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光と影が交差する芽吹きの章
31.茶会と冬の一等星
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――そして、遂に訪れた、舞踏会の当日。
夜に舞踏会を控えた、昼中の時間。
王宮の庭園では、茶会が開かれていた。
柔らかな日差しが差し込み、白磁のティーカップと淡い色の花々を照らしている。
招かれているのは限られた貴婦人と令嬢のみ。
いずれも、王宮内で行われている貴族会合に参加する男性たちの縁者だ。
私は静かに庭園へと入った。
隣には同じ参加者としてユフェミアが、少し離れた位置に護衛役のセレスが歩き、そのさらに後ろにイリアが控えている。
着席しても、視線は、痛いほど感じていた。
――辺境伯夫人。
――貧乏。
――厄災令嬢。
――金で押しつけた婚姻。
囁き声は風のように流れ、聞こえないふりをしても、確かにそこにある。
けれど、私が姿を現した瞬間、その空気がわずかに揺れたのも感じていた。
ヴィッセルが仕立てた昼の茶会用ドレスは、淡い翠を基調に、胸元と袖口に輝石の刺繍が施されている。
華やかすぎず、しかし近くで見れば一針ごとに息を呑むような精緻さがわかるものだ。
春先に相応しくショールを羽織り――そして、左手の薬指には、あの指輪。
ひそやかなざわめきが広がるのを、私は紅茶の湯気越しに感じ取った。
ユフェミアが、何でもない調子で口を開く。
「ルーチェ様、この茶葉は南方からの新しいものだそうです。香りが軽やかで、春先にはよく合いますね」
「ええ、本当に。冷えすぎず、穏やかで……長く飲んでいたくなります」
私たちは互いに視線を合わせ、ゆっくりと会話を続ける。
声量は抑えめ、けれど言葉ははっきりと。
「王都では、こうした茶会は久しぶりでいらっしゃいますね」
「はい。ですが、辺境では暖炉を囲んでお茶を飲むのも楽しいのです。あちらはあちらで、温かい時間でした」
その一言に、周囲の気配がぴくりと動いた。
耳をそばだてているのが、わかる。
「ヴァルト辺境伯領は、今は落ち着いた頃でしょうか」
「おかげさまで。物資の流れも整ってきましたし、「長い冬の時」を越えて、今年は例年より余裕がございます」
事実を、淡々と。
誇張も、卑下もせず。
「それは何よりですわ。ルーチェ様がいらしてから、随分と変わったと聞いております」
ユフェミアの言葉に、私は小さく首を振る。
「私一人の力ではありません。皆が、それぞれの役目を果たしているだけです」
そのとき、背後で誰かが小さく息を呑む音がした。
気づけば、数人の貴婦人が、私の指輪に視線を惹きつけられている。
王都では稀にも見られない素材。
銀のようで、銀ではない。
複雑な彫刻も、見る人が見れば一級品だと分かる。
「……その指輪、とても珍しい細工ですわね」
誰に向けたとも知れない呟き。
私はユフェミアを見る。
「この指輪ですか?」
「ええ。辺境伯家の工房で作られたものだと伺いました。王都ではなかなかお目にかかれません」
「……夫が私のために仕立ててくれました。婚約指輪として」
わざと、少しだけ声を通す。
あくまで、私とユフェミアの会話として。
「魔獣の素材を――魔銀を扱う工芸は、当領地ならではですから。丈夫で、長く使えるのが取り柄です」
「まあ……それは、永き愛を表現するにはぴったりですわね」
ユフェミアが穏やかに微笑む。
その瞬間、別のざわめきが起きた。
――あの方は、もしやクラリシエール家の?
――ユフェミア嬢では?
没落した旧伯爵家。その生き残り。
ご夫人方が、扇の陰で目を見交わす。
没落したとはいえ、かつては宰相も輩出した名門。
その生き残りが、今回初めて茶会に出席した辺境伯夫人の傍らに侍っている。
その事実は、社交界の好奇心を刺激するには十分だった。
ユフェミアは気づいていないふりをして、私に紅茶の香りについて静かに語る。
私は相槌を打ちながら、時折準備していた話題を語る。
盗み聞きされていることは勿論わかっていた。
ここでは、直接言葉を投げ合う必要はない。
聞かせるべき相手に、聞かせたい話をするだけでいい。
そのときだった。
「お姉様!」
高く澄んだ声が、茶会のざわめきを切り裂く。
遅れて現れたのは、リリアーナだった。
淡い色のドレスに身を包み、いつものように可憐な笑みを浮かべている。
その表情は、まるで場の空気を読んでいないかのようだった。
「まあ、皆さま。お姉様が「厄災の烙印」持ちだからって、そんなふうに距離を取らなくてもよろしいでしょう?」
叫ぶような声。
一瞬、時間が止まった。
優雅にお喋りをリードしてくれていたユフェミアの動きが、ほんのわずかに止まる。
セレスは一歩、私の椅子の後ろに位置を変えた。何も言わないが、空気が硬くなる。
イリアは――表情こそ変えていないけれど、すぐ傍にいる私にはわかった。
怒っている。静かに、しかし確実に。なんですかこいつは、という感情が、言葉にならずに周囲から滲み出ていた。
私は一度、深く息を吸った。
胸の奥がひやりとするのは確かだったけれど、不思議と恐怖ではなかった。逃げたいとも思わない。
ただ、少しだけ――ダリウス様の姿を思い出していた。
「良ければこちらへどうぞ、リリアーナ」
そう言って、私は自分のテーブルの空いた席を示した。
リリアーナは一瞬きょとんとした顔をしてから、ぱっと笑顔になって腰を下ろす。
「まあ、お姉様。やっぱりお優しいのね」
その視線が、すぐに私の手元へ落ちる。
「あら……その指輪」
周囲の令嬢たちも、息をひそめる。
「宝石が、ついていないのね?」
小首をかしげて、純粋な疑問のように言う声。
私は、自分の左手を見下ろした。
銀色の輪。
磨き抜かれた地金に、繊細な文様だけが刻まれている。
宝石はない。けれど、その重みと温度を、私はよく知っている。
――ああ。
その瞬間、自分でも少し驚いた。
辛い、とは思わなかった。
悔しい、とも。
リリアーナに反論する気がまるで起きなかった。
これは説明するものではない。比べるものでも、誇示するものでもない。
そう思っている自分に、静かに気づく。
私は何も言わず、ただ微笑んだ。
「ええ。宝石は無いのよ」
「可哀想なお姉様」
紅茶の表面に映る光が、わずかに揺れていた。
リリアーナと、思いの外、会話ができている自分に驚く。
それは背後で睨みをきかせているセレスとイリア、そして踏み込まれた時にすかさず会話の流れを引き戻すユフェミアの手腕によるものだ。
そして何より――私自身が、変わっている。
会話を続けるうち、話題は自然と、この後で行われる御前試合へと移った。
「そういえば、辺境伯領からは騎士を出しますの?」
視線が、少し離れて控えていたセレスへと集まる。
背筋を正し、微動だにせず立つその姿は、こうした社交の場にはいささか場違いで、それがかえって目を引いた。
「ええ――当家の騎士団の、副団長を」
「まあ、素敵じゃない」
リリアーナがぱっと表情を明るくし、椅子から身を乗り出す。
「――でも、でしたら」
私を見るでもなく、セレスにだけ向けて、にっこりと微笑んだ。
「あなた、私の騎士になってもいいのよ。辺境伯夫人の護衛より、公爵令嬢の騎士におなりなさいな」
空気が、わずかに凍る。
セレスは一瞬、視線を彷徨わせた。
断るべきなのは明白だが、相手は公爵令嬢だ。無礼になりかねない。
拳をわずかに握り、しかし何も言えずにいる。
その沈黙を、やわらかに断ち切ったのはユフェミアだった。
「恐れ入ります、リリアーナ様」
微笑みを崩さず、しかし一歩も引かぬ声音で。
「このような場で、一介の騎士が公爵家の御令嬢に直接お返事を申し上げるのは、あまりに礼を欠きます。どうかお許しくださいまし。ご所望であれば、お父上から辺境伯領に依頼されるのが、望ましいかと……」
その言葉は、セレスを守るための壁でもあり、この場の秩序を保つための楔でもあった。
「……あら、そうなの?」
リリアーナは一瞬きょとんとした顔をして、それから興味を失ったように肩をすくめる。
「まあ、いいわ。つまらないの」
そう言って、ひらりと立ち上がると、別のテーブルへと移っていった。
リリアーナの気まぐれな振る舞いに、周囲の貴婦人たちは眉をひそめつつも、誰も止めはしない。
公爵家の愛娘。第二王子の婚約者。未来の王妃かもしれない女性。
その身分が、リリアーナの奔放さを許させている。
私は小さく息を吐いた。
セレスは何も言わないまま、ただ一度だけ、こちらに向けて短く頭を下げた。
その仕草に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
ユフェミアは、何事もなかったかのように紅茶を口に運ぶ。その横顔は穏やかで、けれど確かな芯を感じさせた。
――守られている。
そう実感して、私は静かに背筋を伸ばした。
◆
茶会はその後、滞りなく進んでいった。
リリアーナが姿を消すと、最初は距離を測るように遠巻きだった令嬢たちが、少しずつ、しかし確実に私の周囲へと集まり始める。
誰かが勇気を出して声をかければ、それを合図にしたかのように椅子が引かれ、扇子が揺れ、笑みが向けられた。
話題は当たり障りのないものから始まった。
王都の春の花、今年の流行色、最近評判の菓子職人。
私はそれに静かに頷き、時折ユフェミアに視線を向ける。
すると彼女は、さりげなく話を拾い、整え、私に戻してくれる。まるで呼吸を合わせて踊るようなやり取りだった。
しばらくすると――その少し後ろ、一定の距離を保って立つセレスの存在が、次第に令嬢たちの視線を集め始めた。
背筋の伸びた立ち姿。
無駄のない所作。
お辞儀ひとつ、視線の落とし方ひとつに、訓練の積み重ねが滲んでいる。
ヴィッセルの仕立てた騎士服も、セレスの魅力を余すところなく引き出していた。
長く伸びた髪はきりりと高い位置で結い上げられ、王都の近衛騎士かと思うほど、凛々しい。
雪のように白い肌に落ちる、長い睫毛の影。
彼女の端正な顔立ちは、口を閉じたままでいると、どこか憂いを帯びて見えた。
ひそひそとした声が、私の耳にも届く。
気づけば、何人かの令嬢は頬をうっすら染め、憧れを隠そうともしていなかった。
――辺境には、野蛮な男の兵士しかいないと聞いていたのに。
――あの美しく洗練された女性騎士は誰?
――ご婦人方は気づかないのかしら。ここには殿方はいない筈なのに、あの方は……
――凛々しくて、涼やかで、殿方よりよっぽど……
「冷たいのに、澄んでいて……」
「まるで冬の一等星のよう……」
「見て、こちらに気づかれたわ」
「私たちを見ていらっしゃる」
特にまだ年若い令嬢たちの目は、まっすぐで正直だった。恐れよりも、羨望の色が勝っている。
当の本人はというと、そんな視線を浴びていることに気づいているのかいないのか。
セレスは背筋を正したまま、微動だにせず――次の瞬間、私の方をちらりと見て、ほんのわずかに首を傾げた。
……あ、今のは、完全に何も考えていない顔。
思わず笑いそうになるのを、私は紅茶に口をつけて誤魔化した。
ユフェミアも、わずかに口元を緩めている。
イリアはというと、荷物を持ったまま視線を逸らし、必死に無表情を保っていた。
肩が微妙に震えているのは、きっと気のせいではない。
この場にいる令嬢たちは知らない。セレスの凛々しい女騎士の仮面の下に、ときどき驚くほど素直で、少し抜けた一面があることを。
それでもいい、と思う。
今はただ、辺境伯家の騎士として、誇らしく見られている。それだけで十分だ。
私はカップを置き、ゆっくりと周囲を見渡した。
噂も、偏見も、まだ完全に消えたわけではない。それでも、この輪の中には、確かに私たちの方へ空気が流れている。
――大丈夫。
胸の奥で、そう静かに呟いた。
夜に舞踏会を控えた、昼中の時間。
王宮の庭園では、茶会が開かれていた。
柔らかな日差しが差し込み、白磁のティーカップと淡い色の花々を照らしている。
招かれているのは限られた貴婦人と令嬢のみ。
いずれも、王宮内で行われている貴族会合に参加する男性たちの縁者だ。
私は静かに庭園へと入った。
隣には同じ参加者としてユフェミアが、少し離れた位置に護衛役のセレスが歩き、そのさらに後ろにイリアが控えている。
着席しても、視線は、痛いほど感じていた。
――辺境伯夫人。
――貧乏。
――厄災令嬢。
――金で押しつけた婚姻。
囁き声は風のように流れ、聞こえないふりをしても、確かにそこにある。
けれど、私が姿を現した瞬間、その空気がわずかに揺れたのも感じていた。
ヴィッセルが仕立てた昼の茶会用ドレスは、淡い翠を基調に、胸元と袖口に輝石の刺繍が施されている。
華やかすぎず、しかし近くで見れば一針ごとに息を呑むような精緻さがわかるものだ。
春先に相応しくショールを羽織り――そして、左手の薬指には、あの指輪。
ひそやかなざわめきが広がるのを、私は紅茶の湯気越しに感じ取った。
ユフェミアが、何でもない調子で口を開く。
「ルーチェ様、この茶葉は南方からの新しいものだそうです。香りが軽やかで、春先にはよく合いますね」
「ええ、本当に。冷えすぎず、穏やかで……長く飲んでいたくなります」
私たちは互いに視線を合わせ、ゆっくりと会話を続ける。
声量は抑えめ、けれど言葉ははっきりと。
「王都では、こうした茶会は久しぶりでいらっしゃいますね」
「はい。ですが、辺境では暖炉を囲んでお茶を飲むのも楽しいのです。あちらはあちらで、温かい時間でした」
その一言に、周囲の気配がぴくりと動いた。
耳をそばだてているのが、わかる。
「ヴァルト辺境伯領は、今は落ち着いた頃でしょうか」
「おかげさまで。物資の流れも整ってきましたし、「長い冬の時」を越えて、今年は例年より余裕がございます」
事実を、淡々と。
誇張も、卑下もせず。
「それは何よりですわ。ルーチェ様がいらしてから、随分と変わったと聞いております」
ユフェミアの言葉に、私は小さく首を振る。
「私一人の力ではありません。皆が、それぞれの役目を果たしているだけです」
そのとき、背後で誰かが小さく息を呑む音がした。
気づけば、数人の貴婦人が、私の指輪に視線を惹きつけられている。
王都では稀にも見られない素材。
銀のようで、銀ではない。
複雑な彫刻も、見る人が見れば一級品だと分かる。
「……その指輪、とても珍しい細工ですわね」
誰に向けたとも知れない呟き。
私はユフェミアを見る。
「この指輪ですか?」
「ええ。辺境伯家の工房で作られたものだと伺いました。王都ではなかなかお目にかかれません」
「……夫が私のために仕立ててくれました。婚約指輪として」
わざと、少しだけ声を通す。
あくまで、私とユフェミアの会話として。
「魔獣の素材を――魔銀を扱う工芸は、当領地ならではですから。丈夫で、長く使えるのが取り柄です」
「まあ……それは、永き愛を表現するにはぴったりですわね」
ユフェミアが穏やかに微笑む。
その瞬間、別のざわめきが起きた。
――あの方は、もしやクラリシエール家の?
――ユフェミア嬢では?
没落した旧伯爵家。その生き残り。
ご夫人方が、扇の陰で目を見交わす。
没落したとはいえ、かつては宰相も輩出した名門。
その生き残りが、今回初めて茶会に出席した辺境伯夫人の傍らに侍っている。
その事実は、社交界の好奇心を刺激するには十分だった。
ユフェミアは気づいていないふりをして、私に紅茶の香りについて静かに語る。
私は相槌を打ちながら、時折準備していた話題を語る。
盗み聞きされていることは勿論わかっていた。
ここでは、直接言葉を投げ合う必要はない。
聞かせるべき相手に、聞かせたい話をするだけでいい。
そのときだった。
「お姉様!」
高く澄んだ声が、茶会のざわめきを切り裂く。
遅れて現れたのは、リリアーナだった。
淡い色のドレスに身を包み、いつものように可憐な笑みを浮かべている。
その表情は、まるで場の空気を読んでいないかのようだった。
「まあ、皆さま。お姉様が「厄災の烙印」持ちだからって、そんなふうに距離を取らなくてもよろしいでしょう?」
叫ぶような声。
一瞬、時間が止まった。
優雅にお喋りをリードしてくれていたユフェミアの動きが、ほんのわずかに止まる。
セレスは一歩、私の椅子の後ろに位置を変えた。何も言わないが、空気が硬くなる。
イリアは――表情こそ変えていないけれど、すぐ傍にいる私にはわかった。
怒っている。静かに、しかし確実に。なんですかこいつは、という感情が、言葉にならずに周囲から滲み出ていた。
私は一度、深く息を吸った。
胸の奥がひやりとするのは確かだったけれど、不思議と恐怖ではなかった。逃げたいとも思わない。
ただ、少しだけ――ダリウス様の姿を思い出していた。
「良ければこちらへどうぞ、リリアーナ」
そう言って、私は自分のテーブルの空いた席を示した。
リリアーナは一瞬きょとんとした顔をしてから、ぱっと笑顔になって腰を下ろす。
「まあ、お姉様。やっぱりお優しいのね」
その視線が、すぐに私の手元へ落ちる。
「あら……その指輪」
周囲の令嬢たちも、息をひそめる。
「宝石が、ついていないのね?」
小首をかしげて、純粋な疑問のように言う声。
私は、自分の左手を見下ろした。
銀色の輪。
磨き抜かれた地金に、繊細な文様だけが刻まれている。
宝石はない。けれど、その重みと温度を、私はよく知っている。
――ああ。
その瞬間、自分でも少し驚いた。
辛い、とは思わなかった。
悔しい、とも。
リリアーナに反論する気がまるで起きなかった。
これは説明するものではない。比べるものでも、誇示するものでもない。
そう思っている自分に、静かに気づく。
私は何も言わず、ただ微笑んだ。
「ええ。宝石は無いのよ」
「可哀想なお姉様」
紅茶の表面に映る光が、わずかに揺れていた。
リリアーナと、思いの外、会話ができている自分に驚く。
それは背後で睨みをきかせているセレスとイリア、そして踏み込まれた時にすかさず会話の流れを引き戻すユフェミアの手腕によるものだ。
そして何より――私自身が、変わっている。
会話を続けるうち、話題は自然と、この後で行われる御前試合へと移った。
「そういえば、辺境伯領からは騎士を出しますの?」
視線が、少し離れて控えていたセレスへと集まる。
背筋を正し、微動だにせず立つその姿は、こうした社交の場にはいささか場違いで、それがかえって目を引いた。
「ええ――当家の騎士団の、副団長を」
「まあ、素敵じゃない」
リリアーナがぱっと表情を明るくし、椅子から身を乗り出す。
「――でも、でしたら」
私を見るでもなく、セレスにだけ向けて、にっこりと微笑んだ。
「あなた、私の騎士になってもいいのよ。辺境伯夫人の護衛より、公爵令嬢の騎士におなりなさいな」
空気が、わずかに凍る。
セレスは一瞬、視線を彷徨わせた。
断るべきなのは明白だが、相手は公爵令嬢だ。無礼になりかねない。
拳をわずかに握り、しかし何も言えずにいる。
その沈黙を、やわらかに断ち切ったのはユフェミアだった。
「恐れ入ります、リリアーナ様」
微笑みを崩さず、しかし一歩も引かぬ声音で。
「このような場で、一介の騎士が公爵家の御令嬢に直接お返事を申し上げるのは、あまりに礼を欠きます。どうかお許しくださいまし。ご所望であれば、お父上から辺境伯領に依頼されるのが、望ましいかと……」
その言葉は、セレスを守るための壁でもあり、この場の秩序を保つための楔でもあった。
「……あら、そうなの?」
リリアーナは一瞬きょとんとした顔をして、それから興味を失ったように肩をすくめる。
「まあ、いいわ。つまらないの」
そう言って、ひらりと立ち上がると、別のテーブルへと移っていった。
リリアーナの気まぐれな振る舞いに、周囲の貴婦人たちは眉をひそめつつも、誰も止めはしない。
公爵家の愛娘。第二王子の婚約者。未来の王妃かもしれない女性。
その身分が、リリアーナの奔放さを許させている。
私は小さく息を吐いた。
セレスは何も言わないまま、ただ一度だけ、こちらに向けて短く頭を下げた。
その仕草に、胸の奥が少しだけ温かくなる。
ユフェミアは、何事もなかったかのように紅茶を口に運ぶ。その横顔は穏やかで、けれど確かな芯を感じさせた。
――守られている。
そう実感して、私は静かに背筋を伸ばした。
◆
茶会はその後、滞りなく進んでいった。
リリアーナが姿を消すと、最初は距離を測るように遠巻きだった令嬢たちが、少しずつ、しかし確実に私の周囲へと集まり始める。
誰かが勇気を出して声をかければ、それを合図にしたかのように椅子が引かれ、扇子が揺れ、笑みが向けられた。
話題は当たり障りのないものから始まった。
王都の春の花、今年の流行色、最近評判の菓子職人。
私はそれに静かに頷き、時折ユフェミアに視線を向ける。
すると彼女は、さりげなく話を拾い、整え、私に戻してくれる。まるで呼吸を合わせて踊るようなやり取りだった。
しばらくすると――その少し後ろ、一定の距離を保って立つセレスの存在が、次第に令嬢たちの視線を集め始めた。
背筋の伸びた立ち姿。
無駄のない所作。
お辞儀ひとつ、視線の落とし方ひとつに、訓練の積み重ねが滲んでいる。
ヴィッセルの仕立てた騎士服も、セレスの魅力を余すところなく引き出していた。
長く伸びた髪はきりりと高い位置で結い上げられ、王都の近衛騎士かと思うほど、凛々しい。
雪のように白い肌に落ちる、長い睫毛の影。
彼女の端正な顔立ちは、口を閉じたままでいると、どこか憂いを帯びて見えた。
ひそひそとした声が、私の耳にも届く。
気づけば、何人かの令嬢は頬をうっすら染め、憧れを隠そうともしていなかった。
――辺境には、野蛮な男の兵士しかいないと聞いていたのに。
――あの美しく洗練された女性騎士は誰?
――ご婦人方は気づかないのかしら。ここには殿方はいない筈なのに、あの方は……
――凛々しくて、涼やかで、殿方よりよっぽど……
「冷たいのに、澄んでいて……」
「まるで冬の一等星のよう……」
「見て、こちらに気づかれたわ」
「私たちを見ていらっしゃる」
特にまだ年若い令嬢たちの目は、まっすぐで正直だった。恐れよりも、羨望の色が勝っている。
当の本人はというと、そんな視線を浴びていることに気づいているのかいないのか。
セレスは背筋を正したまま、微動だにせず――次の瞬間、私の方をちらりと見て、ほんのわずかに首を傾げた。
……あ、今のは、完全に何も考えていない顔。
思わず笑いそうになるのを、私は紅茶に口をつけて誤魔化した。
ユフェミアも、わずかに口元を緩めている。
イリアはというと、荷物を持ったまま視線を逸らし、必死に無表情を保っていた。
肩が微妙に震えているのは、きっと気のせいではない。
この場にいる令嬢たちは知らない。セレスの凛々しい女騎士の仮面の下に、ときどき驚くほど素直で、少し抜けた一面があることを。
それでもいい、と思う。
今はただ、辺境伯家の騎士として、誇らしく見られている。それだけで十分だ。
私はカップを置き、ゆっくりと周囲を見渡した。
噂も、偏見も、まだ完全に消えたわけではない。それでも、この輪の中には、確かに私たちの方へ空気が流れている。
――大丈夫。
胸の奥で、そう静かに呟いた。
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※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。
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