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05.大騒ぎ

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 後日、この町に住む女性全員に、匿名のアンケートが郵送で実施された。
 性被害の実態を調査するために。
 私は苦しい思いをしながらもニッケルのことを書き記した。
 ついでに私を襲おうとした男、全員を書いてやったわ。名前がわかる者には名前を、わからない者は思い出せる限りの特徴を書き記しておいた。
 これでニッケル以外の男も捕まってくれなら、きっと住みやすい町になる。

 そのアンケート結果は、やはりと言うべきか、ニッケルから性的被害を受けた女性がいた。
 具体的な数字は公にはされなかったけれど。

 わざわざうちに来て教えてくれたのは、もちろんイアン様だ。

「通常ならば、捜査をしなければ実刑に持ち込むのは難しい。だが今回の件もあって、匿名のアンケートも事実である可能性が高いとして、刑罰に加味された」

 ニッケルは処刑……しかも火刑に決まったらしい。
 処刑の中でも最も苦しいと言われる方法が選ばれたということは……それだけ、被害者が多かったに違いない。

 悪いことをすれば捕まる、刑罰を受ける……それは当然のこと。

「……それと、キカがビッチ令嬢と呼ばれている件なんだが」

 嫌な言葉を耳にして、私はビクッと体を震わせた。
 色々噂されていたから、イアン様も気づいていただろうけど……。

「それはニッケルが言い出したデマだということが断定された。今後、キカをその言葉で侮辱する者がいれば、厳しく取り締まることになる。これでキカを苦しませることは、なくなる」
「……本当、ですの?」
「ああ」

 喉の奥から、涙が込み上げてくる感覚。
 私を苦しめ続けた言葉から、ようやく解放されるんだわ。

「今まで、よく耐えたと思うよ。がんばったな。これからは普通の令嬢として、人生を謳歌してほしい」
「……はい」
「もう、兄役はいらないな?」
「……っ」

 兄役は、いらない……つまり、私の兄として役目は終わったということ。
 ああ、きっとイアン様は意中の方に、あのカメオを渡したんだわ。そしてうまくいったのね。
 私という存在は、きっともう邪魔になるだけ。本当の妹というわけでもないもの。

「はい、もう兄役は必要ありませんわ」

 私が微笑んで見せると、イアン様も笑ってくれた。
 とても、とても嬉しそうに。

 私は引き裂かれそうになる胸を押さえて、なんとか笑顔を保っていた。


 ***


 ニッケルの処刑が執行されて、平和な日常が戻ってきた。
 そんな私の誕生日。父様と母様に「話がある」と呼び出された。

「お前に、縁談の申し込みがあった! しかもジームレイ侯爵様だぞ!!」
「……え?」
「よかったわね、キカちゃん。あなたに真っ当な縁談がめぐってくるなんて……」

 ジームレイ? 聞いたこともないわ、どこよそこは!

「お受けすると先方に伝えておくからな!」

 侯爵令息でない、侯爵様だなんて……絶対に年上の色ボケジジイに決まっているじゃないの!!

 私やっぱり、イアン様じゃなきゃ、お嫁になんて行きたくない!!

 でもどれだけ反対しても無駄で、私は部屋へと閉じ込められた。
 このまま色ボケジジイの後妻なんかになってたまるもんですか! 後妻かどうかは知らないけれど!
 私はメイド服を拝借すると、しれっと屋敷を抜け出して、イアン様の働く軍事施設へと向かった。

 門兵に、〝クレイヴン家の使いの者で、ダグラス様に忘れ物を届けに来た〟と嘘を並べて兄様を呼び出してもらう。
 どうしたのかと訝る兄様に、私はなんとかという侯爵様から婚約を持ちかけられたことを話した。

「ジームレイ侯爵閣下だろう、まったく……」
「兄様、知っていたの??」
「ああ、本人から聞いた。父上も母上も、今晩直接会う時まで内緒にしてくれと頼まれていたはずなんだが……先走ったな」

 本人から?! 父様や母様のみならず、兄様までグルだったってこと?!
 兄様は、唯一の私の味方だと思っていたのに……!!
 いえ、怒っている場合じゃないわ。一刻も早く、イアン様に私の気持ちを伝えないと!
 もしかしたら『おめでとう』と喜ばれるかもしれない。逆に困らせるだけかもしれない。
 だけど、一緒に逃げようって言ってくれる可能性もあるんだから。

 今すぐイアン様に会わせてと頼み込むと、お人好しの兄様は中へと入れてくれた。

「ここがイアンの……おっと、イアン指導顧問の執務室だ」

 兄様がノックをすると返事があって、中へと入っていく。
 私を見たイアン様が、驚いた顔で書類をパサっと落とした。

「……キカ……だよな?」
「はい、イアン様。唐突の訪問、申し訳ありませんわ」
「いや、構わないが……どうしてメイド服……かわいい」

 最後、ぼそりとなにか言った?

「ご、ごほん。どうした、キカ。なにか用事か? まさか、また危険な目にでもあったのか?!」
「はい、私……人生最大のピンチなのです!」
「なにがあったんだ、話を聞かせてくれ!」

 私のことを心配してくれているイアン様の言葉が嬉しい。

「私、実は……ジームレイ侯爵様という方から、その……縁談がありまして……」
「ああ、聞いてしまったのか」

 ……え? この反応……まさか、イアン様も知っていた……?

「それで、私……っその侯爵様の元にお嫁に行くのは、絶対に、絶対に嫌なのです!!」
「おい、キカ!」
「兄様は黙ってらしてっ!!」
「お、おう」

 私がキッと兄様を睨みつけると、たじろいで一歩引いてくれた。

「絶対に、嫌、なのか……?」
「とてもありがたい話だというのはわかっているのです……! それでも私は、侯爵様の後妻になんて入りたくありませんの!」
「いや、俺は一度も妻を迎えたことはないが」
「そういえば後妻ではありませんでしたわ! でも色ボケジジイは私の体目当てに決まっていますもの!」
「色ボケジジイ……」
「そうですわ!! 男なんて、みんな同じです!!」
「……そう、かもしれないな」

 っは! つい興奮して言い過ぎちゃったわ。兄様とイアン様は違うってちゃんと伝えておかなくては……

「あ、もちろん兄様とイアン様は……」
「俺も、キカを抱きたいと思ってしまっていたしな」
「……え?」

 今、イアン様はなんて言ったの……?
 まさか、こんなにも優しいイアン様が……私を性的な目で見ていた、ということ……?

「……うそ、ですわよね……?」
「本当だ。キカの妖艶な姿を初めて目にした時……もう妹としては見られなかった。ひとりの女性として、キカを見ていた」

 妖艶……? 胸をはだけられて、百人斬り発言をしたとき?
 あの時から、イアン様は私を……

「そんな……イアン様まで私をずっとそんな目で見ていたというの……?!」
「……すまない。キカが嫌がるとわかっていながら、この気持ちは止められなかった……!」
「……ひどいっ!!」

 悔し涙が私の頬を伝って落ちていく。
 イアン様だけは、他の男たちとは違うって……
 そんなことを考えたりしない紳士だと、信じていたのに……!!
 イアン様は椅子から立ち上がると、泣いている私に近づいてくる。

「キカが兄と思ってくれているのをいいことに、俺は何度も君を抱きしめてしまった」

 私を抱きしめていたのは、邪な気持ちからだったのね……胸が、張り裂けそう。

「でもわかってほしい。こんな感情をいだいているのは、キカにだけだ。他の誰でもいいわけじゃない」
「私……だけ?」

 こくりと強く頷くイアン様のライトブラウンの髪が、ふわりと揺れる。

「キカの心の傷が癒えるまでは、絶対に無茶なことはしないと約束する。だから……結婚、してほしい」
「……え?」

 どういう……こと?
 今の流れは、そんな結婚なんて話だった?
 ポカンとしていると、イアン様は小さな箱を取り出して私の目の前で開けてくれる。

「十九歳の誕生日おめでとう、キカ」
「これは……」

 美しいカメオのブローチ。
 一緒に買い物に行った時に、イアン様が意中の人へと買った物のはず。

「贈った相手に受け取ってもらえなかったんですの?」
「今、キカに受け取ってもらえなければ、そうなるな」
「じゃあ……元々これは私に……?」
「ああ。ダグにキカの誕生日を聞いて、どうしてもなにかをプレゼントしたくなったんだ」

 そんな話を聞くと、顔に熱が集まってくる。
 イアン様の意中の人というのは、まさか……

「もしかしてイアン様……私のこと、好きなんですか……?」
「ああ、愛している。そうでなければ、結婚の話なんて出さない」

 これは夢?
 イアン様が、私のことを……。

「キカ。返事を聞かせてほしい」

 抱きたいと思っているとくれたのも、結婚してほしいと言ってくれたのも、私のことを愛していてくれたからなんだわ!

「イアン様……私もイアン様が大好きですわ!」
「キカ……!」
「だけど愛してくださっているのなら、どうか私を連れて逃げてほしいのです!!」
「……逃げる?」

 愛しているとは言ってもらえたけれど、一緒に逃げてくれるかどうかは別の話。
 イアン様は不可解だと言わんばかりに眉を寄せている。

「さっきも申しました通り、私はなんとかという色ボケジジイの侯爵様に、縁談を申し込まれているのですわ……」
「……一応確認するが、その侯爵とはジームレイで合っているよな?」
「そうですわ! そのジームレイとかいう色ボケジジイの後妻に……いたぁあっ!!」
「少し落ち着かんか、キカ!」
「なにするのよ、兄様!!」

 後ろを振り向くと、兄様が怒った顔をしている。
 うう、ゲンコツをもらうだなんて……兄様の宝物に落書きして以来よ!

「あまりに無礼すぎるぞ! いい加減にせんか!」
「だって私、絶対にそんな色ボケジジイの後妻になんか入りたくないんだもの!!」
「矛盾しているだろうが! イアンのことが好きだと言いながら、ジームレイ侯爵との縁談を拒否するなど!」
「矛盾?! なにが?!」
「いや、ちょっと待ってくれ二人とも……飲み込めてきた」

 イアン様に止められて、私たちはぜーぜー言いながらイアン様の方へと向き直る。
 飲み込めてきたって……一体なにが?

「キカ」
「はい」
「さっきからキカの言っている、色ボケジジイのジームレイ侯爵とは……俺のことだ」
「…………はい?」
「色ボケですまない」
「…………はい?」
「だが、まだジジイではないつもりだ」
「……はい」
「さっきも言ったが、俺は妻を娶ったことがないので、後妻ではない」
「…………」

 え、ちょっと待って……
 今、なんて……

「え、ええええええええ!! イアン様は侯爵様だったんですの?! 侯爵令息では……!!」
「なにを言っとる。俺はちゃんとフェザリア王国の侯爵だと説明したはずだぞ」

 兄様の言葉に、私は記憶を辿ってみる。
 確かに、そんな風に言っていた気も……でもこんな若くして侯爵の地位を持っていると思わないじゃない!!

「俺の父が元々ジームレイ侯爵だ。第一王女だった母が王家からの降嫁で公爵を叙爵して、父は二つの爵位を持っていた」

 はい? お母様が元第一王女で、お父様が公爵様?

「俺がジームレイの要塞にいた頃に、父から侯爵を譲り受けた。公爵の土地が広大だったこともあって、分譲した形にしないと、国力バランスが取れなかったからだ。俺自身に侯爵の地位があった方が、都合が良かったこともある」
「えーっと……それじゃあ将来、イアン様は……」
「ああ、いずれは父の爵位も俺が継ぐだろうな。まだ先の話だが」

 いずれ、イアン様は公爵様……
 待って。
 そんな人に……しかもフェザリア国王陛下の御令孫ごれいそんに……

 色ボケジジイの後妻は嫌だと騒いだバカは誰!!? はい、それは私!!!!
 いやあああ、泣きそうっ!!

「申し訳ありません……っ! 私、イアン様がジームレイ侯爵様だとは、露ほどにも思わず……!!」
「っふは、そうか」

 私は謝罪しても許されないくらいの無礼を働いたと思うのだけど……なぜだか笑っているイアン様。
 えーと、私はどうすれば?

「本来なら今晩クレイヴン家で、プレゼントを渡してきちんと婚約したいと思っていた。キカが俺でいいと言ってくれるならば」

 なんてこと。私は一人で大騒ぎしてしまっていたわけね。

「俺はいつまでこの国にいられるかわからないが……それでもいいと思ってくれるなら、結婚してほしい」

 イアン様の真剣な瞳と言葉に、私の胸はもう決まっていた。
 どこへ行くことになっても……イアン様のそばにいられるなら、それでいいのだから。

「はい。私はもう、イアン様なしでは生きていけません。どこへでもイアン様についていきますわ」

 私が宣言すると、イアン様はヘーゼルの瞳を嬉しそうに細めて。

「ありがとう、キカ……愛している」

 伺うように背中に手を回され、私がゆっくりと頷くと。
 イアン様は、優しく空気を纏うように、私をそっと抱きしめてくれた。


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