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弁護士

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 患者は六十歳代末期がん患者でした。
 その日私は準夜勤務をしていました。その日は順調に巡回ができ二十三時前にはすべての病室を回り終わりあとは詰め所に戻って記録を書くだけの状態になっていました。ふとその患者さんの病室に立ち寄った時、患者さんがいきなり涙を流しながら「字が思い出せないんです」と言われました。私は弁護士の賢い人がこんなに苦しそうに悩まれている事実に驚きどう対応そうすればいいか焦ったのを覚えています。私はとりあえずベッドサイドに座って話を聞いていました。「今まではこんなことはありませんでした。出てこないってことはなかったんです。いつもすぐに出てきたのにどうしてこんなに忘れていってしまうのだろう。どんどん思い出せなくなっていくのでしょうか。」患者さんは何度もそう言いながら涙を流されていました。私はどう声を掛けたらいいか分からず、ずっと黙って話を聞くことしかできませんでした。そうして話を聞きながら何かいい方法はないものか考えふと「毎日、日記を書いてみてはどうでしょうか」と提案してみました。
「日記ですか」患者さんはそう言って俯いていた顔を私に方に向けられました。
「日記です。日記だったら毎日書くから毎日字と触れ合うことができるから忘れていくことはないんじゃないでしょうか。何もしないと忘れていくかもしれませんが毎日書いて触れ合っていると忘れることはないのではないでしょうか」私がこう提案すると患者さんはしばらく考えておられましたが
「そうですねぇ。書いてみます。ありがとうございます」
と微笑まれました。その後その患者さんはホスピスで過ごすことを望まれたため転院されました。私と話した後日記を書いておられたかどうかはわかりませんが、転院される当日に患者さんの家族から病室に呼ばれ「父がお世話になったから渡してほしいと」と言われリップペンシルを渡してこられました。病院では患者さんから物をいただいてはいけないことになっていたため「患者さんから物をいただくことはできないので」と断りました。娘さんは私が断ったことをお父さんに告げておられるようでしたが再び私の元に戻ってこられ「父がどうしてもと言っているので受け取ってもらえませんか」と言われたため受け取りました。その時患者さんの姿は入口に立っていた私からは見ることはできなかったのでどんな表情をされていたかはわかりません。そのリップペンシルは、私が大好きなワインレッドでした。私が好きな色がどうしてわかったのか、たまたまだったのか私にはわかりませんが、私がした提案が患者さんに受け入れてもらえたような感じがして、嬉しかったことを今も覚えています。
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