【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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光と影が交差する芽吹きの章

30.遭遇

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 そのときだった。

「――開いているなら通してちょうだいってお願いしてるだけなのに!」

 聞き覚えのある、甘くまとわりつくような声。
 店の奥からざわりと空気が揺れ、振り返った先に立っていたのは、鮮やかな薔薇色のドレスをまとった少女だった。
 華やかに輝く金色の髪。
 宝石を思わせる桃色の瞳。
 猫のように愛らしい蠱惑的な笑顔。
 王都の空気に溶け込む、愛くるしい「公爵家の愛娘」。
 見覚えがある。嫌というほど。
 条件反射のように身体が固くなる。
 
「……リリアーナ」

 私を認めたリリアーナの目が、驚きに見開かれる。

「お姉様……?」

 そして、

「……お姉様じゃない!王都にはいついらしたの?連絡をくださればよかったのに!」
 
 親しげに、当然のようにそう呼ばれて、私は思わず言葉を失った。
 彼女は、まるで昨日まで一緒に笑いあっていた姉妹のような顔をしている。
 仲良くしてもらえると、疑いもせずに。
 胸の奥が、ひやりと冷える。
 ――ああ、そうだった。
 この子は、そういう人間だった。
 困惑を隠しきれないまま、私は彼女と視線を合わせていた。

「こんなところでお会いするなんて。辺境伯領はまだ寒いでしょう? わざわざ王都まで……」
 言葉は柔らかいのに、視線が素早く店内をなぞる。
 見れば、イリアは既に生地をカーテンの影に隠していた。
 机の上に出ているのは、こちらが持ち込んだ品ばかりだ。
 私は返事をする前に、一呼吸置いた。
「……リリアーナ。偶然ね」
「失礼」
 すっと、私とリリアーナのあいだに影が入る。
 カイネだった。
 いつもの軽さを消した、よそゆきの表情。
 にっと口の端だけを持ち上げているが、目は笑っていない。
「奥様への御用向きでしたら、私めにお申しつけを」
「まあ、使用人の方?」
 リリアーナは可愛らしく首を傾げる。
 本当に、悪意がない顔だ。
「少しお話するだけなのに。辺境伯様のお家は厳格なのね」
 次いで、リリアーナの周囲に侍女たちが追ってくる。
 私を一瞥すると、あからさまに一歩引いていた。
 厄災、厄災、と囁き声が広がっていく。
 その様子にイリアがぴくりと眉を顰めた。
 
 リリアーナはカイネに向けて甘く微笑んだ。
「それにしても、お姉様とわたくしの会話を遮るなんて。あなた随分、お姉様とお親しいのね?特別な間柄なの?」
 カイネがぎょっとした様子で目を見開く。
 
 その横に、静かに立ったのはユフェミアだった。
「……カイネ。私が」
 声音は柔らかいが、背筋はまっすぐ。
 その佇まいだけで、場の重心が変わる。
「シェリフォード公爵家のご令嬢、リリアーナ様とお見受け致します。私はクラリシエール伯爵家の者で、ユフェミアと申します。現在は故あって辺境伯家の厄介になっておりまして……ご無礼をお許しください。こちらではもう五年以上も前に予約をして、ようやく本日うかがうことが叶いましたの。どうか、寛大な御心でお見過ごしくださいませ」
 その言葉に、リリアーナは一瞬きょとんとした。
 嘘――とは言い切れない。
 実際、ヴィッセルはずっと、ダリウス様を店にお招きしたいと言っていたらしいから。
「……まあ。そうなの?わたくしはすぐに訪ねられるお店を、そんなに待ったの?」
 私たちの言葉を都合よく解釈したリリアーナの視線は、店内をぐるりと周り、私へ戻る。
「でも、ヴィッセルのお店なんて。辺境伯家は余裕がないと聞いていましたけれど」
 それを私に言うことの無礼は考えないのだろうか。
 不思議そうに、けれど悪意なく問いかけてくるその声に、私は一瞬だけ言葉を探した。
「……ドレスとアクセサリーの手直しをお願いしているの」
 その言葉に、リリアーナは納得した様子でぱっと笑った。
「お姉様、ドレスを「直して」いらっしゃるの?新しいものを買ってもらえないなんて、いくら貧乏だからって、辺境伯様はあんまりお姉様のことを大事にしていらっしゃらないみたい。心配だわ」
 くすりと笑うその仕草は、昔と変わらない。
 机の上に乗ったアンティークの価値は、彼女にはわからないのだろう。
 私の胸の奥で、小さく何かが冷えていくのを感じた。
「……辺境伯様は、私を大切に扱ってくれているわ」
「じゃあ、お直しが精一杯ってことなの?お金がないと大変なのね」
 きょとんとしたように首を傾げる。その仕草は無邪気で、悪意を装っていない。
 だからこそ、余計に厄介だった。
「ああ。そうだわ。そうだったわ。それに……」
 一拍、間があった。
 その視線が、私の胸元から、肩口へ、ゆっくりと滑る。
「万が一ですけれど。もし厄災が起きたら、他のお客様にご迷惑がかかってしまうじゃない?」
 心配そうに、眉を下げて。
「王都は人も多いし……こういう場所で何かあったら、怖いですもの。辺境伯様も、それを気にされたのかもしれないわ。辺境では、どんな不幸をお振り撒きになったの?」
 店内の空気が、ぴんと凍る。
 私は息を吸い、吐いた。
 大丈夫。ここは、もう私一人ではない。
 
「そのご心配には及びません」
 前に出たのは、セレスだった。
 声音はきっぱりしている。
「うちの奥様が原因で厄災どころか……不運すら、起きたことは一度もありませんから」
「セレス。……控えて」
「……無礼を致しました」
 ユフェミアの言葉に、すっとセレスが下がる。
 訓練された立ち居振る舞いをする彼女らしくもなく、武具と鎧の存在を知らせるように、がちゃりと耳障りな音が立った。
「……そう、なのね」
 リリアーナは一瞬だけ戸惑ったように視線を泳がせ、それからまた、にこりと笑った。
「なら安心ですわ。わたくし、心配性だから」
 そのとき、私の腕に、そっと触れるものがあった。
 イリアだった。
 何も言わない。ただ、寄り添うように半歩近くに立つ。
 私は、深く息を吸ってから口を開いた。
「私は……辺境伯様の妻ですもの。あの方を信じているの。……だから大丈夫よ。ご心配ありがとう、リリアーナ」
 それだけ言うと、リリアーナは満足したようにうなずいた。
「そう。なら安心ね」

 そして、ヴィッセルへと向き直る。
「今日は見学だけにするわ。空いているなら通してくださる?」
 ヴィッセルは、にこやかな笑みのまま、一歩も引かなかった。
「恐れ入りますが、お嬢様。私の力量の不足故に……本日はこれ以上の対応は致しかねます」
 声音は丁寧、しかし一切の揺らぎがない。
「ご予約の上で、改めてお越しくださいませ。その時は精一杯おもてなしをさせて頂きます」
 一瞬、リリアーナの眉がわずかに動いた。
 すぐに、何事もなかったように笑顔に戻る。
「そう。残念だわ」
 私を見て、にっこりと。
「またね、お姉様。舞踏会にはいらっしゃるの?」
「ええ」
「ではそこでお会いしましょうね」
 その言葉を残し、リリアーナは踵を返した。
 扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。

 ——ようやく、肩の力が抜ける。
「……大丈夫ですか、ルーチェ様」

 イリアが小声で尋ねる。
「大丈夫」
 本当だ。怖くはなかった。ただ、緊張していただけ。
 カイネが、少しだけ肩をすくめる。
「いやあ、あれは……なかなかですね」
「なかなかどころじゃない。失礼。無礼。あれが公爵令嬢で、奥様と、たとえ半分でも血が繋がってる?嘘でしょ」
 セレスは怒りというより不可解だという調子だ。
「いや……俺と奥様の関係に踏み込まれた時は何事かと思ったぜ。思い当たるところが無さすぎて呆気に取られちまった」
「私は頭が沸騰しすぎて逆に冷静になれたわ。そうでなければあのお綺麗な顔を引っ掻いてやったところよ」
 イリアが唇を噛み締めている。

 カイネはユフェミアの前にすっと膝をついた。
「……ユフェミア嬢。すみません。結局矢面に立たせちまって」
「いいえ。まずカイネが率先して前に出てくれたので。私も落ち着いて、言葉を整えることができました」
 ユフェミアは、カイネを見て静かに微笑んだ。
 それから私に視線をやる。
「奥様も……何も、譲っておられませんでした」
 その言葉に、胸の奥が少しだけ温かくなる。

 そのとき、外から足音がして、扉が開いた。
「ルーチェ」
「ダリウス様……」
「今のは、公爵家の馬車ではなかったか。それに今し方すれ違った女性は……」
 低く、気遣うような声。
 私は首を振った。
「大丈夫です。何もありませんでした」
「すまない。傍にいなくて」
 けれど、心臓が跳ねる。

(ダリウス様は、リリアーナをどうご覧になったのだろう)

 ――リリアーナは、可愛い。
 姉である私から見ても、魅惑的な女性なのだろうとわかる。
 実際、舞踏会ではいつも大輪の花として、多くの男性に囲まれているという。
 明るくて、愛嬌があって、疑うことを知らないような笑顔で。
 ああいう人が好まれるということはよく知っている。

 だからこそ、心のどこかで思ってしまう。
 もし、あの子が少し本気を出したら。
 お姉様が心配なの、と甘い声でしなだれかかって、彼を籠絡しようとしたら。

「……皆さんは」
 気づけば、声に出ていた。
「リリアーナが……魅力的だとは、思いませんか?」

 一瞬の沈黙。
 けれど、それは困惑ではなく、あまりに自然な間だった。

 カイネは首を傾げる。
「魅力、ですか? 不敬を恐れず申し上げれば……まあ、よくご自身を手入れされている方なんだろうな、とは思いましたけど」
「私もカイネと同意見です。それ以上でも、それ以下でもないです」
 イリアが淡々と続ける。
 ユフェミアも頷いた。
「確かに目を引く方ではありますが……少なくとも、ルーチェ様とは方向の違う魅力だと思います。それに私は正直、何よりあのお口の悪さが気になってしまって」

 あまりに迷いのない返答に、今度こそ言葉を失う。
 ――誰も、特別視していない?リリアーナを?
 胸の奥で、じわりと安堵が広がる一方で、どうしても気になってしまう相手が一人いる。
 私は意を決して尋ねた。

「ダリウス様は……どう、思われましたか。先ほど、ご覧になったのでしょう?」
「リリアーナ嬢をか?」

 名前が出てくることに、びくりとする。
 言葉を選んでいる間に、ダリウスが不思議そうに私を見る。

「……あなたの、些かどころではなく失礼な義妹という以外に、特段の感情は無いが。ああ、何があったのかは後で一つ残らず報告してくれ、カイネ」
「了解です」
「い、いえその、桃色の瞳が宝石のように魅惑的だとか、金の髪が輝くように美しいとか……甘い声だとか。可愛らしくて、愛されるために生まれてきたような、子だとか……」
 恐る恐るダリウス様を見る。
「……いや。全く……」
 そこには、探す限り、動揺も含みもない。
 ——この人は、本当に、見ていない。
 比べる以前に、最初から、視界に入っていないのだ。
「……そう、ですか」
 胸の奥に溜まっていた不安が、静かにほどけていく。
 私は、ようやく素直に息をついた。

「何を心配しているのか知らないが……桃色の瞳……? 俺は、翠の瞳の方が好きだ」
「……はい。……ありがとうございます」

 ——心配しすぎだ。
 そう、わかっていたはずなのに。
 けれど、それでも確かめずにはいられなかった。
 そして、確かめてよかった、と今は思う。
 私は、そっと視線を落としながら、小さく微笑んだ。

「私も、蒼の瞳の方をお慕いしています」
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