12 / 17
二章
5、南の海で
しおりを挟む
南の海辺は王都にある湖畔や、多島海とはまったく違う。
なぜなら、魚釣りをしているわけでもないのに人が続々と海に入っているのだから。
陽射しがあまりにも強くて、つばの広い麦わら帽子をわたしは目深にかぶった。
「アレク、大変よ。あの人たち、溺れないのかしら」
「大丈夫だと思いますよ。南方の人々は泳ぎに長けていますから」
アレクと手をつないで、わたしは浜辺を歩いている。
普段では考えられないくらいの薄着。だって袖がなくて、肩紐を結ぶ形のワンピースなんて着たこともないわ。
そういえば荷物を詰める時に侍女が「あちらは暑いですからね。厚着は体調を崩しますからね」と用意してくれていたんだわ。
足下も素足に革のサンダルで心許ない。細かな砂がサンダルの中に入るから、気になって仕方がないし。
潮の香りが、同じ海とは思えないほど強いの。
目の前を裸足の男性が波打ち際へと走っていく。湖畔の草の上を素足で歩いたことはあるけれど、それも子どもの頃のことだし。
ちらっと視線を上げると、アレクが「足だけでも、海に入ってみますか?」と尋ねてきた。
「いいのかしら。はしたなくない?」
「こちらでは普通のことですよ。誰も気にしません」
わたしは辺りをきょろきょろと見まわした。王都から遠く離れているからかしら。誰もわたしが王女であることに気づかない。
足首を結ぶ紐をほどいて、サンダルを手に持つ。
「あつっ、うわ、熱いのね」
足の裏をくすぐるさらさらした砂は涼し気な白なのに、とっても熱くてじっとしていられない。
わたしの足の近くを、とんがった巻貝がのそのそと歩いている。「それはヤドカリですよ」とアレクが教えてくれた。
知らないことだらけだわ。こんなにも広い空も、もくもくと湧く大きな白い雲も見たことがないし、まっすぐな水平線がある海も初めて見たかもしれないわ。だってわたしの知っている海には、小さな島が空まで連なって水平線を隠しているんだもの。
足首まで海に入ると、寄せる波に合わせて指の間を砂が押したり引いたりする。その感触がくすぐったくて、わたしは自然と笑っていた。
◇◇◇
マルティナさまは初めて海に足をつけるのが、楽しくて仕方がないらしい。
足首まで濡らしたかと思うと、今度は砂浜に上がってきて「どうしよう。足の裏も指も砂だらけよ」と困惑した顔をなさる。
「足が濡れていますからね。そりゃあ、砂もべったりとくっつきますよ」
「とれないわ」
普段、王宮にいる時ならハンカチでマルティナさまの足を拭くところだが。以前、この浜を訪れたことのある私は知っている。
「少々熱いと思いますが、砂を足にかけるといいですよ」
「え? どうして? もっと砂がついてしまうわ」
「では少々失礼します」
マルティナさまにワンピースの裾を少し持ち上げるよう指示をして、私は彼女の白い足に両手で砂をかけた。
てのひらにじんわりと伝わってくる熱。
不思議なものだ。同じ国だというのに、王都の浜は石ばかりが多く、誰も海に入ろうともしない。
「熱いって、アレク」
「そうですね、私の手も熱いですよ。おそろいですね」
「おそろい……」
何気ない言葉だったのに、マルティナさまは急に頬を染めた。麦わら帽子に結んだ淡い紫の、暮れなずむ夕空のような色のリボンが風にひらりとなびく。
帽子の陰になっていても、頬に朱がさしているのが分かるのだ。
あなた、私のことが好きすぎるでしょう?
ふと目測を誤って、私の指がマルティナさまの足の甲に触れた。
びくりとした小さな動きが、指に伝わってくる。
「……恥ずかしいですか?」
「恥ずかしい、です」
「世の夫婦は、これくらいでは動揺しませんよ?」
「そうだけど」
まぁ、私も思いがけずにマルティナさまの素肌に触れてしまったことで少々緊張したが。それは内緒だ。
愛しい妻となった彼女を、日々腕の中に抱きしめて眠っているが。
まだそういう関係には至っていない。
白い結婚というのとは意味が違うだろうが。
なんというか……そういうことをするのが申し訳なく感じてしまうのだ。
――いつでもどんとこい、よ。大丈夫、ロマンス小説はたくさん読んでるから。
先日、マルティナさまはご自分の胸を拳でぽんと叩いたが。
そういうことじゃないんだよなぁ。
いつしかマルティナさまの足についた砂は乾いて、手で払うと簡単に落ちた。タオルもハンカチも必要とせずに、きれいになった足を彼女は目を丸くして見つめていた。
今まで王宮から出ることの少なかったマルティナさまにとって、この新婚旅行は初めてが多いのだろうな。
なぜなら、魚釣りをしているわけでもないのに人が続々と海に入っているのだから。
陽射しがあまりにも強くて、つばの広い麦わら帽子をわたしは目深にかぶった。
「アレク、大変よ。あの人たち、溺れないのかしら」
「大丈夫だと思いますよ。南方の人々は泳ぎに長けていますから」
アレクと手をつないで、わたしは浜辺を歩いている。
普段では考えられないくらいの薄着。だって袖がなくて、肩紐を結ぶ形のワンピースなんて着たこともないわ。
そういえば荷物を詰める時に侍女が「あちらは暑いですからね。厚着は体調を崩しますからね」と用意してくれていたんだわ。
足下も素足に革のサンダルで心許ない。細かな砂がサンダルの中に入るから、気になって仕方がないし。
潮の香りが、同じ海とは思えないほど強いの。
目の前を裸足の男性が波打ち際へと走っていく。湖畔の草の上を素足で歩いたことはあるけれど、それも子どもの頃のことだし。
ちらっと視線を上げると、アレクが「足だけでも、海に入ってみますか?」と尋ねてきた。
「いいのかしら。はしたなくない?」
「こちらでは普通のことですよ。誰も気にしません」
わたしは辺りをきょろきょろと見まわした。王都から遠く離れているからかしら。誰もわたしが王女であることに気づかない。
足首を結ぶ紐をほどいて、サンダルを手に持つ。
「あつっ、うわ、熱いのね」
足の裏をくすぐるさらさらした砂は涼し気な白なのに、とっても熱くてじっとしていられない。
わたしの足の近くを、とんがった巻貝がのそのそと歩いている。「それはヤドカリですよ」とアレクが教えてくれた。
知らないことだらけだわ。こんなにも広い空も、もくもくと湧く大きな白い雲も見たことがないし、まっすぐな水平線がある海も初めて見たかもしれないわ。だってわたしの知っている海には、小さな島が空まで連なって水平線を隠しているんだもの。
足首まで海に入ると、寄せる波に合わせて指の間を砂が押したり引いたりする。その感触がくすぐったくて、わたしは自然と笑っていた。
◇◇◇
マルティナさまは初めて海に足をつけるのが、楽しくて仕方がないらしい。
足首まで濡らしたかと思うと、今度は砂浜に上がってきて「どうしよう。足の裏も指も砂だらけよ」と困惑した顔をなさる。
「足が濡れていますからね。そりゃあ、砂もべったりとくっつきますよ」
「とれないわ」
普段、王宮にいる時ならハンカチでマルティナさまの足を拭くところだが。以前、この浜を訪れたことのある私は知っている。
「少々熱いと思いますが、砂を足にかけるといいですよ」
「え? どうして? もっと砂がついてしまうわ」
「では少々失礼します」
マルティナさまにワンピースの裾を少し持ち上げるよう指示をして、私は彼女の白い足に両手で砂をかけた。
てのひらにじんわりと伝わってくる熱。
不思議なものだ。同じ国だというのに、王都の浜は石ばかりが多く、誰も海に入ろうともしない。
「熱いって、アレク」
「そうですね、私の手も熱いですよ。おそろいですね」
「おそろい……」
何気ない言葉だったのに、マルティナさまは急に頬を染めた。麦わら帽子に結んだ淡い紫の、暮れなずむ夕空のような色のリボンが風にひらりとなびく。
帽子の陰になっていても、頬に朱がさしているのが分かるのだ。
あなた、私のことが好きすぎるでしょう?
ふと目測を誤って、私の指がマルティナさまの足の甲に触れた。
びくりとした小さな動きが、指に伝わってくる。
「……恥ずかしいですか?」
「恥ずかしい、です」
「世の夫婦は、これくらいでは動揺しませんよ?」
「そうだけど」
まぁ、私も思いがけずにマルティナさまの素肌に触れてしまったことで少々緊張したが。それは内緒だ。
愛しい妻となった彼女を、日々腕の中に抱きしめて眠っているが。
まだそういう関係には至っていない。
白い結婚というのとは意味が違うだろうが。
なんというか……そういうことをするのが申し訳なく感じてしまうのだ。
――いつでもどんとこい、よ。大丈夫、ロマンス小説はたくさん読んでるから。
先日、マルティナさまはご自分の胸を拳でぽんと叩いたが。
そういうことじゃないんだよなぁ。
いつしかマルティナさまの足についた砂は乾いて、手で払うと簡単に落ちた。タオルもハンカチも必要とせずに、きれいになった足を彼女は目を丸くして見つめていた。
今まで王宮から出ることの少なかったマルティナさまにとって、この新婚旅行は初めてが多いのだろうな。
12
あなたにおすすめの小説
これは政略結婚ではありません
絹乃
恋愛
勝気な第一王女のモニカには、初恋の人がいた。公爵家のクラウスだ。七歳の時の思い出が、モニカの初恋となった。クラウスはモニカよりも十三歳上。当時二十歳のクラウスにとって、モニカは当然恋愛の対象ではない。大人になったモニカとクラウスの間に縁談が持ちあがる。その返事の為にクラウスが王宮を訪れる日。人生で初めての緊張にモニカは動揺する。※『わたしのことがお嫌いなら、離縁してください』に出てくる王女のその後のお話です。
ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない
絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。
小さな姫さまは護衛騎士に恋してる
絹乃
恋愛
マルティナ王女の護衛騎士のアレクサンドル。幼い姫に気に入られ、ままごとに招待される。「泥団子は本当に食べなくても姫さまは傷つかないよな。大丈夫だよな」幼女相手にアレクは戸惑う日々を過ごす。マルティナも大きくなり、アレクに恋心を抱く。「畏れながら姫さま、押しが強すぎます。私はあなたさまの護衛なのですよ」と、マルティナの想いはなかなか受け取ってもらえない。※『わたしは妹にとっても嫌われています』の護衛騎士と小さな王女のその後のお話です。可愛く、とても優しい世界です。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
メイド令嬢は毎日磨いていた石像(救国の英雄)に求婚されていますが、粗大ゴミの回収は明日です
有沢楓花
恋愛
エセル・エヴァット男爵令嬢は、二つの意味で名が知られている。
ひとつめは、金遣いの荒い実家から追い出された可哀想な令嬢として。ふたつめは、何でも綺麗にしてしまう凄腕メイドとして。
高給を求めるエセルの次の職場は、郊外にある老伯爵の汚屋敷。
モノに溢れる家の終活を手伝って欲しいとの依頼だが――彼の偉大な魔法使いのご先祖様が残した、屋敷のガラクタは一筋縄ではいかないものばかり。
高価な絵画は勝手に話し出し、鎧はくすぐったがって身よじるし……ご先祖様の石像は、エセルに求婚までしてくるのだ。
「毎日磨いてくれてありがとう。結婚してほしい」
「石像と結婚できません。それに伯爵は、あなたを魔法資源局の粗大ゴミに申し込み済みです」
そんな時、エセルを後妻に貰いにきた、という男たちが現れて連れ去ろうとし……。
――かつての救国の英雄は、埃まみれでひとりぼっちなのでした。
この作品は他サイトにも掲載しています。
【完結】お見合いに現れたのは、昨日一緒に食事をした上司でした
楠結衣
恋愛
王立医務局の調剤師として働くローズ。自分の仕事にやりがいを持っているが、行き遅れになることを家族から心配されて休日はお見合いする日々を過ごしている。
仕事量が多い連休明けは、なぜか上司のレオナルド様と二人きりで仕事をすることを不思議に思ったローズはレオナルドに質問しようとするとはぐらかされてしまう。さらに夕食を一緒にしようと誘われて……。
◇表紙のイラストは、ありま氷炎さまに描いていただきました♪
◇全三話予約投稿済みです
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる