白苑後宮の薬膳女官

絹乃

文字の大きさ
23 / 32
二章

8、星宇の過去【1】

しおりを挟む
 葉青の体調不良の原因が侍女の宋舞であると分かり、瑞雪は南家から追い出されることはなかった。
 けれど不安は拭えない。離れにある客室で、瑞雪は卓についていた。

(宋舞さんは、天雷の……白貂の肉を寄越せと言っていた。それほどに再び皇后の侍女になりたいという執念があったんだ)

 黒檀の艶やかな卓上には、茶菓子として棒状に固めた山査子条さんざしじょうが置いてある。そして琥珀色をした飴の粽子糖ツォンズータンも。粽子糖は中に松の実が入り、薔薇の香りもする高級品だ。

「おちゃもおいしいね、ルイシュエさん」
「あの、陛下。やはりわたしは陛下と同席はできません」

 恐れ多いことに瑞雪の向かいの席には、文護が座っている。人払いをしてあるので、護衛は部屋の外にいる。

「えー、なんで? いっしょにおかしをたべようよ。イェチンもねちゃったし、さびしいよ」

 文護が手にした碗から、お茶が溢れる。瑞雪は慌てて立ち上がり、手を伸ばして布巾で文護の手を拭いた。

「火傷はなさっていませんか? 熱くありませんか?」
「うん、ちょっとだけだからへいき」

 えへへ、と文護が照れ笑いをする。

「あのね、このおちゃはね『もうかい』っていうんだって。いみはね、けがにだよ?」
「毛蟹ですか? 変わっていますね」
「そう! おちゃなのに、かになんだって」

 床に届かない足をぶらぶらとさせながら、文護は「かにのあじはしないよね?」と首をかしげながら碗に入ったお茶を飲んだ。

「茶葉の形や産毛が毛蟹のように見えるから、その名がついているのです」

 カチャカチャと金属音を立てながら、部屋に入ってきたのは星宇だった。先ほどまで瑞雪が大事に抱えていた黒の衣をまとっている。
 開いた紙窓しそうから初夏の風が吹き込み、星宇の明るい色の髪をさらりと撫でる。
 文護の背後に立つ星宇を、瑞雪はじーっと見つめた。

(やっぱりあの可愛い天雷が、こんな不愛想な星宇さんだと思えないんだけど)

 天雷なら抱きしめて頰ずりをしたいが、星宇に頰ずりをしたいとは思えない。

「……分かるぞ、瑞雪。何か失礼なことを考えているだろう」
「うっ」

 星宇の指摘が図星だったので、瑞雪までお茶をこぼしそうになる。
 何から聞いたらいいのか分からない。混乱する頭を指で叩きつつ、瑞雪は考えをまとめた。

「あの、天雷はどうして人で居続けているの?」

 貂は化けるのがうまいらしいが、常に人として暮らす必要もない。などと、猫であることを命じた自分が言えた義理ではないけれど。

厳星宇ヤンシンユィだ。これは南方で璠欣然ファンシンラン殿がつけてくれた名だ」

 じゃあ叔母さまは天雷がふつうの白貂じゃないって知っていたってこと? 

「教えてあげてよ、シンユィ」と、文護が山査子条をつまみながら促した。息をついた星宇は主の命令に従った。
「いい思い出ではないのだが」

 星宇は自分の過去——天雷の生い立ちを話し始めた。

 ◇◇◇

 岷国みんこくの北の端、急峻な山を越えればそこは隣国という果てに天雷は生まれた。
 不思議なもので、その山の地面は水晶や翡翠が敷き詰められていた。親は知らない、見たこともない。勿論名前もない、誰もいないし呼ばれることもないからだ。

「たぶん普通の貂ではなかったのだろう。妖怪かどうかは知らないが」

 きっと一人きりで暮らすのが寂しかったのだろう、だから山を下りたのだ。と星宇は続ける。

 天雷は、はるばる京師みやこである伊河いこうへとやって来た。理由は分からない、ただ辿り着かねばならぬ場所があったように思えたからだ。伊河の城市まちの外れまで来た時は、辺りの景色も見えぬほどに氷交じりの雨が降りしきっていた。

 寒さには慣れているはずなのに。初冬の凍える風雨にさらされれば、自慢の暖かな被毛も役に立たない。
 ずぶ濡れになりながら、天雷は雨宿りできる場所を探した。

 門扉の下をくぐり、ようやく軒先で氷雨を防ぐことはできても、地面から跳ね返る水しぶきを避けることはできない。

 ——さむいよ、つめたいよ。だれかたすけて。

 まだ小さな天雷は、必死で鳴き続けた。もし感情を涙で表すことができていたのなら、泣いていただろう。

『たいへん、たいへん。ちっちゃい子がいるよ!』

 微かな天雷の声が届いたのだろう。その家から幼い女の子が飛び出してきた。瑞雪だ。手には何本もの手巾てぬぐいを掴み、凍える天雷を包んでくれた。貂など見たこともなかろうに。

 遅れて表に出てきた欣然に『この子、さむいってふるえているよ』と瑞雪は説明した。
 雨と泥で薄汚れた天雷を撫でてくれる人などいなかった。抱きしめてくれる人は初めてだった。

『よしよし、いい子ね。おばさまが、やぎのちちをもってきてくれるって。それをのもうね』

 いい子なのかな、ぼくは。
 天雷はそう思ったけれど人語を発することができないので、瑞雪に尋ねることはなかった。

 器に入れられた、それも山羊の乳を飲むのなんて初めてだった。水を飲むように舌を出すと、ぴちゃっと音がした。搾ったばかりで仄かに温かくて、微かに甘くて。天雷は夢中で飲んだ。
 ただ乳を飲んだだけなのに、瑞雪も欣然も『すごい、すごい』『えらいねぇ』と喜んでくれたのだ。嬉しくて、天雷は尻尾をぴんと立てた。

 璠家での暮らしは、天雷にとっては夢のようだった。どんなに棲んでいた山が美しい宝石で埋められていても意味がない。
 道の端に生えている猫じゃらしで遊んでくれる瑞雪がいる場所こそが、天堂だ。

 屋根に上っては満月を眺め、薬草畑で虹のような尾を持つトカゲを見つけては瑞雪と天雷は一緒に追いかけた。
 ドクダミを摘んだ瑞雪の手の匂いが苦手で、逃げ回ったこともある。

 暑さに弱い天雷は、猛暑の夜には床で瑞雪と共に寝て。寒さも好きなわけではないので、冬は瑞雪と共に火鉢にあたり毛布にくるまった。

『ティエンレイ、だぁいすき』

 鈴を転がすような声で、瑞雪がくれた名前を呼ばれるのが天雷は好きだった。
 瑞雪にはいつも笑っていてほしかった。このままずっと日常が続くものだと思っていた。

 けれど、平穏は突然破られた。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる

gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く ☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。  そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。  心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。  峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。  仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く 

液体猫
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/  香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。  ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……  その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。  香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。  彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。  テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。  後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。  シリアス成分が少し多めとなっています。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

後宮の隠れ薬師は闇夜を照らす

絹乃
キャラ文芸
12月26日よりコミカライズ開始。 旧題:後宮の隠れ薬師は、ため息をつく~花果根茎に毒は有り~ 陸翠鈴(ルーツイリン)は年をごまかして、後宮の宮女となった。姉の仇を討つためだ。薬師なので薬草と毒の知識はある。だが翠鈴が後宮に潜りこんだことがばれては、仇が討てなくなる。翠鈴は目立たぬように司燈(しとう)の仕事をこなしていた。ある日、桃莉(タオリィ)公主に毒が盛られた。幼い公主を救うため、翠鈴は薬師として動く。力を貸してくれるのは、美貌の宦官である松光柳(ソンクアンリュウ)。翠鈴は苦しむ桃莉公主を助け、犯人を見つけ出す。※中国の複数の王朝を参考にしているので、制度などはオリジナル設定となります。 ※第7回キャラ文芸大賞、後宮賞を受賞しました。ありがとうございます。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

妾の子だからといって、公爵家の令嬢を侮辱してただで済むと思っていたんですか?

木山楽斗
恋愛
公爵家の妾の子であるクラリアは、とある舞踏会にて二人の令嬢に詰められていた。 彼女達は、公爵家の汚点ともいえるクラリアのことを蔑み馬鹿にしていたのである。 公爵家の一員を侮辱するなど、本来であれば許されることではない。 しかし彼女達は、妾の子のことでムキになることはないと高を括っていた。 だが公爵家は彼女達に対して厳正なる抗議をしてきた。 二人が公爵家を侮辱したとして、糾弾したのである。 彼女達は何もわかっていなかったのだ。例え妾の子であろうとも、公爵家の一員であるクラリアを侮辱してただで済む訳がないということを。 ※HOTランキング1位、小説、恋愛24hポイントランキング1位(2024/10/04) 皆さまの応援のおかげです。誠にありがとうございます。

処理中です...