【完結】帳簿令嬢の答え合わせ ~その不正、すべて帳簿が覚えています~

Lihito

文字の大きさ
35 / 73
第2章:王都謀略編

35話:渡すべきもの

監査院に行く前に、ヴァルト商会に寄った。

出荷停止の通達が出た時、すぐに連絡は入れてある。品質に問題はない、調査中だから待ってほしい、と。商会主は「分かった」とだけ返してきた。短い返事だった。怒っているのか信じているのか、あの人は顔を見ないと分からない。

扉を開けると、商会主が番頭と何か話し込んでいた。こちらに気づいて、立ち上がった。

「停止の件、片がつきました。通達の根拠は潰しました。近日中に解除されます」

「そうか」

商会主が腕を組んだ。こちらを見ている。怒ってはいなかった。待っていた顔だった。

「で、今日は何の用だ。解除の報告だけなら、文で済んだだろう」

「お願いが一つ。ヴァルト商会の直近一年分の取引記録を、写しでいただけますか。監査院に提出します」

「何のためだ」

「うちの軟膏の流通経路を証明するためです。正規の仕入れ元から正規の卸先へ、正当な価格で取引している記録」

「……今出しておく理由があるのか」

「あります。今後、さらに面倒な出来事に巻き込まれる可能性がある。その時に、あなたの帳簿がまともだということを、公的な記録として先に残しておきたい」

商会主の目が変わった。初めて帳簿を見せた時と同じ、数字の向こう側を読む目。

「……大きな話だな」

「大きいです。だから先に手を打ちたい」

商会主が棚から帳簿を一冊抜いた。番頭を呼んで、写しの作成を指示した。

待っている間に、茶が出てきた。

「あんたの軟膏、客の評判はいい。追加発注を出そうと思っていたところだった」

「停止が解けたら、すぐ出荷を再開します」

「待ってる。——ただ、うちの帳簿を出すからには、最後まで筋は通してくれ」

「もちろん」

写しを受け取った。仕入れ日、数量、単価、支払い方法。全部揃っている。

商会を出た。

***

監査院の応接室。

カイルの前に書類を並べた。昨日まとめた取引の構造図。商会ごとの記録の写し。仕入れ元のリスト。

「軟膏の転売の件、報告が終わりではありません」

「……と言いますと」

「転売の裏に、もっと大きな仕組みがあります」

全体像を説明した。ドライゼ商会、ケルツェン商会、フォーゲル商会、ランゲ商会。同額の取引が輪を描いて回っている。帳簿上の売上だけが膨らんで、実態がない。

「金が輪を描いて回ってるだけなんです。でも帳簿の上では全員が売上を計上できる。その売上を信用にして融資を受けている商会が複数ある」

カイルが取引記録を一枚ずつ確認していた。表情が変わっていく。

「全部の輪の中心にいるのがエルスト商会です」

カイルの手が止まった。

「産地偽装も同じ根です。アーレン領産の軟膏がブランドをすり替えられて流通していた。窓口は全てエルスト商会の系列」

書類の束を押した。

「ここから先は監査院で追ってください」

カイルが書類を受け取った。取引記録を一枚ずつ確認している。指が数字を追っている。

「……大きい話ですね。ただ、帳簿上の売上が水増しされているだけなら、実害は——」

「あります。水増しされた売上を信用にして、実際に融資を受けている商会があります。借りた金は本物ですから、店も出せる、人も雇える、税も払える」

カイルの手が止まった。

「……それで街の景気がいいように見えている、と」

「全部がそうだとは言い切れません。でも、この輪に入っている商会は相当数ある。そして嘘の売上が止まれば信用が消えて、融資が返せなくなって、全部倒れます」

カイルが書類を持ったまま、こちらを見ていた。

(バブル。……この街全体が、嘘の信用で膨らんでいる)

「それと、今回の出荷停止の通達。上から降りてきたものでしたよね」

カイルの目が動いた。

「品質基準の見直し通達、ですね」

「この仕組みを守りたい人間がいるとすれば、うちの軟膏が正規ルートで流通するのは都合が悪い。出荷停止の通達を出す動機はある」

名前は出せない。そもそも誰が出したのかは分からない。ただ、動機のある人間が上にいるという推測は伝わったはずだ。

「もう一つ。この仕組みは意図的に作られたものです。この規模のものが勝手に回り始めるとは考えにくい」

「……意図的に」

「膨らませた人間がいるなら、弾けさせるタイミングも選べる。もし主要商会への一斉処分命令が出たら、それは不正対策じゃありません」

カイルがこちらを見た。

「崩壊させる合図です」

部屋が静かになった。

「……覚えておきます」

カイルの声は低かった。

「これを預けておきます」

ヴァルト商会の取引記録の写しを出した。

「うちの軟膏の正規流通経路です。ヴァルト商会との取引は全て正当な価格と数量で行われている。もし一斉処分が出た時に、この帳簿を持つ商会まで対象に含まれていたら——その処分が妥当じゃないことの証明になります」

カイルが受け取って、別の棚に仕分けた。

「出荷停止の通達ですが、今回の調査結果を踏まえて、報告書に不当であったと記載します。停止は解除です」

「助かります」

立ち上がった。

「王都の用件は終わりました。帰ります」

「こちらは正式に報告書を上げます。転売ネットワークの摘発報告として。輪の全容調査はこれから入ります」

「よろしくお願いします」

「——お気をつけて、アイリス・ヴァレンシア様」

***

監査院を出ると、グレンが門の横に立っていた。

「終わったわ」

「帰りますか」

「帰る」

王都の通りを並んで歩いた。朝の光が建物に当たっている。

「グレン、帰ったらトビアスに出荷再開の連絡を頼んで。生産計画の見直しも」

「分かりました」

「セバスには——帰れば分かるか。あの人は顔を見れば察するから」

しばらく黙って歩いた。

「……お疲れ様でした」

グレンが言った。珍しい。

返事はしなかった。少し歩く速度を上げた。

***

財務卿府の最上階。

ヴィクトール・ハイゼンは、監査院から届いた報告書を読んでいた。

薬種通りにおける転売ネットワークの摘発報告。産地偽装。関連商会の取引記録。

最後のページを閉じた。机に置いた。

「——またあの小娘か」

報告書には転売の摘発としか書かれていない。だが取引記録が監査院に渡った。辿れば輪が見える。輪が見えれば、その先も見える。

前回はブルクハルト商会だった。末端の駒が一つ消えた。それだけだった。

今度は末端ではない。仕組みの血管に触れられている。

窓の外を見た。王都の街並み。自分が回した金で動いている街。

机の端に、帝国トレヴィーゾの封蝋が押された書簡があった。三日前に届いたまま、未開封。

手が伸びかけた。

止めた。

たかが辺境の小娘一人だ。この程度のことを、いちいち報告する必要はない。自分の管轄は自分で始末する。

椅子から立ち上がった。窓際に歩いた。

王都の屋根が午後の光に照らされている。前回、この窓から見た景色と同じだ。だがグラスには手を伸ばさなかった。

「次は——こちらから動く」

声は低かった。余裕の色は、もう残っていなかった。
感想 10

あなたにおすすめの小説

「通訳など辞書で足りる」と追放された令嬢——三国会談で、婚約者は一言も話せなくなった

歩人
ファンタジー
宮廷通訳官エレノーラは五つの言語を操り、婚約者クラウスの外交を陰で支えてきた。 だがクラウスは言った。「通訳など辞書で足りる。お前は要らない」 追放されたエレノーラは隣国で新たな道を歩み始める。 一方、クラウスは三国会談の場で辞書片手に立ち往生。 誤訳が外交問題に発展し、窮地に陥ったその場に、隣国の通訳官として現れたのは——。 「その言葉は、もう翻訳できません」

「お前がいると息が詰まる」と追放された令嬢——翌週から公爵家の予定が全て狂った

歩人
ファンタジー
クラリッサは公爵家の日程管理を一手に担う令嬢。前世の社畜経験を活かし、行事計画、来客対応、予算管理まで完璧にこなしていた。 だが婚約者ヴィクトルは言った。「お前がいると息が詰まる。もっと華やかな女がいい」 追放されたクラリッサが去った翌週、公爵家の予定が全て狂い始める。 舞踏会の招待状は届かず、外交晩餐会の料理は手配されず、決算書類は行方不明。 一方クラリッサは、若き領主の元で「定時退社」という夢を叶えていた。 「もう、残業はしません」

辺境は独自路線で進みます! ~見下され搾取され続けるのは御免なので~

紫月 由良
恋愛
 辺境に領地を持つマリエ・オリオール伯爵令嬢は、貴族学院の食堂で婚約者であるジョルジュ・ミラボーから婚約破棄をつきつけられた。二人の仲は険悪で修復不可能だったこともあり、マリエは快諾すると学院を早退して婚約者の家に向かい、その日のうちに婚約が破棄された。辺境=田舎者という風潮によって居心地が悪くなっていたため、これを機に学院を退学して領地に引き籠ることにした。  魔法契約によりオリオール伯爵家やフォートレル辺境伯家は国から離反できないが、関わり合いを最低限にして独自路線を歩むことに――。   ※小説家になろう、カクヨムにも投稿しています

「嫌われ者の公爵令嬢は神の愛し子でした。愛し子を追放したら国が傾いた!? 今更助けてと言われても知りません」連載版

まほりろ
恋愛
 公爵令嬢のアデリナ・ブラウフォードの人生は実母の死後大きく変わった。  公爵は妻の葬儀が終わって間をあけず再婚。公爵と後妻の間には、再婚前に作った子供までいた。  アデリナは継母と異母妹に私物を奪われ、「離れ」と名ばかりの小屋に押し込められる。  腹違いの妹はアデリナを悪者に仕立て、周囲はそれを信じた。  本来ならアデリナの味方にならなくてはならない婚約者の王太子も、異母妹の魅力に骨抜きにされ全く頼りにならない。  学園の教師も、生徒も、生徒の保護者も王太子と異母妹の味方だ。    そんなアデリナにも唯一の味方がいる。それはトカゲのクヴェル。クヴェルは美少年に変身し、家事も炊事も裁縫も完璧にこなす不思議な存在だ。  実はクヴェルはこの国の建国に携わる水竜で、アデリナは三百年前に水竜を救った初代女王の生まれ変わりだったのだ。  アデリナを蔑ろにする国に嫌気がさしたクヴェルは、アデリナを連れて旅に出る。  神に去られた国は徐々に荒廃していき……。  一方その頃、祖国の荒廃を知らないアデリナはクヴェルとのグルメ旅を満喫していた。  「ん~~! このアップルパイは絶品! 紅茶も美味しい!!」 ・人外×人間、竜×人間。 ・短編版は小説家になろう、pixivにもアップしています。 ・長編版を小説家になろうにも投稿しています。小説家になろう先行投稿。 「Copyright(C)2025-まほりろ」 ※タイトル変更しました(2025/05/06) ✕「卒業パーティーで王太子から婚約破棄された公爵令嬢、親友のトカゲを連れて旅に出る〜私が国を出たあと井戸も湖も枯れたそうですが知りません」 ✕「嫌われ者の公爵令嬢は国外追放を言い渡される。私が神の祝福持ちだと王家が気付いた時には国の崩壊が始まっていました」 ◯新タイトル「嫌われ者の公爵令嬢は神の愛し子でした。愛し子を追放したら国が傾いた!? 今更助けてと言われても知りません」 ・2025年5月16日HOTランキング2位!  ありがとうございます! ※表紙イラストは猫様からお借りしています。

【完結済】破棄とか面倒じゃないですか、ですので婚約拒否でお願いします

恋愛
水不足に喘ぐ貧困侯爵家の次女エリルシアは、父親からの手紙で王都に向かう。 王子の婚約者選定に関して、白羽の矢が立ったのだが、どうやらその王子には恋人がいる…らしい? つまりエリルシアが悪役令嬢ポジなのか!? そんな役どころなんて御免被りたいが、王サマからの提案が魅力的過ぎて、王宮滞在を了承してしまう。 報酬に目が眩んだエリルシアだが、無事王宮を脱出出来るのか。 王子サマと恋人(もしかしてヒロイン?)の未来はどうなるのか。 2025年10月06日、初HOTランキング入りです! 本当にありがとうございます!!(2位だなんて……いやいや、ありえないと言うか…本気で夢でも見ているのではないでしょーか……) ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽ ※小説家になろう様にも掲載させていただいています。 ※作者創作の世界観です。史実等とは合致しない部分、異なる部分が多数あります。 ※この物語はフィクションです。実在の人物・団体等とは一切関係がありません。 ※実際に用いられる事のない表現や造語が出てきますが、御容赦ください。 ※リアル都合等により不定期、且つまったり進行となっております。 ※上記同理由で、予告等なしに更新停滞する事もあります。 ※まだまだ至らなかったり稚拙だったりしますが、生暖かくお許しいただければ幸いです。 ※御都合主義がそこかしに顔出しします。設定が掌ドリルにならないように気を付けていますが、もし大ボケしてたらお許しください。 ※誤字脱字等々、標準てんこ盛り搭載となっている作者です。気づけば適宜修正等していきます…御迷惑おかけしますが、お許しください。

婚約破棄された公爵令嬢は冤罪で地下牢へ、前世の記憶を思い出したので、スキル引きこもりを使って王子たちに復讐します!

山田 バルス
ファンタジー
王宮大広間は春の祝宴で黄金色に輝き、各地の貴族たちの笑い声と音楽で満ちていた。しかしその中心で、空気を切り裂くように響いたのは、第1王子アルベルトの声だった。 「ローゼ・フォン・エルンスト! おまえとの婚約は、今日をもって破棄する!」 周囲の視線が一斉にローゼに注がれ、彼女は凍りついた。「……は?」唇からもれる言葉は震え、理解できないまま広間のざわめきが広がっていく。幼い頃から王子の隣で育ち、未来の王妃として教育を受けてきたローゼ――その誇り高き公爵令嬢が、今まさに公開の場で突き放されたのだ。 アルベルトは勝ち誇る笑みを浮かべ、隣に立つ淡いピンク髪の少女ミーアを差し置き、「おれはこの天使を選ぶ」と宣言した。ミーアは目を潤ませ、か細い声で応じる。取り巻きの貴族たちも次々にローゼの罪を指摘し、アーサーやマッスルといった証人が証言を加えることで、非難の声は広間を震わせた。 ローゼは必死に抗う。「わたしは何もしていない……」だが、王子の視線と群衆の圧力の前に言葉は届かない。アルベルトは公然と彼女を罪人扱いし、地下牢への収監を命じる。近衛兵に両腕を拘束され、引きずられるローゼ。広間には王子を讃える喝采と、哀れむ視線だけが残った。 その孤立無援の絶望の中で、ローゼの胸にかすかな光がともる。それは前世の記憶――ブラック企業で心身をすり減らし、引きこもりとなった過去の記憶だった。地下牢という絶望的な空間が、彼女の心に小さな希望を芽生えさせる。 そして――スキル《引きこもり》が発動する兆しを見せた。絶望の牢獄は、ローゼにとって新たな力を得る場となる。《マイルーム》が呼び出され、誰にも侵入されない自分だけの聖域が生まれる。泣き崩れる心に、未来への決意が灯る。ここから、ローゼの再起と逆転の物語が始まるのだった。

婚約破棄された回数、五回。すべて同じ令嬢の策略だったと気づいたとき、王国の貴公子たちはもう手遅れだった

歩人
ファンタジー
婚約破棄された回数は五回。 もう一度増えても、きっと慣れる——そう思っていた。 一度目は「密通」の噂で。二度目は「未練」。三度目は「詐称」。 毎回違う噂が流れ、毎回婚約者に捨てられた。 「呪われた令嬢」——社交界でそう呼ばれるようになった伯爵令嬢ベアトリーチェ。 六度目の縁談の相手は、公爵子息エドヴァルト。 彼は言った。 「五度も婚約破棄が続くのは、自然ではありません。むしろ不自然だ」 そして始まった調査の先に待っていた真実は—— ベアトリーチェが最も信じていた人物の、五年にわたる策略だった。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。