【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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光と影が交差する芽吹きの章

幕間 柔らかな笑い声

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 午後の柔らかな光が低木の葉に落ちている。
 庭園の小さなテーブルを整えたのはイリアだった。
 湯気の立つ茶器の配置を確かめ、菓子皿を置き、最後に椅子を引いてから、ユフェミアに視線を向ける。

「どうぞ」
「ありがとう」
 そう促され、ユフェミアは一瞬だけ目を瞬かせてから、素直に腰を下ろした。
「あなたも座ってくださいな、イリア」
「……侍女が同席して良いものでしょうか」
 躊躇したイリアに、ユフェミアは鷹揚に微笑んだ。
「まあ。私も貴女の同僚のつもりですよ」
「……それでは、お言葉に甘えます」
 ぺこり、とお辞儀をしてイリアもその隣に腰掛ける。

「……こうしてお茶をいただくのは、少し久しぶりですね」
 カップを手にしたユフェミアの横顔は穏やかだった。
 対外的な社交の仮面とは違い、肩の力が抜けている。
「そうですね。最近は皆、忙しくて」
 イリアは向かいに座りながら、湯の温度を確かめるように自分のカップに指を添えた。

 しばらくお喋りが続いた後、イリアはふと疑問を口にした。
「ところで……以前から少し気になっていたのですが。ユフェミア嬢は、どこで辺境伯家と縁を持たれたのですか」
 問いは穏やかで、詮索めいた響きはなかった。
 ユフェミアは少し考えるように視線を落とし、やがて微笑む。
「ルーチェ様の兄君の、リヒト卿の紹介です。王宮で仕事をした時に知り合って」
「やはり、そうだったのですか」
「ええ。あの方、何かとよく気づく方でしょう?」

 その名を聞いた瞬間、イリアの胸に、ふとした映像がよみがえった。
 数日前、貸した膝掛けを返してくれた時のことだ。
 礼状は丁寧で、包みも真新しいものだった。
 ルーチェと同じ翠の瞳が、面白いものを見るように細められて、くくっとイリアを見て微笑んだ――

「……」
 イリアは、湯気の立つ茶を前にしながら、ふと想像した。
 ――あの方が、ユフェミア様に仕事を紹介なさった時も。
 きっと、あのとき自分と話してくれたのと同じような調子だったに違いない。
 口元にかすかな皮肉を含んだ笑みを浮かべながら、理知的に、冷静に。
 脳裏に浮かぶのは、栗色の髪がさらりと肩に落ち、眼鏡の奥で翠の瞳が細まる光景だ。
 どこか人の本質を見抜いているような、影のある澄んだ瞳。
 膝掛けをそっと返してくれたときの仕草まで思い出して、イリアは無意識のうちに溜め息をついた。
 ――きっと、私にしてくださったように、お優しかったはず。
 ――仕事に困っていたユフェミア嬢を穏やかに、けれど的確に導かれたのでしょうね……


 そんな想像を巡らせていたイリアの向かいで、ユフェミアは遠い目をしていた。
 彼女の記憶の中のリヒトは、もう少し容赦がない。

「その書類の文章では、相手を説得する以前に読む気を失わせますね」
「私も人間ですから感情論は理解しますが、今は数字を出してください。できないなら、議論の場に立つ資格はありません」
「約束は守られるべきものと考えております。それで、貴殿とお約束した締切は三分前に過ぎましたが」
「書類の枚数が多すぎる。簡潔に。あなたの怠慢で紙を無駄にしないように」
 淡々とした声で、細かく理屈を積み上げ、相手の逃げ道を一つずつ潰していく。
 言葉遣いは丁寧なのに、刃物のように正確で、痛いところを的確に突く。
 その上、誰よりも休みなく働いて成果を上げ、その刃物のような観察と指摘で他者のミスを発見し助けているのだから、誰も文句が言えない。
 初めて同席した場では、その当時ユフェミアが仕えていた家の主が顔色を変えて黙り込んでいた。
 はぁ、と溜め息をついて書類を揃えて突っ返すと、帰り際にユフェミアにまで「君はもう少し就職先を選んだ方が良いですよ」と言ってきた。

(……本当に、なんだか一言余計なのよ、あの方は。細かいし。仕事ができるのは良いけれど)
 思い出すたびに、じわりと小さな憤りが蘇る。
 実際、確かに、あの家は就職先として良くなかった。リヒトの言葉に間違いはなかった。
 このヴァルト辺境伯家という職場を紹介してもらえたのもありがたかった。
 ただ、ユフェミアの方を碌に見もしないで、「君が良いなら妹に推薦しておきます」とだけ言って……
 慌てたユフェミアが「どのような土地柄でしょう」と尋ねたら、「そのくらい自分で調べてください」と書庫の方を示された。
 それに、くっと笑って、「仕事がないなら時間はあるでしょう」と付け加えられたのは、完全に余計だ。
(確かに、まあ、そうね。焦って尋ねてしまったけれど、私が自分で調べるべきことだったわね……)
 それがまた、腹立たしい。
 ぐぅ、とカップの持ち手を握る。

 確か、リヒトはいかにも知的に整った容姿と有能さ、また公爵家との悲劇的な醜聞も相まって、留学先から戻って官吏になった当初は、それはそれは注目を浴びていた筈だ。
 ――が、それも長くは続かなかった。主に、ユフェミアが感じていたのと同様の理由で。

(……多分、ルーチェ様の前では……「優しいお兄様」という名の猫を被ってるのでしょうね、リヒト卿……)
(旦那様がやりこめられずにリヒト卿と会話できると聞いた時は、素直に尊敬してしまったわ……)

 乾いた笑いを浮かべてしまうユフェミアと、何やら深刻に考えるイリア。
 春の光に揺れる茶の表面を見つめながら、それぞれが、同じ人物をまったく違う姿で思い浮かべていた。


「……」
 イリアは、湯気の立つ茶杯を両手で包みながら、ふと視線を庭の植え込みへ落とした。
 春先の淡い緑が揺れている。その穏やかな光景に反して、胸の内では、先ほどまで思い描いていた想像がまだ尾を引いていた。

 ユフェミアを見る。
 何かを思い出しているように遠くを見つめる淡い紫の瞳に、亜麻色の髪が影を落としていた。
 王都育ちで、上品で――
 なんとなく、リヒトとユフェミアが並んで立つ姿を思い浮かべると、不思議と違和感がなかった。

 ユフェミアはその様子に気付き――、一瞬きょとんとした後、くすりと笑う。
 そして、考え込むように眉を寄せているイリアの頬を、指先で軽く、ふに、とつついた。
「ひゃ……っ!?」
「イリア……その顔。まさか、私たちの間に何かあったとでもお思い?」
 からかうような声音。
 イリアははっとして首を振る。
「そ、そんな……いえ、その……」
「ありえませんよ。正直……願い下げです。リヒト卿は、尊敬できるところは多々あるのでしょうが、私にとっては些か難儀な方なので」
 ユフェミアは肩をすくめ、さらりと言い切る。
 その笑顔はいつもの完璧な社交用のものだったが、どこか柔らかい。
 あっさりと、しかしきっぱりと言い切られ、イリアは言葉を失った。

「す、すみません……」
 語尾がしぼんでいき、頬が淡く染まる。
 普段は落ち着いたイリアが、こんな風に動揺するのは珍しかった。
 うまく言葉が続かない。視線が泳ぐ。
 その様子を見て、ユフェミアは目を丸くし、次の瞬間、ふっと表情を和らげた。
「……あら」
 そう言って、今度は頬をつつくのではなく、そっと頭を撫でる。
「可愛いのね、イリアは。殿方のお話は苦手?」
 今度こそイリアは完全に赤面した。
「や、やめてください……!」
 抗議の声は弱々しく、ユフェミアは満足そうに微笑むだけだった。
 指先の動きは姉が妹をあやすようで、イリアはますます居心地が悪くなり、けれど拒むこともできずに俯いた。

 そのとき、庭の小径から軽やかな足音が近づく。
「楽しそうね」
 振り返ると、そこにはルーチェが立っていた。
 二人の距離感と空気を一瞬で察したのか、目を輝かせる。
 ユフェミアがにっこりと笑った。
「イリアが可愛い顔をするので。可愛がっておりました」
「ユフェミア嬢……!」
「まあ!私も参加したいわ。私だってイリアを可愛がりたいもの……!」
「る、ルーチェ様、いけません!可愛がられるべきはルーチェ様であって侍女風情の私では……!」
「だめ、私がそうしたいの」
 そう宣言して、遠慮なくイリアの反対側に腰を下ろす。
 両側からの視線と距離に、イリアは完全に逃げ場を失った。


 一方その光景を、少し離れた室内の窓から眺めている男たちがいた。
 カイネとダリウスである。
 聞こえてきた声に目をやり、ダリウスはそちらに目をやって呟いた。
「……仲がいいな」
 率直な感想に、カイネは苦笑しながら肩をすくめた。
「ええ、ほんとに。しかし旦那様、ああなってしまっていたらもう、ね。俺ら男が入っちゃいけない空間になっていますね」
「そういうものか」
 冗談めかした口調だったが、その言葉には妙な説得力があった。

 庭には柔らかな笑い声が広がっていた。
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