎士に視線を送ってくる。サビーナは居た堪れなくなり、数歩遅れて歩く事で距離を取った。

「彼女はここに置いていくべきだと私は思いますが」

 後ろを歩いているので分からないが、きっとリカルドは無表情で言っていることだろう。そんな彼にセヴェリは首だけを後ろに向けながら、苦笑いを向ける。

「厳しいですね、リカルドは」
「レイスリーフェ様のお気持ちを考えると、他の女性がセヴェリ様の周りにいるのは面白くないはずです。これからユーリスの街に行くのでしたら、そのくらいの配慮はすべきかと」

 ユーリスの街は、そういえばレイスリーフェの住む街だった。きっとセヴェリは彼女に会いに行くのだろう。そう考えると、確かに側に控えているのはマズイ気がする。

「クスクス……優しくする女性は、奥方だけにしておいた方が賢明ですね。シェスカルのようになっては、愛する妻に逃げられてしまいますよ」
「私と隊長を一緒にしないで頂きたいですな」
「おっと、それは失礼」

 いささかムッとした声でリカルドが反論し、セヴェリは相変わらずクスクスと楽しそうに笑っている。

「まぁそう心配しないでください。彼女はユーリスまで連れて行きます。それが私の目的ですから」
「失礼ですが、その目的とは?」
「秘密ですよ。ね、サビーナ?」

 話を唐突に振られて、サビーナは狼狽した。『ね』と言われても、何も聞いていないのだから答えようもなく、曖昧に笑って誤魔化す。
 冷たい視線を寄越してくるリカルドは、何と思っただろうか。その眼鏡の奥の瞳が怖かった。
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