ヨクルと奇妙な森

フオツグ

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第一話

冷たい人

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 マグカップ越しにホットミルクの温かさが手に伝わる。
 ぼんやりと白いミルクを見つめていると、自分の中の真っ白な部分を思い浮かべてしまう。

「俺は、自分が何者なのかずっと考えている……」

 寒さで震えていた唇が勝手に動いていた。

「俺にはある地点から以前の記憶がない。子供の頃、異形に襲われてから。名前、家族、故郷……俺は全て失ってしまった。気づいたら、銀竜騎士団に助けられてた。異形に襲われてたってのも、そのとき初めて知ったんだ」

「変な話でしょう?」と俺は笑いながらヨクルを見た。
 ヨクルはじっと俺を見下ろしていた。
 どんな表情をしているか、被り物越しにははわからなかった。

「瘴気に晒され続けた人間は、記憶が混濁することがあります。残念ですが、失われた記憶が戻ることはないでしょう」
「医者にもそう言われたな」

 俺は失笑して、話を続けた。

「俺を憐れんだ一人の騎士──俺の師匠が養育者になった。『ティルヴィング』という新しい名前をくれて、剣術と文字の読み書きを教えてくれた」
「優しい御仁ですね」
「ああ。本当に優しい人だった……」

 俺はかぶりを振った。

「でも、俺に優しくされる資格はない。騎士団は俺の家族を探してくれたけど見つからなかった。それに、どこか安心したんだ……」

 覚えてない家族と会うのが気まずかったから、とか。師匠と離れることが嫌だったから、とか。そんな理由では説明してはいけない気がした。
 家族はいなくなった自分を心配してるだろうし、騎士団の人は寝る間も惜しんで探してくれた。
 みんな、俺のために必死だったのに、当の俺は、他人事だった。

「親から貰った大事な名前を忘れ、育ててくれた親を忘れ、帰る家を忘れ……。俺はいずれ、貴方のことも忘れるんだろうな。……俺は冷たい人間だ」

 目元が熱くなる。
 俺は手の甲を目に当てた。
 ひんやりとしていた。

「俺は優しい人間になりたい」

 助けを求めている人の手を取りたい。
 銀竜騎士団のように。師匠のように。
 師匠には騎士団入りを反対されたけど、俺は押し切った。
 それが優しい人間になれる近道だと思ったから。
 ……そう思った時点で、俺は何処までも薄情な人間だって感じた。

「……森の雪達が貴方を好く理由がわかりました」
「……?」
「凍りついた記憶、寒さに震える心、純粋で無垢で、貴方はまるで真っ白な雪のよう……」
「茶化してるのか」

 俺はむっとした。

「そんなつもりはなかったのですが」

 ヨクルはくすりと笑った。

「冷たい心を放っておくと凍えてしまうものです。貴方のそばには温かい方達がいたんですね。彼らに罪悪感を抱く必要はありません。いずれわかるでしょう。優しさの理由を」
「……訳がわからない」

 もっとわかりやすく言ってくれないと困る、と俺は眉を下げた。

「今言えることは……そうですね。雪達は冷たい人間が好きとだけ」

 ますますわからなくなった。
 彼なりの励ましなのだろうか。

「じゃあ、森に住んでいるあんたも冷たい人間なのか?」

 俺は冗談まじりに言った。
 ヨクルは「いいえ」と低い声で言い、俺に背を向けた。銀糸の髪が揺れた。

「僕は裏切り者です」

 自戒の念を含んだその声に俺は黙り込んだ。

「……朝日が昇ったら、森を出て行くことをお勧めします」

 ヨクルは部屋を出て行こうと、ドアの方に向かった。

「フロスティ辺境伯、俺はここを出ていくつもりはありませんよ。貴方がどれだけこの森を危険だと言おうが」
「……物好きな方だ。ここには木々と、雪と、異形しかありません。変わり映えのしない風景に飽きることは、何も恥ではありません。いつでも、森を出て行って構いません」

 追い出しはしないようだ。
 俺は口元が綻んだ。

「感謝します、フロスティ辺境伯」
「ティルヴィングさん、僕のことはどうぞ、『ヨクル』とお呼び下さい。毎回、そう呼ぶのは大変でしょう」
「え? しかし……」

 ヨクルは俺の主君だ。
 ファーストネームで呼ぶのは躊躇われる。

「異形を前に、毎回その呼び名で呼ぶおつもりで?」

 ヨクルは悪戯っぽく言った。

「敬語も必要ありません。ティルヴィングさんはどうやら、敬語が苦手なようですから」
「う……バレてましたか」
「結構、敬語を忘れていましたよ。瘴気を浴びて、正常ではなかったのもあるでしょう」
「昔から気を抜くとすぐに敬語を忘れてしまって……」

 俺は照れ臭くささを誤魔化すように咳払いをした。

「では、お言葉に甘えて──よろしく、ヨクル!」

 ヨクルは驚いたようにかぼちゃ頭を揺らした。

「あ、あれ? 俺、何か間違えたか?」
「今までの方達は敬称をつけたので……」
「あ……!」

 俺はしまった、と思った。
 師匠に「額面通りに受け取るな。お前は素直過ぎる」と師匠に言われたのをすっかり忘れてた。
 普通の人は自分に敬称をつけて呼べ、などとは言わない。
「ヨクルと呼ぶように」の正しい回答は、「ヨクル様」だった。
 俺は記憶どころか、常識まで落としてしまっていたらしい……。

「す、すみません……」
「いえ、驚いただけですので、お気になさらず。どうぞ、『ヨクル』と。僕もそちらの呼び方の方が好ましいです」
「……本当に?」

 俺はヨクルの顔をうかがった。
 かぼちゃのせいで、表情は見えない。

「ええ。親しい仲のようで」
「それなら、俺のことも『ティリル』と呼んでくれ。みんなからそう呼ばれているんだ」
「では、『ティリルさん』とお呼びしましょう。……ふふ。まるで、友人のようですね」
「友人なら、お互い敬語もなしでも良いな!」
「それは遠慮します。僕はこの話し方が口に馴染んでますから」
「そ、そうか……」

 主君が敬語で、騎士が砕けた口調だなんて、あべこべではないか。
 だが、楽しそうに声を弾ませるヨクルを見て、嘘はないのだろうと感じた。

「懐かしい……。初めて会った騎士団長さんもフレンドリーなお方でした」
「グラム騎士団長の前の?」
「どうでしょう……。僕は騎士団の内情をあまり知らないので。もっと前かもしれません」
「前か……。そういえば、フロスティ家は銀竜騎士団と古い縁があるって聞いたな。一体、どんな縁なんだ?」

 俺は何となく聞いた。
 すると、ヨクルは少しだけ俯いた。

「迷われたんですよ、この森で」
「……それだけ?」
「縁というのはそういうものでしょう? 袖が触れ合って深い縁が出来ることもあります。貴方とのこの奇妙な縁も……遠い未来の何処かで繋がるのでしょうね」

 ヨクルはそっと俺の肩を押して、ベッドに寝かせた。
 俺の体がベッドに沈む感覚がする。

「まだ夜は深いですから、お休みなさい、ティリルさん──僕の新しい友人」

 手袋越しの冷たい手が俺の額を撫でる。
 俺は自然と瞼を閉じた。
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