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一章
19、あなたの初恋
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困った。姫さまのお部屋の箪笥には、ちゃんとアイロンのかかった絹や木綿のハンカチが入っていることだろう。
だが、私は侍女ではないので。どの抽斗にハンカチが入っているのかまでは分からない。
殿下と妃殿下は、マルティナさまを気遣い部屋の壁際でそっと見守っていらっしゃる。
妃殿下は私の考えを察してくださったのか、白くて小さな箪笥の方へと歩き出した。
さすがです。殿下とは気遣いが違います。
だがマルガレータさまの気遣いは、私の斜め上をいっていた。
「アレクサンドルさん。これを」
「え?」
マルガレータさまは、私に木綿のハンカチを差し出してくださった。淡い、とても淡い水色のハンカチ。周囲はレース編みで縁どられている。
いや、その場にいらっしゃるのですから、妃殿下が姫さまの涙を拭いてさしあげれば。
そう思ったが。ちらっと見上げたマルガレータさまは微笑んでおられた。とても柔らかく。
そうですか、そうですね。
ええ、母親ですから分かっておられますよね。
私も当事者ですから、分かっています。もう認めないといけませんよね。
私は、姫さまにとって初恋の相手であることを。そして陰ながらひっそりと慕う初恋ではなく、姫さまは私のことを好きで好きでたまらないということを。
あ、自覚したら頬が熱くなってきた。
姫さまはまだ六歳の子どもでいらっしゃる。しかも赤ん坊の頃から……というか生まれる前から存じ上げているのだから。
マルガレータさまのお腹を、中から元気よく蹴っていらしたマルティナさまのことは、今も覚えていますよ。
困りましたね、姫さま。
私は、年をとっても老いても、あなたの涙をぬぐうだけで良かったんですよ?
幼いあなたが大きくなり、いつか私から離れても?
そう考えて、胸がきりりと痛んだ。
私も思ったはずだ。姫さまの涙をぬぐうのが、私ではなくヨアキム少年でもなく、他の紳士になる可能性もあることを。
大人になれば、もう転ぶこともあるまい。だが、哀しさや切なさで涙することもあろう。その時、隣に居るのは私ではない。
私は、姫さまの背後でただ見守るしかない日が来るのが、本当はとても怖かったのだ。
人見知りの姫さまが、当たり前のようにしがみついてくれる。
これは永遠ではないのだ。人生の内のほんのいっときのことなのだ。
ずっと自分にそう言い聞かせてきた。
私が姫さまの目許にハンカチを添えてさしあげると、姫さまはぐずぐずと言いながらご自分の小さい手を、私の大きな手に添えた。
「あのね、アレク」
「はい? なんでしょうか」
「『しょうだく』ってなぁに?」
「は?」と素っ頓狂な声を上げてから、ようやく先刻姫さまに「殿下と妃殿下が、姫さまに不利になること、不幸になることを承諾すると思えますか?」と問うたことを思い出した。
すぐにお返事をなさったから、深くは考えなかったが。
そうですね「承諾」という言葉は、幼い姫さまには難しすぎましたよね。
クリスティアン殿下が、一歩前に進み出る。反対に一歩退こうとするマルティナさまの背中を、支えなくてはならない。
子ども部屋の中で追いかけっこをされても困るからだ。
「マルティナ。話の途中で逃げるのは感心しないな」
「かんしんしなくてもいいもん」
「……そう来たか」
殿下はため息をおつきになる。以前よりも、マルティナさまは弁が達者になられた。女の子は、男の子に比べてそういう部分が早いんだよな。
「では、アレクサンドルにしがみついていていいから、そのまま話を聞きなさい」
マルティナさまは反応なさらない。
「マルティナ。返事は? 人の話を無視する子はレディとはいえないと、父さまは思うぞ」
「はぁい……」
姫さまは今度は私の背中へと回った。
足は床についていらっしゃるが、それでも背伸びをしている状態だ。
ちなみに私は、姫さまの両腕が首に回されている。緩やかに腕で首を締めあげられているのだ。
殿下、お願いですから。お話は手短にお願いします。少々苦しゅうございますので。
だが、私は侍女ではないので。どの抽斗にハンカチが入っているのかまでは分からない。
殿下と妃殿下は、マルティナさまを気遣い部屋の壁際でそっと見守っていらっしゃる。
妃殿下は私の考えを察してくださったのか、白くて小さな箪笥の方へと歩き出した。
さすがです。殿下とは気遣いが違います。
だがマルガレータさまの気遣いは、私の斜め上をいっていた。
「アレクサンドルさん。これを」
「え?」
マルガレータさまは、私に木綿のハンカチを差し出してくださった。淡い、とても淡い水色のハンカチ。周囲はレース編みで縁どられている。
いや、その場にいらっしゃるのですから、妃殿下が姫さまの涙を拭いてさしあげれば。
そう思ったが。ちらっと見上げたマルガレータさまは微笑んでおられた。とても柔らかく。
そうですか、そうですね。
ええ、母親ですから分かっておられますよね。
私も当事者ですから、分かっています。もう認めないといけませんよね。
私は、姫さまにとって初恋の相手であることを。そして陰ながらひっそりと慕う初恋ではなく、姫さまは私のことを好きで好きでたまらないということを。
あ、自覚したら頬が熱くなってきた。
姫さまはまだ六歳の子どもでいらっしゃる。しかも赤ん坊の頃から……というか生まれる前から存じ上げているのだから。
マルガレータさまのお腹を、中から元気よく蹴っていらしたマルティナさまのことは、今も覚えていますよ。
困りましたね、姫さま。
私は、年をとっても老いても、あなたの涙をぬぐうだけで良かったんですよ?
幼いあなたが大きくなり、いつか私から離れても?
そう考えて、胸がきりりと痛んだ。
私も思ったはずだ。姫さまの涙をぬぐうのが、私ではなくヨアキム少年でもなく、他の紳士になる可能性もあることを。
大人になれば、もう転ぶこともあるまい。だが、哀しさや切なさで涙することもあろう。その時、隣に居るのは私ではない。
私は、姫さまの背後でただ見守るしかない日が来るのが、本当はとても怖かったのだ。
人見知りの姫さまが、当たり前のようにしがみついてくれる。
これは永遠ではないのだ。人生の内のほんのいっときのことなのだ。
ずっと自分にそう言い聞かせてきた。
私が姫さまの目許にハンカチを添えてさしあげると、姫さまはぐずぐずと言いながらご自分の小さい手を、私の大きな手に添えた。
「あのね、アレク」
「はい? なんでしょうか」
「『しょうだく』ってなぁに?」
「は?」と素っ頓狂な声を上げてから、ようやく先刻姫さまに「殿下と妃殿下が、姫さまに不利になること、不幸になることを承諾すると思えますか?」と問うたことを思い出した。
すぐにお返事をなさったから、深くは考えなかったが。
そうですね「承諾」という言葉は、幼い姫さまには難しすぎましたよね。
クリスティアン殿下が、一歩前に進み出る。反対に一歩退こうとするマルティナさまの背中を、支えなくてはならない。
子ども部屋の中で追いかけっこをされても困るからだ。
「マルティナ。話の途中で逃げるのは感心しないな」
「かんしんしなくてもいいもん」
「……そう来たか」
殿下はため息をおつきになる。以前よりも、マルティナさまは弁が達者になられた。女の子は、男の子に比べてそういう部分が早いんだよな。
「では、アレクサンドルにしがみついていていいから、そのまま話を聞きなさい」
マルティナさまは反応なさらない。
「マルティナ。返事は? 人の話を無視する子はレディとはいえないと、父さまは思うぞ」
「はぁい……」
姫さまは今度は私の背中へと回った。
足は床についていらっしゃるが、それでも背伸びをしている状態だ。
ちなみに私は、姫さまの両腕が首に回されている。緩やかに腕で首を締めあげられているのだ。
殿下、お願いですから。お話は手短にお願いします。少々苦しゅうございますので。
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