厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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離れても想いはめぐる蔦の章

51.広がる波紋

 議場を包んでいたざわめきは、アルベルト殿下の宣言を境に、質を変えた。

 驚愕、戸惑い、そして――計算。
 明確な敵意を隠そうともしない視線が、殿下へと向けられる。
 先ほどまで当然の流れとして第二王子殿下を支持していた者たちが、椅子の上でわずかに身じろぎし、隣席の貴族と小声で言葉を交わしている。

「……まさか、第一王子殿下がここまで踏み込まれるとは」
「いや、だが実績が……」
「辺境へ行く、というのは本気なのか?」
「支援を出すべきかどうか」
「水面下にあった王位継承争いが顕在化する、どう動くべきか」

 声は小さいのに、重い。誰もが、次にどちらへ歩くべきかを測っている。

 会議はそうして、果てた。

 やがて、議場の一角が動いた。
 サイラス殿下の側近たち――公爵家と神殿に近い貴族が、静かに立ち上がり、挨拶もそこそこに退出していく。
 露骨な拒絶ではない。だが、これ以上この場に留まる価値はない、と言外に示す仕草だった。
 それにつられるように、数名が腰を浮かせる。
 しかし、すぐには続かない。
 アルベルト殿下をちらりと見て、またサイラス派の背中を見る。
 迷いが、空気に滲む。

 ――ここで分かれるのだ。
 私はそう思った。
 この国の貴族たちは、誰に付くかを選ばされている。
 王不在という不安定な状況の中で、誰もが「誤った側」に立つことを恐れている。
 これまでなら、流れは自然とサイラス殿下に傾いていたはずだ。神殿の後押し、高位貴族の多数派、そして何より――アルベルト殿下自身の消極的な態度。
 けれど今、その前提が音を立てて崩れている。
 議場に残る者たちの視線が、自然とアルベルト殿下へ集まる。
 殿下は、少し顔色が悪い。それでも、背筋はまっすぐだった。

 ……すごい、と。率直に、そう思った。
 あの方は、ずっと「優しい王子」だった。争いを避け、前に出ることを厭い、周囲に流されるように見えていた。
 でも、今は違う。
 恐怖も、不安も、きっと消えていない。
 それでもなお、声を上げた。
 
(どうして、アルベルト殿下はこうも突然……声をあげられたのかしら……)
(いいえ、でも、今は殿下の選択に感謝しよう)
 少なくとも、これで辺境に援兵と物資が送られる。
 第一王子殿下の決定とあらば、下の者は動くだろう。

 私の後ろで、カイネが小さく息を吐くのが聞こえた。
「……王子殿下は、選ばれたのですね」
 軽い口調だけれど、その声には確かな敬意があった。イリアも静かに頷く。
 その言葉に、私はそっと目を伏せる。
 だからこそ――この先は、簡単ではない。

 議場を去る者、残る者、迷い続ける者。
 その全てを抱えたまま、国は進まなければならない。

(私は……)

 ――今をもって、ヴァルト辺境伯家にかかわるすべての権限はあなたに委ねる。
 ――辺境伯代行として、あなたは俺の裁可を待つ必要はない。

「アルベルト殿下」

 皆が遠巻きにするアルベルト殿下に近づき、ゆっくりと一礼した。
 今、皆の前で彼に挨拶をすることの意味を、よく理解した上で。

「……夫人」
「今はヴァルト辺境伯代理でございます。……アルベルト殿下。夫の加勢に、殿下御自ら足をお運びくださるとのこと……辺境伯領を代表して、心より、ご支援に感謝申し上げます」
「いや……当然のことを、ようやく、言えただけだよ。……君のお陰で」
「……私の?」

 何のことを言っているのだろう。私は何もできてなどいなかった。
 ただ、見ていただけ。

「……夫人。君はここに残らない方が良い。早く邸へ……帰りたまえ」
「は、はい……お心遣いに、感謝申し上げます」

 アルベルト殿下は、困ったように笑った。



 回廊に出たところで、甘やかな香りが流れ込んできた。
 足を止めるまでもなく、誰がそこにいるのかは分かってしまう。
「お姉様」
 リリアーナは、あらかじめ待っていたかのように、柔らかな笑みを浮かべて立っていた。
 その笑顔が、昔から少しも変わらないことが、今はかえって胸に障る。
(ああ……もしかして、サイラス殿下の即位を待っていたのかしら)
 だとしたら、「次期王妃」を名乗る彼女には都合の悪い展開だ。
 イリアとカイネが眉を顰めている。私は二人を制して、前に出た。
「……何か?」
 距離を保ったまま、私は礼を失さない程度に応じる。
 彼女は一瞬だけ私の背後――議場の扉の方を見やり、それから、ため息交じりに首を傾げた。
「最近の魔獣の異変……皆、心を痛めておりますの。特に辺境では被害も大きいとか。――やはり、原因はお姉様の烙印なのではないかと」
 その言い方は、責めるというよりも、さも「仕方のない事実」を口にしているかのようだった。
「神殿でも、そうお考えの方が多いようですわ。厄災の象徴を戴く方が前に出れば、混乱が広がるのは当然でしょう? もしかして国王陛下のことも……」
「……私にある烙印に、直接の効果は確認されていないわ」
 淡々と、事実だけを述べる。
 リリアーナは小さく肩をすくめた。

「でも……ダリウス様は、辺境へ向かわれたのでしょう? もし、何か不幸があったら……と思うと、わたくし、胸が痛くて」
 その名を出された瞬間。
 僅かに目を見開いた私に、リリアーナはクス、と笑う。
「ああ……以前は、お義兄様、とお呼びしていましたけれど」
 リリアーナ様は、少し困ったように首をかしげる。
「でも、ダリウス様が、わたくしに「お義兄様とは呼ばないでほしい」っておっしゃいましたの。ですから、今はきちんと……ダリウス様、って、親しくお呼びしています」

 私に何かを邪推させようとするその言い方に、胸の奥で、静かに怒りが灯る。
 それは昔とは全く違う感覚だった。
 恐怖より、悲しみより、何より――私を大切にしてくれる、ダリウス様を貶められたような気がして。
 自分のことを貶められた時より、怒りが湧いた。
 それでも、声は揺らさない。

「……そう。でも、それなら貴女は「ヴァルト辺境伯」とあの方を呼ぶべきよ」
「まあ、お姉様ったら。やきもち?」
「ええ。そうよ」

 さらりと認めたら、リリアーナは目を丸くした。

「リリアーナ。私はダリウス様の妻なのよ。夫に親しげに擦り寄る女性がいたとして、気分の良い妻がいるかしら。たとえそれが何の事実にも基づかない関係だったとしても、不愉快よ。それに――」
 私は一歩も引かず、しかし声を荒げることもなく続けた。
 慇懃に。

「――リリアーナ嬢。ご心配には感謝いたします。でも、それ以上のことは、あなたの名誉のためにも聞かなかったことに致しましょう。私はここで、あなたと話をしたことなどございませんでした。よろしいですね」
 静寂が落ちた。
 回廊の空気が、ひやりと澄む。
「それと、私は既にシェリフォード公爵家を離れた身。これからは、姉と呼んで頂く必要はございません。私もあなたも――互いを、姉妹と思ったことなど無かったでしょう」

 そう告げて、私は一礼する。
 リリアーナが顔を歪めた。
「……わたくしは王妃になるのよ!? ヴァルト辺境伯家なんてちっぽけな家、サイラス様にお願いしたらいつでも――」
「カイネ、イリア。行きましょう」
 無視した。
 答える必要を感じなかったから。
 リリアーナの目が驚愕に見開かれる。それを一瞥して、私は二人を連れてその場を後にした。
 足を進めながら、胸の奥に残った震えを、深く息を吸って鎮める。

 ――私は、もう目を逸らさない。
 それだけは、はっきりしていた。





 アルベルトは、自分でもはっきりとわかるほど、足元が覚束なかった。
 議場を出てから、時間の感覚が曖昧だ。
 胸の奥が、まだざわざわと熱を帯びている。

「……殿下」
 低く、静かな声が呼び止める。
 振り向くと、リヒトが立っていた。相変わらず感情を抑えた表情で、だがその瞳は、はっきりとこちらを見ている。
「先ほどのご発言ですが」
「……すまない、勝手な真似を」
 いつもの苦言が来るだろうと思った。
 だが、リヒトは一拍置いてから、淡々と、しかし確かな調子で言った。
「お見事でした」
「……え?」
「覚悟を示す言葉として、あれ以上のものはありません。殿下は、ご自身の立場を正しく理解したうえで、それでも逃げなかった」
「……」
「……アル。やはりお前が、王になるべきだ」

 その言葉に、胸の奥がじくりと痛む。
 誉められることには慣れていない。
「僕は……あんなことを言うつもりじゃ…………どうして言えたのかも、わからないんだ」
「理由などどうでもいい。結果としてお前は言った。それが事実で、すべてだろう」
 きっぱりと言い切られ、アルベルトは言葉を失った。

 その瞬間、視界がぐらりと傾く。
「……っ」
 足に力が入らず、身体が前に崩れかける。
 リヒトの腕がそれを支えた。
「おい、どうした」
 支えられ、アルベルトは思わず苦笑する。
「体調でも……」
「いや、大丈夫、だ」
 誤魔化すように笑ってみせた。
「リヒ……相変わらず細いのに……寄りかかっても倒れなくなったな……」
「昔と同じ扱いをされては困る」

 淡々と返しながらも、リヒトはやはり少々難儀している様子ではあった。
 アルベルトは壁に手をつき、なんとか立ち直ると歩き出した。
「部屋に戻る……正直、ふらついている。だが今、僕が皆に情けない姿を見せるわけにはいかない。父上のいない今、僕こそが、皆が頼りかかって良い存在でいなければ」
「……お前、本当に」
 そう、今、倒れてはならない。
「頼む、……リヒト卿。悪いが僕が倒れないように傍を歩いてくれ」
「……承知しました、殿下。お部屋までお供致します。お支えしますから、殿下は安心して歩かれてください」
 もう一度力を入れ直すと、アルベルトは壁から手を離し、歩を進めた。
 強いて堂々と。

 殿下、殿下、と貴族が次々にアルベルトに寄ってくる。
 辺境遠征への支援を申し出る者、先程の演説への感動を述べる者――アルベルトは、それに鷹揚に応じた。
 水面下で息をひそめていた第一王子勢力。
 そして、アルベルトの言葉に呼応して、立場を明らかにした者たち。
 声はかけないが、様子を窺う中立派。
 浮動層と言われる、より強きに従う弱小貴族たち。
 その顔を、その動きを、リヒトはアルベルトに代わり、すべて覚えた。
 殿下、お急ぎを、とさりげなく制止しながら、部屋へ向かう。

 リヒトはすぐ傍を歩きながら、静かに言う。
「……殿下。今は、殿下が示した意志そのものが重要です。それを守るための動きは、こちらで引き受けます。人員の配備、根回し、警戒――そのすべて。殿下は、ご自身を優先なさってください」
 その言葉は、命令でも忠告でもない。
 長年、隣で王を支えるはずだった男の、当然のような宣言だった。
「……すまない」
「謝罪は不要です」
 リヒトは一度だけ視線を伏せ、それから真っ直ぐに言った。
「……私の、本懐です」
 アルベルトは何も言えず、ゆっくりと頷いた。





 自室の扉を閉める。
 リヒトが立ち去る音を聞き、アルベルトはようやく気を抜いた。

 胸の奥がざわつき、視界がわずかに歪む。
 まるで強い酒を一気に煽った後のような感覚だった。
 数歩進んだところで力が抜け、壁に手をつこうとして、そのまま床に崩れ落ちる。

 おかしい。
 そう思う余裕すら、ほとんどなかった。
 頭の内側で、あの光景が何度も反芻される。
 自分の口から発せられた、あまりにもはっきりとした言葉。
 自分とも思えない強い覚悟、覇気。

 あのとき自分は確かに、「王」たる己を感じていた。

 そして何より――あのまなざし。
 ルーチェの瞳だ。
(厄災の、烙印……)
 烙印がはっきりと見えたわけではない。
 彼女の「厄災の烙印」は、目を凝らせば瞳の奥に見えるくらいの小さなもので、少なくともあんな離れた位置からは決して視認できないはずのものだ。
 それなのに、あの瞬間、確かにアルベルトは見た。
 ルーチェの姿の奥に、揺るぎない何かが立っているのを。
 揺らぐ王を見つめる、正しさの光を。

(……どうして、僕にあんな力が湧いたんだ)
 自分は弱い。ずっとそう思って生きてきた。
 弟の方が有能で、決断力があり、王に相応しい。
 そう言われ続け、それを否定するだけの成果も示せず、諦めることで均衡を保ってきた。

 それなのに、あの場では違った。
 迷いは確かにあった。それでも、声は震えなかった。まるで誰かに背中を押され、守られているようだった。

「……烙印」
 呟いた瞬間、こめかみがずきりと痛んだ。
 ――あの令嬢と目を合わせた騎士は、戦場で討たれる。
 酔ったようになり、前後不覚になり、斬られるから。
 そんな噂が頭をよぎる。
 今の自分の状態は、その噂を迷信だと笑い飛ばせるほど穏やかではなかった。

 その時、控えめなノックの音がした。
 断りの返事をする間もなく、扉が開く。入ってきたのはサイラスだった。
 弟は兄の様子を一目見て、わずかに眉を上げる。
「おや。ずいぶんと顔色が悪いですね、兄上」
 床に座り込んだままのアルベルトを見下ろし、サイラスは軽く笑った。
「烙印持ちと長く目を合わせると、酔ったようになって倒れ、騎士が死ぬ――そんな話がありましたね。あれは迷信だと思っていましたが」
 わざとらしく肩をすくめる。
「どうやら、完全な作り話でもなかったようだ」

 アルベルトは反論しようとして、言葉を失った。
 怒りも、悔しさも、今はまともに形を取らない。ただ胸の奥に、重たい何かが沈んでいる。
「兄上、辺境でのご武運、期待しております」
 サイラスはそれ以上何も言わず、軽く会釈をして部屋を出ていった。
 扉が閉まる音が、やけに遠く感じられる。

 ルーチェ・ヴァルト。厄災の烙印を持つ存在。

 あのまなざしを思い出すと、胸がざわつく。
 恐怖とは違う。嫌悪でもない。
 むしろ――心の奥を、正確に射抜かれたような感覚。
 まだ胸が高鳴っている。心の中に熱が灯ったように。

 平静ではいられず、少しでも彼女の前では正しい自分を見せたいと願う心に気づき、アルベルトは瞠目した。

(まさか……)
 自分は、あのまなざしに……ルーチェに、惹かれているのではないか。
(……人の細君だぞ、アルベルト!そんな女性に、心を揺らすだなんて……)

 答えは出ないまま、アルベルトは混乱する心と酩酊した身体を抱え、床に座り込んだまま、しばらく動けずにいた。
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