8 / 17
二章
1、荷づくり
しおりを挟む
新生活に少し慣れた頃、私とマルティナさまは旅に出ることになった。
「新婚旅行よ。二人きりよ。どきどきするわ」
「まぁ、確かにそう呼ばれるものですね」
荷物を詰めないといけないのに、マルティナさまはたびたび手を止めて天井を眺め、うっとりとなさっている。
使用人に頼まずに、自分で持っていくものを選別したいのだそうだ。
「ここでも二人の生活ですが?」
「それはそうだけど。やっぱり新婚旅行となると特別感があるんですもの」
なるほど、そういうものなのか。
滞在先は海辺の避暑地に建つ離宮だし、私も王太子殿下の護衛を務めていた頃に仕事で訪れたことはある。なので新婚旅行といっても、特別とは思わなかったのだが。
「あのね、アレクと一緒にお出かけできるのがうれしいのよ?」
くいっと袖を引っ張るマルティナさまが、仄かに頬を染める。深い蒼の両の瞳に、私の顔が映っている。というか、私の顔しか映していない。
「本当にマルティナさまは、私のことがお好きでいらっしゃいますね」
「もちろんよ。世界中のどんな人よりも、アレクのことが一番好きっていう自信があるわ、年季が入っているもの」
妙なところでマルティナさまは胸を張った。
そんな風にまっすぐに好意を向けられると、夫になった今でも気恥ずかしいのですが。
さすがに幼い頃と違い「マルティナのことたくさんすき? ちょっとだけすき?」という強引な質問はなさらない。
だからこそ、こちらが気をつけてさしあげなければならないのだ。
あなたを好きという気持ちは、言葉にしなくとも伝わるはずだが。それを察してほしいなどという傲慢で怠慢な態度は、二人の間に距離ができてしまう恐れがある。
私はマルティナさまの肩をそっと抱き寄せた。
とくん、と微かに聞こえる音はマルティナさまの胸の鼓動だろうか。
柔らかな蜂蜜色の髪を指で梳く。マルティナさまのブラウスと私のシャツの布越しに、やはり彼女のどきどきが伝わってくる。
あなたは言葉を発していなくとも雄弁ですね。私に対しての気持ちが。
「私も楽しみですよ。愛する妻との旅行ですからね」
「……うん」
マルティナさまの声は、今にも消え入りそうに儚い。私からは彼女のつむじしか見えないのだが、耳朶が赤く染まっているのが分かる。
「出発が遅れてはいけませんから、荷物を詰めましょうか?」
「……ええ」
私が好意を示すと、マルティナさまは途端にしおらしくなる。照れていらっしゃるのだ。そんな所もいとおしくて可愛らしい。
それからのマルティナさまは無言で、せっせと革のトランクと藤の鞄に荷物を詰めていらっしゃる。
滞在先は離宮なので、着替えくらいしか必要はないのだが。トランクを前にマルティナさまは首をかしげている。
「どうかなさいましたか?」
「あのね。アレクの鞄は余裕がある?」
「まぁ、たいした荷物もありませんから。こちらに入れてもいいですよ」
女性なので服がかさばるのはしょうがないのかもしれない。私が手をさしだすと、マルティナさまはそれを私のてのひらに載せた。
「え? これって」
私が手に載せているのはぬいぐるみだった。十数年前から姫さまが大事にしている、犬のアレクだ。
これはどうしたものか。私はしばし瞼を閉じた。
「必要ですか? ぬいぐるみ」
「置いていったら、アレクが寂しがるわ」
「その『アレク』とは、ぬいぐるみのことですよね」
こくりと頷くマルティナさまには、恥ずかしがる様子は微塵もない。
確か、夜眠るときに寂しいからぬいぐるみのアレクが必要だったのでは? 今は私と眠っているのですから、寂しいとも思えませんが。
いつのまにぬいぐるみに人格……犬格? をお与えになったのです?
「持っていっては駄目かしら? だぁれもいないお部屋で、アレクが一人でいるのは可哀想すぎるわ」
ああ、やはり。
姫さまは、私とぬいぐるみを同一視なさっている。
私は諦めの苦笑をうかべた。
「いいですよ。私の荷物に入れておきましょう」
「ほんとう?」
「ええ。そのアレクがいないと、姫さまも不安でしょうから」
軽く頭を撫でてさしあげると、マルティナさまは恥じらいながら微笑んだ。
世の中には旅に出る時に枕を持っていったり、愛用の毛布を持っていく人もいるのだ。何が大事かは人それぞれだからな。
そんなわけで、私のトランクの中には犬のアレクが横たわっている。
しかもマルティナさまは、柔らかな布でぬいぐるみを包んでいらっしゃった。
大事なんですね、そのぬいぐるみが。
彼女にとっては私の分身であるが故に、照れくさく恥ずかしい反面、そこまで大事にしてもらえるのが少々羨ましい。いや、相手はぬいぐるみなのだが。
離宮に着いたら、荷ほどきは自分でしよう。同名のぬいぐるみを入れているのがあちらの使用人に知られるのは、さすがに弁解しても信じてもらえなさそうだ。
「新婚旅行よ。二人きりよ。どきどきするわ」
「まぁ、確かにそう呼ばれるものですね」
荷物を詰めないといけないのに、マルティナさまはたびたび手を止めて天井を眺め、うっとりとなさっている。
使用人に頼まずに、自分で持っていくものを選別したいのだそうだ。
「ここでも二人の生活ですが?」
「それはそうだけど。やっぱり新婚旅行となると特別感があるんですもの」
なるほど、そういうものなのか。
滞在先は海辺の避暑地に建つ離宮だし、私も王太子殿下の護衛を務めていた頃に仕事で訪れたことはある。なので新婚旅行といっても、特別とは思わなかったのだが。
「あのね、アレクと一緒にお出かけできるのがうれしいのよ?」
くいっと袖を引っ張るマルティナさまが、仄かに頬を染める。深い蒼の両の瞳に、私の顔が映っている。というか、私の顔しか映していない。
「本当にマルティナさまは、私のことがお好きでいらっしゃいますね」
「もちろんよ。世界中のどんな人よりも、アレクのことが一番好きっていう自信があるわ、年季が入っているもの」
妙なところでマルティナさまは胸を張った。
そんな風にまっすぐに好意を向けられると、夫になった今でも気恥ずかしいのですが。
さすがに幼い頃と違い「マルティナのことたくさんすき? ちょっとだけすき?」という強引な質問はなさらない。
だからこそ、こちらが気をつけてさしあげなければならないのだ。
あなたを好きという気持ちは、言葉にしなくとも伝わるはずだが。それを察してほしいなどという傲慢で怠慢な態度は、二人の間に距離ができてしまう恐れがある。
私はマルティナさまの肩をそっと抱き寄せた。
とくん、と微かに聞こえる音はマルティナさまの胸の鼓動だろうか。
柔らかな蜂蜜色の髪を指で梳く。マルティナさまのブラウスと私のシャツの布越しに、やはり彼女のどきどきが伝わってくる。
あなたは言葉を発していなくとも雄弁ですね。私に対しての気持ちが。
「私も楽しみですよ。愛する妻との旅行ですからね」
「……うん」
マルティナさまの声は、今にも消え入りそうに儚い。私からは彼女のつむじしか見えないのだが、耳朶が赤く染まっているのが分かる。
「出発が遅れてはいけませんから、荷物を詰めましょうか?」
「……ええ」
私が好意を示すと、マルティナさまは途端にしおらしくなる。照れていらっしゃるのだ。そんな所もいとおしくて可愛らしい。
それからのマルティナさまは無言で、せっせと革のトランクと藤の鞄に荷物を詰めていらっしゃる。
滞在先は離宮なので、着替えくらいしか必要はないのだが。トランクを前にマルティナさまは首をかしげている。
「どうかなさいましたか?」
「あのね。アレクの鞄は余裕がある?」
「まぁ、たいした荷物もありませんから。こちらに入れてもいいですよ」
女性なので服がかさばるのはしょうがないのかもしれない。私が手をさしだすと、マルティナさまはそれを私のてのひらに載せた。
「え? これって」
私が手に載せているのはぬいぐるみだった。十数年前から姫さまが大事にしている、犬のアレクだ。
これはどうしたものか。私はしばし瞼を閉じた。
「必要ですか? ぬいぐるみ」
「置いていったら、アレクが寂しがるわ」
「その『アレク』とは、ぬいぐるみのことですよね」
こくりと頷くマルティナさまには、恥ずかしがる様子は微塵もない。
確か、夜眠るときに寂しいからぬいぐるみのアレクが必要だったのでは? 今は私と眠っているのですから、寂しいとも思えませんが。
いつのまにぬいぐるみに人格……犬格? をお与えになったのです?
「持っていっては駄目かしら? だぁれもいないお部屋で、アレクが一人でいるのは可哀想すぎるわ」
ああ、やはり。
姫さまは、私とぬいぐるみを同一視なさっている。
私は諦めの苦笑をうかべた。
「いいですよ。私の荷物に入れておきましょう」
「ほんとう?」
「ええ。そのアレクがいないと、姫さまも不安でしょうから」
軽く頭を撫でてさしあげると、マルティナさまは恥じらいながら微笑んだ。
世の中には旅に出る時に枕を持っていったり、愛用の毛布を持っていく人もいるのだ。何が大事かは人それぞれだからな。
そんなわけで、私のトランクの中には犬のアレクが横たわっている。
しかもマルティナさまは、柔らかな布でぬいぐるみを包んでいらっしゃった。
大事なんですね、そのぬいぐるみが。
彼女にとっては私の分身であるが故に、照れくさく恥ずかしい反面、そこまで大事にしてもらえるのが少々羨ましい。いや、相手はぬいぐるみなのだが。
離宮に着いたら、荷ほどきは自分でしよう。同名のぬいぐるみを入れているのがあちらの使用人に知られるのは、さすがに弁解しても信じてもらえなさそうだ。
33
あなたにおすすめの小説
老伯爵へ嫁ぐことが決まりました。白い結婚ですが。
ルーシャオ
恋愛
グリフィン伯爵家令嬢アルビナは実家の困窮のせいで援助金目当ての結婚に同意させられ、ラポール伯爵へ嫁ぐこととなる。しかし祖父の戦友だったというラポール伯爵とは五十歳も歳が離れ、名目だけの『白い結婚』とはいえ初婚で後妻という微妙な立場に置かれることに。
ぎこちなく暮らす中、アルビナはフィーという女騎士と出会い、友人になったつもりだったが——。
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
落ちぶれて捨てられた侯爵令嬢は辺境伯に求愛される~今からは俺の溺愛ターンだから覚悟して~
しましまにゃんこ
恋愛
年若い辺境伯であるアレクシスは、大嫌いな第三王子ダマスから、自分の代わりに婚約破棄したセシルと新たに婚約を結ぶように頼まれる。実はセシルはアレクシスが長年恋焦がれていた令嬢で。アレクシスは突然のことにとまどいつつも、この機会を逃してたまるかとセシルとの婚約を引き受けることに。
とんとん拍子に話はまとまり、二人はロイター辺境で甘く穏やかな日々を過ごす。少しずつ距離は縮まるものの、時折どこか悲し気な表情を見せるセシルの様子が気になるアレクシス。
「セシルは絶対に俺が幸せにしてみせる!」
だがそんなある日、ダマスからセシルに王都に戻るようにと伝令が来て。セシルは一人王都へ旅立ってしまうのだった。
追いかけるアレクシスと頑なな態度を崩さないセシル。二人の恋の行方は?
すれ違いからの溺愛ハッピーエンドストーリーです。
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
麗しすぎるイラストは汐の音様からいただきました!
身を引いたのに、皇帝からの溺愛が止まりません ~秘された珠の還る場所~
ささゆき細雪
恋愛
五年前、内乱の混乱のなかで姿を消した最愛の妃・白瑤華(はくようか)。
彼女を失った皇帝・景玄耀(けいげんよう)は、その後ただ一人を想い続けながら執務に追われていた。そんなある日、書類に彼女の名前を発見し、居ても立っても居られなくなる。
――死んだはずの彼女が、生きている?
同姓同名かもしれないが確かめずにいられなくなった彼は地方巡察を決行。そこで、彼によく似た幼子とともに彼女と再会、地方官吏として働く瑤華と、珠児(しゅじ)を見て、皇帝は決意する――もう二度と、逃がさないと。
「今さら、逃げ道があると思うなよ」
瑤華を玄耀は責めずに、待ちの姿勢で包み込み、囲い込んでいく。
秘された皇子と、選び直した愛。
三人で食卓を囲む幸福が、国をも動かすことになるなんて――?
* * *
後宮から逃げ出して身を引いたのに、皇帝の溺愛は止まらない――これはそんな、中華風異世界ロマンス。
告白さえできずに失恋したので、酒場でやけ酒しています。目が覚めたら、なぜか夜会の前夜に戻っていました。
石河 翠
恋愛
ほんのり想いを寄せていたイケメン文官に、告白する間もなく失恋した主人公。その夜、彼女は親友の魔導士にくだを巻きながら、酒場でやけ酒をしていた。見事に酔いつぶれる彼女。
いつもならば二日酔いとともに目が覚めるはずが、不思議なほど爽やかな気持ちで起き上がる。なんと彼女は、失恋する前の日の晩に戻ってきていたのだ。
前回の失敗をすべて回避すれば、好きなひとと付き合うこともできるはず。そう考えて動き始める彼女だったが……。
ちょっとがさつだけれどまっすぐで優しいヒロインと、そんな彼女のことを一途に思っていた魔導士の恋物語。ハッピーエンドです。
この作品は、小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
氷の公爵の婚姻試験
潮海璃月
恋愛
ある日、若き氷の公爵レオンハルトからある宣言がなされた――「私のことを最もよく知る女性を、妻となるべき者として迎える。その出自、身分その他一切を問わない。」。公爵家の一員となる一世一代のチャンスに王国中が沸き、そして「公爵レオンハルトを最もよく知る女性」の選抜試験が行われた。
行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる
春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。
夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。
形のない愛は信じない。
でも、出来立ての肉は信じてしまう。
肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。
これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる