自分を「悪役令嬢」だと言い出して特待生をいじめ始めた婚約者を持つ王太子のぼやき

雀40

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「……お疲れ様、あとはクールダウンよ。いつも通りペースを落としてもう一周ゆっくりと走ってからここまで帰ってくること。呼吸が落ち着いたのなら歩いてもいいわ」
「は、はい……行ってきます……」

 大きく息を吐いてからゆっくりと再び走り出したエリを見送り、シャルベリーンは侍女に次の指示を出す。
 
 指示を受けた侍女は、バスケットから取り出した大きなクロスを敷き広げた。ここで、エリが水分補給とストレッチを行うのだ。ついでに、エリの食欲があるときは、ゆで卵のサンドイッチを食べさせている。先日のことだが、私がゆで卵のサンドイッチになんの意味があるのかと聞けば、シャルベリーンの侍女は質問に驚きながらも答えてくれた。
 侍女が言うには、ランニング直後の食事は運動によって疲れ切った身体を適切に回復させるため、トレーニングのより良い効果が見込める……らしい。我が国で手に入る食材のなかで、ゆで卵が最も効果的な食材なのだという。
 
 その際に、ゆで卵と同じくらい効果的な食材である「ダイズ」なる豆の所在について心当たりを尋ねられたが、私は豆について詳しくない。
 シャルベリーンが探している豆らしいので、外交部に質問を回しておいたが、反応は芳しくなかった。外交部にかぎらずとも、誰かが何らかの情報を持っていると良いのだが。

「エリ様、お疲れ様です。本日はゆで卵ではなく、蒸し鶏のサンドイッチをご用意いたしました」
「ムシ……?」
「水蒸気の熱で加熱する調理法です。油を使わないため胃に優しく、水溶性の栄養が逃げにくく、食物の水分が抜けにくいというメリットがございます」
「よくわからないけど、美味しそう……」
「はい、とても美味ですよ」

 水分補給を終えたエリとシャルベリーンの侍女が、和やかにエリの軽食の準備をしている。
 見慣れず聞き慣れない調理法に、私は好奇心をくすぐられた。

「…………シャルベリーン、あれは?」
「いつもゆで卵では飽きてしまうでしょう? 食には楽しみも必要だからって……カイヤの提案なんです」

 私が尋ねれば、誇らしげにシャルベリーンが笑う。

 カイヤとはシャルベリーンの侍女のことで、シャルベリーンは幼い頃から自分の世話をするカイヤにとても懐いている。
 私達より十ほど年上のカイヤは男爵家の末娘で、知識欲旺盛で物知りな女性だ。
 なんでも異国の調理法なのだという「蒸し」は、調理が特殊なぶん多くのメリットが見込めるものらしい。

 余談だが、私も蒸し鶏を後日馳走になった。焼いた鶏とも煮込んだ鶏とも、まったく違う印象で驚いたものだ。
 ただ、我々のような年若い男からしたら、淡白で物足りなさを覚えるかもしれない。
 蒸し料理を含め、シャルベリーンのトレーニング理論を騎士団へ提案してみたいところだが、賛同を得られるかは根回し次第だろうか。先に研究者へ情報を流すべきかもしれない。……なんにせよ、シャルベリーンとの調整が必要だ。

 なお、こちらも完全な余談になるが、私はこの異国の調理法を、前国王である祖父の隠居する離宮へ伝えてみた。もちろん、シャルベリーンの許可は取った上でだ。
 そしたら驚くことに、加齢と病で眠ることの多かった祖父は蒸し鶏をはじめとした蒸し料理を気に入って食が増え、祖母と共に庭をのんびりと散歩できるほどに回復した。病人食は味気なく、宮廷料理は胃に重く……食欲が落ちていた祖父は、蒸し料理のおかげで元気を取り戻したのだ。シャルベリーンとカイヤには感謝するばかりである。

 そんなふうに学業と体力作りに励むエリが忙しい日々を送り、我々にも多少の油断があったのかもしれない――――エリが、誘拐されかけたのだ。

 とある学院教師の手引きによって侵入した部外者が、警備の隙をついてエリに接触。
 部外者は言葉巧みにエリを連れ出そうとしたのだが、不審に思ったエリが全速力で逃走し、なんとか振り切った彼女は茶会中の我々の元へたどり着いた。

 それは、「ひとりで大丈夫だから、お幸せに」と駆け足で女子寮へ帰るエリを、シャルベリーンが「駆け足は淑女ではない」と叱って見送った直後。エリが自分にかかりきりのシャルベリーンを慮って、私とシャルベリーンふたりの時間を作ってくれた矢先である。
 従者に慣れていないエリは、普段は自分の侍女すら連れ歩いていない。茶会中の私はサロンから動かないので、誰かを伴わせるべきだった。
 
 事件を知り急ぎ警戒態勢を敷いたのが功を奏したのか、隠れていた部外者はすぐに捕らえることができた。
 後日、調査の末に判明した真犯人は、長年密かに他国と通じていたとある子爵。目先の功に目がくらんだ子爵は、光の神子を手土産に亡命し、取り立ててもらうつもりだったらしい。
 金で動いた学院教師共々、犯人の関係者が厳しい処分となったことは、言うまでもない。

「……トレーニングの効果が出ましたね。でもなによりも、エリ様が無事でよかったわ……」
「でも、シャルベリーン様……わたし悔しいです。せめて、もっと自分を守れるようになりたい」
「エリ様……もうじゅうぶん頑張られました。貴女はきちんと自分を守れたのですよ」

 エリを保護したあとは王族寮の応接室に落ち着いた。長椅子に乗り上げ、シャルベリーンに縋りついて涙を流すエリは、恐怖ではなく悔しさで泣いている。
 涙声と興奮で要領を得ない話をまとめれば、訓練場で自主訓練に励む騎士科の生徒に感化されたエリは、強くなりたいと願うようになっていたのだ。

「で、でも、今回はわたしひとりだったから逃げるだけで済みましたけど、もし誰かが傍にいたら…………わたしのせいで誰かが怪我をしてしまうんじゃって思って……それはいやなんです」
「……邪悪を祓う奇跡は光の神子たるエリ様にしかできないこと。そんな尊き存在のエリ様をお守りするのは、騎士の方々の誇りあるお役目ですから……もしそれで怪我をしても、それは名誉なことなのですよ」
「そう、かもしれません……そうなのかもしれませんけど……」

 シャルベリーンが穏やかにエリを諭す……が、エリは理解すれども納得したくないらしい。
 
 私やシャルベリーンは、いつでも護衛や従者が背後に控える状況が日常だが、市井で育ったエリは違う。その感覚の違いのひとつが、おそらくこれなのだろう。
 光の神子であるエリは守られるべき者だ。しかしエリの感情は、誰かが傷ついてしまうくらいなら、守られたくないと叫んでいる。

 私やシャルベリーンが、守られる立場であること受け入れているのは……そう生まれ育ったからというのが一番である。しかし、何よりも「それ以上の利益を国へもたらすべし」と周囲から望まれているのだと知っているからにすぎない。
 もちろん、それは広い意味で国を守ることに繋がるのだが……王都の一地区という狭い世界で生きていたエリには、まだ届かぬ視線だろう。

 エリは心優しい少女だ。夢見がちで現実的な、年頃の少女だ。
 それこそ、邪悪を祓うという世界を守る偉業が遠くおぼろげすぎて、未だ見知らぬ近くの「誰か」を想って泣いてしまうような――。

 ――そう、彼女は、普通の市井の少女だったのだ。
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