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一章
11、脈診と父親
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脈診のために、瑞雪は葉青の手を取った。
とても細い腕だ。脈も強くはない。大病をしているというよりも、生きる気力に乏しい感じだ。
眩暈もあるとのこと。虚弱体質であるが故だろう。
(でも、妖怪の本を紹介してくださった時はあんなにも元気そうだったのに)
ふと思いついて瑞雪は葉青に問いかけた。
「陛下にも先ほどの蔵書のお話はなさったんですか?」
「え?」
意外な話題を振られたからだろう。葉青が顔を上げて瑞雪を見つめた。
「そう、なんです。あのね、ウェンフーもね、妖にきょうみがあるの。でもね、すぐにこわがって、わたくしのせなかにかくれちゃうんです」
あらあら、あら。瑞雪は頰を緩ませた。
瑞雪の指先に触れる、葉青の脈が強くなる。背後で侍女の宋舞が「お嬢さま『陛下』とお呼びください」とたしなめているが、無視無視。
「男の子のほうが、怖がりですからね」
「そうなの? じゃあ、わたくしはウェンフーのいやがることをしちゃったのかしら」
困ったように葉青が眉を下げた。
「大丈夫ですよ。陛下もお嫌でしたら、お断りするでしょうから」
「よかったぁ。また見せてねって、ウェンフーは言ってたのよ」
葉青はほっと息をつく。
本当にお二人は仲がいいのね。緩みそうになる頰を、瑞雪は引き締める。
きっと離れのこの部屋で、葉青はおどろおどろしい本を広げたのだろう。そして懇切丁寧に、文護に妖怪の説明をしてあげたに違いない。
とても怖いけれど、大好きな葉青のために。葉青が楽しそうだから。文護の恐怖を愛情が凌駕した。
(なんて微笑ましいの。その場に居合わせたかったわ)
「あの、ルイシュエさん。いたい、です」
「すみません、つい」
知らぬ間に力がこもってしまっていたようだ。瑞雪は慌てて、葉青の手首から指を離した。
(あれ? 今わたしのことを名前でお呼びになった?)
さっきは「やくめいし」と呼んでいたはず。葉青が心を開いてくれたのならいいのに、と瑞雪は思った。
「そういえば葉青さま。眠りが浅くはありませんか? 夜中に何度も目が覚めてしまうのでは?」
「すごいわ、どうしてわかるの?」
葉青が両手を合わせる。力がない故に、ぱんっと乾いた音は立たず無音だ。
「眠り続けるのも体力がいるんですよ。体力が落ちていると起きることができないのに、眠るのも難しくなるんです」
葉青は民間伝承や伝奇に興味がある。だが好きなこと以外には、気力が希薄だ。おそらく生きるための気が欠けているのだろう。
「夜はね、すきなの」
夢見るように、葉青はゆったりと瞼を閉じた。
「だれもおきていない夜ふけに、じぶん一人だけでおにわをながめていると、月の光のふる音がきこえるんです」
残念ながら瑞雪には見えぬものを楽しむ情緒がない。けれど、虫が奏でる音と共に月の光の音が聞こえるのなら、とても素晴らしいことだろう。
「でもね、気をつけないといけないの。月の光をあびすぎると妖になってしまうのよ」
葉青は神妙な面持ちで、声を潜めた。
青鷺火のことだろうか。瑞雪は考えた。
だが、青鷺火は鷺が光って見える現象であり、妖怪とは似て非なる物では?
そう尋ねたかったが、話題が脈診から外れてしまったからだろう。葉青の側に立つ宋舞が「こほん」と咳払いをした。
その時、重い足音が近づいてくるのが聞こえた。部屋にいた侍女が急いで入り口に向かい、離れの扉を開ける。
足音は一度も止まることなく、そのまま瑞雪と葉青のいる部屋に入ってきた。
「おお、来たか。薬命司。どうだ、葉青の様子は」
どうやら南家の主人のようだ。口元とあごにひげを蓄えた、厳≪いか≫めしい見た目をしている。
瑞雪は立ち上がり、顔の前で手を重ねて礼をした。
「今、舌診と脈診をさせていただきました。この後も診断を重ね、葉青さまの体調とお口に合う薬膳料理をお作りいたします」
「口に合う? ははっ、口が曲がるほど苦くても渋くてもいい。力がついて元気溌剌となる物を食わせてやってくれ。この娘は暗くていかん」
父親の言葉は、力任せに投げつけられた鞠のように部屋の壁や天井に響いた。
「こんな陰気な性格では、陛下に愛想をつかされてしまう。そうだ、性格が明るくなる料理はないのか?」
(性格は食べ物でなんとかなるものではないのでは? 葉青さまは元来は明るいお方なのでは? 周囲の大人たちが彼女を追いこんだのでは?)
言いたいことは山ほどある。けれど瑞雪はぐっと堪≪こら≫えた。いつものように思わず本音を口に出してしまっては、今後は葉青に近づくことすらできないだろう。
葉青を救ってあげたい。文護の願いを叶えてあげたい。その二つは、叔母や薬命司の名誉を回復と同等の重さを持っている。
「葉青は、ちゃんと自分の口で話しておるか? いつも宋舞に会話を任せてしまってな、ほとんど喋りもせん」
父親が娘を一瞥する。その途端、葉青が身をすくめた。
「そのようなことはございません。お嬢さまは、診断にご協力くださっています」
「ほぅ? どういった風の吹きまわしだ。わしにも母親にもろくに話しもせんのに」
南家の当主が現れたことで、室内の空気がぴりぴりと張りつめている。まるで不用意に触れれば指先が切れそうなほどに。
父親の一言一言に嫌味が含まれているせいで、葉青の心が切りつけられているのだ。
「本当は次女を皇后にと考えていたのだがな、妻もその方が乗り気であるし。だが、陛下が葉青でなければと我儘をおっしゃるから、仕方なくこれを差しだすことにした。葉青の方が年上であるのに、まったく変わったお子だよ、陛下は」
この父親の舌には棘でも生えているのだろうか。口から生まれるすべての言葉が疎ましい。すでに葉青は、貝のように口を閉ざしてしまった。
「もう一人のお嬢さまは、おいくつでいらっしゃいますか?」
仕方なく瑞雪は尋ねた。
「つい先月生まれた」
「は?」
「まだ首も座っておらんが、今の妻に似てなかなかの美人だ。まぁ、いずれ陛下の気持ちもお変わりになり、葉青の代わりに妹を皇后に立てようと思うかもしれんしな。姉がいれば、妹も白苑後宮のことをいろいろ教えてもらえるだろう」
父親の暴言を浴びて、葉青は唇を噛んでいる。膝の上で握りしめた拳は、関節が白く見えるほどに力がこもっている。
(前妻の娘である葉青さまは、後妻の子供の踏み台でしかないの?)
瑞雪のこめかみが引きつった。だが、それでも父親なのだ。葉青は父の意向のままに動かねばならない。
「陛下は葉青さまを大事に思っていらっしゃいます。きっとお二人は仲睦まじいご夫婦になるとわたしは考えます」
「若いな、薬命司。皇帝ともなれば女など選び放題だ」
貴族とはいえ本性は下衆だ。瑞雪は呆れて息をついた。
父親はすぐに離れを去っていった。それまで張りつめていた部屋の空気が、ほわっと解けたように柔らかくなる。
(重圧の原因は皇后候補というよりも、父親のせいか)
南一族のような貴族の動向は城市の噂になる。確か何年か前に南家当主の夫人が亡くなったこと、すぐに家長は後妻を娶ったと瑞雪は聞いたことがある。
(なるほど。後妻である今の夫人と夫が、実子を皇后にしようと画策しているんだ)
文護はまだ皇后を立てるには幼すぎる。なのに急いで葉青を嫁がせようとしているのは、皇后の座を南一族で埋めておくため。
他家の娘が皇后となれば、生まれたばかりの赤子にその座が譲られることはない。
(でも葉青さまなら。大人になれないと診断されているほど虚弱であれば、もしお亡くなりになればその妹を皇后にと進言するつもりなのね)
けれど葉青に今死なれては困る。妹である赤子が成長するまでは、皇后の座を守り抜いてもらう必要がある。
行事や祭祀に支障をきたすほどの、生かさず殺さずの状態を維持し続ける。だから完治させる医者ではなく、薬命司なのだ。
舐められたものだ、薬命司が何であるか知らぬからと馬鹿にして。後宮のように面と向かって嫌がらせをされるのよりも、もっと質が悪い。ふっと瑞雪は鼻で笑った。
(馬鹿ね、わたしは薬で症状を抑えるだけじゃないのよ)
実の娘を駒にする父親に手を貸してなるものか。
(体質そのものを改善して、葉青さまを見違えるくらい元気にしてみせるわ)
瑞雪は、葉青を大事にしている文護の言葉を聞いた。幼い皇帝の純粋な思いを知っているからこそ、私利私欲にまみれた大人に利用されてはならない。
とても細い腕だ。脈も強くはない。大病をしているというよりも、生きる気力に乏しい感じだ。
眩暈もあるとのこと。虚弱体質であるが故だろう。
(でも、妖怪の本を紹介してくださった時はあんなにも元気そうだったのに)
ふと思いついて瑞雪は葉青に問いかけた。
「陛下にも先ほどの蔵書のお話はなさったんですか?」
「え?」
意外な話題を振られたからだろう。葉青が顔を上げて瑞雪を見つめた。
「そう、なんです。あのね、ウェンフーもね、妖にきょうみがあるの。でもね、すぐにこわがって、わたくしのせなかにかくれちゃうんです」
あらあら、あら。瑞雪は頰を緩ませた。
瑞雪の指先に触れる、葉青の脈が強くなる。背後で侍女の宋舞が「お嬢さま『陛下』とお呼びください」とたしなめているが、無視無視。
「男の子のほうが、怖がりですからね」
「そうなの? じゃあ、わたくしはウェンフーのいやがることをしちゃったのかしら」
困ったように葉青が眉を下げた。
「大丈夫ですよ。陛下もお嫌でしたら、お断りするでしょうから」
「よかったぁ。また見せてねって、ウェンフーは言ってたのよ」
葉青はほっと息をつく。
本当にお二人は仲がいいのね。緩みそうになる頰を、瑞雪は引き締める。
きっと離れのこの部屋で、葉青はおどろおどろしい本を広げたのだろう。そして懇切丁寧に、文護に妖怪の説明をしてあげたに違いない。
とても怖いけれど、大好きな葉青のために。葉青が楽しそうだから。文護の恐怖を愛情が凌駕した。
(なんて微笑ましいの。その場に居合わせたかったわ)
「あの、ルイシュエさん。いたい、です」
「すみません、つい」
知らぬ間に力がこもってしまっていたようだ。瑞雪は慌てて、葉青の手首から指を離した。
(あれ? 今わたしのことを名前でお呼びになった?)
さっきは「やくめいし」と呼んでいたはず。葉青が心を開いてくれたのならいいのに、と瑞雪は思った。
「そういえば葉青さま。眠りが浅くはありませんか? 夜中に何度も目が覚めてしまうのでは?」
「すごいわ、どうしてわかるの?」
葉青が両手を合わせる。力がない故に、ぱんっと乾いた音は立たず無音だ。
「眠り続けるのも体力がいるんですよ。体力が落ちていると起きることができないのに、眠るのも難しくなるんです」
葉青は民間伝承や伝奇に興味がある。だが好きなこと以外には、気力が希薄だ。おそらく生きるための気が欠けているのだろう。
「夜はね、すきなの」
夢見るように、葉青はゆったりと瞼を閉じた。
「だれもおきていない夜ふけに、じぶん一人だけでおにわをながめていると、月の光のふる音がきこえるんです」
残念ながら瑞雪には見えぬものを楽しむ情緒がない。けれど、虫が奏でる音と共に月の光の音が聞こえるのなら、とても素晴らしいことだろう。
「でもね、気をつけないといけないの。月の光をあびすぎると妖になってしまうのよ」
葉青は神妙な面持ちで、声を潜めた。
青鷺火のことだろうか。瑞雪は考えた。
だが、青鷺火は鷺が光って見える現象であり、妖怪とは似て非なる物では?
そう尋ねたかったが、話題が脈診から外れてしまったからだろう。葉青の側に立つ宋舞が「こほん」と咳払いをした。
その時、重い足音が近づいてくるのが聞こえた。部屋にいた侍女が急いで入り口に向かい、離れの扉を開ける。
足音は一度も止まることなく、そのまま瑞雪と葉青のいる部屋に入ってきた。
「おお、来たか。薬命司。どうだ、葉青の様子は」
どうやら南家の主人のようだ。口元とあごにひげを蓄えた、厳≪いか≫めしい見た目をしている。
瑞雪は立ち上がり、顔の前で手を重ねて礼をした。
「今、舌診と脈診をさせていただきました。この後も診断を重ね、葉青さまの体調とお口に合う薬膳料理をお作りいたします」
「口に合う? ははっ、口が曲がるほど苦くても渋くてもいい。力がついて元気溌剌となる物を食わせてやってくれ。この娘は暗くていかん」
父親の言葉は、力任せに投げつけられた鞠のように部屋の壁や天井に響いた。
「こんな陰気な性格では、陛下に愛想をつかされてしまう。そうだ、性格が明るくなる料理はないのか?」
(性格は食べ物でなんとかなるものではないのでは? 葉青さまは元来は明るいお方なのでは? 周囲の大人たちが彼女を追いこんだのでは?)
言いたいことは山ほどある。けれど瑞雪はぐっと堪≪こら≫えた。いつものように思わず本音を口に出してしまっては、今後は葉青に近づくことすらできないだろう。
葉青を救ってあげたい。文護の願いを叶えてあげたい。その二つは、叔母や薬命司の名誉を回復と同等の重さを持っている。
「葉青は、ちゃんと自分の口で話しておるか? いつも宋舞に会話を任せてしまってな、ほとんど喋りもせん」
父親が娘を一瞥する。その途端、葉青が身をすくめた。
「そのようなことはございません。お嬢さまは、診断にご協力くださっています」
「ほぅ? どういった風の吹きまわしだ。わしにも母親にもろくに話しもせんのに」
南家の当主が現れたことで、室内の空気がぴりぴりと張りつめている。まるで不用意に触れれば指先が切れそうなほどに。
父親の一言一言に嫌味が含まれているせいで、葉青の心が切りつけられているのだ。
「本当は次女を皇后にと考えていたのだがな、妻もその方が乗り気であるし。だが、陛下が葉青でなければと我儘をおっしゃるから、仕方なくこれを差しだすことにした。葉青の方が年上であるのに、まったく変わったお子だよ、陛下は」
この父親の舌には棘でも生えているのだろうか。口から生まれるすべての言葉が疎ましい。すでに葉青は、貝のように口を閉ざしてしまった。
「もう一人のお嬢さまは、おいくつでいらっしゃいますか?」
仕方なく瑞雪は尋ねた。
「つい先月生まれた」
「は?」
「まだ首も座っておらんが、今の妻に似てなかなかの美人だ。まぁ、いずれ陛下の気持ちもお変わりになり、葉青の代わりに妹を皇后に立てようと思うかもしれんしな。姉がいれば、妹も白苑後宮のことをいろいろ教えてもらえるだろう」
父親の暴言を浴びて、葉青は唇を噛んでいる。膝の上で握りしめた拳は、関節が白く見えるほどに力がこもっている。
(前妻の娘である葉青さまは、後妻の子供の踏み台でしかないの?)
瑞雪のこめかみが引きつった。だが、それでも父親なのだ。葉青は父の意向のままに動かねばならない。
「陛下は葉青さまを大事に思っていらっしゃいます。きっとお二人は仲睦まじいご夫婦になるとわたしは考えます」
「若いな、薬命司。皇帝ともなれば女など選び放題だ」
貴族とはいえ本性は下衆だ。瑞雪は呆れて息をついた。
父親はすぐに離れを去っていった。それまで張りつめていた部屋の空気が、ほわっと解けたように柔らかくなる。
(重圧の原因は皇后候補というよりも、父親のせいか)
南一族のような貴族の動向は城市の噂になる。確か何年か前に南家当主の夫人が亡くなったこと、すぐに家長は後妻を娶ったと瑞雪は聞いたことがある。
(なるほど。後妻である今の夫人と夫が、実子を皇后にしようと画策しているんだ)
文護はまだ皇后を立てるには幼すぎる。なのに急いで葉青を嫁がせようとしているのは、皇后の座を南一族で埋めておくため。
他家の娘が皇后となれば、生まれたばかりの赤子にその座が譲られることはない。
(でも葉青さまなら。大人になれないと診断されているほど虚弱であれば、もしお亡くなりになればその妹を皇后にと進言するつもりなのね)
けれど葉青に今死なれては困る。妹である赤子が成長するまでは、皇后の座を守り抜いてもらう必要がある。
行事や祭祀に支障をきたすほどの、生かさず殺さずの状態を維持し続ける。だから完治させる医者ではなく、薬命司なのだ。
舐められたものだ、薬命司が何であるか知らぬからと馬鹿にして。後宮のように面と向かって嫌がらせをされるのよりも、もっと質が悪い。ふっと瑞雪は鼻で笑った。
(馬鹿ね、わたしは薬で症状を抑えるだけじゃないのよ)
実の娘を駒にする父親に手を貸してなるものか。
(体質そのものを改善して、葉青さまを見違えるくらい元気にしてみせるわ)
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