鷹華は幸せです。

メメント槍

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願いましょう。

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「バカか。銃持ってる相手に、あれはないだろ」

ご主人様は、呆れたような口調でそう言った。

「そうですか?」
「運よく転んでなかったら、本当にバカだった」
「じゃあ、運よく転んだのでバカじゃないって事ですね?」

『そうじゃない』と、ご主人様は溜息をつく。
そ、そんな顔をしなくてもいいのに……!

「勇敢なのかバカなのか分かんねえよ」
「『素直な気持ちに沿って行動した方がいい』って、前に仰ってましたよね?」
「そうだっけか?」
「はい。『何が出来ないかって考えるより、どんな事なら出来るのかって考えた方がいい』みたいなお言葉も、頂戴しました。丸腰の私ですが、なかなかの働きだったでしょう?」

ご主人様は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
えぇ? な、何か私、ヘンな事を言ってますかね?

「とにかく……何だ。助かった。ありがとう」
「いえ、今まで助けられてばかりでしたので! ご恩をお返しできて、嬉しいです」

私は一生分、心の奥底から幸せな気持ちになった。
ご主人様にこうやって抱き抱えられるなんて、あり得ないと思ってたから。

「……医者を呼んだが最速でも二時間掛かるらしい。こんな時間だからな」
「じゃあ、たぶん、助かりませんね。私」

お腹が熱い。自分の手を当てると給仕服に染み込んだ生暖かい感触が伝わってきた。
失血の影響だろうか、意識がぽやんとしている。

そう。

私は男を取り押さえようと躍起になったものの、非力すぎてうまくいかなかった。もつれ合いながら男は銃を構えてご主人様を撃とうとし、私はその手に組み付いて射線を逸らそうとしたが、それもうまくいかなかった。

なので――私は、私自身を盾にした。

「縁起でもない事を言うな」
「あはは、そうですよね。ごめんなさい」

肺が酸素を取り込めていないような感覚。どれだけ呼吸をしても息苦しさが拭えない。
顔も青ざめてるんだろうな……不細工に映ってないといいんだけど。

まあ、素人目に見ても、まず無理でしょう。
無慈悲にも私の身体には鉛玉が二・三発は埋まっているようなので。

「動くと、ものすっごい痛いんです。このまま支えていて下さいね」
「ああ。何でもする」
「……ご主人様にお願いするなんて、何だか失礼に当たらないか心配です」
「全然、いい」

私を覗き込んでいるご主人様の顔は、今にもぐしゃぐしゃになってしまいそう。
私が給仕長に怒られたときよりも酷い顔をしていますよ?
だから、ほら。笑ってください。

「ひとつだけ、いいか」
「はい」
「この男に飛び掛かるとき、何か言ってただろ」
「……乙女の秘密です」
「そうか」

ね、ご主人様。笑って下さいよ。
今のは笑うところでしょう。
何でそんなに、悲しそうな顔をされるんですか?

「……あの、ご主人様」
「なんだ」
「一つだけ、お願いがあります」
「ああ。何でも言え」

最期になって欲が出る。
何故だろう、素直になってしまいたい。

「どうか、私に口付けのお許しを頂けませんか?」

“ご主人様の手の甲に、させて頂きたいのです”。
そう言葉を続けるつもりが、叶わなかった。

唇に柔らかな感触が伝わる。
数瞬遅れて、ご主人様が私の唇にキスをしたのだと分かった。

――あ。どうしよう。そうじゃない、のに。
幸せすぎて、何も言えなくて。

「これでいいか」
「……はい」

離れていくご主人様の顔。青ざめた私の頬にちょっとだけ血色が戻っているのが感じられた。
死に体なのに、こんな風に胸を高鳴らせて。私、本当にバカなんじゃないだろうか。

本当は手の甲への口付けで満足する筈だったのに。
主人と従者の“敬愛”を意味する部位に口付けて、立場を示すつもりだったのに。

「ご主人様」
「…………」
「慕っております――――愛して、います」

でももう駄目。キスして、幸せな気持ちになってしまったから。
素直になるのを我慢できない。

例え、私が私を心底嫌いでも。
例え、私が明日の陽を目にする事がなくとも。

私は、ご主人様が好きだ。
誰に何と言われてもいい、添い遂げたいんだ。
生きて欲しいんだ。

「鷹華。俺も――――」

映像が狭まる。音声が遠のく。意識が沈む。
肝心なところが聞こえない。聞こえなくても、いい。

跡取りと使用人。その領分を越える物語は、大概悲恋によって締めくくられる。
……なんて言いましたけど、そんな事はありませんでしたね。

鷹華は幸せです。

でも、もし欲を言えば。
いつか生まれ変わってお会いできるような機会が、この私に許されるならば。

その時は――
非力でなく、大切な人を護れるだけの力を。
添い遂げ、共に睦み合うだけの時間を。
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