31 / 106
光と影が交差する芽吹きの章
23.王宮からの招待
数日後、昼下がり。
執務室に入った途端、机の上にあった一通の封筒が目に入った。
厚手の白い封蝋紙に、王宮の紋章。
淡い金粉が散っていて、触れるだけで分かる。
これは、ただの招待状ではない。
「……王都の、春の会合でしょうか」
声に出しただけで胸の奥が縮む。手のひらが汗ばみ、封を切る前から嫌な鼓動がひとつ跳ねた。
春の花が咲き誇る季節、昼には王族・高位貴族との「貴族会合」、夜には舞踏会――
表向きは華やかだが、実際は探りと圧力の場。
かつて私を「厄災」と呼んで爪弾きにした場所。
「奥様」
カイネの小さな呼びかけに、私は深く息を吸った。
「ご招待なのね」
「はい」
「……ルーチェ。あなたが嫌なら、同行する必要はない」
ダリウス様の言葉に、私は強いて微笑んだ。
王都の貴族たちが「辺境伯夫人」である私を見定めようとするのは、想像に難くない。
「大丈夫。覚悟はしています」
本当に大丈夫かはさておき、もう逃げるつもりはなかった。
辺境伯夫人として、辺境伯様の――ダリウス様の隣に立つ覚悟を、私は選んだのだから。
「春の会合に正式に招かれるのは、今回が初めてだ」
向かいに立つダリウス様が、淡々とそう言った。
「初めて……なのですか?」
思わず聞き返すと、彼は小さく頷く。
「ああ。ヴァルト辺境伯領は「辺境」と呼ばれてはいるが、他の辺境伯領と違って、隣国と国境を接しているわけではない。国外に向けて接しているのは、未開の魔獣生息域だけだ」
だからだ、と続ける声は落ち着いている。
「外交的な意味での重要性は低い。王都から見れば、危険ではあるが、直接的な利害は薄い土地という認識だろう」
私は静かに耳を傾ける。
「これまで王都から呼びつけられたのは、大規模な魔獣災害が起きた時の臨時召集だけだ。その際の被害報告や、討伐の進捗確認のために」
「……それだけ」
「それだけだ」
きっぱりと言い切られて、胸の奥が少し痛む。
「俺が爵位を継いだ時はまだ十代だったし、若造が辺境を預かっている、という程度の扱いだったのも仕方ない」
淡々と語られるその言葉の裏に、どれほどの軽視があったのかは、想像に難くない。
「そも、あの会合はなにか重要なことを決める会議というより、国王陛下の御前で高位貴族たちが懇談し親睦を深め……要は、腹を探り合う場だからな。わざわざ行く必要も感じなかった」
苦笑ともつかない表情で、ダリウス様は肩をすくめる。
「だから春の貴族会合に正式に呼ばれるというのは――今回が、初めてだ」
私は書簡から視線を上げ、ダリウス様を見る。
この人は、ずっとそうやって、重要ではないと切り捨てられる場所で、黙々と領地を守ってきたのだ。
「……今は、違いますね」
ぽつりとこぼすと、彼は少し意外そうに私を見る。
「辺境伯領は、もう「どうでもいい場所」ではなくなってゆきます」
「そうだな」
静かに同意する声。
「流石に魔晶石とまでは予想していないだろうが、この領地の様子が何か違うことは察しているのだろう。だから参加を許して、探ろうとしている」
その言葉に、私は胸の内で小さく息を吸う。
許されたのではない。
あなたは、最初からそこに座る資格があった。
けれどそれを言葉にする代わりに、私はただ微笑んだ。
「では、その初めての春の会合に寄り添えることは、私の辺境伯夫人としての名誉ですね」
ダリウスは一瞬きょとんとし、それから、少しだけ柔らかく笑った。
「……ああ、そうだな」
その声音が、ほんのわずか誇らしげに聞こえた気がした。
ダリウス様は短く言った。
「やはり、行くしかないな。向こうも腹を探ってくるはずだ。……セレスを呼び戻そう。魔晶石の件、この席で正式に公表する」
「……はい」
「雪解けの時期は例年警戒にあたってきたが……魔晶石を潤沢に使える今年は、防衛結界を強化すれば対応できるだろう。トトリに差配を任せて……」
王都での反応を想像すると不安はある。
けれど逃げられない局面なら、むしろ堂々と臨みたい。
そう思えるくらいには、私はもう弱くない。
私は、ひとつ決心した。
「ダリウス様。あの……私、それに備えてもう一度、社交を基礎から学びたいと思っています」
拙い発言に聞こえないか、内心ひやりとしながら告げた。
王都にいた頃は、まともな教育などほとんど受けられなかった。
必要がないと、義父に切り捨てられ、リリアーナには嘲笑われた。
今の私の振る舞いは、幼い頃に受けた教育と、母の真似と、本から得た独学の知識だけだ。
けれど、もっと堂々と、胸を張って立ちたい。
独学では限界がある。王都の貴族の容赦のない評価に耐えうる自分にならなければ。
「そうか。ならば家庭教師をつけよう。あなたが望むなら用意する」
その端的な言い方が優しくて、胸が温かくなる。
「ありがとうございます、ダリウス様」
王都の春の舞踏会へ向けた準備が始まった。
◆
辺境伯邸の執務室には、二人が残っていた。
机に地図を広げたダリウスの向かいに、カイネが力を抜いて立っている。
「そういや旦那様。奥様の家庭教師、どうされますか」
カイネの問いは、慎重だが率直だった。
ダリウスは一度だけ視線を上げ、すぐに地図へ戻す。
「残念ながら辺境で用意できる人材ではないな。俺の目からはルーチェに不足があるようには見えないが、王都での評価を知る人材は確かに欲しい。しかし、王都の作法、情勢、社交……どれも一朝一夕では身につかん」
「ですよね。……気は進みませんけど、やはり、リヒト卿の伝手を頼るのが妥当だと思いますよ」
少しだけ肩をすくめて言う。
ダリウスは短く息を吐いた。
「まあ、そうだな……」
否定はしなかった。
その沈黙に、カイネは続ける。
「ま、そうすると身元がはっきりしているのも利点です。あとは――」
カイネは少しだけ口角を上げた。
「裏でジークに素行調査をやらせましょう。あいつ、きっと「また俺か」って文句言いますけど」
「言うだろうな」
「文句言いつつ、やりますよ。奥様と旦那様を、きちんと尊重する方を選びましょう」
「ああ」
そう言いながら、ダリウスの声にはわずかな笑みが混じった。信頼しているからこそ、気安く任せられる。
カイネも兄ぶって、「あいつなら大丈夫ですよ」と笑っている。
ふと、ダリウスの脳裏に皆の顔が浮かぶ。
カイネ。
トトリ。
イリアとセレス。
そしてジーク。
皆、同じ孤児院に集まって寒さを凌いでいた。
血の繋がりはないが、年の順に並べれば、まるで兄弟のようだ。
気づけば互いの役割が定まり、誰が欠けても成り立たない関係になっている。
「……話を戻そう。魔晶石の鉱脈の――公表の件だ」
ダリウスは地図を指で叩いた。
執務室の机に広げられた地図の上。辺境伯領の北端、例の鉱脈の位置だ。
「これほどの規模だとはな」
「本当に」
「……問題は二つある」
低く、落ち着いた声だった。
「一つは、これだけの魔晶石鉱脈が見つかったという事実そのもの。もう一つは――それを誰が管理するか、だ」
カイネは、珍しく軽口を挟まず、真面目な顔で頷いた。
「大々的に公表すれば、必ず食いついてきますね。王都の貴族も、神殿も」
「神殿は特に厄介だ」
ダリウスは苦々しく言う。
「「国民のため」を掲げて、喜捨だの共同管理だのを要求してくる。魔晶石は生活必需品だ。彼らの理屈は一見もっともに聞こえる。そして、貴族連中の多くがこれを担いで同調するだろう」
魔晶石は、灯りにも、暖房にも、水の供給にも使われる。貴族だけではなく、庶民の生活向上にも直結する資源だ。
独占していると見なされれば、辺境伯家は一気に「悪役」にされる。
「だが、だからといって渡すわけにはいかない」
ダリウスの視線は鋭かった。
「管理権を失えば、保護権も名分を失う。待っているのは盗掘と独占だ。この領地ごと管理下に置かれ――結果的に、国民に魔晶石は行き渡らなくなる」
「……ですね」
カイネは顎に手をやりながら言う。
「神殿が管理したら、優先されるのは「敬虔な信徒」でしょうし。王都の貴族が噛めば、値も釣り上がる」
「そうだ」
ダリウスは即座に肯定した。
「魔晶石の運用責任は誰が負うのか。……仮に俺たち以外が扱うとしても、机上の正義を述べるだけではなく、現実の運用ができる者でなければならない」
しばし沈黙が落ちた。外では、風が窓を鳴らしている。
「……難しいですね。壮大すぎて、とても」
カイネが、少し気の抜けた声で言った。
「後ろ盾が必要だ。誰も文句が言えないくらいの……しかしそんな存在は……」
言いかけたダリウスの言葉を、カイネは遮る形で続けた。
「じょあいっそ、最初から国王陛下に「これはヴァルト辺境伯家のものだ」って認めさせちゃえばいいんじゃないですか?」
あまりにも軽い口調だった。
ダリウスは、思わず言葉を失った。
「……」
「いや、ほら」
カイネは肩をすくめる。
「どうせ最終的に裁定するのは陛下でしょう?この国で一番偉いのも、結局は国王陛下。だったら貴族や神殿が騒ぐ前に、陛下が認めたってことを確定させちゃえば」
その瞬間、ダリウスの中で何かが、かちりと音を立てて噛み合った。
「……なるほど」
彼はゆっくりと息を吐く。
カイネはへらりと笑った。
「なーんて。流石にそれは……」
ダリウスの目に、静かな光が宿った。
「王が認めた「辺境伯家の権利」となれば、神殿も公然とは否定できない。少なくとも、横から口出しはしづらくなる」
「え、あ、ええ……」
「それなら報告時の表現を……」
ぶつぶつ言い出したダリウスに、カイネはぽかんとした顔になる。
「……あれ。俺、なんかすごいこと言いました?」
「言ったな」
ダリウスは珍しく、はっきりと笑った。
「お前は有能だ、カイネ」
「え、いや、そんな……」
急に照れたように視線を逸らすカイネをよそに、ダリウスは地図を畳む。
「方針は決まった。陛下に直接報告する。魔晶石は国民全体のために使う――だが、管理と責任は辺境伯家が負う」
それは、奪われないための強硬策であり、同時に、辺境の誇りを賭けた選択だった。
「……忙しくなりますね、旦那様」
「ああ」
ダリウスは静かに頷く。
「だが、やる価値はある。必ず、守り切る」
その言葉には、誰か――守るべき存在の姿が、確かに宿っていた。
執務室に入った途端、机の上にあった一通の封筒が目に入った。
厚手の白い封蝋紙に、王宮の紋章。
淡い金粉が散っていて、触れるだけで分かる。
これは、ただの招待状ではない。
「……王都の、春の会合でしょうか」
声に出しただけで胸の奥が縮む。手のひらが汗ばみ、封を切る前から嫌な鼓動がひとつ跳ねた。
春の花が咲き誇る季節、昼には王族・高位貴族との「貴族会合」、夜には舞踏会――
表向きは華やかだが、実際は探りと圧力の場。
かつて私を「厄災」と呼んで爪弾きにした場所。
「奥様」
カイネの小さな呼びかけに、私は深く息を吸った。
「ご招待なのね」
「はい」
「……ルーチェ。あなたが嫌なら、同行する必要はない」
ダリウス様の言葉に、私は強いて微笑んだ。
王都の貴族たちが「辺境伯夫人」である私を見定めようとするのは、想像に難くない。
「大丈夫。覚悟はしています」
本当に大丈夫かはさておき、もう逃げるつもりはなかった。
辺境伯夫人として、辺境伯様の――ダリウス様の隣に立つ覚悟を、私は選んだのだから。
「春の会合に正式に招かれるのは、今回が初めてだ」
向かいに立つダリウス様が、淡々とそう言った。
「初めて……なのですか?」
思わず聞き返すと、彼は小さく頷く。
「ああ。ヴァルト辺境伯領は「辺境」と呼ばれてはいるが、他の辺境伯領と違って、隣国と国境を接しているわけではない。国外に向けて接しているのは、未開の魔獣生息域だけだ」
だからだ、と続ける声は落ち着いている。
「外交的な意味での重要性は低い。王都から見れば、危険ではあるが、直接的な利害は薄い土地という認識だろう」
私は静かに耳を傾ける。
「これまで王都から呼びつけられたのは、大規模な魔獣災害が起きた時の臨時召集だけだ。その際の被害報告や、討伐の進捗確認のために」
「……それだけ」
「それだけだ」
きっぱりと言い切られて、胸の奥が少し痛む。
「俺が爵位を継いだ時はまだ十代だったし、若造が辺境を預かっている、という程度の扱いだったのも仕方ない」
淡々と語られるその言葉の裏に、どれほどの軽視があったのかは、想像に難くない。
「そも、あの会合はなにか重要なことを決める会議というより、国王陛下の御前で高位貴族たちが懇談し親睦を深め……要は、腹を探り合う場だからな。わざわざ行く必要も感じなかった」
苦笑ともつかない表情で、ダリウス様は肩をすくめる。
「だから春の貴族会合に正式に呼ばれるというのは――今回が、初めてだ」
私は書簡から視線を上げ、ダリウス様を見る。
この人は、ずっとそうやって、重要ではないと切り捨てられる場所で、黙々と領地を守ってきたのだ。
「……今は、違いますね」
ぽつりとこぼすと、彼は少し意外そうに私を見る。
「辺境伯領は、もう「どうでもいい場所」ではなくなってゆきます」
「そうだな」
静かに同意する声。
「流石に魔晶石とまでは予想していないだろうが、この領地の様子が何か違うことは察しているのだろう。だから参加を許して、探ろうとしている」
その言葉に、私は胸の内で小さく息を吸う。
許されたのではない。
あなたは、最初からそこに座る資格があった。
けれどそれを言葉にする代わりに、私はただ微笑んだ。
「では、その初めての春の会合に寄り添えることは、私の辺境伯夫人としての名誉ですね」
ダリウスは一瞬きょとんとし、それから、少しだけ柔らかく笑った。
「……ああ、そうだな」
その声音が、ほんのわずか誇らしげに聞こえた気がした。
ダリウス様は短く言った。
「やはり、行くしかないな。向こうも腹を探ってくるはずだ。……セレスを呼び戻そう。魔晶石の件、この席で正式に公表する」
「……はい」
「雪解けの時期は例年警戒にあたってきたが……魔晶石を潤沢に使える今年は、防衛結界を強化すれば対応できるだろう。トトリに差配を任せて……」
王都での反応を想像すると不安はある。
けれど逃げられない局面なら、むしろ堂々と臨みたい。
そう思えるくらいには、私はもう弱くない。
私は、ひとつ決心した。
「ダリウス様。あの……私、それに備えてもう一度、社交を基礎から学びたいと思っています」
拙い発言に聞こえないか、内心ひやりとしながら告げた。
王都にいた頃は、まともな教育などほとんど受けられなかった。
必要がないと、義父に切り捨てられ、リリアーナには嘲笑われた。
今の私の振る舞いは、幼い頃に受けた教育と、母の真似と、本から得た独学の知識だけだ。
けれど、もっと堂々と、胸を張って立ちたい。
独学では限界がある。王都の貴族の容赦のない評価に耐えうる自分にならなければ。
「そうか。ならば家庭教師をつけよう。あなたが望むなら用意する」
その端的な言い方が優しくて、胸が温かくなる。
「ありがとうございます、ダリウス様」
王都の春の舞踏会へ向けた準備が始まった。
◆
辺境伯邸の執務室には、二人が残っていた。
机に地図を広げたダリウスの向かいに、カイネが力を抜いて立っている。
「そういや旦那様。奥様の家庭教師、どうされますか」
カイネの問いは、慎重だが率直だった。
ダリウスは一度だけ視線を上げ、すぐに地図へ戻す。
「残念ながら辺境で用意できる人材ではないな。俺の目からはルーチェに不足があるようには見えないが、王都での評価を知る人材は確かに欲しい。しかし、王都の作法、情勢、社交……どれも一朝一夕では身につかん」
「ですよね。……気は進みませんけど、やはり、リヒト卿の伝手を頼るのが妥当だと思いますよ」
少しだけ肩をすくめて言う。
ダリウスは短く息を吐いた。
「まあ、そうだな……」
否定はしなかった。
その沈黙に、カイネは続ける。
「ま、そうすると身元がはっきりしているのも利点です。あとは――」
カイネは少しだけ口角を上げた。
「裏でジークに素行調査をやらせましょう。あいつ、きっと「また俺か」って文句言いますけど」
「言うだろうな」
「文句言いつつ、やりますよ。奥様と旦那様を、きちんと尊重する方を選びましょう」
「ああ」
そう言いながら、ダリウスの声にはわずかな笑みが混じった。信頼しているからこそ、気安く任せられる。
カイネも兄ぶって、「あいつなら大丈夫ですよ」と笑っている。
ふと、ダリウスの脳裏に皆の顔が浮かぶ。
カイネ。
トトリ。
イリアとセレス。
そしてジーク。
皆、同じ孤児院に集まって寒さを凌いでいた。
血の繋がりはないが、年の順に並べれば、まるで兄弟のようだ。
気づけば互いの役割が定まり、誰が欠けても成り立たない関係になっている。
「……話を戻そう。魔晶石の鉱脈の――公表の件だ」
ダリウスは地図を指で叩いた。
執務室の机に広げられた地図の上。辺境伯領の北端、例の鉱脈の位置だ。
「これほどの規模だとはな」
「本当に」
「……問題は二つある」
低く、落ち着いた声だった。
「一つは、これだけの魔晶石鉱脈が見つかったという事実そのもの。もう一つは――それを誰が管理するか、だ」
カイネは、珍しく軽口を挟まず、真面目な顔で頷いた。
「大々的に公表すれば、必ず食いついてきますね。王都の貴族も、神殿も」
「神殿は特に厄介だ」
ダリウスは苦々しく言う。
「「国民のため」を掲げて、喜捨だの共同管理だのを要求してくる。魔晶石は生活必需品だ。彼らの理屈は一見もっともに聞こえる。そして、貴族連中の多くがこれを担いで同調するだろう」
魔晶石は、灯りにも、暖房にも、水の供給にも使われる。貴族だけではなく、庶民の生活向上にも直結する資源だ。
独占していると見なされれば、辺境伯家は一気に「悪役」にされる。
「だが、だからといって渡すわけにはいかない」
ダリウスの視線は鋭かった。
「管理権を失えば、保護権も名分を失う。待っているのは盗掘と独占だ。この領地ごと管理下に置かれ――結果的に、国民に魔晶石は行き渡らなくなる」
「……ですね」
カイネは顎に手をやりながら言う。
「神殿が管理したら、優先されるのは「敬虔な信徒」でしょうし。王都の貴族が噛めば、値も釣り上がる」
「そうだ」
ダリウスは即座に肯定した。
「魔晶石の運用責任は誰が負うのか。……仮に俺たち以外が扱うとしても、机上の正義を述べるだけではなく、現実の運用ができる者でなければならない」
しばし沈黙が落ちた。外では、風が窓を鳴らしている。
「……難しいですね。壮大すぎて、とても」
カイネが、少し気の抜けた声で言った。
「後ろ盾が必要だ。誰も文句が言えないくらいの……しかしそんな存在は……」
言いかけたダリウスの言葉を、カイネは遮る形で続けた。
「じょあいっそ、最初から国王陛下に「これはヴァルト辺境伯家のものだ」って認めさせちゃえばいいんじゃないですか?」
あまりにも軽い口調だった。
ダリウスは、思わず言葉を失った。
「……」
「いや、ほら」
カイネは肩をすくめる。
「どうせ最終的に裁定するのは陛下でしょう?この国で一番偉いのも、結局は国王陛下。だったら貴族や神殿が騒ぐ前に、陛下が認めたってことを確定させちゃえば」
その瞬間、ダリウスの中で何かが、かちりと音を立てて噛み合った。
「……なるほど」
彼はゆっくりと息を吐く。
カイネはへらりと笑った。
「なーんて。流石にそれは……」
ダリウスの目に、静かな光が宿った。
「王が認めた「辺境伯家の権利」となれば、神殿も公然とは否定できない。少なくとも、横から口出しはしづらくなる」
「え、あ、ええ……」
「それなら報告時の表現を……」
ぶつぶつ言い出したダリウスに、カイネはぽかんとした顔になる。
「……あれ。俺、なんかすごいこと言いました?」
「言ったな」
ダリウスは珍しく、はっきりと笑った。
「お前は有能だ、カイネ」
「え、いや、そんな……」
急に照れたように視線を逸らすカイネをよそに、ダリウスは地図を畳む。
「方針は決まった。陛下に直接報告する。魔晶石は国民全体のために使う――だが、管理と責任は辺境伯家が負う」
それは、奪われないための強硬策であり、同時に、辺境の誇りを賭けた選択だった。
「……忙しくなりますね、旦那様」
「ああ」
ダリウスは静かに頷く。
「だが、やる価値はある。必ず、守り切る」
その言葉には、誰か――守るべき存在の姿が、確かに宿っていた。
あなたにおすすめの小説
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
天然の仮面を被った令嬢は、すべてを賭けて傭兵領主に嫁ぐ──愛と復讐を誓う、たったひとりのあなたへ
葵 すみれ
恋愛
没落貴族の令嬢パメラは、売られるように元傭兵の成り上がり領主に嫁がされる。
──けれどそれは、たったひとつ残された自分自身を賭けた、最後の勝負でもあった。
冷たく迎えられた屋敷、素性を隠す夫。
けれど、微笑みの仮面の下で牙を研ぐパメラもまた、彼を利用する覚悟を秘めていた。
ただの偽りの夫婦──そう思っていたはずなのに。
重ねた誓いの先で、ふたりの心はひとつになる。
そして、交わした誓いはただひとつ。
「奪われたすべてを、取り戻す」
これは、仮面を被った令嬢と傭兵領主が、愛を知り、復讐に挑む物語。
(他サイトにも掲載しています)
【完】夫に売られて、売られた先の旦那様に溺愛されています。
112
恋愛
夫に売られた。他所に女を作り、売人から受け取った銀貨の入った小袋を懐に入れて、出ていった。呆気ない別れだった。
ローズ・クローは、元々公爵令嬢だった。夫、だった人物は男爵の三男。到底釣合うはずがなく、手に手を取って家を出た。いわゆる駆け落ち婚だった。
ローズは夫を信じ切っていた。金が尽き、宝石を差し出しても、夫は自分を愛していると信じて疑わなかった。
※完結しました。ありがとうございました。
王弟が愛した娘 —音に響く運命—
Aster22
恋愛
弟を探す旅の途中、身分を隠して村で薬師として生きていたセラは、
ハープの音に宿る才を、名も知らぬ貴族の青年――王弟レオに見初められる。
互いの立場を知らぬまま距離を縮めていく二人。
だが、ある事件をきっかけに、セラは彼の屋敷で侍女として働くことになり、
知らず知らずのうちに国を巻き込む陰謀へと引き寄せられていく。
人の生まれは変えられない。
それでも、何を望み、何を選ぶのかは、自分で決められる。
セラが守ろうとするものは、弟か、才か、それとも――
キャラ設定・世界観などはこちら
↓
https://kakuyomu.jp/my/news/822139840619212578
〖完結〗終着駅のパッセージ
苺 迷音
恋愛
過去、使用人に悪戯をされそうになった事がきっかけとなり、分厚い眼鏡とひっつめた髪を編み帽で覆い、自身の容姿を隠すようになった女性・カレン。
その事情を知りながらも夫ローランは、奇妙で地味な姿の妻を厭い目を逸らし続けた。
婚姻してからわずか三日後の朝。彼は赴任先の北の地へと旅立ちその後、カレンの元へと帰省してきたのは、片手で数えるほどだった。
孤独な結婚生活を送る中。
ある冬の日に、ローランの上官であり北の地を治める領主ハルシオン公爵が、カレン夫妻の邸にやってきた。
始まりは、部下の家族を想う上司としての気遣いだった。
他愛もない会話と、節度を守ったやり取り。ほんの僅かな時間を重ねていく。
そのうちに、お互いに灯り始めた小さな心の想い。
だが二人は、それを決して明かさず語ることはなかった。
それから一年ほどたった冬の夜。
カレンから届いた手紙に、たった一度だけハルシオンは返事を書く。
そこには彼の想いが書かれてあった。
月日は流れ、カレンとローランが婚姻して三年目の冬の日。
カレンはひとつの決意と想いを胸に、北へ向かう汽車に乗った。
※微さまぁか、もしくはざまぁになっていないかもしれないです。
※舞台は近世・産業革命初頭を基にした架空世界だと思っていただけましたら有難いです。
稚拙な作品ではありますがご覧くださいましたら凄く嬉しいです。よろしくお願い致します。
仮面王の花嫁
松雪
恋愛
婚約者を腹違いの妹に奪われ、新しい相手も見つからず修道院に行く覚悟を決めたルチア。修道女となるため髪を切った日の夜、王城から「国王がルチアを妻に望んでいる」という書簡を持った使者がやって来た。
しかし、従兄弟であり恋仲だったニールが国王のせいで死に至った過去を持つルチアは、国王からの求婚を喜べずーー。
狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します
ちより
恋愛
侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。
愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。
頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。
公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。
赤貧令嬢の借金返済契約
夏菜しの
恋愛
大病を患った父の治療費がかさみ膨れ上がる借金。
いよいよ返す見込みが無くなった頃。父より爵位と領地を返還すれば借金は国が肩代わりしてくれると聞かされる。
クリスタは病床の父に代わり爵位を返還する為に一人で王都へ向かった。
王宮の中で会ったのは見た目は良いけど傍若無人な大貴族シリル。
彼は令嬢の過激なアプローチに困っていると言い、クリスタに婚約者のフリをしてくれるように依頼してきた。
それを条件に父の医療費に加えて、借金を肩代わりしてくれると言われてクリスタはその契約を承諾する。
赤貧令嬢クリスタと大貴族シリルのお話です。