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4 債権回収
しおりを挟む「お兄様、わが家はずいぶんと債権を持っているのですね」
カジノ話から日を改めて。クラウスが席を外しているタイミングを見計らって、アタシはコンラートに話を切り出した。コンラートはキョトンとしている。
「債権…なんのことだろう」
「いやですわ、わがグレッツナー家は、領民に金銭を貸しつけているではありませんか」
「ああ、そのことか…。いや、いずれは取り立てる必要かあるとは思っていたんだよ。そうか、それがあったな」
どうやらいまのいままで忘れていたらしい。こういうのも放漫財政っていうのかねえ。このあいだ書庫の片隅で、取り立てた形跡のない貸付帳簿を見つけたときは、アタシゃなにかの見間違いかと思ったよ。
それはアタシが伯爵家に身を寄せる以前、3年前の帳簿だった。当時はそれほど金銭的に切迫していなかったんだろう。領民相手に金貸しの真似事をやって、収入の足しにしようと思ったようだね。
正直、悪くない手だ。領民相手なら領主は強気に出られるし、先日のカジノ事業のように、取りっぱぐれる心配はない。そのかわり利も薄いようだ。利息も含めて全額回収したところで、グレッツナー領の税収の千分の一ほどだろう。
そのくせ面倒なのはみょうに債務者の数が多いことだね。全部小口の借金なんだ。いちいち取り立てて回る手間といったらないね。いや、でもそうだね…。
ここは封建的社会制度の世界なんだ。領主の命令で債務者を呼び寄せることもできる。
「お兄様、この債権回収を私にお任せいただけませんか」
「な、なにを馬鹿なことを」
馬鹿に馬鹿と言われてしまった。
「いいかいハンナ、わが領地で回収を行うということは、帝都から出なくちゃならないんだよ。おまえ、帝都から出たことがないだろう」
「そんなの案内をつけていただければ済むことです」
「だけどね、女で、しかもまだ子どものおまえが…」
「ねえ、いいでしょうお兄様。私、お兄様のお役に立ちたいのです」
アタシが猫なで声を出すと、コンラートはうなりはじめた。
「うーん、しかしねえ」
「これを機に、私、グレッツナー領を見てみたいわ。帝都からとても近いんでしょう?」
「おお、なるほど、それはとても良いことだね。わが故郷をおまえも見ておくべきかもしれない。たしかにグレッツナー領は帝家直轄領と隣接していてとても近いし…」
「決まりですね」
「うん、騎士を5人ほどつけよう、それならば行ってきなさい」
この時代はずいぶん平和なようだね。百年ほど前までは魔族と戦争をしていたらしいが、先代の魔王が死んでから、長く平和が続いている。新しい魔王が穏健というより、魔王はまだ権力基盤を確立するのに精一杯なんだろうってのが、帝国首脳部の見方だ。
たいていの魔族は人族より長命で、何をするにも気が長い。百年単位で物事を考えるのが当たり前らしいね。この平和はさらに百年ほど続くだろうと予測されている。一度戦争を経験したアタシにとっちゃありがたいことさ。二度はもうたくさんだよ。
そんなわけで、伯爵令嬢が少人数で旅をするのも許されるってわけだ。4頭だての馬車で屋敷を発って、2日後にはもうグレッツナー領に着いた。街道はそれなりに整備されていて治安もいい。けど帝家の管轄の関所とグレッツナー領の関所、ふたつ通らなきゃならなかった。
関所なんて言われても、若い子にはわかんないだろ。入管と税関みたいなモンさ。この世界じゃ国内を移動するのにパスポートと税金がいるのさ。地方分権だからね。それぞれの領地が独立国みたいなもんなんだ。江戸時代の日本に近いね。
不便なのはパスポートよりも入領税だ。人にもかかるし荷物にもかかる。おまけに関所だけじゃなくて、都市に入るにもかかる。まったく商人泣かせだよ。前世でも高速道路で金を取るのは詐欺だと思ったもんだけど、この世界はそれよりよっぽど悪どいや。
グレッツナー領の領府がある都市ウレドは、この世界の常識どおりに城郭都市だ。人口は15万人。グレッツナー領全体の人口が50万人ほどだから、伯爵にふさわしいちいさな領さ。目立った産業もなく、地勢学上の重要地点でもない。はっきり言って片田舎だね。
アタシはウレドに到着早々、領内全域に対して布告を発した。債務者の招集だ。債務者の家まで借金の取り立てに出向いたことは何度もあったけど、債務者を呼びつけるなんて初めての経験さ。国家権力というのは恐ろしいもんだね。捜査権、逮捕権、裁判権。ヤクザなんかよりよっぽどタチが悪いよ。
逃げられない、そういう幻想があればこそ、債務者を呼びつけにできるわけさ。民間人にできるのは『お願い』までだが、為政者は『命令』できるんだ。権力の裏づけに軍事力まであるんだからね。
こうして為政者の側の末端に加わってみると、そういうことがありありとわかるのさ。アタシが前世で金貸しをやっていたとき、裏づけになっていた武力はケツモチのヤクザと子飼いのチンピラだった。それがいまでは軍隊だ。頼もしいねえ。
招集日は3日後。それまでアタシは領内を巡察した。ショボくれた村、ショボくれた街。だけどどこか懐かしいような気分になったのは、ここが日本に似た地勢だったせいかもしれない。
平野部は領土の3割ほどで、いたるところに山脈のすそが張り出しているんだ。それはたとえば、地平線のただ中で生きるモンゴル人なら息苦しいと感じる風景かもしれない。だけど水利は豊かだし、林業もある。こういうのを恵まれていると思うのは、アタシが日本人だからなんだろうか。
そういったくだらない郷愁が呼び水になったのかもしれない。アタシは10年ぶりに例の夢を見た。転生してからは一度も見なかった夢さ。前世では繰り返し見た夢さ。
前世の、アタシの娘が泣いている。アタシの息子が軽蔑をはらんだ視線を向けてくる。
『もう学校に行きたくない』
小学生の娘が泣き言を言う。アタシは戸惑っている。そして戸惑いは次第に怒りへと変化する。
『どうしたっていうんだい。誰かにイジメられたのかい?ようし、それならアタシが、いじめっ子を口も利けなくしてやる。そいつがいったい誰の娘に手を出したのか、思い知らせてやるよ』
『母さん』
息子がいままで聞いたこともないような冷ややかな声を出した。
『ぼくたちは母さんがいままで何をやってきたのか、みんな知ってるんだ。なぜだかわかるかい?学校のクラスメイトから聞かされたからだ。ぼくたちがしらみの子どもだって。だから、もう、みんな知ってるんだよ』
それはアタシがいちばん恐れていたことだった。子どもたちにだけは知られないように、今まで細心の注意を払ってきた。なのに。
『腕や足を失くした父親。夜の街で身体を売る母親。そんなになっても、その家の子どもにはわずかな小銭も残らない。金貸しのしらみはそういう家庭をいくつも生みだしたんだ』
『だけど、それは…』
アタシはあんたたちのために。
言いかけたアタシの舌先は、息子の冷ややかな視線に凍りついた。
『吐き気がするよ。ぼくがアンタの息子だって事実に』
そう吐き捨てて、息子がアタシに背を向けた。ふと気づけばいつの間にか子どもたちは成人していて、トランクひとつ抱えて家を出ていこうとしている。
まっておくれ。いかないでおくれ。
アタシの言葉は声にならない。なぜなら、こんな場面は現実にはなかったからだ。これは夢なんだ。現実では、アタシの子どもたちは留守の間に出ていった。アタシが仕事から帰ってくると、書き置きひとつなしにいなくなっていた。
アタシは前世で、いちど全部を失くしたんだ。誇張なしに、本当に全部さ。残りの40年近い人生は、ただの地獄だった。地の底のどぶ泥の中でもがくだけの余生にすぎなかった。
そんな絶望のはじまりをたっぷり味わったあと、アタシは目覚める。しわひとつない10歳の身体は汗みずくになっていて、アタシは天蓋つきのベッドで静かに涙を流した。
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