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8 ハンナ・グレッツナーという少女(クラウス視点)
しおりを挟む2年前、グレッツナー家の門をたたいた薄汚い少女が、いま私を恐怖の淵に立たせている。
少女、ハンナお嬢様はまぎれもない天才だ。私がそのことにハッキリと気づいたのは、カジノ問題のときだった。
グレッツナー家の下屋敷で、貴族向けのカジノを経営するという、ラングハイム公爵からもたらされたプランについて、私ははじめ賛成の立場だった。私も旦那さまも、何も知らずラングハイム公の仕掛けたワナにはまるところだったのだ。
だがハンナお嬢様は、カジノの話をひととおり聞くやいなや、あっさりとラングハイム公の企みを喝破してしまった。わずか10歳の少女がだ。
なんとかラングハイム公に話をつけて、カジノ経営のプロジェクトはなかったことにしてもらったが、問題が片づいてから、あらためてぞっとした。
ハンナ・グレッツナーとはいったい何者なのだ。貴族としての教育をほどこされているとはいえ、およそ子どもに似つかわしくない犀利な頭脳をもっている。ふつう10歳くらいの貴族令嬢といえば、花とお茶とドレスくらいにしか興味がないはずだ。
頭の良い子どもだとは思っていた。第一印象はともかく、はじめて会ったときから、抜け目ない少女だとは思った。この2年間は、勉学に熱心で、感心してもいた。だが、カジノ問題のときにみせた知性のきらめきは、私を圧倒した。
そして領民に対する債権回収問題だ。
私はいつのまにか、10歳の少女に対して、ムキになってしまった。問題を解決するためにとったハンナお嬢様の手腕が、空恐ろしかったからだ。ムキになって食ってかかり、したたかに打ちのめされた。
旦那様の名声を高め、ひいてはグレッツナー領を豊かにするというハンナお嬢様の考えは、もはや知性で語られるレベルではなかった。ああいうものを深慮遠謀と呼ぶのだ。
それでもまだ、ハンナお嬢様の深慮遠謀が現実に証明されないうちは、たんなる机上の空論といってよかった。
…いま私が恐怖に震えているのは、机上の空論が現実になってしまったからだ。
ハンナお嬢様が債権回収問題を片づけてから1か月経った今日、ひとりの商人が私のもとに訪れたのだ。商人は帝都でも有数の卸問屋の名を名乗った。
「マルコ・シェーンハイトでごさいます」
「これはシェーンハイト商会の。なんの御用でしょうか」
応接間のソファに腰掛けた初老の男は、笑みを浮かべて言った。
「用件というほどのことはございませんが…。帝都でも評判の、名君であらせられるグレッツナー伯爵さまに、せめて名前なりと覚えて頂きたく、挨拶に参った次第でございます」
「それは…、例の件がシェーンハイト殿のお耳に入ったということですか」
例の件とは、債権回収問題のことだ。旦那様が領民を思いやって借用証書を焼き捨てさせたという。
「ええ、大変な評判というべきで。これほどの人物となれば、ご縁を持ちたいと願うのは当然のことでごさいます」
シェーンハイトはさんざん旦那様を褒めそやかしたあと、手土産と称して高価な銀の壺を置いていった。こんなことは今までにはなかった。大商会のトップがみずからグレッツナー家の家宰を訪ねてくること。ましてやグレッツナー家に対して贈り物をしてくること。
そしてなによりも。
シェーンハイトは去り際に、あくまでさりげなく思い出したように言ったのだ。
「そういえば、グレッツナー領ではあらたに開拓事業をおこされるとか。私どもといたしましては、たいへん期待しております。御用の際にはなんなりとお申しつけくださいませ」
ようするにこれが真の用件だったのだ。シェーンハイトはつまり、グレッツナー領の開拓事業に出資したいと名乗りをあげたのだ。私はその場で即答することができなかった。
恐怖が、私の心を支配していたからだ。
ハンナお嬢様の深慮遠謀が、ついに証明されてしまった。私はハンナお嬢様が恐ろしかった。お嬢様はとてつもなく巨大だ。私ごとき小人でははかることができないほど、雄大な人物なのだ。そのことをようやく、私は肌で感じることができた。
そもそもグレッツナー領における新規開拓事業は1年も前から計画されていた。ところが事業をおこそうにも、資金が足らなかった。カジノ事業に手を出そうとしたのも開拓事業の資金集めのためだ。そのカジノ事業も中途で頓挫してしまうと、今度は商人に出資を呼びかけた。だが手をあげる商人はひとりもいなかった。
私も旦那様も弱り果てていたところで、ハンナお嬢様が言ったのだ。
━━グレッツナー伯爵が名君だと知られれば、必ずや商人は開拓事業の投資に乗ってくるでしょう。
それがいま、現実のものとなった。私はひと晩悩み抜いた末に、お嬢様の居室を訪ねた。
ノックのあと部屋に入ると、お嬢様はいつものすまし顔で私を出迎えた。いつ見ても子どもらしからぬ大人びた表情だ。
「お嬢様、相談があってまいりました」
そう告げると、お嬢様のパッチリとした目が、じっと私を見つめた。そして小さな唇を開き、言った。
「なるほど。商人が開拓事業への出資に応じたのですね」
「ひいっ」
私は思わずのけぞって悲鳴をあげてしまった。心を読まれたのだ、誰だってこうなる。足の震えがとまらなかった。お嬢様はというと、相変わらずすまし顔で、私にソファをすすめた。
「まあお座りなさいクラウス。話は長くなるでしょうから、メイドにお茶を用意させましょう。用件はそれからでも良いですわね?」
私にお嬢様を否定する余地はなかった。
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