厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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光と影が交差する芽吹きの章

23.王宮からの招待

 数日後、昼下がり。
 執務室に入った途端、机の上にあった一通の封筒が目に入った。
 厚手の白い封蝋紙に、王宮の紋章。
 淡い金粉が散っていて、触れるだけで分かる。
 これは、ただの招待状ではない。
「……王都の、春の会合でしょうか」
 声に出しただけで胸の奥が縮む。手のひらが汗ばみ、封を切る前から嫌な鼓動がひとつ跳ねた。
 春の花が咲き誇る季節、昼には王族・高位貴族との「貴族会合」、夜には舞踏会――
 表向きは華やかだが、実際は探りと圧力の場。
 かつて私を「厄災」と呼んで爪弾きにした場所。
 
「奥様」
 カイネの小さな呼びかけに、私は深く息を吸った。
「ご招待なのね」
「はい」
「……ルーチェ。あなたが嫌なら、同行する必要はない」
 ダリウス様の言葉に、私は強いて微笑んだ。
 王都の貴族たちが「辺境伯夫人」である私を見定めようとするのは、想像に難くない。
「大丈夫。覚悟はしています」
 本当に大丈夫かはさておき、もう逃げるつもりはなかった。
 辺境伯夫人として、辺境伯様の――ダリウス様の隣に立つ覚悟を、私は選んだのだから。

「春の会合に正式に招かれるのは、今回が初めてだ」
 向かいに立つダリウス様が、淡々とそう言った。
「初めて……なのですか?」
 思わず聞き返すと、彼は小さく頷く。
「ああ。ヴァルト辺境伯領は「辺境」と呼ばれてはいるが、他の辺境伯領と違って、隣国と国境を接しているわけではない。国外に向けて接しているのは、未開の魔獣生息域だけだ」
 だからだ、と続ける声は落ち着いている。
「外交的な意味での重要性は低い。王都から見れば、危険ではあるが、直接的な利害は薄い土地という認識だろう」
 私は静かに耳を傾ける。
「これまで王都から呼びつけられたのは、大規模な魔獣災害が起きた時の臨時召集だけだ。その際の被害報告や、討伐の進捗確認のために」
「……それだけ」
「それだけだ」
 きっぱりと言い切られて、胸の奥が少し痛む。
「俺が爵位を継いだ時はまだ十代だったし、若造が辺境を預かっている、という程度の扱いだったのも仕方ない」
 淡々と語られるその言葉の裏に、どれほどの軽視があったのかは、想像に難くない。
「そも、あの会合はなにか重要なことを決める会議というより、国王陛下の御前で高位貴族たちが懇談し親睦を深め……要は、腹を探り合う場だからな。わざわざ行く必要も感じなかった」
 苦笑ともつかない表情で、ダリウス様は肩をすくめる。

「だから春の貴族会合に正式に呼ばれるというのは――今回が、初めてだ」
 私は書簡から視線を上げ、ダリウス様を見る。
 この人は、ずっとそうやって、重要ではないと切り捨てられる場所で、黙々と領地を守ってきたのだ。

「……今は、違いますね」
 ぽつりとこぼすと、彼は少し意外そうに私を見る。
「辺境伯領は、もう「どうでもいい場所」ではなくなってゆきます」
「そうだな」
 静かに同意する声。
「流石に魔晶石とまでは予想していないだろうが、この領地の様子が何か違うことは察しているのだろう。だから参加を許して、探ろうとしている」
 その言葉に、私は胸の内で小さく息を吸う。
 許されたのではない。
 あなたは、最初からそこに座る資格があった。
 けれどそれを言葉にする代わりに、私はただ微笑んだ。
「では、その初めての春の会合に寄り添えることは、私の辺境伯夫人としての名誉ですね」
 ダリウスは一瞬きょとんとし、それから、少しだけ柔らかく笑った。
「……ああ、そうだな」
 その声音が、ほんのわずか誇らしげに聞こえた気がした。

 ダリウス様は短く言った。
「やはり、行くしかないな。向こうも腹を探ってくるはずだ。……セレスを呼び戻そう。魔晶石の件、この席で正式に公表する」
「……はい」
「雪解けの時期は例年警戒にあたってきたが……魔晶石を潤沢に使える今年は、防衛結界を強化すれば対応できるだろう。トトリに差配を任せて……」
 王都での反応を想像すると不安はある。
 けれど逃げられない局面なら、むしろ堂々と臨みたい。
 そう思えるくらいには、私はもう弱くない。

 私は、ひとつ決心した。
「ダリウス様。あの……私、それに備えてもう一度、社交を基礎から学びたいと思っています」
 拙い発言に聞こえないか、内心ひやりとしながら告げた。
 王都にいた頃は、まともな教育などほとんど受けられなかった。
 必要がないと、義父に切り捨てられ、リリアーナには嘲笑われた。
 今の私の振る舞いは、幼い頃に受けた教育と、母の真似と、本から得た独学の知識だけだ。
 けれど、もっと堂々と、胸を張って立ちたい。
 独学では限界がある。王都の貴族の容赦のない評価に耐えうる自分にならなければ。
「そうか。ならば家庭教師をつけよう。あなたが望むなら用意する」
 その端的な言い方が優しくて、胸が温かくなる。
「ありがとうございます、ダリウス様」

 王都の春の舞踏会へ向けた準備が始まった。

 

 

 辺境伯邸の執務室には、二人が残っていた。
 机に地図を広げたダリウスの向かいに、カイネが力を抜いて立っている。
「そういや旦那様。奥様の家庭教師、どうされますか」
 カイネの問いは、慎重だが率直だった。
 ダリウスは一度だけ視線を上げ、すぐに地図へ戻す。
「残念ながら辺境で用意できる人材ではないな。俺の目からはルーチェに不足があるようには見えないが、王都での評価を知る人材は確かに欲しい。しかし、王都の作法、情勢、社交……どれも一朝一夕では身につかん」
「ですよね。……気は進みませんけど、やはり、リヒト卿の伝手を頼るのが妥当だと思いますよ」
 少しだけ肩をすくめて言う。
 ダリウスは短く息を吐いた。
「まあ、そうだな……」
 否定はしなかった。
 その沈黙に、カイネは続ける。
「ま、そうすると身元がはっきりしているのも利点です。あとは――」
 カイネは少しだけ口角を上げた。
「裏でジークに素行調査をやらせましょう。あいつ、きっと「また俺か」って文句言いますけど」
「言うだろうな」
「文句言いつつ、やりますよ。奥様と旦那様を、きちんと尊重する方を選びましょう」
「ああ」
 そう言いながら、ダリウスの声にはわずかな笑みが混じった。信頼しているからこそ、気安く任せられる。
 カイネも兄ぶって、「あいつなら大丈夫ですよ」と笑っている。
 ふと、ダリウスの脳裏に皆の顔が浮かぶ。
 カイネ。
 トトリ。
 イリアとセレス。
 そしてジーク。
 皆、同じ孤児院に集まって寒さを凌いでいた。
 血の繋がりはないが、年の順に並べれば、まるで兄弟のようだ。
 気づけば互いの役割が定まり、誰が欠けても成り立たない関係になっている。


「……話を戻そう。魔晶石の鉱脈の――公表の件だ」

 ダリウスは地図を指で叩いた。
 執務室の机に広げられた地図の上。辺境伯領の北端、例の鉱脈の位置だ。
「これほどの規模だとはな」
「本当に」
「……問題は二つある」
 低く、落ち着いた声だった。
「一つは、これだけの魔晶石鉱脈が見つかったという事実そのもの。もう一つは――それを誰が管理するか、だ」
 カイネは、珍しく軽口を挟まず、真面目な顔で頷いた。
「大々的に公表すれば、必ず食いついてきますね。王都の貴族も、神殿も」
「神殿は特に厄介だ」
 ダリウスは苦々しく言う。
「「国民のため」を掲げて、喜捨だの共同管理だのを要求してくる。魔晶石は生活必需品だ。彼らの理屈は一見もっともに聞こえる。そして、貴族連中の多くがこれを担いで同調するだろう」
 魔晶石は、灯りにも、暖房にも、水の供給にも使われる。貴族だけではなく、庶民の生活向上にも直結する資源だ。
 独占していると見なされれば、辺境伯家は一気に「悪役」にされる。
「だが、だからといって渡すわけにはいかない」
 ダリウスの視線は鋭かった。

「管理権を失えば、保護権も名分を失う。待っているのは盗掘と独占だ。この領地ごと管理下に置かれ――結果的に、国民に魔晶石は行き渡らなくなる」
「……ですね」
 カイネは顎に手をやりながら言う。
「神殿が管理したら、優先されるのは「敬虔な信徒」でしょうし。王都の貴族が噛めば、値も釣り上がる」
「そうだ」
 ダリウスは即座に肯定した。
「魔晶石の運用責任は誰が負うのか。……仮に俺たち以外が扱うとしても、机上の正義を述べるだけではなく、現実の運用ができる者でなければならない」
 しばし沈黙が落ちた。外では、風が窓を鳴らしている。
「……難しいですね。壮大すぎて、とても」
 カイネが、少し気の抜けた声で言った。
 
「後ろ盾が必要だ。誰も文句が言えないくらいの……しかしそんな存在は……」
 言いかけたダリウスの言葉を、カイネは遮る形で続けた。
「じょあいっそ、最初から国王陛下に「これはヴァルト辺境伯家のものだ」って認めさせちゃえばいいんじゃないですか?」
 あまりにも軽い口調だった。
 ダリウスは、思わず言葉を失った。
「……」
「いや、ほら」
 カイネは肩をすくめる。
「どうせ最終的に裁定するのは陛下でしょう?この国で一番偉いのも、結局は国王陛下。だったら貴族や神殿が騒ぐ前に、陛下が認めたってことを確定させちゃえば」
 その瞬間、ダリウスの中で何かが、かちりと音を立てて噛み合った。
「……なるほど」
 彼はゆっくりと息を吐く。
 カイネはへらりと笑った。
「なーんて。流石にそれは……」
 ダリウスの目に、静かな光が宿った。
「王が認めた「辺境伯家の権利」となれば、神殿も公然とは否定できない。少なくとも、横から口出しはしづらくなる」
「え、あ、ええ……」
「それなら報告時の表現を……」
 ぶつぶつ言い出したダリウスに、カイネはぽかんとした顔になる。
「……あれ。俺、なんかすごいこと言いました?」
「言ったな」
 ダリウスは珍しく、はっきりと笑った。
「お前は有能だ、カイネ」
「え、いや、そんな……」
 急に照れたように視線を逸らすカイネをよそに、ダリウスは地図を畳む。

「方針は決まった。陛下に直接報告する。魔晶石は国民全体のために使う――だが、管理と責任は辺境伯家が負う」
 それは、奪われないための強硬策であり、同時に、辺境の誇りを賭けた選択だった。
「……忙しくなりますね、旦那様」
「ああ」
 ダリウスは静かに頷く。
「だが、やる価値はある。必ず、守り切る」
 その言葉には、誰か――守るべき存在の姿が、確かに宿っていた。
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