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五章 女炎帝
15、商売ができない
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翠鈴は悩んでいた。
夕食時なのに、食堂は空いている。
今夜の献立は、生魚片水蒸蛋という、淡水魚の雷魚を乗せた茶碗蒸しだ。それに酸っぱい漬物がついている。
「こういう温かいのが助かるよね」
隣の席に座る由由が、匙でふるるとした玉子をすくう。
「たまには魚もいいね。海が近い町だと、杷京と違って魚料理が多くなるのかな」
翠鈴は、薄く切られた雷魚の身を箸でつまんだ。
蒸してあるので、口の中で身はほろりと崩れる。葱と生姜、それに醤油とごま油の味が、淡白な雷魚によく合っている。
「しみるわー」
「翠鈴ったら、おじさんみたい」
「うっ」
(しまった。由由の前だと、つい油断して十代であることを忘れてしまう)
とはいえ、ふだんからも特に十代らしくふるまっていないのだが。翠鈴はそのことに気づいていない。
「最近、食堂に来る人が少ないよね」
由由は広い食堂を見まわした。たしかに空席が目立っている。朝も席を探すまでもなく、すぐに座れるのだ。
女官や、とくに宮女の数が減っている気がする。
侍女は変わらない。
風邪が流行っているわけでもない。宮女の宿舎で寝込んでいる人が多いわけでもない。
「人員整理でもあったのかな」
「じんいんせいり? なに、それ」
「解雇……えっと、女官や宮女を辞めさせられること。でも、未央宮は人が減らないよね」
翠鈴は腕を組んで考えた。
あまりいい兆候ではないように思えたのだ。
(もしかして光柳さまに、夜の薬売りを止められたのと関係があるのかもしれない)
――大理寺卿の陳天分が、後宮で女炎帝を名乗る薬売りを捕らえると息巻いているらしい。いいか。くれぐれもしばらくは商売をしないように。
先日。光柳は、重ねて念を押した。
――後宮の池の辺りで薬を売っているんだよな。私も夜に見回るようにするが。警備の宦官に見つかれば、君は捕まるぞ。
人の少ない食堂は、妙に冷える気がした。
◇◇◇
夜更け。翠鈴は布団の中で、まだ思案していた。
(わたしは女神なんて騙ってないのに。捕まえるとか、とんだ迷惑だわ)
捕まえる? その言葉が、空席の目立つ食堂の光景に重なった。
最近は、宮女の宿舎も静かだ。
もしかして。翠鈴は跳び起きた。
同室の由由は、もう眠りについている。彼女を起こさないように、翠鈴はそっと部屋を出た。紐で髪を結びながら。
(まさか、片っ端から夜更けに出歩く女官や宮女を捕まえているというの?)
ちょっと待ってよ。待ちなさいよ。まずいわ、それ。
心の声が焦っている。翠鈴は冷静な方だ。日頃は、取り乱すことも少ない。
なのに。動揺が収まらない。
宿舎の階段を駆け下り、廊下を走り、外に出る。
(わたしのせいで、女官や宮女に嫌疑がかけられているのなら。何とかしなければ)
夜空は雲に覆われていた。
雲の隙間から、冴えた星は覗いているが。二十八宿などの星座までは、分からない。
首もとがやけに寒い。翠鈴は、光柳にもらった圍巾を忘れたことに気づいた。
だが、部屋に戻る時間も惜しい。
後宮にある池へと走る。凍てついた風が頬を打つ。白い息が、後方へと流れていく。
肌は冷えきっているのに、体の芯が熱くなる。
池に近づくと、話し声が聞こえてきた。
(やっぱり)
嫌な予感が的中した。
翠鈴は息を整えながら、橋へと向かう。池のほとりに生えている菖蒲の葉を、何枚かちぎる。
「違います。私は女炎帝ではありません」
「誰もが否定する。今夜はお前で五人目だ」
警備の宦官だろう。威圧的は声は高めの男性のものだ。
「毎夜、毎夜。何なんだ、お前らは。薬が欲しいなら医局に行けばいいだろう。言えっ。何を企んでいる」
「いいえ、いいえ。何も知りません」
宦官に問い詰められているのは女官のようだ。否定する声が掠れている。
「ふん。大理寺に引き渡せば、素直に吐くだろう」
女官が短い悲鳴を上げた。新しい大理寺卿の噂を知っているのだろう。
翠鈴はこぶしを握りしめた。手にした菖蒲の葉が折れて、青い匂いがする。
深呼吸をして、橋を渡りはじめる。
風が吹き、水面に微かな波が立つ。
きしり、ぎしり。翠鈴が足を進めるたびに、橋面が軋んで音がした。
「なんだ。お前も……」
宦官の言葉が途切れた。ちょうど雲の切れ間から、月光がまっすぐに降りそそぐ。宦官を睨みつける翠鈴の目は、凍りつくような光を宿していた。
夕食時なのに、食堂は空いている。
今夜の献立は、生魚片水蒸蛋という、淡水魚の雷魚を乗せた茶碗蒸しだ。それに酸っぱい漬物がついている。
「こういう温かいのが助かるよね」
隣の席に座る由由が、匙でふるるとした玉子をすくう。
「たまには魚もいいね。海が近い町だと、杷京と違って魚料理が多くなるのかな」
翠鈴は、薄く切られた雷魚の身を箸でつまんだ。
蒸してあるので、口の中で身はほろりと崩れる。葱と生姜、それに醤油とごま油の味が、淡白な雷魚によく合っている。
「しみるわー」
「翠鈴ったら、おじさんみたい」
「うっ」
(しまった。由由の前だと、つい油断して十代であることを忘れてしまう)
とはいえ、ふだんからも特に十代らしくふるまっていないのだが。翠鈴はそのことに気づいていない。
「最近、食堂に来る人が少ないよね」
由由は広い食堂を見まわした。たしかに空席が目立っている。朝も席を探すまでもなく、すぐに座れるのだ。
女官や、とくに宮女の数が減っている気がする。
侍女は変わらない。
風邪が流行っているわけでもない。宮女の宿舎で寝込んでいる人が多いわけでもない。
「人員整理でもあったのかな」
「じんいんせいり? なに、それ」
「解雇……えっと、女官や宮女を辞めさせられること。でも、未央宮は人が減らないよね」
翠鈴は腕を組んで考えた。
あまりいい兆候ではないように思えたのだ。
(もしかして光柳さまに、夜の薬売りを止められたのと関係があるのかもしれない)
――大理寺卿の陳天分が、後宮で女炎帝を名乗る薬売りを捕らえると息巻いているらしい。いいか。くれぐれもしばらくは商売をしないように。
先日。光柳は、重ねて念を押した。
――後宮の池の辺りで薬を売っているんだよな。私も夜に見回るようにするが。警備の宦官に見つかれば、君は捕まるぞ。
人の少ない食堂は、妙に冷える気がした。
◇◇◇
夜更け。翠鈴は布団の中で、まだ思案していた。
(わたしは女神なんて騙ってないのに。捕まえるとか、とんだ迷惑だわ)
捕まえる? その言葉が、空席の目立つ食堂の光景に重なった。
最近は、宮女の宿舎も静かだ。
もしかして。翠鈴は跳び起きた。
同室の由由は、もう眠りについている。彼女を起こさないように、翠鈴はそっと部屋を出た。紐で髪を結びながら。
(まさか、片っ端から夜更けに出歩く女官や宮女を捕まえているというの?)
ちょっと待ってよ。待ちなさいよ。まずいわ、それ。
心の声が焦っている。翠鈴は冷静な方だ。日頃は、取り乱すことも少ない。
なのに。動揺が収まらない。
宿舎の階段を駆け下り、廊下を走り、外に出る。
(わたしのせいで、女官や宮女に嫌疑がかけられているのなら。何とかしなければ)
夜空は雲に覆われていた。
雲の隙間から、冴えた星は覗いているが。二十八宿などの星座までは、分からない。
首もとがやけに寒い。翠鈴は、光柳にもらった圍巾を忘れたことに気づいた。
だが、部屋に戻る時間も惜しい。
後宮にある池へと走る。凍てついた風が頬を打つ。白い息が、後方へと流れていく。
肌は冷えきっているのに、体の芯が熱くなる。
池に近づくと、話し声が聞こえてきた。
(やっぱり)
嫌な予感が的中した。
翠鈴は息を整えながら、橋へと向かう。池のほとりに生えている菖蒲の葉を、何枚かちぎる。
「違います。私は女炎帝ではありません」
「誰もが否定する。今夜はお前で五人目だ」
警備の宦官だろう。威圧的は声は高めの男性のものだ。
「毎夜、毎夜。何なんだ、お前らは。薬が欲しいなら医局に行けばいいだろう。言えっ。何を企んでいる」
「いいえ、いいえ。何も知りません」
宦官に問い詰められているのは女官のようだ。否定する声が掠れている。
「ふん。大理寺に引き渡せば、素直に吐くだろう」
女官が短い悲鳴を上げた。新しい大理寺卿の噂を知っているのだろう。
翠鈴はこぶしを握りしめた。手にした菖蒲の葉が折れて、青い匂いがする。
深呼吸をして、橋を渡りはじめる。
風が吹き、水面に微かな波が立つ。
きしり、ぎしり。翠鈴が足を進めるたびに、橋面が軋んで音がした。
「なんだ。お前も……」
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