星空のボレロ

相原伊織

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仮想世界・あるいはウォーホルのように表層的な現実

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 石畳の通路は緩やかな上りとなって長く続いており、左右には趣ある日本庭園が広がっていた。 



 途中で通路は二手に分かれ、まっすぐ進むと母屋があり、右の石畳を辿ると「中ノ渡なかのわたり整骨院」と書かれた木の板がはめ込まれた、彼女の言う「小さな整骨院」に行き着く。



 その道場のような外観の建物を横目に見ながら、ぼくはオサキの後を追い母屋へと向かった。掃除用具を乗せたカートが石畳の上でガタガタと音をたてていたが、その振動音に混じって何か別の音が聞こえた気がした。それは大勢の子どもの声のようだったが、玄関に着いてカートを置き、彼女が鍵を取り出して引き戸に手をかけたところで鳴り止んだ。



 彼女のキー・ホルダーには実に沢山の鍵が通されていたが、中にはよく古着屋で売っているアンティーク雑貨のような鍵や、梟の形をしたチャームなど、本物の鍵ではない物まで混ざっているようだった。



 ぼくは腰から包丁を取って玄関に向けて十字を切ると、「お邪魔します」と言ってオサキの後に続いて敷居をまたいだ。



「それ、おまじないか何か?」



「まあね」



 家の中は広く、玄関を入ると長い廊下がまっすぐ続いていた。ぼくは失礼のないようになるべくきょろきょろと見回すことは控えたが、そんなことよりもまずそれを預かる、と言わんばかりに彼女はぼくから黄緑色の包丁を取り上げた。



 少々面食らったものの、当然ここは彼女の家であり言うなればぼくは部外者である。そういうわけでおとなしくここの流儀にならうことにした。



「叔父さんはいつも二階の書斎にいるの。あなたはこの世界で起きた出来事が悪い夢なのではないかと考えたことはない? つまり、暴動が起こり始めて多くの人間が消えるまでの、この一連の出来事が」



 もちろんある、とぼくは答えた。



「でもそうではなかったし、もし仮に夢だったとしてもぼくはこの夢から覚める手段を知らない。もう何ヶ月も、現実として受け入れて生活している。それに今さら夢から覚めたところで、その後と折り合いをつけてやっていくことなんて、ぼくにはきっとできないよ」



 我々は廊下の突き当たりの階段を上りながら会話をしていた。階段の壁には沢山の白黒写真が額に入れて飾られている。古い家族写真がほとんどだったが、その中にはなぜかアンディ・ウォーホルのポートレートもあった。



「そうね。でも、事実はどうであれ」



 彼女は階段を上りきったところで振り返るとぼくの目を見た。



「私の叔父さんは、その考えをずっと先まで推し進めた人なの」



 オサキの背後には書斎の扉があった。彼女は正面に向き直るとその扉を三回ノックして、ドアノブに手をかけゆっくりと回した。






 部屋の中は薄暗く、閉めきったカーテンから透ける光がそこの明かりのすべてだった。空気は生温く淀んでいて、古い本の匂いと人間の体臭が混ざり合ったようなむっとする臭気がたち込めている。



 中ノ渡先生は奥の机と椅子に掛けたまま我々を迎えた。彼は見知らぬ訪問者に別段驚いた様子もなく、一切の言葉を発することもなしに身振りでそこに掛けるようにと僕らを促した。その指の先には背の低いテーブルと革張りのソファーの応接セットが置かれていた。



 ぼくは自己紹介をしようと話しかけたが、首を横に振りながらオサキがそれを押しとどめた。仕方がないのでその硬くて座り心地の悪いソファーに彼女と並んで腰掛け、黙って中ノ渡先生の動きを待った。



「世界は多面的である」



 彼は突然、早口にそう口走ると軽く咳払いをした。



「人類皆それぞれにつながりを持ち、大小様々多種多様なコミュニティーを形成する、それが社会ないし世界だ。しかしそれと同時に人々は全くつながってなどいないとも言える。?」



 その唐突な質問はぼくに対してというよりは机の上に飾られてある円盤の模型らしき物体に対して投げかけられたようだった。先生は表情も変えずにただじっとその模型に向かってしゃべり続けた。とても早口で、目の焦点が合っていない。



「内面を無視しているからだよ。そのつながりはあくまで表面的なつながりに過ぎず社会もいかなるコミュニティーも表層的アート作品に過ぎないのだ。だがそのことだけによって世界は廻り、前へ前へと進み続ける。取り残されないためには絶えず表層的であることが求められる。その資質を欠いた者には前に進むことさえ許されないのだ。表層的であり続けるということだけが現実世界自体に自己完結的なサイクルをもたらすエンジンであると同時にシステムそのものの記号化でもある。しかしそこに人類各々の内面が影響を及ぼす。すべての人間が皆同様に表層的現実にコミットしているわけではないがゆえに世界は多面的世界たり得るわけだ。総体としては表層的現実として記号化できるが、その総体にさえ内面というものが存在するのだよ。そしてその内面を記号化することは何人なんぴとたりとも不可能なのだ。それは措定的そていてきな意識に対してのみ顕示されるものであり必然的に主観性を帯びる。言うまでもなく主観的な概念を強引に記号化し敷衍ふえんしたところで一般社会における普遍的なコンパチビリティを獲得することはできん。それは表層的現実に立ち戻って見るなら云わば仮想世界であり、表層的現実世界の常用的表現方法を用いるならばである。夢などという言葉はあまりにも凡庸だがね」



「それはつまり……」



 ぼくは反応に困ったがいつまでも分かりにくい話を続けられるのが嫌だったので、事前にオサキに聞いていた情報を頼りに口をはさむことにした。



「今いるこの現実世界が、実は夢の中の世界だという意味なのですか?」



 すると先生は初めてこちらに視線を向け、怪訝けげんそうな顔でぼくのことを見た。きみは何を聞いていたのかね? と、その目は語っていた。



「叔父さん、ビスケット」



 すかさずオサキがフォローする。もっとも彼女は中ノ渡先生に実際にビスケットを差し出したわけではないし、そのビスケットという単語がぼくの思い描くとおりのビスケットを意味するのかどうかも疑わしい。



 ともあれ彼女のその一声で先生は気を取り直したようで、眉をひそめながらも話を続けてくれた。



「この世界は間違いなくソリッドでリアルな現実だ。俗的な表現方法を用いればね。だが正確にはここは、表層的…すなわちに対してのなのだよ、主観的であり記号化できない。そして問題は、ということだ。私の考えではーーー」



 そして先生はその核心部分に関してはレトリック抜きではっきりと明言した。



「ーーーその人物こそがたった一人で世界を変えた犯人というわけだ。この世の華麗な旗がぼろぼろになるのを見たいと願った人間が一人、この現実のどこかにいるのだよ。………記号化できないがね」


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