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離れても想いはめぐる蔦の章
幕間 令嬢たちのときめきは星空を流れ流れて
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王都の午後は、社交の時間である。
季節外れに冷たい風が吹き抜ける貴族街の庭園で、数人の令嬢たちが集まっていた。
この日の茶会は、いつもよりざわめいていた。理由は単純で、話題の中心に「セレス卿」がいるからだ。
「……本日のお集まりの本題に入りましょう」
声を潜めながら、しかし目をきらきらと輝かせて切り出したのは、青色のドレスを纏った子爵令嬢だった。
「北の辺境で奮戦していらっしゃる、セレス卿のことですわ」
その名が出た瞬間、集まっていた令嬢たちの空気が一斉に変わる。
ため息とも歓声ともつかぬ吐息がこぼれ、話題はすぐに一つに収束していった。
「あの御前試合で、わたくしの心を攫ってしまわれた、冬の夜の一等星の君……ああ、どうかご無事で」
「セレス卿……北の涼しき風の君。私の心にさみしい風だけを残していかれて……」
「いえ、「凛々しき白刃卿」なら心配はございませんわ」
「麗しの氷の騎士様……今はどのように戦われているのかしら」
口々に称号が飛び交うその様子は、もはやお茶会というより、熱心な信徒の集会に近かった。
そもそも――この場の集まり自体が、言ってしまえば「セレス卿ファンクラブ」なのである。
当人たちは家族に「冬の夜の星について語らうお茶会」などと説明していたが。
セレス卿――ヴァルト辺境伯家の女性騎士。
すらりと引き締まった体躯。
長い髪をなびかせ、彗星のように現れて御前試合を制してしまった。
王宮の近衛騎士すら相手にならない武勇。
その上、整った顔立ちに凛とした佇まい。
そうしたセレスの要素すべてが、退屈を持て余していた令嬢たちの想像力と心を撃ち抜いた。
今まで見てきた男なんて、セレス卿に比べればまったく野卑で、軟弱で、とても及ばない――などと、一部の若い令嬢たちは熱狂した。
「戦場では一切怯まず、部下の盾となって最前線に立たれるそうですの」
「きっと勇敢に戦われているはず」
「甲冑姿で、無駄のない動きで剣を振るわれて。魔獣とも踊るようですわ、きっと」
「セレス卿は敵は厳しく見据えるけれど、民に向ける眼差しは優しく穏やかで、愛しい人のことは甘く見つめますのよ……」
「わかりますわ、解釈一致、ですわ」
別の令嬢が深く頷いた。
「負傷兵を労っていらっしゃるところが見たい……」
「ふふ……わたくし、魔獣に襲われすんでのところで助けて頂く夢を見ましたわ……」
「なんですのそれ、羨ましいですわ」
「声も低すぎず、高すぎず……あの声で部下を指揮されているのよね」
白磁の茶器が触れ合う音の中で、令嬢たちは競うように情報を披露し合っていた。
情報、と言うより、もはや妄想、と呼ぶのが近い内容の方が多かったが。
その中で、ひとり余裕を持って微笑んでいたのは、小貴族の家に生まれた、藤色のドレスの令嬢だった。
彼女の父は商業関係の中間的な役職にあり、現在話題の王位継承争いには、家としての安全を重視して距離を置いている。
彼女は、皆の熱に少しだけ現実的な視点を混ぜた。
「……でも、辺境は物資が足りないそうですわね」
「え?」
一斉に視線が集まる。
「魔獣が相手なら、剣や鎧だけではなく、医療品や保存食も必要でしょう?」
「確かに……」
「セレス卿が奮戦なさっているのに、補給が足りないなんて……」
夢見がちだった令嬢たちの表情が、次第に真剣味を帯びていく。
発言した藤色のドレスの令嬢は、こほんと大人ぶって咳払いをする。
「……ですから、わたくし、考えましたの」
「考えた、とは?」
「セレス卿に、支援をお送りするべきではないかと」
その言葉に、ざわり、と空気が揺れる。
「支援……?」
「ええ。政治的なことではございませんわ。内々に、こっそり父にお願いしましたの。少しだけれど、食料や防寒具、治療薬などをもらって、辺境で必要とされているものを包んで……わたくしの手紙を添えて。セレス卿にお送りしましたの」
令嬢たちは、固唾を飲んでその言葉を聞いた。
「そ、それで……?」
「……そうしたらね、セレス卿から……お返事を頂けましたの」
きゃあ、と頬を両手で覆った令嬢に、他の少女たちは雷に打たれたように青褪めた。
「へ、返事……!?」
「ま、まあ!ずるくてよ、あなた」
「抜け駆けですわ!」
「セレス卿の……、直筆ですの!?」
「ええ……」
藤色のドレスの令嬢は頬を染めて、その手紙をそっと懐から取り出す。
辺境伯家の印章が小さく押された封筒の隅には、確かにセレスの名前が綴られている。
――実際のところ、中にあるのは極めて簡易な「ご令嬢の志に感謝申し上げます」という一筆に過ぎないのだが……それでも、茶会の場は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
そして一人の令嬢が、青褪めたまますっくと立ち上がる。
「わたくし、帰ったら父にお願いしてみますわ」
「まあ、あなたが?」
「ええ。政治的な話ではありませんもの。「辺境の騎士へのお見舞いの贈り物」という名目なら……この程度なら、と言ってくれると思いますの。セレス卿は女性ですし、醜聞にもなりえませんわ」
彼女たちは皆、王位継承争いに深く関わる立場ではない、小貴族の娘たちだった。
その言葉に、別の令嬢がぱっと顔を輝かせた。
「それなら、うちも! 織物なら多少融通が利きますわ」
「当家の領地の主産業は薬草ですの。きっとお役に立てる筈……」
「すぐに兄の商会に連絡を取りますわ。確か仕入れ過ぎて難儀していた小麦があると」
「ど、どうしましょう、私の家では……乾燥果実なら、保存がきくでしょうか。お母様に頼んで……」
「皆様皆様、私の家は運輸のための荷馬車を他家より多く有しておりますわ。お役に立てますわ!」
気づけば、茶会は即席の作戦会議に変わっていた。
誰も、第一王子アルベルトの名を口にしていない。第二王子サイラスの話題も出ない。公爵家のことも、神殿のことも。
ただ、「辺境で戦うセレス卿を助けたい」という純粋な想い、そしてあわよくば手紙の返事をもらい微笑みかけられたい……という欲望で、話は不思議なほどスムーズに進んでいく。
「政治のお話なんて関係ありませんわ」
「ええ。それはそれ。これはこれ。セレス卿はセレス卿、ですもの」
「この程度の贈り物くらいよろしくてよ」
「そう、わたくしたちのお送りできるものなんて、ほんのちょっぴり」
令嬢たちは互いに視線を交わし、静かに頷き合った。
「それに……」
誰かがぽつりと漏らす。
「冬の夜一等星の君が、無事でいてくださらないと困りますもの」
その一言に、全員が深く頷いた。
その日の夕刻から、いくつもの小さな邸で、同じような会話が交わされた。
令嬢たちは時に甘え、時に理屈を述べ、涙をこぼし、笑顔を見せ、「ほんの少しの我儘」を通していく。
倉庫から毛布が運び出され、保存食が箱に詰められ、薬師に追加の調合が依頼される。
こうして、令嬢たちの善意と密かなときめきは、荷箱にぎっしりと詰まった物資に姿を変え、辺境へと流れていく。
そしてそのほとんどは、北へ向かうアルベルトの一行と合流し、届けられることとなった。
「どうかご無事でいてくださいませ。わたくしの、冬の夜の一等星の君……」
そう祈りながら、彼女たちは今日も密やかに、しかし確実に、流れを動かしていく。
それはまだ小さな波紋にすぎなかった。
だが、第一王子アルベルトにも第二王子サイラスにも明確には与していなかった、俗に言う「中立派」「浮動層」の動きの始まりが、この午後の庭園にあったことを――知る者はほとんどいない。
季節外れに冷たい風が吹き抜ける貴族街の庭園で、数人の令嬢たちが集まっていた。
この日の茶会は、いつもよりざわめいていた。理由は単純で、話題の中心に「セレス卿」がいるからだ。
「……本日のお集まりの本題に入りましょう」
声を潜めながら、しかし目をきらきらと輝かせて切り出したのは、青色のドレスを纏った子爵令嬢だった。
「北の辺境で奮戦していらっしゃる、セレス卿のことですわ」
その名が出た瞬間、集まっていた令嬢たちの空気が一斉に変わる。
ため息とも歓声ともつかぬ吐息がこぼれ、話題はすぐに一つに収束していった。
「あの御前試合で、わたくしの心を攫ってしまわれた、冬の夜の一等星の君……ああ、どうかご無事で」
「セレス卿……北の涼しき風の君。私の心にさみしい風だけを残していかれて……」
「いえ、「凛々しき白刃卿」なら心配はございませんわ」
「麗しの氷の騎士様……今はどのように戦われているのかしら」
口々に称号が飛び交うその様子は、もはやお茶会というより、熱心な信徒の集会に近かった。
そもそも――この場の集まり自体が、言ってしまえば「セレス卿ファンクラブ」なのである。
当人たちは家族に「冬の夜の星について語らうお茶会」などと説明していたが。
セレス卿――ヴァルト辺境伯家の女性騎士。
すらりと引き締まった体躯。
長い髪をなびかせ、彗星のように現れて御前試合を制してしまった。
王宮の近衛騎士すら相手にならない武勇。
その上、整った顔立ちに凛とした佇まい。
そうしたセレスの要素すべてが、退屈を持て余していた令嬢たちの想像力と心を撃ち抜いた。
今まで見てきた男なんて、セレス卿に比べればまったく野卑で、軟弱で、とても及ばない――などと、一部の若い令嬢たちは熱狂した。
「戦場では一切怯まず、部下の盾となって最前線に立たれるそうですの」
「きっと勇敢に戦われているはず」
「甲冑姿で、無駄のない動きで剣を振るわれて。魔獣とも踊るようですわ、きっと」
「セレス卿は敵は厳しく見据えるけれど、民に向ける眼差しは優しく穏やかで、愛しい人のことは甘く見つめますのよ……」
「わかりますわ、解釈一致、ですわ」
別の令嬢が深く頷いた。
「負傷兵を労っていらっしゃるところが見たい……」
「ふふ……わたくし、魔獣に襲われすんでのところで助けて頂く夢を見ましたわ……」
「なんですのそれ、羨ましいですわ」
「声も低すぎず、高すぎず……あの声で部下を指揮されているのよね」
白磁の茶器が触れ合う音の中で、令嬢たちは競うように情報を披露し合っていた。
情報、と言うより、もはや妄想、と呼ぶのが近い内容の方が多かったが。
その中で、ひとり余裕を持って微笑んでいたのは、小貴族の家に生まれた、藤色のドレスの令嬢だった。
彼女の父は商業関係の中間的な役職にあり、現在話題の王位継承争いには、家としての安全を重視して距離を置いている。
彼女は、皆の熱に少しだけ現実的な視点を混ぜた。
「……でも、辺境は物資が足りないそうですわね」
「え?」
一斉に視線が集まる。
「魔獣が相手なら、剣や鎧だけではなく、医療品や保存食も必要でしょう?」
「確かに……」
「セレス卿が奮戦なさっているのに、補給が足りないなんて……」
夢見がちだった令嬢たちの表情が、次第に真剣味を帯びていく。
発言した藤色のドレスの令嬢は、こほんと大人ぶって咳払いをする。
「……ですから、わたくし、考えましたの」
「考えた、とは?」
「セレス卿に、支援をお送りするべきではないかと」
その言葉に、ざわり、と空気が揺れる。
「支援……?」
「ええ。政治的なことではございませんわ。内々に、こっそり父にお願いしましたの。少しだけれど、食料や防寒具、治療薬などをもらって、辺境で必要とされているものを包んで……わたくしの手紙を添えて。セレス卿にお送りしましたの」
令嬢たちは、固唾を飲んでその言葉を聞いた。
「そ、それで……?」
「……そうしたらね、セレス卿から……お返事を頂けましたの」
きゃあ、と頬を両手で覆った令嬢に、他の少女たちは雷に打たれたように青褪めた。
「へ、返事……!?」
「ま、まあ!ずるくてよ、あなた」
「抜け駆けですわ!」
「セレス卿の……、直筆ですの!?」
「ええ……」
藤色のドレスの令嬢は頬を染めて、その手紙をそっと懐から取り出す。
辺境伯家の印章が小さく押された封筒の隅には、確かにセレスの名前が綴られている。
――実際のところ、中にあるのは極めて簡易な「ご令嬢の志に感謝申し上げます」という一筆に過ぎないのだが……それでも、茶会の場は蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
そして一人の令嬢が、青褪めたまますっくと立ち上がる。
「わたくし、帰ったら父にお願いしてみますわ」
「まあ、あなたが?」
「ええ。政治的な話ではありませんもの。「辺境の騎士へのお見舞いの贈り物」という名目なら……この程度なら、と言ってくれると思いますの。セレス卿は女性ですし、醜聞にもなりえませんわ」
彼女たちは皆、王位継承争いに深く関わる立場ではない、小貴族の娘たちだった。
その言葉に、別の令嬢がぱっと顔を輝かせた。
「それなら、うちも! 織物なら多少融通が利きますわ」
「当家の領地の主産業は薬草ですの。きっとお役に立てる筈……」
「すぐに兄の商会に連絡を取りますわ。確か仕入れ過ぎて難儀していた小麦があると」
「ど、どうしましょう、私の家では……乾燥果実なら、保存がきくでしょうか。お母様に頼んで……」
「皆様皆様、私の家は運輸のための荷馬車を他家より多く有しておりますわ。お役に立てますわ!」
気づけば、茶会は即席の作戦会議に変わっていた。
誰も、第一王子アルベルトの名を口にしていない。第二王子サイラスの話題も出ない。公爵家のことも、神殿のことも。
ただ、「辺境で戦うセレス卿を助けたい」という純粋な想い、そしてあわよくば手紙の返事をもらい微笑みかけられたい……という欲望で、話は不思議なほどスムーズに進んでいく。
「政治のお話なんて関係ありませんわ」
「ええ。それはそれ。これはこれ。セレス卿はセレス卿、ですもの」
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「そう、わたくしたちのお送りできるものなんて、ほんのちょっぴり」
令嬢たちは互いに視線を交わし、静かに頷き合った。
「それに……」
誰かがぽつりと漏らす。
「冬の夜一等星の君が、無事でいてくださらないと困りますもの」
その一言に、全員が深く頷いた。
その日の夕刻から、いくつもの小さな邸で、同じような会話が交わされた。
令嬢たちは時に甘え、時に理屈を述べ、涙をこぼし、笑顔を見せ、「ほんの少しの我儘」を通していく。
倉庫から毛布が運び出され、保存食が箱に詰められ、薬師に追加の調合が依頼される。
こうして、令嬢たちの善意と密かなときめきは、荷箱にぎっしりと詰まった物資に姿を変え、辺境へと流れていく。
そしてそのほとんどは、北へ向かうアルベルトの一行と合流し、届けられることとなった。
「どうかご無事でいてくださいませ。わたくしの、冬の夜の一等星の君……」
そう祈りながら、彼女たちは今日も密やかに、しかし確実に、流れを動かしていく。
それはまだ小さな波紋にすぎなかった。
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