【読切短編】処刑台の上で、俺は王女を救うために世界を三回だけ書き換える

Lihito

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2話_追跡者の弱み

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 王都の裏路地を走る。

 処刑場から逃げて、もう二刻は経っただろう。だが、まだ安全ではない。

 背後から、怒号が聞こえる。

「逃がすな! 必ず捕らえろ!」

 追っ手だ。
 俺の逃亡は、すぐに発覚したらしい。

 考えてみれば当然だ。処刑が中断され、罪人の姿が消えた。大聖堂の崩落と関係があると疑われてもおかしくない。

 路地を曲がる。また曲がる。
 
 王宮で働いていた頃、この辺りはよく歩いた。王女の使いで、街の菓子屋や仕立屋を回っていた。

 あの頃は、平和だった。

 ——今は違う。

 足を止めた。
 行き止まりだ。

 背後から、足音が迫る。

「いたぞ!」

 三人。剣を抜いている。

 俺には武器がない。戦闘の訓練も受けていない。侍従だ。茶を淹れ、書類を整理し、王女の話し相手をするのが仕事だった。

 逃げ場はない。

 諦めるか?
 ——いや。

 俺は壁を見た。古い煉瓦造り。ところどころ崩れている。

 登れる。

 俺は壁に飛びついた。指先が煉瓦の隙間を掴む。足をかけ、体を引き上げる。

「待て!」

 追っ手が叫ぶ。だが、俺は止まらない。

 屋根に手が届いた。体を引き上げ、瓦の上に転がり出る。

 追っ手の一人が壁に取りついた。だが、鎧が重いのだろう。なかなか登れない。

 俺は走った。
 屋根から屋根へ。


      ***


 日が暮れた。

 俺は廃屋の中に身を潜めていた。
 追っ手の目を何とか撒いたが、油断はできない。

 懐から、懐中時計を取り出す。
 針は、残り二目盛り。

 使うか?
 いや、まだだ。三回目は王女のために残しておかなければならない。二回目は、どうしても必要な時まで温存する。

 窓の外を見た。
 大聖堂の方角。崩れた鐘楼の残骸が、夕闇に照らされている。

 あそこに辿り着けば、国葬まで身を潜められる。

 だが、大聖堂の周囲は厳重に封鎖されているはずだ。崩落の原因究明と、国葬の警備。二重の意味で、近づくのは難しい。

 どうする。

 考えろ。
 俺には力がない。武器もない。魔法も使えない。

 だが——情報はある。

 十五年間、王宮で働いてきた。宮廷の人間関係、派閥争い、誰が誰を憎んでいるか。全部知っている。

 追っ手を率いているのは誰だ。
 処刑場で見た顔を思い出す。

 ——ヴァルド。

 宰相の腹心。近衛隊の副長。野心家で、手段を選ばない男。

 三年前、ある事件があった。
 宮廷の金庫から金貨が消えた。調査の結果、下級官吏の横領と判明し、その男は処刑された。

 だが、俺は知っている。
 本当の犯人は、ヴァルドだった。

 下級官吏に罪を着せ、自分は出世した。
 その証拠——横領の記録と、ヴァルドの筆跡が一致する帳簿——は、握り潰されたはずだ。

 だが、本当に全て消えたのか?

 宮廷の書記官は、重要な書類は必ず控えを取る。それが習慣だ。あの時の担当書記官は……確か、ゲラン。慎重な男だった。控えを残していてもおかしくない。

 もし、その控えがまだ存在していたら。
 そして、今朝——匿名で王宮に届いていたら。

 ヴァルドはどうする?
 追跡を続けるか?

 いや。奴は保身を優先する。自分の破滅に繋がる証拠が出回っているなら、それを握り潰すことを最優先にするはずだ。


      ***


 翌朝。

 俺は廃屋を出て、大聖堂に向かった。

 人通りの少ない路地を選んで進む。封鎖を避け、裏道を縫うように。

 だが——甘かった。

「見つけたぞ」

 背後から声がした。
 振り返ると、馬から降りた男が立っていた。

 ヴァルドだ。

 剣を抜いている。だが、一人だった。

「……部下はどうした」

「俺一人で十分だ」

 ヴァルドが笑った。

「お前を捕らえた手柄は、俺のものだ。分ける気はない」

 野心家らしい発想だった。
 俺を捕らえれば、宰相からの覚えがさらに良くなる。出世に繋がる。だから、誰にも知らせず、単独で追っていた。

 俺にとっては、好都合だった。

「ヴァルド」

 俺は言った。

「お前に訊きたいことがある」

「何だ。命乞いか」

「三年前のこと、覚えているか」

 ヴァルドの表情が変わった。

「金庫の横領事件。下級官吏のバルトが処刑された」

「……それがどうした」

「本当の犯人は、お前だろう」

 ヴァルドの顔から、笑みが消えた。

「何を根拠にそんなことを」

「根拠?」

 俺は、賭けに出た。

「今朝、王宮に届いたはずだ。匿名の書状が」

 ヴァルドの顔色が変わった。

「三年前の帳簿の控え。お前の筆跡と一致する証拠。ゲラン書記官が、ちゃんと保管していた」

「……何を言っている。そんなものは——」

「ないのか? なら、なぜ顔色が変わった」

 ヴァルドが一歩後ずさった。
 俺は畳みかけた。

「お前が今ここで俺を殺しても、証拠は残る。宰相がお前を守ってくれると思うか? 自分の手が汚れるなら、お前を切り捨てるだろう。お前が一番よく知っているはずだ」

 ヴァルドの剣が、わずかに震えた。

 だが——

「……ハッタリだな」

 ヴァルドが吐き捨てた。

「証拠が届いたなら、俺は今頃ここにいない。王宮で弁明に追われているはずだ。つまり、そんな書状は届いていない」

 読まれた。
 確かに、ハッタリだ。証拠は実際には届いていない。俺の推測に過ぎない。

「口先だけは達者だな。だが、終わりだ」

 ヴァルドが剣を構え直した。

 俺は懐中時計を握りしめた。

 仕方ない。
 使うしかない。

 因果改変。
 二回目。

『三年前、ゲラン書記官は帳簿の控えを保管していた。そして昨夜、何者かがそれを発見し、今朝、匿名で王宮に届けた』

 世界が、歪んだ。


      ***


 馬の蹄の音が響いた。

 ヴァルドの動きが止まった。

 路地の入口に、伝令の兵士が駆け込んできた。

「副長! ここにおられましたか! 王宮から至急のお呼びです!」

 ヴァルドの顔が蒼白になった。

「……何だと」

「今朝、王宮に匿名の書状が届きました。副長に関する重大な告発が——」

「馬鹿な!」

 ヴァルドが叫んだ。その顔から、血の気が引いていた。

 俺はその隙を逃さなかった。

 背後の壁に飛びつく。煉瓦の隙間に指をかけ、体を引き上げる。

「待て!」

 ヴァルドが叫ぶ。だが、追ってこない。
 伝令の目がある。ここで俺を斬れば、「なぜ単独で追っていたのか」を問われる。王宮からの呼び出しを無視すれば、告発が事実だと認めるようなものだ。

 俺は塀の上に這い上がり、向こう側に飛び降りた。


      ***


 日が暮れる頃、俺は大聖堂の北側に辿り着いた。

 崩れた鐘楼の瓦礫が、山のように積み重なっている。
 周囲には兵士がいるが、瓦礫の中までは見ていない。危険だからだ。いつさらに崩れるか分からない。

 俺は瓦礫の山を見上げた。

 昨日、鐘楼を崩した時。
 なぜ「北側に倒れるように」改変したのか。

 答えは、ここだ。

 北側回廊と瓦礫の間。煉瓦と木材が複雑に絡み合い、人一人が入れる空間ができている。

 処刑台から逃げるためだけなら、どこに倒れても良かった。
 だが、俺は「北側」を選んだ。

 国葬まで身を隠す場所を、同時に作るために。

 俺は身を低くして、瓦礫の隙間に滑り込んだ。

 暗い。狭い。煉瓦の欠片が背中に刺さる。
 
 だが、隠れられる。
 
 国葬まで、あと二日。

 俺は懐中時計を取り出した。
 針は、残り一目盛り。

 最後の一回。
 これを、王女のために使う。

 俺は目を閉じた。

 体が疲れている。
 眠らなければ。国葬の日まで、体力を温存しておかなければ。

 瓦礫の隙間で、俺は眠りに落ちた。

 夢を見た。

 幼い王女が笑っている。
 金色の髪。青い瞳。太陽のような笑顔。

「レイン、約束だよ」

「ああ。約束だ」

 俺は夢の中で、何度でも答えた。
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