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28話:本命
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フェルゼン侯爵からの返信は、三日後に届いた。
書斎で封を開け、目を通す。
侯爵の字は達筆だが読みやすい。内容は簡潔で、要点だけが記されていた。
『経済戦は持久戦である。焦って動けば、相手の思う壺。まずは出血を止めよ。攻めるのはその後だ』
『商人を繋ぎ止めるには、利益を示すしかない。だが、今は無理をするな。信頼できる者だけを守れ』
『困ったときは頼れ。老人の知恵くらいは貸してやる』
最後の一文に、少しだけ口元が緩んだ。
(出血を止める、か)
言われてみれば当然だ。
攻められているときに反撃しようとすれば、傷口が広がる。
まずは守り。
信頼できる取引先だけを死守する。
「セバス」
「はい」
「ミーシャと連携して、確実に守れる商人をリストアップしてくれ。数は少なくていい。質で選べ」
「承知いたしました」
「あと、ゼクス辺境伯にも状況を伝えておく。北ルートは生命線だ。万が一にも切られないようにしたい」
「賢明かと存じます」
セバスが一礼して退出した。
俺は窓の外を見た。
正直、気が焦る。
何か手を打ちたい。反撃したい。
——運命点。
一瞬、その選択肢が頭をよぎった。
だが、どう使えばいい?
「商人が戻ってくる」に何点? 「兄上が手を引く」に何点?
そもそも、これは一発で解決できる問題なのか?
運命点は万能じゃない。
使えば何かが起きるが、それが正解かどうかは分からない。
下手に使えば、無駄に消費するだけだ。
(……今は、侯爵の言う通りにするしかないか)
耐える。守る。機会を待つ。
それしかできない自分が、もどかしかった。
***
それから数週間。
状況は、悪くもなく良くもなく——というのは嘘だ。
じわじわと悪くなっていた。
「今月の収支です」
リーネが差し出した帳簿を見る。
黒字。だが、先月より数字が小さい。
「商人からの取引量が減ってます。ミーシャさんの人脈で持ってる分はありますが……」
「限界がある、か」
「はい」
リーネは淡々と報告する。
だが、その目には心配の色があった。
「住居建設は予定通り進めてる。これ以上遅らせると、冬までに間に合わない」
「分かってます。だから、他を削るしかありません」
「……そうだな」
娯楽どころの話じゃなくなってきた。
生活基盤を整えるだけで精一杯だ。
(兄上、やるじゃないか)
認めたくないが、効いている。
じわじわと首を絞められている感覚だ。
***
同じ頃——西部、リアンの屋敷。
「報告いたします。アルカスの商取引量は、先月比で二割減。新規商人の流入はほぼ停止しております」
商人姿の男が、恭しく頭を下げた。
リアンは書類から目を上げず、軽く頷いた。
「予想通りだな。続けろ」
「はっ。それから——」
男が懐から別の書状を取り出した。
「アルカスに入り込んでいる者たちからの報告です」
「読め」
「『住民の間に不満が広がりつつあり。商人が減って物が手に入りにくくなったとの声多数。西部の暮らしぶりを話すと、興味を示す者あり』——とのことです」
リアンの口元が、わずかに緩んだ。
「……そうか。順調だな」
立ち上がり、窓際に歩く。
西日が、執務室を橙色に染めていた。
商人の締め付けは、いわば前座だ。
本当の狙いは、こちら。
人を奪う。
アルカスがいくら技術を持っていても、人がいなければ意味がない。
急成長した領地は、基盤が脆い。
少し揺さぶれば、人は安定を求めて流れ出す。
「あの者たちに伝えろ」
「はっ」
「頃合いを見て、自ら動け。『西部に行く』と周囲に吹聴し、実際に出ていけ。他の者が続きやすいようにな」
「承知いたしました。全員ですか?」
「いや、何人かは残せ。その後の様子を見る必要がある」
「畏まりました」
男が退出した後、リアンは椅子に深く腰掛けた。
(さて、アレン)
お前ならどう動く?
商人を守ろうとするか。
それとも、別の手を打つか。
どちらにせよ——人が流れ出せば、お前の負けだ。
「楽しみだな」
誰にともなく呟いて、リアンは次の書類に手を伸ばした。
***
アルカス領。
その日の夕方、ガルドが執務室に飛び込んできた。
「殿下、ちょっといいですか」
「どうした」
ガルドの表情が硬い。
嫌な予感がした。
「実は——最近移ってきた連中から相談を受けまして」
「相談?」
「『西部に行こうと思う』と。何人かで話し合ったらしく」
俺の手が止まった。
「……何人だ」
「今んとこ、十名ほどです。家族連れもいます」
十名。
六千人のうちの、十名。
だが——。
「理由は聞いたか」
「『向こうの方が暮らしやすいらしい』と。商人から聞いたとか、知り合いに誘われたとか」
商人。知り合い。
——仕込まれた人間か。
頭の中で、点と点が繋がった。
(これが、本命か)
商人の締め付けは、目眩しだ。
俺の注意を引きつけておいて、その間に不満を煽り、人を抜く準備をしていた。
人口が減れば、労働力が減る。
労働力が減れば、生産が落ちる。
生産が落ちれば、収入が減る。
そして何より——。
「殿下?」
ガルドが心配そうに声をかけてきた。
「……止められるか」
「無理に止めりゃ、余計に反発を招くかと。今はまだ『相談』の段階ですが……」
つまり、時間の問題だということだ。
十名が二十名になり、五十名になり——。
「分かった。ありがとう、ガルド」
「殿下……」
「少し考える時間をくれ」
ガルドが退出した後、俺は椅子にもたれた。
技術があっても、人がいなければ意味がない。
これは始まりに過ぎない。
(……まずいな、これは)
書斎で封を開け、目を通す。
侯爵の字は達筆だが読みやすい。内容は簡潔で、要点だけが記されていた。
『経済戦は持久戦である。焦って動けば、相手の思う壺。まずは出血を止めよ。攻めるのはその後だ』
『商人を繋ぎ止めるには、利益を示すしかない。だが、今は無理をするな。信頼できる者だけを守れ』
『困ったときは頼れ。老人の知恵くらいは貸してやる』
最後の一文に、少しだけ口元が緩んだ。
(出血を止める、か)
言われてみれば当然だ。
攻められているときに反撃しようとすれば、傷口が広がる。
まずは守り。
信頼できる取引先だけを死守する。
「セバス」
「はい」
「ミーシャと連携して、確実に守れる商人をリストアップしてくれ。数は少なくていい。質で選べ」
「承知いたしました」
「あと、ゼクス辺境伯にも状況を伝えておく。北ルートは生命線だ。万が一にも切られないようにしたい」
「賢明かと存じます」
セバスが一礼して退出した。
俺は窓の外を見た。
正直、気が焦る。
何か手を打ちたい。反撃したい。
——運命点。
一瞬、その選択肢が頭をよぎった。
だが、どう使えばいい?
「商人が戻ってくる」に何点? 「兄上が手を引く」に何点?
そもそも、これは一発で解決できる問題なのか?
運命点は万能じゃない。
使えば何かが起きるが、それが正解かどうかは分からない。
下手に使えば、無駄に消費するだけだ。
(……今は、侯爵の言う通りにするしかないか)
耐える。守る。機会を待つ。
それしかできない自分が、もどかしかった。
***
それから数週間。
状況は、悪くもなく良くもなく——というのは嘘だ。
じわじわと悪くなっていた。
「今月の収支です」
リーネが差し出した帳簿を見る。
黒字。だが、先月より数字が小さい。
「商人からの取引量が減ってます。ミーシャさんの人脈で持ってる分はありますが……」
「限界がある、か」
「はい」
リーネは淡々と報告する。
だが、その目には心配の色があった。
「住居建設は予定通り進めてる。これ以上遅らせると、冬までに間に合わない」
「分かってます。だから、他を削るしかありません」
「……そうだな」
娯楽どころの話じゃなくなってきた。
生活基盤を整えるだけで精一杯だ。
(兄上、やるじゃないか)
認めたくないが、効いている。
じわじわと首を絞められている感覚だ。
***
同じ頃——西部、リアンの屋敷。
「報告いたします。アルカスの商取引量は、先月比で二割減。新規商人の流入はほぼ停止しております」
商人姿の男が、恭しく頭を下げた。
リアンは書類から目を上げず、軽く頷いた。
「予想通りだな。続けろ」
「はっ。それから——」
男が懐から別の書状を取り出した。
「アルカスに入り込んでいる者たちからの報告です」
「読め」
「『住民の間に不満が広がりつつあり。商人が減って物が手に入りにくくなったとの声多数。西部の暮らしぶりを話すと、興味を示す者あり』——とのことです」
リアンの口元が、わずかに緩んだ。
「……そうか。順調だな」
立ち上がり、窓際に歩く。
西日が、執務室を橙色に染めていた。
商人の締め付けは、いわば前座だ。
本当の狙いは、こちら。
人を奪う。
アルカスがいくら技術を持っていても、人がいなければ意味がない。
急成長した領地は、基盤が脆い。
少し揺さぶれば、人は安定を求めて流れ出す。
「あの者たちに伝えろ」
「はっ」
「頃合いを見て、自ら動け。『西部に行く』と周囲に吹聴し、実際に出ていけ。他の者が続きやすいようにな」
「承知いたしました。全員ですか?」
「いや、何人かは残せ。その後の様子を見る必要がある」
「畏まりました」
男が退出した後、リアンは椅子に深く腰掛けた。
(さて、アレン)
お前ならどう動く?
商人を守ろうとするか。
それとも、別の手を打つか。
どちらにせよ——人が流れ出せば、お前の負けだ。
「楽しみだな」
誰にともなく呟いて、リアンは次の書類に手を伸ばした。
***
アルカス領。
その日の夕方、ガルドが執務室に飛び込んできた。
「殿下、ちょっといいですか」
「どうした」
ガルドの表情が硬い。
嫌な予感がした。
「実は——最近移ってきた連中から相談を受けまして」
「相談?」
「『西部に行こうと思う』と。何人かで話し合ったらしく」
俺の手が止まった。
「……何人だ」
「今んとこ、十名ほどです。家族連れもいます」
十名。
六千人のうちの、十名。
だが——。
「理由は聞いたか」
「『向こうの方が暮らしやすいらしい』と。商人から聞いたとか、知り合いに誘われたとか」
商人。知り合い。
——仕込まれた人間か。
頭の中で、点と点が繋がった。
(これが、本命か)
商人の締め付けは、目眩しだ。
俺の注意を引きつけておいて、その間に不満を煽り、人を抜く準備をしていた。
人口が減れば、労働力が減る。
労働力が減れば、生産が落ちる。
生産が落ちれば、収入が減る。
そして何より——。
「殿下?」
ガルドが心配そうに声をかけてきた。
「……止められるか」
「無理に止めりゃ、余計に反発を招くかと。今はまだ『相談』の段階ですが……」
つまり、時間の問題だということだ。
十名が二十名になり、五十名になり——。
「分かった。ありがとう、ガルド」
「殿下……」
「少し考える時間をくれ」
ガルドが退出した後、俺は椅子にもたれた。
技術があっても、人がいなければ意味がない。
これは始まりに過ぎない。
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