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一章
7、バートとエーミル【2】
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思えばぼくは、おじさまに対してだけ「さま」をつけて呼んでいた。
おじさまはよく喋る方でもないし(むしろ父さんの方が口が軽い)黙っていれば近寄りがたい雰囲気がある。
なのに、まとわりついても嫌がられないし、ぼくの話を静かに聞いてくれる。主に兄さんにお菓子を取られたとか、猫に引っ掻かれたとか、水たまりに足を突っ込んだとか、そういう愚痴だ。
――エーミルも眠っている時に、ひょいと持ち上げられたらびっくりするだろう? 猫も同じなんだよ。
穏やかに話しながら、おじさまはぼくのほっぺのひっかき傷を手当てしてくださった。
きっとバートさまにとってのマルティナさまも同じなのだろう。
心の中の柔らかな部分に存在して、何かあったらとびこんでいける人。それは親とは少し違い、もっと近くて懐かしい場所だ。
「ぼく達は、二人とも残されちゃったんですね」
「のこされたの?」
瞳を潤ませながら、バートさまがぼくを見上げてくる。寝間着の膝を抱えたままで。
この心細い背中は、おじさまが家を出た日のぼくそのものだ。
だから、ぼくには分かる。ううん、ぼくにしか分からない。
「ぼく達は大丈夫だから、残されたんですよ。バートさまはしっかりなさっていると、マルティナさまはお考えなんです。でないと心配すぎて、お二人とも結婚できませんよ」
「ぼく、しっかりしてる?」
小さなこぶしで、バートさまは濡れた睫毛を拭った。
「ええ、とてもしっかりなさっています。今日の午後にはマルティナさまも、こちらにいらっしゃいますし。あんまり寂しがっていては、心配なさいますよ」
「しんぱいさせないよ。でも……おねえさまに、ぎゅーってしてもいい?」
遠慮がちな問いかけに、思わず頬が緩んでしまう。
それはぼくが許可を出すことなんですか? でも、背中を押してほしいですよね。
「ええ、当然です。それはバートさまの権利ですから」
「けんりっ。だっこってけんりっていうんだ」
うーん、それはどうでしょう?
でも、ぼくも子どもの頃みたいにおじさまに頭を撫でてほしいなぁ、とつい思ってしまうのは内緒です。
お茶の時間に招待されていたおじさまとマルティナさまが、二人揃って庭を歩いていらした。
寄り添うお二人は、本当にお幸せそうに柔らかな風をまとっている。少し歩いては、マルティナさまはおじさまを見上げて微笑んでいらっしゃる。
見ているこちらまで心が満たされるようだ。
「おねえさまーぁ」
両手を前に出して、バートさまは走りだした。
そんなに早く走れるんですか? とびっくりするほどに、バートさまの足は速い。
咲き誇る薔薇が一斉に散って、辺りを薄紅や白い花びらで覆っていく。息苦しいほどの甘い香り。
とびついて抱きついたバートさまを、マルティナさまは笑顔で抱きしめる。風に舞う薔薇の花弁の向こうで、二人を穏やかに微笑んで見つめるおじさま。
まるで夢の中の光景のようだった。
「ぼく、なかなかったよ」
「えらいわねぇ、バートのことを心配していたのよ」
「しんぱいいらないよ?」
ぼくの小さな主は、得意げにあごを上げる。
あんなに、しょぼんとなさっておいでだったのに。強がりにも程があるでしょう。
「今朝ね、バートが摘んだクラウドベリーをいただいたの。おいしかったわ」
「そう? ぼくね、どこにクラウドベリーのみがなるか、しってるの。ひみつだけど、おねえさまにはおしえてあげてもいいよ」
殿下はすっかりいつもの通りだ。ぼくは、ほっと胸を撫で下ろした。
ひとしきりバート殿下の話を聞いていたマルティナさまが、ぼくの方に視線をお向けになる。
「ありがとうエーミル。あなたのお陰ね」
「いえ、そんな。ぼくは何も」
きっとマルティナさまは、バートさまの目が少し腫れているのにお気づきになったのだろう。敢えてそれには触れない、姉としての優しさなのだろう。
無言でぼくの側に歩み寄ったおじさまが、大きな手をぼくの肩に添えた。少し躊躇ったように睫毛を伏せた後で、その手はぼくの頭に載せられた。
ずっしりと重い感触。でも懐かしくて……あまりにも懐かしくて。
「エーミル、本当にありがとう」
ゆっくりと頭を撫でられて、おじさまの優しい笑顔が滲んでいく。
雨なんか降っていないのに、おじさまの姿がぼやけていくんだ。
おじさまはよく喋る方でもないし(むしろ父さんの方が口が軽い)黙っていれば近寄りがたい雰囲気がある。
なのに、まとわりついても嫌がられないし、ぼくの話を静かに聞いてくれる。主に兄さんにお菓子を取られたとか、猫に引っ掻かれたとか、水たまりに足を突っ込んだとか、そういう愚痴だ。
――エーミルも眠っている時に、ひょいと持ち上げられたらびっくりするだろう? 猫も同じなんだよ。
穏やかに話しながら、おじさまはぼくのほっぺのひっかき傷を手当てしてくださった。
きっとバートさまにとってのマルティナさまも同じなのだろう。
心の中の柔らかな部分に存在して、何かあったらとびこんでいける人。それは親とは少し違い、もっと近くて懐かしい場所だ。
「ぼく達は、二人とも残されちゃったんですね」
「のこされたの?」
瞳を潤ませながら、バートさまがぼくを見上げてくる。寝間着の膝を抱えたままで。
この心細い背中は、おじさまが家を出た日のぼくそのものだ。
だから、ぼくには分かる。ううん、ぼくにしか分からない。
「ぼく達は大丈夫だから、残されたんですよ。バートさまはしっかりなさっていると、マルティナさまはお考えなんです。でないと心配すぎて、お二人とも結婚できませんよ」
「ぼく、しっかりしてる?」
小さなこぶしで、バートさまは濡れた睫毛を拭った。
「ええ、とてもしっかりなさっています。今日の午後にはマルティナさまも、こちらにいらっしゃいますし。あんまり寂しがっていては、心配なさいますよ」
「しんぱいさせないよ。でも……おねえさまに、ぎゅーってしてもいい?」
遠慮がちな問いかけに、思わず頬が緩んでしまう。
それはぼくが許可を出すことなんですか? でも、背中を押してほしいですよね。
「ええ、当然です。それはバートさまの権利ですから」
「けんりっ。だっこってけんりっていうんだ」
うーん、それはどうでしょう?
でも、ぼくも子どもの頃みたいにおじさまに頭を撫でてほしいなぁ、とつい思ってしまうのは内緒です。
お茶の時間に招待されていたおじさまとマルティナさまが、二人揃って庭を歩いていらした。
寄り添うお二人は、本当にお幸せそうに柔らかな風をまとっている。少し歩いては、マルティナさまはおじさまを見上げて微笑んでいらっしゃる。
見ているこちらまで心が満たされるようだ。
「おねえさまーぁ」
両手を前に出して、バートさまは走りだした。
そんなに早く走れるんですか? とびっくりするほどに、バートさまの足は速い。
咲き誇る薔薇が一斉に散って、辺りを薄紅や白い花びらで覆っていく。息苦しいほどの甘い香り。
とびついて抱きついたバートさまを、マルティナさまは笑顔で抱きしめる。風に舞う薔薇の花弁の向こうで、二人を穏やかに微笑んで見つめるおじさま。
まるで夢の中の光景のようだった。
「ぼく、なかなかったよ」
「えらいわねぇ、バートのことを心配していたのよ」
「しんぱいいらないよ?」
ぼくの小さな主は、得意げにあごを上げる。
あんなに、しょぼんとなさっておいでだったのに。強がりにも程があるでしょう。
「今朝ね、バートが摘んだクラウドベリーをいただいたの。おいしかったわ」
「そう? ぼくね、どこにクラウドベリーのみがなるか、しってるの。ひみつだけど、おねえさまにはおしえてあげてもいいよ」
殿下はすっかりいつもの通りだ。ぼくは、ほっと胸を撫で下ろした。
ひとしきりバート殿下の話を聞いていたマルティナさまが、ぼくの方に視線をお向けになる。
「ありがとうエーミル。あなたのお陰ね」
「いえ、そんな。ぼくは何も」
きっとマルティナさまは、バートさまの目が少し腫れているのにお気づきになったのだろう。敢えてそれには触れない、姉としての優しさなのだろう。
無言でぼくの側に歩み寄ったおじさまが、大きな手をぼくの肩に添えた。少し躊躇ったように睫毛を伏せた後で、その手はぼくの頭に載せられた。
ずっしりと重い感触。でも懐かしくて……あまりにも懐かしくて。
「エーミル、本当にありがとう」
ゆっくりと頭を撫でられて、おじさまの優しい笑顔が滲んでいく。
雨なんか降っていないのに、おじさまの姿がぼやけていくんだ。
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