8 / 46
7 善政の報酬
しおりを挟む「ハンナ、さすがに説明してもらう必要があると思うのだが」
帝都にあるグレッツナー家の上屋敷に戻るやいなや、アタシはコンラートから呼び出しをうけた。先に帰着した騎士からことの次第を聞いたらしい。コンラートは困り顔で、そばにひかえるクラウスはピリついている。
「聞けばおまえは、取り立てた借金の一部で宴会を開き、その席で借用証書を燃やしたというじゃないか。これは尋常なふるまいではない」
アタシはあえてすまし顔で、うなずいてやった。
「いけませんでしたか」
「そりゃ、そうだろう。借用証書はわが家の財産の一部だ。それをおまえは、意味もなく燃やしてしまったのだよ」
クラウスがアタシをにらんでいる。コンラートは困り果てている様子だ。予想通りの展開さね。私は執務机を前にして、コンラートの目を見つめ、ハッキリとした口調を心がけて言った。
「ご説明いたしますわ」
「頼む」
「まず、宴会をひらいた理由ですが。債務者たちの気分を盛り上げる必要があったからです。それに債務者全員を一同に集めるためでもあります」
「それは?」
「あのように1ヶ所に集められれば、誰も嘘はつけません。返済能力があるのにないと偽ることもできませんし、その逆もしかり。げんに返済できると嘘をついたものを、幾人か見破ることができました」
「なるほど」
「次に借用証書を燃やした件ですが」
「そうだ、そこが肝心なのだ」
「燃やした証書は返済能力がないものだけです。能力がないものから強引に取り立てたところで、金が湧いてでてくるはずもありません。無いソデはふれないのです。それどころか」
「どころか?」
「強引に取り立てれば、夜逃げする輩もあらわれます。領民に夜逃げされれば、借金どころか税をとることさえできなくなります。しかも彼らは逃げた先で領主の悪口を言いふらすでしょう。百害あって一利なしとはまさにこのことですわ」
「ふむう」
「領主は下賤な金貸しに成り下がり、領民は領主を裏切って逃げ出す。このようなありさまを見て、きっと世間はお兄様を馬鹿にしましょう。そこで私は、逆のことをしたのです」
「逆?」
「私はなんの役にも立たない借用証書を燃やすことで、領民に恩を売り、お兄様の名声を高めてきたのです。うわさはアッという間に広まりましょう。世間はお兄様のことを仁君と呼び名君と讃えること疑いありません」
コンラートは何度かうなずいた。だがその表情は完全に晴れたとはいえない。
「なるほど、よくわかった。だが、ハンナよ。ひとつ聞きたいのだが」
「なんなりとお聞きくださいませ」
「それがいったい、なんの役に立つのだ?」
これだよ。
貴族というものの度し難さはここにあるのさ。ここは民主主義の世界じゃない。封建制の世界なのさ。極端な話、為政者は民意を汲む必要がない。コンラートは生まれついての貴族だからね。そもそも民草のことなんか、考えちゃいないだろう。そのことを証明するように、コンラートが語りはじめた。
「なるほど、民たちの間では私のことが評判になるかもしれない。他領にもうわさは広まるだろう。だがそれがいったいなんの役に立つのだ?民から人気があったとしても、貴族社会ではなんの意味もない。領からの税収が増えるわけでもあるまい。私には結局、まったく得がない」
「そのとおりでございますぞ、お嬢様」
クラウスが追従してきた。
「結局、あなたがやったことは、グレッツナー家の財産を不当に損なっただけのこと。反省なさいませ」
「いいえ、クラウス、お兄様。利益はあります。わがグレッツナー家は、豊かに生まれ変わりますわ」
「ほう、それではお嬢様のご意見をたまわりましょう」
小馬鹿にした口調でクラウスが言った。ものの道理がわからない若造さ。…だけどアタシもこいつらを馬鹿にできる立場じゃないね。ほんの数日前まで、義理や人情に意味があるとは思ってなかったんだから。だけど今ならわかる。大きなことをやるためには、義理人情が大事なんだ。アタシはスッと息を吸い込んだ。
「領民に対する善政は、統治の安定をもたらすのです」
「お嬢様、グレッツナー領は今でも充分に安定しておりますよ」
「クラウス、想像してごらんなさい。領主が民に重税を課し、労役を課し、文化を弾圧し、処刑や投獄を盛んに行う領地を」
「グレッツナー領はそこまで…」
「ええ、そこまでやってはいません。ですが今回、強引に借金を取り立てていたら、夜逃げした領民は他領でお兄様を暴君と罵ったでしよう。その場合…」
アタシはちらりとコンラートを見やった。愚かだが優しい兄さ。アタシはコンラートの恩に報いるって決めたんだ。
「その場合、お兄様がすすめていらっしゃる、グレッツナー領の開拓事業に出資するという商人は、永久に現れないでしょう」
「それは、どうでしょうか。お嬢様、商人とは利益だけを考えるものです。利益になることさえ示せば…」
「いいえ、クラウス。商人とはものを買い、ものを売る仕事なのです。買うものがなく、売るものがない土地に投資しようなどとは考えません。だから想像しなさいと言ったのです」
「想像?」
「悪政でやせ細った領地を想像なさい。この土地に何を売ろうか。この土地からなにを買おうか。商人の身になって想像するのです」
「……」
クラウスが押し黙った。考え込んでいるふうだ。こいつはあんがい、素直な性格をしているのかもしれないね。
「悪政で聞こえた領地のとなりには、まったく逆に善政で知られた領地があったとします。税は軽く、労役は少なく、領民の生活の余裕が多様な文化を盛んにうみだしている。そんな領地です」
「うっ」
なにかに気づいたらしいクラウスがうめき声を漏らした。だけどアタシは容赦しないよ。
「クラウス、あなたが商人なら、どちらの土地に投資しますか?さあ、答えなさい」
「…それは、善政の領地です」
「もうわかりますね?商人はうわさに敏感です。それは商売で、投資で損をしたくないからなのです。グレッツナー領では商品が売れるか。グレッツナーから質の良い商品を買えるか。それを知るためのひとつの尺度が、統治が安定しているか、否か、なのです」
コンラートはきょとんとしている。こいつは馬鹿だから話についていけないのだ。べつにかまわないさ。コンラートは貴族社会のことだけ考えていればいい。典型的なバカ貴族でかまわない。アタシが全力でグレッツナー家の財政を支えてみせる。
「私は今回、お兄様の名声を高めてきました。グレッツナー伯爵が名君だと知られれば、必ずや商人は開拓事業の投資に乗ってくるでしょう」
アタシは自信満々に言いきった。だがそこでクラウスがため息を吐き出す。
「…お嬢様、たしかに理屈はわかりました。ですが、私にはまだ信じられません。開拓事業のプロジェクトが始まってすでに1年。たくさんの商人に対して出資を持ちかけてきましたが、ひとつも良い返事はなかった。そんなにうまくいくものでしょうか」
「うまくいかせるのですよ。それがあなたの仕事でしょう?」
アタシが言うと、クラウスはまたため息をついた。
なんだかクラウスはマイっちゃってるみたいだね。開拓事業を主導しているのは、家宰であるクラウスだろう。にっちもさっちも進まない開拓事業に、いいかげん疲れているのかもしれない。
開拓事業か。これはアタシも一枚かんでみるべきかもしれない。どうもクラウスは頼りないし、事業がコケればグレッツナー家には負債だけが残る。
「クラウス、私はいつでも相談に乗りますよ」
「はあ」
クラウスはなんとも煮えきらない返事をする。なんといっても10歳の童女に頼る気にはなれないみたいだね。そりゃまあそうだろう。やっぱりアタシが自分から首を突っ込むしかないだろうねえ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる