【読切短編】処刑台の上で、俺は王女を救うために世界を三回だけ書き換える

Lihito

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1話_処刑台の上で

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 首に縄がかかっている。

 空は青い。雲一つない。処刑日和だ、と誰かが言っていた。
 
 広場を埋め尽くす群衆が、俺を見上げている。憎しみ、好奇、哀れみ。様々な視線が突き刺さる。

 レイン・ヴェルト。王女付きの侍従。
 それが昨日までの俺だ。

 今は違う。
 王女暗殺の大罪人。

 笑えてくる。
 俺がやったわけではない。だが、それを訴えたところで何になる。

 処刑台の端に、宰相グレイモアの姿が見えた。五十がらみの、神経質そうな顔。俺の死を見届けに来たらしい。

 目が合った。
 宰相が、薄く笑った。

 ——お前の負けだ。

 そう言っている。

 ああ、そうだろうな。
 お前の勝ちだ。王女を毒殺し、俺に罪を着せ、邪魔者を一掃した。完璧な計画だった。

 だが——まだ終わっていない。

 俺は懐の中にある物の感触を確かめた。

 懐中時計。
 針は、あと三目盛りを残している。


      ***


 この時計を手に入れたのは、五年前のことだ。

 王宮の書庫を整理していた時、古い木箱の中に転がっていた。誰の物かも分からない、錆びついた懐中時計。

 手に取った瞬間、頭に声が響いた。

『契約が成立した』

 それだけだった。
 説明も、警告もなく。ただ、一つだけ「分かった」ことがある。

 この時計は、因果を書き換える。

 過去に起きた「不確定な事実」を、俺の望む形に確定させる力。
 針が一周するまで、あと三回だけ使える。

 そして——使い切った時、俺は消える。
 存在ごと。誰の記憶からも。

 五年間、一度も使わなかった。
 使う理由がなかった。

 王女の側で、平穏に暮らしていた。それだけで十分だった。


      ***


 王女——アリシア様に初めて会ったのは、十五年前。

 俺は孤児だった。
 王宮の下働きとして拾われ、掃除や荷運びをしていた。

 ある日、廊下で転んだ。抱えていた薪が散らばった。
 慌てて拾い集めていると、小さな足が視界に入った。

 顔を上げると、金髪の少女がいた。五歳くらい。青い瞳が、俺を見下ろしていた。

「大丈夫?」

 王女だった。
 俺は慌てて頭を下げた。下働きが王族に話しかけられるなど、あってはならない。

「怪我してる」

 王女が俺の手を指さした。薪を拾った時に擦りむいたらしい。血が滲んでいる。

「お、恐れ入ります。すぐに下がりますので——」

「待って」

 王女が懐から布を取り出し、俺の手に巻いた。
 絹だった。王族が使う、高価な絹の布。

「これで平気」

 王女が笑った。
 太陽のような笑顔だった。

 それが始まりだった。


      ***


 なぜか王女は、俺を気に入った。

 下働きの孤児と王女。身分の差は天と地ほどある。だが、王女は気にしなかった。

 暇を見つけては俺を呼び出し、話し相手にした。最初は恐縮していた俺も、次第に慣れていった。

 八歳の時、王女が言った。

「ねえ、レイン」

「はい」

「私が困った時、助けてくれる?」

 唐突な質問だった。
 俺は少し考えて、答えた。

「当たり前です」

「本当?」

「約束します」

 王女が嬉しそうに笑った。

 あの笑顔を、俺は十五年間、守ってきた。

 なのに——


      ***


 王女が十五歳になった年、俺は正式に侍従として仕えることになった。

 誕生日の夜、俺は王女に贈り物を渡した。

 銀色の小さなペンダント。中央に青い石がはめ込まれている。
 下働き時代からの給金を、少しずつ貯めて買った。

「殿下。これを」

「えっ……何、これ」

「お誕生日の贈り物です」

 王女が目を丸くした。

「レインが、私に?」

「お守りとして、身につけていただければ」

 王女はペンダントを手に取り、しばらく見つめていた。
 そして——泣き出した。

「殿下? お気に召しませんでしたか」

「違う、違うの」

 王女は涙を拭いながら、笑った。

「嬉しいの。レインからもらえたのが」

「は、はあ……」

「ありがとう。大切にする」

 それ以来、王女はペンダントを肌身離さず身につけていた。


      ***


 七日前。

 俺は王女の部屋で、いつものように茶を淹れていた。

 扉が開き、宰相が入ってきた。侍女を二人連れている。

「王女殿下。本日の茶会の件でご相談が」

「宰相。入室の許可を取っていないはずですが」

 王女の声が冷たくなった。
 王女は宰相を信用していない。俺も同じだ。

「失礼いたしました。火急の用件でしたもので」

 宰相が頭を下げる。だが、目は笑っていない。

「侍女が新しい茶葉を持参いたしました。殿下のお口に合うかと」

「結構です。レインが淹れた茶で十分です」

「そう仰らずに。一口だけでも」

 押し問答が続いた。
 結局、王女は根負けした。一口だけ、と。

 侍女が茶を淹れた。
 王女が口をつけた。

 その瞬間——王女の顔色が変わった。

 杯が床に落ちた。
 王女が崩れ落ちた。

「殿下!」

 俺は駆け寄った。だが、宰相の護衛に取り押さえられた。

「毒だ! 侍従が毒を盛った!」

 宰相が叫んだ。

 違う。茶を淹れたのは侍女だ。俺ではない。

 だが、誰も聞いてくれなかった。

 侍女たちは「レインが茶葉に毒を仕込んでいた」と証言した。
 宰相が「以前から不審な動きがあった」と追認した。

 俺は反論する間もなく、地下牢に放り込まれた。


      ***


 三日後、王女の死が発表された。

 毒殺。犯人は侍従のレイン。動機は不明。

 嘘だ。全部、仕組まれている。

 だが、俺に証明する手段はない。

 いや——一つだけ、ある。


      ***


 王女の遺体は、大聖堂に安置されている。

 宰相は「蘇生魔法を防ぐため」という名目で、遺体を強力な対魔法結界の中に隔離した。

 誰も近づけない。
 俺の力も、届かない。

 結界が解除されるのは、国葬の時だ。
 衆人環視の中、王女の棺が祭壇に運ばれる。その瞬間だけ、結界は解かれる。

 もし今、王女を「仮死状態だった」ことにして目覚めさせても、結界の中で宰相に気づかれる。その場で殺される。本当の死を迎える。

 だから、待つしかなかった。

 国葬まで。
 結界が解除され、宰相が手を出せない状況になるまで。

 そのためには——俺が、生き延びなければならない。


      ***


 処刑人が近づいてくる。

「最後に言い残すことは」

 形式的な問いかけ。答えても意味はない。

「ない」

 処刑人が頷き、合図の旗を掲げた。

 群衆がざわめく。
 宰相が、満足そうに頷いている。

 俺は懐中時計を握りしめた。

 考えろ。
 
 処刑台を壊す? 無理だ。頑丈すぎる。
 縄を切る? 手は縛られている。
 
 ——待て。

 処刑を「止める」必要はない。
 処刑を「見届けさせなければ」いい。

 今日は国葬の前日。王都中が喪に服している。
 大聖堂では、今まさに「前夜祭」が行われている。王族、貴族、聖職者——全員がそこにいる。

 広場からでも、大聖堂の鐘楼が見える。
 あの鐘楼は、百年以上前に建てられた。何度か修繕されているが、北側の支柱は特に古い。

 もし——北側の腐食が、想定より進んでいたら?

 俺は時計の針に触れた。

 因果改変。
 一回目。

『鐘楼の北側支柱は、三十年前の修繕で使われた木材に、致命的な虫食いがあった』

 世界が、歪んだ。


      ***


 轟音が響いた。

 処刑人の手が止まった。群衆が振り返った。宰相の顔が強張った。

 大聖堂の鐘楼が——崩れていく。

 ゆっくりと、北側に向かって。
 巨大な塔が傾き、轟音と共に倒壊していく。

「何が起きた!」

「大聖堂が!」

 広場が騒然となった。
 警備兵が駆け出す。宰相が何か叫んでいる。

 処刑人も振り返っていた。
 旗を持った手が、下がっている。

 今だ。

 俺は体をよじった。縛られた手首を、背中から前に回す。体が硬いが、やるしかない。

 肩が軋む。だが、通った。

 首の縄に手をかける。結び目を探り、緩める。処刑用の縄は、すぐに締まるよう作られているが、まだ締まっていない。

 縄が外れた。

 俺は処刑台の床に身を伏せ、端まで這った。誰も見ていない。全員が、崩れ落ちる鐘楼を見ている。

 処刑台の下に滑り落ちる。暗闇の中、裏路地に続く排水溝が見えた。

 俺は身を滑り込ませた。


      ***


 排水溝を抜け、路地裏に出た。

 縄を噛み千切り、手を自由にする。
 
 遠くで、まだ騒ぎが続いている。
 大聖堂の方角から、煙が上がっていた。

 俺は懐中時計を取り出した。
 針が、一つ進んでいる。

 残り、二回。

 国葬まで、あと三日。
 追っ手を撒き、大聖堂に潜入し、その時を待つ。

 俺は走り出した。

 アリシア様。
 もう少しだけ待っていてください。

 必ず——約束を、守りますから。
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