たとえ貴方が地に落ちようと

長岡更紗

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第59話 ……駄目……デニスさんっ

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 ブルル、と馬たちが全停止する。
 サビーナは馬車を取り囲む彼らを、順にひとりひとり眺めた。

「サビーナ、降りてこい。セヴェリ様を帝都へ連れて行く」

 リックバルドが冷静に言う姿を見て、サビーナはキッと睨みつける。

「リック、どうして!! まだセヴェリ様を説得する時間はあった! それなのに!!」
「俺じゃないっ!!」

 リックバルドの訴えるような語勢に、兄は嘘などついていないという事を瞬時に理解する。

「じゃあ、誰が皇帝に密告を……」
「俺だ」

 その声と共に、馬から飛び降りる者がいた。サビーナはその人物を瞠目して見つめる。

「シェスカル、隊長……ッ」

 シェスカルの眼光は鋭く、いつもの軽い男の様相は消えている。
 一気に頭に血が上った。
 オーケルフェルト騎士隊の隊長ともあろう者が、己(おの)が主を売り渡すような真似をした、その事実に。

「シェスカル隊長……!! どうして!! どうしてッ!!!!」
「これが一番最善の方法だった。セヴェリ様を渡して貰おう。サビーナ、お前もこれだけ派手な立ち回りをしたんだ。ただでは済まないぜ」

 シェスカルの言葉に、リックバルドとデニスが顔を歪めているのが分かった。
 サビーナは己の剣の柄をグッと握る。

 どうすれば……っ

 血が上っている頭を、必死に冷却する。
 隊長と班長が勢ぞろいしているこの状況で。
 サビーナが彼らを倒して切り抜けられる確率は、なきに等しい。

 セヴェリ様を生かさなきゃ……
 絶対に、絶対にっ!!

 しかしその思いから、サビーナはとうとう剣を抜いた。

「やるのか、サビーナ」

 シェスカルの、ドスの聞いた声が響き渡る。
 こんな声が出せる人だとは知らなかった。
 彼の体から怒気という風が吹きつけてくるようだ。
 いつも明るく優しく、安心感で満たされるようなあのシェスカルとは、真逆の声。
 サビーナの体は蛇に睨まれた蛙のように動かなくなる。
 彼の実力を知っているだけに……怖い。

 でも、引くわけにいかない!
 セヴェリ様を、渡すわけにはいかないっ!!

 サビーナは恐怖心を振り払い、剣を構え直す。

「サビーナ、やめなさい」

 突如、後ろから声を掛けてくる者がいた。その人物を横目で確認する事もなく、サビーナは彼を制す。

「危険です。下がっていてください、セヴェリ様」
「危険な事をしているのはサビーナでしょう。私は……あなたを死なせたくない」

 私だって、とサビーナは心の中で答える。
 サビーナも、セヴェリを死なせたくない。
 だからこそ、こんな無謀な事をしているのだ。

「あなたまで、死ぬ必要はないんですよ」

 その優しい言葉に、涙が溢れそうになる。
 だからこそ。
 こんなにも優しい人物であるからこそ。
 絶対に、死なせられない。
 サビーナは、そんなセヴェリにかぶりを振って答えた。

「私は……っ、セヴェリ様を、生かす、役だから……っ」

 何かが込み上げそうになるのを、サビーナはグッと堪える。
 怖い。どうなってしまうのかが。
 でも、それでも、セヴェリだけは生かさなければいけない。

「じゃあ守る役は俺だよなっ!!」

 そんな明るい声と共に、トンッと人影が馬車に飛び乗ってくる。
 その男はこちらに目を向けてニッと笑った。

「デニスさん!!」
「大丈夫だ、俺に任せろ!」

 デニスは顔に笑みを含んだまま、己の剣を抜いている。

「馬鹿、デニス! あなたまで!!」

 キアリカが叫ぶ。

「二人ともやめなよ! こんな事をしても何もならないんだよ!?」

 サイラスが諌める。

「デニス……ッ」
「リカルド、お前はこっち来んなよ。嫁さんがいんだからな」

 リカルドは渋い顔をして、デニスを見据えている。

「デニスさん……」

 不安な目を向けると、彼は自信ありげに笑った。

「サビーナ、隙をついて俺の馬で逃げろ。セヴェリ様を頼むぜ」
「でも」
「これを持ってけ。役に立つはずだ」

 彼は腰から何かをブツンと引き千切る。キンッと高い音色がして、それを手渡された。

「デニス、今ならまだ引き返せる。セヴェリ様とサビーナを捕らえて、こっちに戻ってこいッ!!」

 シェスカルの地鳴りのような声に、ビリビリと空気が震える。
 馬たちが怯えるように浮き足立ち始め、馬上の者はバランスを取りながら静めている。
 さすがのデニスも、その顔に笑みがなくなった。冷や汗すら掻いてシェスカルと対峙している。

「……駄目……デニスさんっ」
「ここで引いたら、誰がセヴェリ様を守んだ?」
「でも……っ」
「頼むぜ、サビーナ。必ずセヴェリ様を生かしてくれ」

 デニスの覚悟が感じ取れる。
 サビーナが覚悟していたように、彼もまた決意を固めている。その意思を、サビーナが変えられるはずもない。

「……分かった」

 サビーナが承諾の意思を示すと、デニスはこちらを見て優しく目を細めた。

 泣けてくる。
 もう二度と、彼の顔を見る事はないかもしれない。

 しかしサビーナは涙を飲み込み、前を見据えた。
 隊長シェスカルは射抜くような眼をこちらに向けたままだ。

「やる気か、デニス」
「シェスカル隊長と真剣勝負ってのも面白おもしれぇ」

 さらにビリッと空気が震えた。凍えて固まりそうになる体をなんとか騙し、セヴェリの手をギュッと握る。

「セヴェリ様、合図をしたらデニスさんの馬に飛び乗ってください」
「サビーナ、あなたは」
「セヴェリ様の後ろに乗りますので、馬を操るのはセヴェリ様にお任せします。私は追手を払いますから」

 ひそひそと話し合うと、セヴェリはコクリと頷いてくれた。

「みんな、下がっていろ。デニスが相手じゃ、全員が無傷ってわけにはいかねぇだろうからな」

 シェスカルの言葉に、周りの騎士は距離をとっている。これなら隙をついて逃げ出す事も可能だ。
 シェスカルは、強い敵が相手の時は、一人で戦う傾向があると聞いたことがある。つまりデニスの強さを認めているという事に他ならないが、デニスがシェスカルを倒せるかというとまた別の話だ。
 もしかしたら、一瞬で決着がついてしまうかもしれない。勝負が始まったその瞬間、逃げ出すのがベストだ。

「じゃあな、サビーナ。元気でやれよ」

 デニスさんも、という言葉が出てこなかった。彼の命の保証が出来ない今、それを言うことは憚られた。
 デニスの顔がグッと引き締まり、剣を握るその手に力が入るのが分かる。

「行くぜ!! シェスカル隊長!!」
「覚悟して来いっ!!」

 二人の剣が、今、交差した。
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