海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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1 伯爵令嬢

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「よく来てくれたハンナ、わが妹よ」

 全身にたっぷりと脂肪をたくわえた男が言った。頬の肉がぷるぷる震えている。豚まんじゅうという言葉が頭の片隅に浮かんだね。
 その豚まんじゅうのツラは、屈託のない笑顔に見えた。演技だったらたいしたもんだ。このアタシを欺けるだけの器量があるってことになる。

 アタシがじっと値踏みしていると、豚まんじゅうの笑みが崩れた。目尻からポロポロと涙がこぼれる。

「辛かったであろう、おまえにはすまぬことをしたと思っている。許せとは言わぬ。これからはこの屋敷がおまえの家だ。不自由はさせぬつもりだから…ううっ」

 それ以上は言葉が続かなかった。豚まんじゅうはアタシを強く抱きしめ、牛の鳴き声に似た嗚咽おえつを漏らした。

「うおおおーん! ハンナ、ハンナー!」

「……」

 呆れちまって閉口したね。大の男がなんて鳴き声、いや泣き声だ。もちろん、こっちの顔にはつゆとも出さなかったが。

 とはいえ、それだけ哀れに思ったんだろう。アタシのナリは哀れみを誘うのに十分だっただろうから。

 いまのアタシはわずか8歳の痩せっぽちのチビで、しかも薄汚れた身なりをしている。髪もボサボサ、伸び放題だ。豚まんじゅうが本心からアタシを妹と思っているなら、哀れで仕方ないはずだ。仮にも伯爵令嬢ってナリじゃないからね。

 そう、アタシはいま伯爵令嬢ということになってる。目の前の豚まんじゅうは正真正銘の伯爵さまだ。コンラート・フォン・グレッツナー伯爵。25歳。一応アタシの兄らしい。

 どうして『一応』なのかというと、これには色んな事情がある。まず第一に、コンラートとアタシとは異母兄妹なんだ。コンラートの母は貴族、アタシの母は平民だ。もうわかったと思うけど、アタシは妾腹の娘なんだ。

 いや、母は正確には妾ですらなかったかもしれない。何度か気まぐれにもてあそんだ町娘のことなんか、先代のグレッツナー伯爵は覚えちゃいなかっただろうからね。だからアタシは貴族社会とは無縁の裏町で、女手ひとつで育てられてきた。兄のコンラートと対面したのは今日がはじめてだ。

 それから、これがもっとも重要なことなんだけど、アタシはそもそもこの世界の住人じゃない。生まれたときから前世の記憶を持っているんだ。

 信じられないだろうから、誰にもしゃべっちゃいないよ。だけど聞いて驚きな。アタシの前世は、裏社会にその人ありと知られた海千山千の女親分『金貸しのしらみ』なのさ。

 それがなんの因果か、妖怪やら妖術がはびこるこの世界に転生したのさね。おっと、モンスターと魔法だったっけ。耳なじみがないったらありゃしないよ。まるでピコピコの世界さ。

 この世界でのアタシの母は、もともと善良な町娘で、それから馬鹿な娼婦に成り下がった。いつも先代のグレッツナー伯爵から手切れ金代わりにもらった金時計を握りしめてね、いつか伯爵家に迎えられるんだ、私は伯爵夫人なんだって夢見ながら、梅毒ばいどくにやられて逝っちまった。

 母はアタシの忠告なんか、一度も聞かなかったね。本当は現実と向き合うのが怖かったんだろ。金時計を売って、まともな商売でも始めなって、アタシが説得しても、首を縦にゃふらなかった。

 だからね、アタシは母が死んだ朝、覚悟を決めたんだ。金時計を証拠に突きつけて、伯爵家の使用人にでももぐりこんで━━内からグレッツナー伯爵を破滅させてやるってね。

 『しらみ』とあだ名されたアタシにとっちゃ朝飯前だ。組織でも家族でも、崩壊させるのは大の得意さ。…作るのは苦手なのにね。つまんない特技があったもんだよ。

 ところが今日、伯爵家の門を叩いて、アタシは先代のグレッツナー伯爵がとうに死んでいたことを知った。2年も前の話らしい。ため息が出たね。しょうがない、こうなったら先代の息子━━当代のグレッツナー伯爵に復讐してやろうって悪度胸を決め込んだところで、この豚まんじゅうさ。

「ああ、ハンナや…たったひとりでこの歳まで、よくぞ…」

 家臣から話を聞いたんだろ、対面するなりニコニコするやら泣き出すやら、すっかり毒気がうせちまった。どうなってんだろうね、この豚まんじゅうは。妾腹の娘が薄汚いナリで現れたってのに、かまいやしないで抱きつくんだから。これでも貴族なのかね。

「コンラート様…ハンナ様。ぐすっ」

「本当に良かった…」

 周りの使用人まで涙を流してアタシたちを見守ってるよ。安っぽいテレビ番組じゃないんだよ。感動のご対面ってわけかい。

「……」

 …おや、ひとりだけ冷めた目でアタシを見ているやつがいる。キツネのように細面で目が細い、歳の頃は二十代とおぼしき男だ。いかにもうさんくさい話だと思ったんだろ。とうのアタシも同感さ。どうやらアンタだけはマトモらしいね。

 冷めた目つきをしたキツネ顔の野郎がフンと鼻を鳴らしたところで、豚まんじゅうがキツネ顔のほうに振り返った。

「クラウス、ハンナは私の妹だ。わが伯爵家の令嬢として、身なりを整えてあげなさい」

「はい、旦那さま」

 キツネ顔は不服さを隠そうともせずに応えてから、アタシに向かい軽く腰を折って言う。

「お嬢様、ご案内いたします」

 アタシはちょいといたずら心がわいたね。キツネ顔がアタシのことを内心、乞食娘めと思っているのが丸わかりだったからね。あえてすまして、言ってやったさ。

「ええクラウス、よろしく頼みます」

 とろい豚まんじゅうは気づかなかったみたいだが、キツネ顔が目をみはった。そりゃそうだろ。なにせが萎縮することなく、使用人に対してあるべき態度でふるまったんだから。

 アタシに前世の記憶がなけりゃ、すっかりまごついてただろうけどね。アタシはさらに続けて言った。

「それではお兄様、また後ほどお目にかかりますわ」

 足を引き腰を軽く落とし、スカートをつまんで会釈すると、さすがに豚まんじゅうも気づいたらしい。

「おお、ハンナ。さすがは伯爵家の高貴な血を受け継ぐ者よ。どれほど身をやつそうとも、隠すことのできぬ気高きふるまい…」

 豚まんじゅうがまた涙ぐんだ。使用人たちはアッケにとられている。まったく、昭和ヒトケタをなめるんじゃないよ。行儀作法ができなきゃ嫁の貰い手がなかった時代なんだ。ひととおりのことはお茶の先生に教わってるさね。乞食娘と思い込んでたキツネ顔はいい面の皮ってもんだ。

「…こ、こちらでございます」

 キツネ顔のマヌケ面を余裕たっぷりに観察したあと、アタシはすまし顔で案内に従ってやった。
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