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第二話
夜が終わる頃
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雪が屋根から落ちる音で目を覚ました。
俺はベッドの上にいて、暖炉の火はとっくに消えていた。
あの甘いホットミルクを飲んだ後、俺は寝てしまっていたらしい。
周囲を見渡すが、ヨクルの姿はない。
流石に俺が起きるまでそばにはいなかったようだ。
彼は別の部屋で眠ったのだろうか。
窓の外はまだ暗い。
俺はヨクルを探そうと立ち上がった。
毛布を退けると肌寒かったため、俺は毛布を体に巻き付けて部屋を出た。
廊下は冷え切っていた。
玄関ホールに出ると、ドアの前にヨクルの後ろ姿があった。
昨日と変わらない服装だったが、一つ、違うところがあった。
ヨクルはかぼちゃを被っておらず、手に持っていた。
「ヨクル?」
俺が声をかけると、ヨクルは手早くかぼちゃを頭に被せた。
「ああ、ティリルさん。起こしてしまいましたか。まだ早いので、寝ていて構いませんよ」
ヨクルはドアの横に立てかけてあったランプの杖を手に取った。
外に行くつもりらしい。
寝ぼけていた頭が一気に冴えた。
「異形が出たのか!? いつ鐘が鳴ったんだ……!?」
慌てて俺は天井を見上げた。
「いえ、鐘は鳴っていませんよ。日が昇ってきたので、森の巡回へ行こうかと」
「巡回?」
「森に異常がないか、定期的に見回るんです。まあ、日課の散歩のようなものですね」
つまり、森の巡回も辺境伯の仕事の一つ……。
そう認識すると、俺は巻きつけていた布団を脱ぎ捨てた。
「俺も行く」
「お休みしていて下さい。昨日の疲れも残っているでしょう? 夜中、鐘が鳴っても起きなかったほどですからね」
「鳴ったのか!?」
「ええ。二度ほど」
「全く気がつかなかった……」
俺は一度寝たら朝まで起きない自分の性質を恨んだ。
まさか、異形の発生を知らせる鐘が鳴っても眠りこけているなんて。
ヨクル一人に討伐させるなんてあってはならない。
「とりあえず! 今、準備するから待っててくれ──」
──ぐううううう……。
そのとき、盛大に腹の虫が鳴り、俺は動きを止めた。
暫しの沈黙が流れる。
「今の音は?」
ヨクルが首を傾げた。
俺は顔が熱くなるのを感じた。
そういえば、昨日の昼からホットミルク以外何も口にしていない。
「……すまない。腹が減って……。何か食べ物を貰えないか」
「残念ながら、この屋敷に食料はありません」
「は? あんたはここに住んでるんだよな……?」
「ええ。しかし、僕は食事をあまり好みませんので。人間が好む温かい食事……というのが相容れなく。僕は森に積もった雪で十分ですから」
雪を食べて生きているだって……?
こいつ、本当に人間か?
俺はじとりとした目をヨクルに向けた。
「人間以外の何に見えますか? 僕は凄腕の魔術師ですから。こういうことも可能なんですよ」
「そういうもんか」
「ええ。そういうものです」
はぐらかされた気がしてならない。
だが、今は納得するしかなかった。
彼が人外だったとしても、今彼と対立するメリットはない。
剣術の達人でもあり、魔術師でもある彼に、普通の騎士である俺が敵うはずもないのだ。
彼の言っている通り、本当にただの〝凄腕の魔術師〟の可能性もあるし……。
「暫く遭難者もいなかったので、調達を忘れていました。大変申し訳ありません」
「昨日のうちに俺を追い出すつもりだったんだな?」
「いえ。普通の人間が食事を必要とすることを失念していました」
そんな訳あるか。
「コーヒーやお酒などの嗜好品ならたくさんあるのですが……」
「酒!」
俺は思わず喜びの声を上げた。
「お酒がお好きで?」
「酒嫌いな人間はこの国にいないぞ、滅多に」
酒は好きだ。
酒で記憶を飛ばす大人を見てきたからか、俺は最初、また記憶を失うのではないかと飲むのに躊躇していた。
しかし、それは杞憂に終わった。
俺は酒にかなり強く、記憶を飛ばすことはなかった。
雪国人だな、と師匠は笑って言っていた。
それから、酒は俺の燃料と言っていいほどになっている。
「酒で腹が膨れたらどれだけ良いか……」
だが、今求めているのは酒ではない。
胃を満たす固形物だ。
俺が深いため息をつくと同時に、空っぽの腹もぐう、と鳴った。
「支援物資とか送られてこないのか? それも静雪の村で止まってたり?」
「支援物資……? 他のところから何か送られてくることは滅多にありませんが」
ヨクルは首を傾げた。
俺はすっかり忘れていた。
ここは国にも見捨てられた辺境の土地だということを。
ヨクルの『辺境伯』というのも名ばかりで、一人で異形の討伐に当たっているのだった。
「騎士団から騎士が送られてくることはありますね」
俺のことか……。
「静雪の村へ調達に行かねばなりませんが、まだ暗いですからね。村の方達はまだ寝ているでしょう。村へ行くのは巡回が終わってからで構いませんか?」
今村に行っても、すぐに食べ物にはありつけそうにない。
「……わかった」
俺は空腹を訴える腹を撫でながら、渋々頷いた。
食事を必要としないヨクルには、この空腹の辛さはわからないだろう。
「僕も行きますから、待っていて下さいね」
ヨクルはそう言って、屋敷を出た。
「待って──」
俺はヨクルを追いかけようとしたが、やめた。
エネルギー不足の状態で異形と出会ってしまったら、ヨクルの足を引っ張るかもしれない。
ここは大人しく待っていよう。
暖炉のある部屋に戻ろうと、俺は廊下へ引き返した。
曲がり角を曲がると、人影が目の前に現れた。
「びっ……!」
短く悲鳴をあげた。
よく見てみると、その人影は鏡に映った自分がだった。
ほっとしたが、違和感を覚えた。
こんなところに鏡なんてあっただろうか……?
『くすくす……』
何処からか笑う声が聞こえてきた。
これは幻聴だ。きっとそうに違いない。
ヨクルは幽霊が出るなんて一言も言っていなかった。……聞かなかったから言わなかったただけかもしれないが。
何度目かの腹が鳴る。
空腹に耐えながら、一人、いるかもわからない幽霊に怯えなければならないのか。
空腹と恐怖の限界だった。
「……一足先に静雪の村に行こう」
そう思い立つと、俺は先に村へ向かう旨の書き置きを残し、屋敷を出た。
俺はベッドの上にいて、暖炉の火はとっくに消えていた。
あの甘いホットミルクを飲んだ後、俺は寝てしまっていたらしい。
周囲を見渡すが、ヨクルの姿はない。
流石に俺が起きるまでそばにはいなかったようだ。
彼は別の部屋で眠ったのだろうか。
窓の外はまだ暗い。
俺はヨクルを探そうと立ち上がった。
毛布を退けると肌寒かったため、俺は毛布を体に巻き付けて部屋を出た。
廊下は冷え切っていた。
玄関ホールに出ると、ドアの前にヨクルの後ろ姿があった。
昨日と変わらない服装だったが、一つ、違うところがあった。
ヨクルはかぼちゃを被っておらず、手に持っていた。
「ヨクル?」
俺が声をかけると、ヨクルは手早くかぼちゃを頭に被せた。
「ああ、ティリルさん。起こしてしまいましたか。まだ早いので、寝ていて構いませんよ」
ヨクルはドアの横に立てかけてあったランプの杖を手に取った。
外に行くつもりらしい。
寝ぼけていた頭が一気に冴えた。
「異形が出たのか!? いつ鐘が鳴ったんだ……!?」
慌てて俺は天井を見上げた。
「いえ、鐘は鳴っていませんよ。日が昇ってきたので、森の巡回へ行こうかと」
「巡回?」
「森に異常がないか、定期的に見回るんです。まあ、日課の散歩のようなものですね」
つまり、森の巡回も辺境伯の仕事の一つ……。
そう認識すると、俺は巻きつけていた布団を脱ぎ捨てた。
「俺も行く」
「お休みしていて下さい。昨日の疲れも残っているでしょう? 夜中、鐘が鳴っても起きなかったほどですからね」
「鳴ったのか!?」
「ええ。二度ほど」
「全く気がつかなかった……」
俺は一度寝たら朝まで起きない自分の性質を恨んだ。
まさか、異形の発生を知らせる鐘が鳴っても眠りこけているなんて。
ヨクル一人に討伐させるなんてあってはならない。
「とりあえず! 今、準備するから待っててくれ──」
──ぐううううう……。
そのとき、盛大に腹の虫が鳴り、俺は動きを止めた。
暫しの沈黙が流れる。
「今の音は?」
ヨクルが首を傾げた。
俺は顔が熱くなるのを感じた。
そういえば、昨日の昼からホットミルク以外何も口にしていない。
「……すまない。腹が減って……。何か食べ物を貰えないか」
「残念ながら、この屋敷に食料はありません」
「は? あんたはここに住んでるんだよな……?」
「ええ。しかし、僕は食事をあまり好みませんので。人間が好む温かい食事……というのが相容れなく。僕は森に積もった雪で十分ですから」
雪を食べて生きているだって……?
こいつ、本当に人間か?
俺はじとりとした目をヨクルに向けた。
「人間以外の何に見えますか? 僕は凄腕の魔術師ですから。こういうことも可能なんですよ」
「そういうもんか」
「ええ。そういうものです」
はぐらかされた気がしてならない。
だが、今は納得するしかなかった。
彼が人外だったとしても、今彼と対立するメリットはない。
剣術の達人でもあり、魔術師でもある彼に、普通の騎士である俺が敵うはずもないのだ。
彼の言っている通り、本当にただの〝凄腕の魔術師〟の可能性もあるし……。
「暫く遭難者もいなかったので、調達を忘れていました。大変申し訳ありません」
「昨日のうちに俺を追い出すつもりだったんだな?」
「いえ。普通の人間が食事を必要とすることを失念していました」
そんな訳あるか。
「コーヒーやお酒などの嗜好品ならたくさんあるのですが……」
「酒!」
俺は思わず喜びの声を上げた。
「お酒がお好きで?」
「酒嫌いな人間はこの国にいないぞ、滅多に」
酒は好きだ。
酒で記憶を飛ばす大人を見てきたからか、俺は最初、また記憶を失うのではないかと飲むのに躊躇していた。
しかし、それは杞憂に終わった。
俺は酒にかなり強く、記憶を飛ばすことはなかった。
雪国人だな、と師匠は笑って言っていた。
それから、酒は俺の燃料と言っていいほどになっている。
「酒で腹が膨れたらどれだけ良いか……」
だが、今求めているのは酒ではない。
胃を満たす固形物だ。
俺が深いため息をつくと同時に、空っぽの腹もぐう、と鳴った。
「支援物資とか送られてこないのか? それも静雪の村で止まってたり?」
「支援物資……? 他のところから何か送られてくることは滅多にありませんが」
ヨクルは首を傾げた。
俺はすっかり忘れていた。
ここは国にも見捨てられた辺境の土地だということを。
ヨクルの『辺境伯』というのも名ばかりで、一人で異形の討伐に当たっているのだった。
「騎士団から騎士が送られてくることはありますね」
俺のことか……。
「静雪の村へ調達に行かねばなりませんが、まだ暗いですからね。村の方達はまだ寝ているでしょう。村へ行くのは巡回が終わってからで構いませんか?」
今村に行っても、すぐに食べ物にはありつけそうにない。
「……わかった」
俺は空腹を訴える腹を撫でながら、渋々頷いた。
食事を必要としないヨクルには、この空腹の辛さはわからないだろう。
「僕も行きますから、待っていて下さいね」
ヨクルはそう言って、屋敷を出た。
「待って──」
俺はヨクルを追いかけようとしたが、やめた。
エネルギー不足の状態で異形と出会ってしまったら、ヨクルの足を引っ張るかもしれない。
ここは大人しく待っていよう。
暖炉のある部屋に戻ろうと、俺は廊下へ引き返した。
曲がり角を曲がると、人影が目の前に現れた。
「びっ……!」
短く悲鳴をあげた。
よく見てみると、その人影は鏡に映った自分がだった。
ほっとしたが、違和感を覚えた。
こんなところに鏡なんてあっただろうか……?
『くすくす……』
何処からか笑う声が聞こえてきた。
これは幻聴だ。きっとそうに違いない。
ヨクルは幽霊が出るなんて一言も言っていなかった。……聞かなかったから言わなかったただけかもしれないが。
何度目かの腹が鳴る。
空腹に耐えながら、一人、いるかもわからない幽霊に怯えなければならないのか。
空腹と恐怖の限界だった。
「……一足先に静雪の村に行こう」
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