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2章アルとの出会い(過去編)
2-8. ランクアップ試験と勧誘
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今日はランクアップ試験だ。
朝食のときに、昨日のウシのことで何か言われるかなと思いながら食堂へ行ったけど、誰からも何も言われなかったから、ウルドさんは僕の名前を出さないでいてくれたようだ。
シチューの鍋ごと引き取りは、みんなが食べ終わっていなくなったところを見計らってキッチンへ行った。賄いに残されていたウルドさんたちのシチューは全員で一人前くらいしかなかったので、鍋からお裾分けした。オウル君にも食べてほしいからね。
そのときに、赤と黒のヘビのお料理もお願いした。旅に出るなら、ご飯のストックは大事だ。ウルドさんたちにはウシを出した時点でもう時間停止がバレてるからと、アルのOKも出た。今度は騒動にならないように、夕食での提供はなしで、鍋で引き取る。また鍋を買ってこなきゃ。
ヘビは淡白で鶏のササミみたいだときいたことがある。あれ、ワニだっけ。まあ、どっちでもいいや。オリシュカさんがどんな料理にしてくれるのか、楽しみだなあ。
ランクアップ試験のために訪れた朝のギルドは、より良い依頼を受けるために必死な冒険者でごった返していた。
試験の受付のために、アルが僕のギルドカードをもって、登録カウンターに行ってくれるので、僕は隅っこでブランと大人しく待っている。僕ではこの人波を越えられない。
戻ってきたアルに案内され、混雑を避けて遠回りをして訓練場へ行くと、早く来たのでまだ誰もいなかった。
アルはお試し用の剣の中から、この後の試合のための一番使いやすい剣を探している。Bランクへのランクアップ試験だと、Aランクかそれ以上の相手と対戦するが、勝つ必要はなくて、そのランクに相応しいかどうかが判断基準だ。
アルは準備運動も兼ねて身体を動かしているので、邪魔しないように、僕はブランの希望でブラッシングを始めた。やることがなくて手持ち無沙汰なので、仕方がない。
そういえば僕は何ランクへのランクアップなんだろう。聞くのを忘れたけど、どのランクであってもやることは変わらないから、知らなくても困らないな。
アルが剣を振るのを見ながら、ブランのブラッシングをしていると、同じ宿に泊まっているティグリス君が現れた。僕に「余裕だな」と声をかけてきたこの人がティグリス君の契約主で、今日の対戦相手のテイマーなのか。とても体格が良いけど、僕は大丈夫だろうか。例え僕が武器を持っていても、拳ひとつで負ける自信がある。
ギルドの立会人が来るまでは始まらないそうなので、この機会に僕はずっとやりたかったことをお願いしてみた。
「あの、ティグリス君に触ってもいいですか?」
「いいよ」
同じテイマー同士だからテイマーさんは簡単に許可してくれたので、ティグリス君にも触ってもよいか聞いてみる。ブランと違って、ティグリス君は人の言葉は話さないけど、マナーとしてね。
嫌がってはなさそうなので、手の甲をそっと顔の前に持っていってみた。トラの触り方なんて知識は持ってないから、手の匂いをかがせる初対面の犬を怖がらせない接し方だ。ティグリス君が戸惑ってるのが分かって、このまま触っちゃおうかなと思ったころで、ブランが一言吠えた。
『(ユウに触れ)』
それを聞いたティグリス君がビクッとしてから、恐る恐る僕の手の甲に前足を乗せたので、なんだか変なお手が完成してしまった。ただよう緊張感にテイマーさんも戸惑ってる。
せっかく触れてくれたので、もう片方の手で、お手の足をそっと触ってみよう。毛がツルツルのすべすべだ。足先から少しずつ体の中心へ向かって攻めていくが、ティグリス君はその間も借りてきた猫みたいになっている。僕のことを受け入れてくれているんじゃなくて、ブランの前で動けないのかもしれないけど、嫌がってはいないからこのチャンスに触らせてもらおう。ここぞとばかりに調子に乗って胸元や首の回りを撫でまわしていたら、ギルドの立会人と剣士が入ってきた。
ティグリス君、たくさん触らせてくれてありがとう。この後、多分君にとって最大の試練が待ってるけど、強く生きて。
まずは僕の試験だ。
模擬試合なので、殺さないこと、立会人の「ヤメ」の合図で止まること、などルールを説明されたけど、アルに聞いていたとおりだったので、問題ない。
お互い開始位置について準備、と言われたので、建物壊さないでね、とブランを送り出して、僕は壁際に避けた。すると立会人にあなたもです、と言われてしまった。僕も必要なの? 戸惑いながらブランの横に立つ僕を見て、「武器や防具はないのか?」と聞かれたが、そもそも僕は戦えないし、武器も防具もない。そのことは昨日伝えてあるはずだ。「このままやります、従魔が守ってくれるので大丈夫です」と答えると、試験会場に微妙な空気が流れ始めた。
立会人が「棄権したほうがよい」とか「防具を準備して」と言いだして、試合が始まらない。だから昨日ちゃんと戦えないと申告してあるんだから、今さら言わないでほしい。終わらない押し問答にブランが不機嫌になってきている。
めんどくさくなったので「もう始めましょう」と投げやりに答えると、これ以上説得は無理と思ったのか、立会人がテイマーさんに「殺さないように」と念を押して、試合が始まることになった。
「始め!」
『ウォフッ』
開始すぐ、ブランが大きな声で吠えると、それを聞いたティグリス君が、部屋の隅まで逃げてしまった。
やっぱりそうなるよね……。アルも、だよなあって顔してる。テイマーさんが慌てて追いかけて命令をしても、ティグリス君は必死で壁と同化して、気配を消している。
さて、この場合判定はどうなるの?
結局、試合続行不可能ということで、没収試合となってしまった。力量の差がありすぎてティグリス君が開始早々に逃げたとは誰も思っていないので、試合自体が設立しなかった。もうランクアップはいいけど、それよりもティグリス君、大丈夫かな。
気を取り直して、次はアルの試合だ。
負けていいから怪我しないでね、と伝えると、僕の試合で力が抜けたからちょうどいいですと言って笑われた。いい前座になったなら、やった甲斐があったかも? こちらは普通に試合が始まりそうだ。
「始め!」
開始の合図とともに、さっそく二人が打ち合っている。僕には動きが早すぎてよく分からないけど、剣のぶつかる音がちょっと怖い。互角なのかな?
『(あの男、強いな。アルより強い)』
ブランの目にはアルと相手の強さが見えるようだ。鑑定ではないらしいので、年の功なのかな。ここは経験ということにしておこう。
しばらく打ち合っていたが、アルの持つ剣が飛ばされた。
「そこまで!」
あまり長い時間かからず、アルの負けで終わってしまった。でもこの試験は勝つことが目的じゃないから、結果はまだ分からない。
アルが剣を拾ってから相手に歩みより礼を言うと、相手がアルに何かをアドバイスしている。しばらく話して一段落したのか、二人でこちらへ歩いてきた。
アルにお疲れ様を、相手にお礼を伝えると、相手からアルは筋がいいというお褒めの言葉をもらった。
このお相手さん、Sランクの剣士だった。どうやら有名な人のようで、僕が彼を知らないことに彼が驚いている。その事に僕が驚く。誰もが知っていて当然なくらいに有名人なのか。
僕はもうモグリのFランク冒険者でいいや、とやさぐれていると、Sランクさんがブランと戦いたいと言いだした。
やめてください。絶対ややこしいことになるから、全力で却下します。その高そうな剣、弁償できないから!
僕の表情を見てアルが断ってくれるているのに、なぜか引き下がってくれない。戦闘狂なのかな。立会人も、ティグリス君との試合が成立しなかったから、Sランクさんとやって、そちらで判定しようと乗り気だ。でも、ランクアップはもう諦めたからやる気はない。ブランも興味無さそうだし、何より不機嫌だし。
それよりも大問題が残っている。しつこく試合をしようと言うSランクさんを放置して、ブランにはついてこないようにお願いして、僕はティグリス君に近寄った。ティグリス君はまだ壁と同化してる。ブランが怖くてしょうがないんだろうけど、このままだと宿に帰れない。だって宿にはブランがいるのだ。
「ティグ、どうしたんだよ」
「すみません。ブランが強めに脅しをかけちゃったみたいで。ティグリス君、ごめんね」
あのシルバーウルフ、ちょっと強いので、ティグリス君は悪くないんです。
僕みたいに従魔と意志疎通できるのは珍しいことなんだと、今日気づいた。オウル君とウルドさんは通じあっている風だったから気にしてなかったけど、テイマーさんは今ティグリス君が何に怯えているのか分かっていない。知能がそんなに高くなかったとしても、「あいつこわい」くらいは伝えられるはずだ。ブランの念話は神様チートなんだろう。
どうしていいのか分からないので、困ったときのアル先生を呼んで、何とかしてもらおう。
アルがオブラートに包んで、砂糖もまぶして、ブランが強すぎてちょっと規格外なので、ティグリス君が怯えているのは普通なのだと伝えてはみたものの、テイマーさんには上手く通じない。いつもは魔物やモンスターに勇敢に向かっていくらしいので、ブランの正体を知らなければこの怯えようが理解できないのだろう。
そうこうするうちに痺れを切らしたブランがやって来た。「がうがう、がうがう」とブランがティグリス君に何か話しかけていると、ティグリス君がちっちゃく「ぎにゃ」と鳴いて、テイマーさんにすり寄った。テイマーさんが「お前どうしちゃったんだよー」と言いながら、優しく撫でてあげているので、まだ怯えてるけど、とりあえずは一段落のようだ。
ギルドにもフォローをいれなければ。このままではテイマーさんの評価が下がってしまう。そう思ってアルにお願いしたら、買い取りに出している魔物でブランの実力は分かるはずです、とにべもない。
どうやら、僕が戦えないと先に伝えていたのにも関わらず、立会人まで伝わってなかったことに、ブランだけでなくアルもご立腹だ。僕がティグリス君を説得しようとしているときに、その苦情を申し立てたと教えてくれた。まあそれでブランも怒っちゃったからね。
やっぱり僕はギルドと相性悪いなあ。
もうギルドでの用事は終わったし、買い物に行きたいので帰ろうとしたら、戦闘奴隷のギルドカードをまだ渡していないと止められた。ランクアップ試験から気持ちが離れてしまったので、アルの結果を聞くのも、アルのカードをもらうのも、すっかり忘れてた。
訓練場からギルドの建物に入ると、朝の一番混雑する時間を過ぎて、カウンター前はだいぶ落ち着きを取り戻している。
アルは無事、もともとのランクであるBランクでの登録になった。アルのギルドカードが発行され、僕のギルドカードも渡して、アルの名前が刻まれた。これで仲間だ。
ギルドカードを見てニマニマしていたら、今度は自分のパーティーに入らないかと、Sランク剣士が声をかけてきた。興味ありませんとはっきり断っても、しつこく誘ってくる。きっとブランが欲しいのだろうけどパーティーに入ることはないので、無視だ。
アルが僕のカードを持って買い取りカウンターに行ったのを見て、精算と肉の引き取りの予定があったことを思い出した。今日はいろいろ忘れてばっかりだ。アルを追いかけて倉庫に行こうと歩きだすと、無視しているのにまだ勧誘し続けているSランク剣士が、「珍しい魔物下ろしてんだろう?」と言ってきた。それで気づいた。マジックバッグ狙いだと。
このままついてこられると迷惑なので、職員に注意してもらおう。
「執拗な勧誘はギルドで禁止しているのではないですか? 断ってもついてきて迷惑なんですけど、注意してもらえませんか。あと、なぜ僕が買い取りに出している魔物の内容を、彼が知っているんですか」
冒険者ギルドでは、執拗な勧誘は禁止している。有用なスキルをもった冒険者を、いろんなパーティーが追い回して問題が起きたことから禁止されたんだとか。オモリで助けてくれた獣道が教えてくれたのだ。もし執拗に勧誘されるような事態になったら、ギルドに助けを求めろと。カイドのギルドがおかしいのであって、普通のギルドは助けてくれるからと。
だから僕は、断っても断ってもSランク剣士がついてきて迷惑しているので注意してくれるよう、カウンターにいるギルド職員に頼んだ。しかも僕が買い取りに出している魔物の内容を知っているなんて、ギルドの守秘義務はどうなってるんだ。
ギルドの対応はアルにお願いしたいけど、倉庫までついてきて買い取り内容を見られたくないので、僕から抗議した。
けれどギルド職員返答は、僕の思っていたものとは違って、素っ気なかった。
「Sランクパーティーに誘われるのは嬉しいことでは? 何か問題でも?」
その答えに、冒険者もギルド職員も助けてくれなかった、カイドの街での絶望がよみがえる。お前もグルなのか……。
ダメだ、過呼吸起こしそうだ。あのころを思い出して気持ちが沈んでいくのを止められない。
いつもなら慰めてくれるはずのブランもすりすりしてくれない、と横を見たところで、隣のほうがもっとマズいことに気づいた。ブランがうなりながら牙を見せている。
なんか気温下がったよ? みんなブランの魔力で動けなくなってるよ?? 壁が凍ってない?! さすが氷の神獣様だね!!
届くかどうか分からないけど、アルに「あとをよろしく」と叫んで、僕はギルドから飛び出した。
ブランは必ず僕についてきてくれるから、僕があそこから離れるしかない。このままだとギルドが更地になってしまう。
朝食のときに、昨日のウシのことで何か言われるかなと思いながら食堂へ行ったけど、誰からも何も言われなかったから、ウルドさんは僕の名前を出さないでいてくれたようだ。
シチューの鍋ごと引き取りは、みんなが食べ終わっていなくなったところを見計らってキッチンへ行った。賄いに残されていたウルドさんたちのシチューは全員で一人前くらいしかなかったので、鍋からお裾分けした。オウル君にも食べてほしいからね。
そのときに、赤と黒のヘビのお料理もお願いした。旅に出るなら、ご飯のストックは大事だ。ウルドさんたちにはウシを出した時点でもう時間停止がバレてるからと、アルのOKも出た。今度は騒動にならないように、夕食での提供はなしで、鍋で引き取る。また鍋を買ってこなきゃ。
ヘビは淡白で鶏のササミみたいだときいたことがある。あれ、ワニだっけ。まあ、どっちでもいいや。オリシュカさんがどんな料理にしてくれるのか、楽しみだなあ。
ランクアップ試験のために訪れた朝のギルドは、より良い依頼を受けるために必死な冒険者でごった返していた。
試験の受付のために、アルが僕のギルドカードをもって、登録カウンターに行ってくれるので、僕は隅っこでブランと大人しく待っている。僕ではこの人波を越えられない。
戻ってきたアルに案内され、混雑を避けて遠回りをして訓練場へ行くと、早く来たのでまだ誰もいなかった。
アルはお試し用の剣の中から、この後の試合のための一番使いやすい剣を探している。Bランクへのランクアップ試験だと、Aランクかそれ以上の相手と対戦するが、勝つ必要はなくて、そのランクに相応しいかどうかが判断基準だ。
アルは準備運動も兼ねて身体を動かしているので、邪魔しないように、僕はブランの希望でブラッシングを始めた。やることがなくて手持ち無沙汰なので、仕方がない。
そういえば僕は何ランクへのランクアップなんだろう。聞くのを忘れたけど、どのランクであってもやることは変わらないから、知らなくても困らないな。
アルが剣を振るのを見ながら、ブランのブラッシングをしていると、同じ宿に泊まっているティグリス君が現れた。僕に「余裕だな」と声をかけてきたこの人がティグリス君の契約主で、今日の対戦相手のテイマーなのか。とても体格が良いけど、僕は大丈夫だろうか。例え僕が武器を持っていても、拳ひとつで負ける自信がある。
ギルドの立会人が来るまでは始まらないそうなので、この機会に僕はずっとやりたかったことをお願いしてみた。
「あの、ティグリス君に触ってもいいですか?」
「いいよ」
同じテイマー同士だからテイマーさんは簡単に許可してくれたので、ティグリス君にも触ってもよいか聞いてみる。ブランと違って、ティグリス君は人の言葉は話さないけど、マナーとしてね。
嫌がってはなさそうなので、手の甲をそっと顔の前に持っていってみた。トラの触り方なんて知識は持ってないから、手の匂いをかがせる初対面の犬を怖がらせない接し方だ。ティグリス君が戸惑ってるのが分かって、このまま触っちゃおうかなと思ったころで、ブランが一言吠えた。
『(ユウに触れ)』
それを聞いたティグリス君がビクッとしてから、恐る恐る僕の手の甲に前足を乗せたので、なんだか変なお手が完成してしまった。ただよう緊張感にテイマーさんも戸惑ってる。
せっかく触れてくれたので、もう片方の手で、お手の足をそっと触ってみよう。毛がツルツルのすべすべだ。足先から少しずつ体の中心へ向かって攻めていくが、ティグリス君はその間も借りてきた猫みたいになっている。僕のことを受け入れてくれているんじゃなくて、ブランの前で動けないのかもしれないけど、嫌がってはいないからこのチャンスに触らせてもらおう。ここぞとばかりに調子に乗って胸元や首の回りを撫でまわしていたら、ギルドの立会人と剣士が入ってきた。
ティグリス君、たくさん触らせてくれてありがとう。この後、多分君にとって最大の試練が待ってるけど、強く生きて。
まずは僕の試験だ。
模擬試合なので、殺さないこと、立会人の「ヤメ」の合図で止まること、などルールを説明されたけど、アルに聞いていたとおりだったので、問題ない。
お互い開始位置について準備、と言われたので、建物壊さないでね、とブランを送り出して、僕は壁際に避けた。すると立会人にあなたもです、と言われてしまった。僕も必要なの? 戸惑いながらブランの横に立つ僕を見て、「武器や防具はないのか?」と聞かれたが、そもそも僕は戦えないし、武器も防具もない。そのことは昨日伝えてあるはずだ。「このままやります、従魔が守ってくれるので大丈夫です」と答えると、試験会場に微妙な空気が流れ始めた。
立会人が「棄権したほうがよい」とか「防具を準備して」と言いだして、試合が始まらない。だから昨日ちゃんと戦えないと申告してあるんだから、今さら言わないでほしい。終わらない押し問答にブランが不機嫌になってきている。
めんどくさくなったので「もう始めましょう」と投げやりに答えると、これ以上説得は無理と思ったのか、立会人がテイマーさんに「殺さないように」と念を押して、試合が始まることになった。
「始め!」
『ウォフッ』
開始すぐ、ブランが大きな声で吠えると、それを聞いたティグリス君が、部屋の隅まで逃げてしまった。
やっぱりそうなるよね……。アルも、だよなあって顔してる。テイマーさんが慌てて追いかけて命令をしても、ティグリス君は必死で壁と同化して、気配を消している。
さて、この場合判定はどうなるの?
結局、試合続行不可能ということで、没収試合となってしまった。力量の差がありすぎてティグリス君が開始早々に逃げたとは誰も思っていないので、試合自体が設立しなかった。もうランクアップはいいけど、それよりもティグリス君、大丈夫かな。
気を取り直して、次はアルの試合だ。
負けていいから怪我しないでね、と伝えると、僕の試合で力が抜けたからちょうどいいですと言って笑われた。いい前座になったなら、やった甲斐があったかも? こちらは普通に試合が始まりそうだ。
「始め!」
開始の合図とともに、さっそく二人が打ち合っている。僕には動きが早すぎてよく分からないけど、剣のぶつかる音がちょっと怖い。互角なのかな?
『(あの男、強いな。アルより強い)』
ブランの目にはアルと相手の強さが見えるようだ。鑑定ではないらしいので、年の功なのかな。ここは経験ということにしておこう。
しばらく打ち合っていたが、アルの持つ剣が飛ばされた。
「そこまで!」
あまり長い時間かからず、アルの負けで終わってしまった。でもこの試験は勝つことが目的じゃないから、結果はまだ分からない。
アルが剣を拾ってから相手に歩みより礼を言うと、相手がアルに何かをアドバイスしている。しばらく話して一段落したのか、二人でこちらへ歩いてきた。
アルにお疲れ様を、相手にお礼を伝えると、相手からアルは筋がいいというお褒めの言葉をもらった。
このお相手さん、Sランクの剣士だった。どうやら有名な人のようで、僕が彼を知らないことに彼が驚いている。その事に僕が驚く。誰もが知っていて当然なくらいに有名人なのか。
僕はもうモグリのFランク冒険者でいいや、とやさぐれていると、Sランクさんがブランと戦いたいと言いだした。
やめてください。絶対ややこしいことになるから、全力で却下します。その高そうな剣、弁償できないから!
僕の表情を見てアルが断ってくれるているのに、なぜか引き下がってくれない。戦闘狂なのかな。立会人も、ティグリス君との試合が成立しなかったから、Sランクさんとやって、そちらで判定しようと乗り気だ。でも、ランクアップはもう諦めたからやる気はない。ブランも興味無さそうだし、何より不機嫌だし。
それよりも大問題が残っている。しつこく試合をしようと言うSランクさんを放置して、ブランにはついてこないようにお願いして、僕はティグリス君に近寄った。ティグリス君はまだ壁と同化してる。ブランが怖くてしょうがないんだろうけど、このままだと宿に帰れない。だって宿にはブランがいるのだ。
「ティグ、どうしたんだよ」
「すみません。ブランが強めに脅しをかけちゃったみたいで。ティグリス君、ごめんね」
あのシルバーウルフ、ちょっと強いので、ティグリス君は悪くないんです。
僕みたいに従魔と意志疎通できるのは珍しいことなんだと、今日気づいた。オウル君とウルドさんは通じあっている風だったから気にしてなかったけど、テイマーさんは今ティグリス君が何に怯えているのか分かっていない。知能がそんなに高くなかったとしても、「あいつこわい」くらいは伝えられるはずだ。ブランの念話は神様チートなんだろう。
どうしていいのか分からないので、困ったときのアル先生を呼んで、何とかしてもらおう。
アルがオブラートに包んで、砂糖もまぶして、ブランが強すぎてちょっと規格外なので、ティグリス君が怯えているのは普通なのだと伝えてはみたものの、テイマーさんには上手く通じない。いつもは魔物やモンスターに勇敢に向かっていくらしいので、ブランの正体を知らなければこの怯えようが理解できないのだろう。
そうこうするうちに痺れを切らしたブランがやって来た。「がうがう、がうがう」とブランがティグリス君に何か話しかけていると、ティグリス君がちっちゃく「ぎにゃ」と鳴いて、テイマーさんにすり寄った。テイマーさんが「お前どうしちゃったんだよー」と言いながら、優しく撫でてあげているので、まだ怯えてるけど、とりあえずは一段落のようだ。
ギルドにもフォローをいれなければ。このままではテイマーさんの評価が下がってしまう。そう思ってアルにお願いしたら、買い取りに出している魔物でブランの実力は分かるはずです、とにべもない。
どうやら、僕が戦えないと先に伝えていたのにも関わらず、立会人まで伝わってなかったことに、ブランだけでなくアルもご立腹だ。僕がティグリス君を説得しようとしているときに、その苦情を申し立てたと教えてくれた。まあそれでブランも怒っちゃったからね。
やっぱり僕はギルドと相性悪いなあ。
もうギルドでの用事は終わったし、買い物に行きたいので帰ろうとしたら、戦闘奴隷のギルドカードをまだ渡していないと止められた。ランクアップ試験から気持ちが離れてしまったので、アルの結果を聞くのも、アルのカードをもらうのも、すっかり忘れてた。
訓練場からギルドの建物に入ると、朝の一番混雑する時間を過ぎて、カウンター前はだいぶ落ち着きを取り戻している。
アルは無事、もともとのランクであるBランクでの登録になった。アルのギルドカードが発行され、僕のギルドカードも渡して、アルの名前が刻まれた。これで仲間だ。
ギルドカードを見てニマニマしていたら、今度は自分のパーティーに入らないかと、Sランク剣士が声をかけてきた。興味ありませんとはっきり断っても、しつこく誘ってくる。きっとブランが欲しいのだろうけどパーティーに入ることはないので、無視だ。
アルが僕のカードを持って買い取りカウンターに行ったのを見て、精算と肉の引き取りの予定があったことを思い出した。今日はいろいろ忘れてばっかりだ。アルを追いかけて倉庫に行こうと歩きだすと、無視しているのにまだ勧誘し続けているSランク剣士が、「珍しい魔物下ろしてんだろう?」と言ってきた。それで気づいた。マジックバッグ狙いだと。
このままついてこられると迷惑なので、職員に注意してもらおう。
「執拗な勧誘はギルドで禁止しているのではないですか? 断ってもついてきて迷惑なんですけど、注意してもらえませんか。あと、なぜ僕が買い取りに出している魔物の内容を、彼が知っているんですか」
冒険者ギルドでは、執拗な勧誘は禁止している。有用なスキルをもった冒険者を、いろんなパーティーが追い回して問題が起きたことから禁止されたんだとか。オモリで助けてくれた獣道が教えてくれたのだ。もし執拗に勧誘されるような事態になったら、ギルドに助けを求めろと。カイドのギルドがおかしいのであって、普通のギルドは助けてくれるからと。
だから僕は、断っても断ってもSランク剣士がついてきて迷惑しているので注意してくれるよう、カウンターにいるギルド職員に頼んだ。しかも僕が買い取りに出している魔物の内容を知っているなんて、ギルドの守秘義務はどうなってるんだ。
ギルドの対応はアルにお願いしたいけど、倉庫までついてきて買い取り内容を見られたくないので、僕から抗議した。
けれどギルド職員返答は、僕の思っていたものとは違って、素っ気なかった。
「Sランクパーティーに誘われるのは嬉しいことでは? 何か問題でも?」
その答えに、冒険者もギルド職員も助けてくれなかった、カイドの街での絶望がよみがえる。お前もグルなのか……。
ダメだ、過呼吸起こしそうだ。あのころを思い出して気持ちが沈んでいくのを止められない。
いつもなら慰めてくれるはずのブランもすりすりしてくれない、と横を見たところで、隣のほうがもっとマズいことに気づいた。ブランがうなりながら牙を見せている。
なんか気温下がったよ? みんなブランの魔力で動けなくなってるよ?? 壁が凍ってない?! さすが氷の神獣様だね!!
届くかどうか分からないけど、アルに「あとをよろしく」と叫んで、僕はギルドから飛び出した。
ブランは必ず僕についてきてくれるから、僕があそこから離れるしかない。このままだとギルドが更地になってしまう。
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