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エピソード9

千秋襲来④

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涙をためてへの字にした口が微かに震えている。



「バカだなぁ」そういうと涙が落ちた。



「外で泣かさんといてぇ」



(ここで関西弁とかダメだろ)



「戻んなくていいの?」そう聞くと首を横に振る。



「いいの。反省したらいいの。あの子も――私も」



意地を張るところもそっくりなんだなと呆れて思う。血のつながりがそうさせるのか。



「もう、かえろ?」

涙目で見上げる千夏にただ頷くしか出来なくて家路へと足を運んだ。マンションに着いてからも落ち込んだままの千夏はベッドでゴロゴロしている。



「ちなつー、今日晩めしどうする?」

ムクリと体を起こして振り返る。



「なんか作ってくれる?」聞いたらいいけど、とつぶやく。



「俺、今日カレー食いたいんだけど」

「……ルーないから買いに行かなきゃ……」



「他はある?材料」

「……うん」

「じゃあ俺買ってくるから作って」

コクリと頷いた千夏を残して部屋を出た。ラインを聞いてくれた千秋くんに感謝しつつコンビニへの道すがら携帯をかけると数回の呼び出し音で不機嫌そうな声が反応した。



『もしもし』

「もしもし?千秋くん?急に電話ごめん、久世です」



『――何っすか』

「いや、あのあとどうしたかなと思って。友達と会うって言ってたけど、もうそっち行った?」



『――いや、ツレと会うっていっても別に大した用事やないしもう帰ろうかなって……』

「そうなの?じゃあさ、ウチに来ない?」



『――は?なに?なんか企んでんの?そういうことして自分のこと良いように見せたいわけ?』

「いや、別に。そんなつもりはないんだけど……もう少しちゃんと話したほうがいいよ、千夏と。それに千夏がねぇ……」

含み気味に言うと案の定食いついてくる。



『……なに?』

「泣いてるよ?」

『……』

「もっと千秋くんに話したいことあったみたいでさ……話、させてやってくれないかな」

そう言うと携帯の向こうは沈黙していたが、一瞬息を呑む声がしたと思ったら耳に届く。



『……俺は、あんたのことぜんっぜん信用できひんねん。むしろ嫌いやし』

ハッキリ言われて笑ってしまった。



「当然だね。俺も一回しかも数時間会っただけのヤツ簡単に信用しないししなくていいと思うよ」

『でもそれは俺の気持ちで……別に千夏の気持ちを否定したいわけやない』

遮るようにその言葉を言うから千夏の弟だな、と思う。



「そういうことをさ、もう少し二人で話せないかなって。さっきは感情的になってたよね?」

『千夏とはいっつもあぁなるねん。あいつだって結局本音なんか言わへんし。あんたの事黙ってたのもそういうことやろ。俺には言いたくないんやん』



「それは違うと思う」

『じゃあなんで半年も黙っててん、言いたくなかった証拠やん。どうでもええんやろ、俺のことなんか』



「だったら泣いてないよ。そこ、もう少し考えてやって?来る来ないは千秋くんに任せる。住所のマップ、ラインに入れとくよ」



返事はなかったが通話を切った。16時半くらいになると千夏が腹が減ったと言い出してカレーを作ろうと腰を上げた。料理をしていると気が紛れてきたのか少し顔色が晴れてきた。

部屋に食べ物の匂いが広がり出してくる。あれから千秋くんからなにもアクションはなかったけれど来る気はしていた。



ピンポーン、と17時半になる前にインターホンが鳴った。

千夏がその音に俺の顔を見る。モニターを見ると黒いキャップを被った子が映っていた。



(やっぱ来た。姉弟だな、似てる)



千夏の方が意地っ張りかもしれないけれど、そう思いながら扉を開けた。



「――ありがと、待ってたよ」

「……別にあんたのためちゃうし、その――千夏に……」

「うん、上がって?」



躊躇う千秋くんの背中を押して部屋に招き入れた。





――――――――――――――――――――

>>千秋視点です



一方的な電話が切れてモヤモヤしていた気持ちが余計に沈み出した。



『泣いてるよ』



そう言われて胸が痛んだ。



千夏に会うのは本当に久しぶりで、その久々に会った姿は俺の記憶の千夏とは随分変わっていたから戸惑ってしまった。



(俺の知ってる千夏やないやん――)



――綺麗になっていた。



あいつに笑いかける千夏は前よりずっと綺麗で幸せそうで、それがなんだか悔しくて寂しくて。

もう俺の手の届かないところに千夏がいった、そう思った。



昔からいつだって俺の手を繋いでくれて、大人になってもなんだかんだいいつつ俺の言うことに頷いてくれてた。それを我儘と知っていたけど千夏は結局受け入れてくれて許してくれた。



親父が出て行ったことで千夏はせっかく入った大学も途中で諦めて就職した。最初に勤めたところは激務でブラックで、休みは寝るしか出来ないようなハードな暮らしを始めた千夏は体が二年と持たず、俺がもう辞めろと言ったら本人も限界が見えたのかそれに従った。

そのまま京都に戻ってきたら良かったのに帰ってはこなかった。大学への未練があったのかもしれない、ブラック企業を辞めたことをおかんに言い出せなくて心配させたくない気持ちもあったのだろう、焦って今の仕事に派遣で働き出した。

仕事の愚痴はあまり聞かなくなった。言っても仕方なかったのかガキの俺に言う気がなかったのか。そこはよくわからないけれど仕事は楽しいと言い、とりあえず続いているのでうまくやっているのかなと思っていた。

ずっと男が出来ている様子はなかった。それをいちいち確認するほど会えなくなったというのもある。ただたまに取る連絡や声で代り映えのない暮らしをしてるのがなんとなく分かっていた。

だから今回彼氏がいると電話口でこぼした千夏の声ですぐにわかった。



――千夏は今の男に本気で惚れている。



だから余計に会うしかないと思った。

いい歳をして初恋みたいな恋をしてる千夏を弄ぶようなヤツには絶対やれん、そう思っていたら毛嫌いしているイケメンで無駄に血が上った。



あれだけ言い続けていたのに、親父みたいな顔が良くて口がうまそうな男には引っかかるなと、最後にひどく裏切られて泣くことになると散々教えてきたし、自分だってそんな風に泣いてるおかんを見て知っていただろうに。

しかも相手は上司という。

ほんまにアホなんか?そんな相手を好きになって良いことなんかひとつもないやろ、下手したら不倫相手にされて捨てられるかもしれん、そんな事を考え出したらもう止められなかった。

相手は俺の言うことに特に刺激されることもなく冷静に(むしろ面白そうに)受け止めていたけれど、千夏がだんだん本気で怒っているのが目に見えた。



目の前の相手と親父をダブらせた。

親父のことを言い出したらブチ切れたのは悲しかったんだと思う。



「千秋はもう変わらへんの?いつまでも言う気なん?」



そうや、俺は何も変わってない。俺だけが結局ずっと親父に縛られて許せずにいる。

千夏もおかんも親父を許したわけじゃない、でも現実を受け入れて誠実に生きることを選んだだけ。俺だけが過去に囚われて、目の前のものを正しく見れないままでいる。



「いい加減にして」と、叱られた。

そんな風に怒った千夏の声は今まで聞いたことがない。

あんな風に悲しそうな瞳で目を反らされたのは初めてだった。





「え……千秋?」



背中を押されて戸惑いつつも足を踏み入れたら千夏が顔を出した。視線を合わせにくくて俯く。



「誠くん、なんで……」

千夏も戸惑っているのが声でわかる。



「二人で話したら?俺出てくし」



(いちいち大人やな、こいつ。マジ好かんわ)



嫌だ。

もうこいつを嫌いになれる部分が見つけられそうにないかもしれないと、そう思うのが嫌だった。



「やだやだ、いて。誠くんいなかったらだれが止めるの?いてよ」

「止めるってなに?何する気だ」



千夏が必死に呼び止めるから呆れている。二人のやりとりははたから見るとただのイチャイチャで。シラけてきてなんとなく部屋の中を見渡した。

部屋の中はいたってシンプルだけどキッチンだけはなんとなくごちゃごちゃしてて千夏がここで料理をよくしてるんだろうなとなんとなくわかる。ここで千夏はきっと居心地良く過ごしている、その姿が見えてなんだか心がスッと落ち着いてきた。

幸せそうな顔の理由を見つけられた、それに安堵したら腹が減った。



「カレー食いたい」



(匂いがダメやろ、空腹を刺激させるこの匂い。いきなり腹が減ってくる)



「あ、えっと……」

千夏がヤツの顔を見る。



「じゃあみんなで食べよ」

そう言われて千夏が嬉しそうに頷いた。



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