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印象は最悪。顔立ちも服装も接し方も、第一印象としてはそんなに悪くなかった。でも、まるで綺麗な林檎が腐って変色していくビデオを早回しで見せられているみたいに、私の中でその男のイメージはその日のうちに醜く萎んでいった。
私の勤めているスポーツ・バーにお客として来た男性と、成り行きでお酒を飲むことになった。なんでも私の慕っている職場の先輩の飲み友達だとかで、彼女に勧められるままに二人きりで会うことになってしまった。そのとき私には恋人がいなかったし、そんなに悪い人にも見えなかった。なにより、あの先輩があんなに強く勧めてくる男性は果たしてどんな人物なのだろうという好奇心が、私の背中を強く押していた。✳︎✳︎ちゃん、いま彼氏いないんだよね? すっごくおすすめが一人いるんだ! ✳︎✳︎ちゃんより四つか五つ年上だよ! 二人の雰囲気ってお似合いっていうかどことなく似てるから、もしかしたら合うんじゃないかなぁと思って。あたしセッティングするから会ってごらんよ。…そんな風にして私たちは会うことになった。正直、行かなければよかったと後悔しているけれど。
その日は先輩とその男性が知り合ったというバーに、居酒屋で軽く飲んだ後で行く予定だった。バーの営業時間は早朝近くまでで先輩も後から顔を出すという話だったので、私は最終電車を見送って朝帰るつもりだった。私たちは夕方改札で待ち合わせ、初対面の挨拶を交わしながら居酒屋に向かって駅の階段を下りた。
彼は緊張している様子で、最初の乾杯をした後次々に飲み物を注文した。私が一杯飲む間に五杯飲み干した(その中には安っぽいウイスキーのオン・ザ・ロックも含まれていた)。そしてその後私には、なぜ先輩が彼を強く勧めていたのかがわからなくなってしまった。
エジルなんてどうでもいいんだ、と私は思った。あなたの視点なんて私にとってどうでもいい。でも、どうして全体を見ようとしないの? 視野の狭い男は嫌いなの。と、思わず私は言いそうになったーーーでももちろん言わなかった。
彼は小説家志望だと聞いていたから、私はもっと本のことについて話したかった。でも彼は私のことを落とそうとするのに夢中になって、それが私を居心地悪くさせた。そこにはまがいもない下心が垣間見えた。やれやれ。
私は朝帰りをやめて、終電で帰ることを彼に伝えた。
❇︎
例のバーに移るとき、彼は先輩に電話を掛けた。その会話にも彼の傲慢さが嫌というほど滲み出ていて、私を(そしておそらく先輩をも)不快にさせた。店に入り、先輩を交えて飲み始めてからも、「本来の自分」だとか「影」だとか、わけのわからないことを真剣な顔でしゃべりまくっていた。
みんな何かを抱えている。時には過去の記憶に押し潰されそうになりながらも、歯を食いしばって毎日生きているの。私はそういうことを、自分の影だとか得体の知れないものになすり付けたりはしない。自分のしたことに責任を持つのは、いつだって自分なのよ?
私は一刻も早くその場所から離れたかった。
バーを出て私を改札まで送る途中。彼は急に立ち止まって私の両肩に手を置き(気安く触らないで?)、まじまじと瞳の中を覗き込み、そして言った。
「きみの誕生日…俺と一緒に過ごしてくれないか?」
やれやれ。言いたいことは山ほどあった。あるいは、何一つなかった。
「どうしてですか?」
いや、「どういうことですか?」だったかも知れない。私もずいぶん飲まされていたから。でも、私の意識は客観的に見て至極まともだった。
「それは…」
彼はうやうやしく間をつくるように台詞を読み上げた(そんなことが通用すると思ってるのね…?)。
「きみのことが好きだからさ」
「…どうなったんですか?」
「どうなったって……何が?」
「あなたに同じ台詞を言われた人たちです」
彼は黙った。私はまもなく自分が身を埋めるであろう、クリーニングから返ったばかりのおひさまの匂いがするぱりっとしたシーツのことを考えていた。
「本当は一人もいなかったんだよ」
急に彼が口を開いた。それが私の投げた問いの答えであることに思い当たるまで、一呼吸ぶんの時間がかかった。私はその男に対して、もはや一欠片の関心も抱けなかった。けれど、そのときのーーーそう、あのときのーーー彼の表情だけはなぜか、私の心を揺さぶるとまではいかないまでも、何かしら心に引っかかるものを残した。まるで何年も降り続く雨のような、捉えようのない表情だった。
別れ際に彼は言った。
「ねじまき鳥クロニクル。あんな小説を、俺は書きたいんだ」
力のないその声からはさっきまでの傲慢さが不思議と消え去っていた。やっと諦めたわね、と私は思った。
「今日はご馳走様でした、おやすみなさい。書けるといいですね」
❇︎
今日は私の誕生日…。彼はあの後メールで待ち合わせ場所を指定してきた。もちろん私は返していない。
朝の煙草に火を点ける(ヴァージニア・スリム…。サッカー部時代の友人たちは私がこんなものを吸っていると知ったらどんな顔をするだろう? でも私は、私なんだ…)。
私は思った、あの男にーーー。あなたははっきり言って私の恋愛対象でもなんでもない。それはわかるわよね? でもね、あの日の全体像の中でひとつだけわからないの。ほんとうのあなたはどれだったの? 薄っぺらい言葉で女の子を口説くしか能のない出来損ないのホストみたいな男。何年も降り続く雨のような表情を見せた、孤独な小説家志望の男。そしてあなたは、私より五年も早く生まれて何をしていたの? 五年…決して短い歳月じゃない。あなたと私との間に横たわる歳月は、いったいどこ?
約束でもなんでもない。一方的に押し付けられた時間でしかない。その時間まで、あと十五分。私は時間通りにその場所へは行けそうにないわ。だからせめて、それについて今、私なりに考えてみるよ…。
私の勤めているスポーツ・バーにお客として来た男性と、成り行きでお酒を飲むことになった。なんでも私の慕っている職場の先輩の飲み友達だとかで、彼女に勧められるままに二人きりで会うことになってしまった。そのとき私には恋人がいなかったし、そんなに悪い人にも見えなかった。なにより、あの先輩があんなに強く勧めてくる男性は果たしてどんな人物なのだろうという好奇心が、私の背中を強く押していた。✳︎✳︎ちゃん、いま彼氏いないんだよね? すっごくおすすめが一人いるんだ! ✳︎✳︎ちゃんより四つか五つ年上だよ! 二人の雰囲気ってお似合いっていうかどことなく似てるから、もしかしたら合うんじゃないかなぁと思って。あたしセッティングするから会ってごらんよ。…そんな風にして私たちは会うことになった。正直、行かなければよかったと後悔しているけれど。
その日は先輩とその男性が知り合ったというバーに、居酒屋で軽く飲んだ後で行く予定だった。バーの営業時間は早朝近くまでで先輩も後から顔を出すという話だったので、私は最終電車を見送って朝帰るつもりだった。私たちは夕方改札で待ち合わせ、初対面の挨拶を交わしながら居酒屋に向かって駅の階段を下りた。
彼は緊張している様子で、最初の乾杯をした後次々に飲み物を注文した。私が一杯飲む間に五杯飲み干した(その中には安っぽいウイスキーのオン・ザ・ロックも含まれていた)。そしてその後私には、なぜ先輩が彼を強く勧めていたのかがわからなくなってしまった。
エジルなんてどうでもいいんだ、と私は思った。あなたの視点なんて私にとってどうでもいい。でも、どうして全体を見ようとしないの? 視野の狭い男は嫌いなの。と、思わず私は言いそうになったーーーでももちろん言わなかった。
彼は小説家志望だと聞いていたから、私はもっと本のことについて話したかった。でも彼は私のことを落とそうとするのに夢中になって、それが私を居心地悪くさせた。そこにはまがいもない下心が垣間見えた。やれやれ。
私は朝帰りをやめて、終電で帰ることを彼に伝えた。
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例のバーに移るとき、彼は先輩に電話を掛けた。その会話にも彼の傲慢さが嫌というほど滲み出ていて、私を(そしておそらく先輩をも)不快にさせた。店に入り、先輩を交えて飲み始めてからも、「本来の自分」だとか「影」だとか、わけのわからないことを真剣な顔でしゃべりまくっていた。
みんな何かを抱えている。時には過去の記憶に押し潰されそうになりながらも、歯を食いしばって毎日生きているの。私はそういうことを、自分の影だとか得体の知れないものになすり付けたりはしない。自分のしたことに責任を持つのは、いつだって自分なのよ?
私は一刻も早くその場所から離れたかった。
バーを出て私を改札まで送る途中。彼は急に立ち止まって私の両肩に手を置き(気安く触らないで?)、まじまじと瞳の中を覗き込み、そして言った。
「きみの誕生日…俺と一緒に過ごしてくれないか?」
やれやれ。言いたいことは山ほどあった。あるいは、何一つなかった。
「どうしてですか?」
いや、「どういうことですか?」だったかも知れない。私もずいぶん飲まされていたから。でも、私の意識は客観的に見て至極まともだった。
「それは…」
彼はうやうやしく間をつくるように台詞を読み上げた(そんなことが通用すると思ってるのね…?)。
「きみのことが好きだからさ」
「…どうなったんですか?」
「どうなったって……何が?」
「あなたに同じ台詞を言われた人たちです」
彼は黙った。私はまもなく自分が身を埋めるであろう、クリーニングから返ったばかりのおひさまの匂いがするぱりっとしたシーツのことを考えていた。
「本当は一人もいなかったんだよ」
急に彼が口を開いた。それが私の投げた問いの答えであることに思い当たるまで、一呼吸ぶんの時間がかかった。私はその男に対して、もはや一欠片の関心も抱けなかった。けれど、そのときのーーーそう、あのときのーーー彼の表情だけはなぜか、私の心を揺さぶるとまではいかないまでも、何かしら心に引っかかるものを残した。まるで何年も降り続く雨のような、捉えようのない表情だった。
別れ際に彼は言った。
「ねじまき鳥クロニクル。あんな小説を、俺は書きたいんだ」
力のないその声からはさっきまでの傲慢さが不思議と消え去っていた。やっと諦めたわね、と私は思った。
「今日はご馳走様でした、おやすみなさい。書けるといいですね」
❇︎
今日は私の誕生日…。彼はあの後メールで待ち合わせ場所を指定してきた。もちろん私は返していない。
朝の煙草に火を点ける(ヴァージニア・スリム…。サッカー部時代の友人たちは私がこんなものを吸っていると知ったらどんな顔をするだろう? でも私は、私なんだ…)。
私は思った、あの男にーーー。あなたははっきり言って私の恋愛対象でもなんでもない。それはわかるわよね? でもね、あの日の全体像の中でひとつだけわからないの。ほんとうのあなたはどれだったの? 薄っぺらい言葉で女の子を口説くしか能のない出来損ないのホストみたいな男。何年も降り続く雨のような表情を見せた、孤独な小説家志望の男。そしてあなたは、私より五年も早く生まれて何をしていたの? 五年…決して短い歳月じゃない。あなたと私との間に横たわる歳月は、いったいどこ?
約束でもなんでもない。一方的に押し付けられた時間でしかない。その時間まで、あと十五分。私は時間通りにその場所へは行けそうにないわ。だからせめて、それについて今、私なりに考えてみるよ…。
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