【本編完結】厄災烙印の令嬢は貧乏辺境伯領に嫁がされるようです

あおまる三行

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ほどけては結われる花々の章

67.後始末

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 裁判所の大扉をくぐった瞬間、空気が変わったのがはっきりとわかった。
 ざわめきはある。けれどそれは、非難や好奇のそれではない。
 息を呑む気配、言葉を失う沈黙、そして――隠しきれない同情。

 ダリウス様は松葉杖をついた兄様に肩を貸しながら。
 私はそれに手を添えて。
 ゆっくりと歩を進めた。
 少し歩くだけで呼吸が乱れ、そのたびに私は無意識に腕に力を込めてしまう。

 視線が集まる。
 小さな囁きが、波のように広がっていく。
 誰もが、兄様の痛々しい姿を直視できずにいるようだった。

 この場に出る、と言ったのは兄様だ。
 どうせこうなったのなら義憤のための広告塔にでもなんでもなってやる、と言ってのけた。
 包帯は実際に必要な分よりも若干多い。
 兄様を椅子に座らせると、私はその傍を離れずに立った。

 アルベルト殿下は、裁判長の傍に用意された特別席に腰掛けている。
 発言はしていない。不在の王の代理として、見届ける役目を担っている。

 私の前にはダリウス様がいる。
 視線を合わせ、短く頷き合う。それだけで十分だった。

 ダリウス様は一歩前に出る。
「――ヴァルト辺境伯領を預かる、ダリウス・ヴァルトでございます」
 兄様の方を見てから、
「本来であれば、ここにいる王宮内府監査官、リヒト卿の口からお話すべき事柄ではございますが……ご覧の通り、リヒト卿は審議申立ての直後に、暴漢による許し難き被害を受けられました。この場における申立てについてはすべて、私に委任されています」

 神殿による不正な金銭の流通。公爵家と結託した資金の横領と洗浄。
 魔晶石の異常な買い占めと、それが引き起こした辺境での魔獣発生事件。
 そして、長年にわたり歪められ、改竄されてきた「厄災の烙印」の記録。
 すべてを告発した官吏に対する不当な拘束、取り調べの域を超えた暴力。
 既に各所で噴出していた証拠が綺麗にまとめられ、並べられる。

 ダリウス様ははっきりと告げた。
「これらはすべて、国益を著しく損なう罪です。……そして、その累は、――」
 一息置いて。
 もう戻れない言葉を口にする。
「現在謹慎中でいらっしゃる第二王子、サイラス・エルティオス殿下に及びます」
 第二王子による一連の行為の黙認。
 神殿と公爵家の不正を把握しながら、止めなかったこと。
 それどころか、状況を利用し、助長のための命を与えたこと。
「第二王子殿下は、これらすべての不正が進行していることを認識していました。それにもかかわらず、是正を行わず、ご自身に利するよう操作され、結果として被害を拡大させています。その被害の向く先は民であり、そして、自らに与しない貴族たちでした」
 ざわり、と空気が揺れる。
 ダリウス様は更に続けた。
「また、第二王子殿下の婚約者であるリリアーナ様による、王都における噂の意図的な操作についても申し立てます」
 不安を煽る言葉の選び方。
 人々の感情を煽動する、あまりにも巧妙な流布。

「それらは偶然ではありません。王都の民心を揺らし、混乱を生み、特定の人物を貶めるために行われたものです。……この件については、リヒト卿の申立てとは別に、ヴァルト辺境伯家からも抗議の申立てを行う心算でおりました」
 私は、兄様のほうを見る。
 兄様は何も言わない。ただ、静かに聞いている。

「さらに――」
 ダリウス様は告げる。
「辺境における魔獣討伐の際、裏切り者が存在しました。アルベルト殿下の暗殺を図った男が捕縛され、また……王都で我々が滞在していたクラリシエール邸に侵入者があり、私の妻が脅かされかねなかったこともございました。彼らは当家での取り調べにおいて、第二王子殿下の名を供述しています」

 証拠は明らかにされている。
「これらすべては、自らの立場と利益のために、誤りを見過ごし、助長した結果です」

 兄様が隣で、静かに息を吐くのがわかる。


 ――勝負は、決した。





 裁判の場を出たあと、私はようやく深く息を吐いた。

 すべてが終わったわけではない。
 けれど、流れはもう止まらなかった。

 神殿の不正は、隠しきれないかたちで世に知られた。
 高位神官たちは、次々に捕えられ、神殿の機構は、解体された。

 正確には、かつての神殿の、だ。
 すべてを壊して終わらせることは、誰も望まなかった。
 信仰そのものまで否定すれば、混乱はさらに広がる。
 だから、神殿は弱体化したかたちで存続することになった。
 権限は大きく制限され、不正な財も没収された。
 新たな運営は選別された者たちに委ねられる。
 ――これまで押さえ込まれてきた、正しい信仰心を持つ者たちに。

 建て直しが本当に可能かどうか、私にはわからない。
 けれど、少なくとも、今までのように歪んだ力を振るうことはできないだろう。

 シェリフォード公爵家は、家門閉鎖への手続きが進められているという。
 長い歴史も、名声も、あまりにあっけなく終わりを迎えた。
 お母様の名のあった家だと思うと心苦しくはある。けれど、未練はなかった。

 リリアーナは、第二王子との婚約を白紙に戻された。
 まだ正式な罪状が確定しているわけではないが、「王家に相応しくない」という言葉だけで、十分だったのだろう。
 第二王子のサイラス殿下は謹慎を続けられている。
 表向きは静養、実質は政治の場からの隔離だった。
 処分は、アルベルト殿下が下されるのだろう。

 すべてが覆ったのだ。
 静かに、確実に。

 王宮を出た頃には、空が赤く染まり始めていた。
 兄様に肩を貸したダリウス様が馬車に乗り込み、私はその後に続く。

 扉が閉まるとそれだけで、肩に乗っていた重たいものが落ちた気がした。
 ダリウス様は向かいに腰を下ろすと、深く息を吐いた。
 いつもより少しだけ、疲れた顔だった。

 馬車が動き出し、揺れが一定のリズムで続く。
 最初に息を吐いたのは兄様だった。
「終わったな」
 短い一言。
 けれど、その裏にある重みは、私にも、ダリウス様にも、十分すぎるほど伝わっていた。
「はい」
 私はそう答え、兄様の腕に添えていた手に、少しだけ力を込める。
「兄様、あの場に出てくださってありがとうございました」
「よせ」
 即座に遮られる。
「礼を言われるようなことじゃない。……むしろ、面倒をかけた」
 そのやり取りを、ダリウス様は静かに見ていた。
 やがて穏やかな声で言う。
「ご無事で何よりでした」
「助けられたからには動かなければ」
 兄様はそう言って、傍に置いていた松葉杖を手持ち無沙汰そうに弄る。
 それから、不貞腐れたように窓の方へ顔を背けた。
「礼を言うべきは俺の方だ。……お前たちはもう少し自分の功績を誇れ。苦労させられたと偉そうにしろ。全く」
「……ふふっ。はい、兄様」
 
 私は思わず、小さく笑ってしまう。
 ダリウス様も、困ったように、けれど柔らかく口元を緩めた。
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