海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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15 才子か魔女か(フリッツ視点)

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 昨年、亡くなった先代から、里のおさを引き継いで今日にいたるまで、大過なく里を守ってこられたのは単なる幸運だった。それをまさにいま、思い知らされている。

 それにしてもどういう状況だこれは。いま俺のうしろに領主さまの妹がいる。俺がひとつでも対応を間違えば、この里が地上から消滅するだろう。

 ハンナさまを自宅へ案内する道すがら、俺は頭を高速回転させねばならなかった。このお貴族さまは、里にいったいなんの用があって来たのだろう。

 労役を課すためや、法律違反をとがめるためではあるまい。集落を強制移転させるためでもないだろう。なにせ相手は10かそこらの子どもなのだ。実際的な用件があるとは、どうしても思えない。

 となると、獣人を見物にきたのか━━俺たちは子ども向けの見世物というわけだ。未開の蛮族らしく、卑屈に芸をして見せたらきっと大喜びするだろう。

 ギリッという歯の音が気づかないうちに鳴っていた。知らず知らずに歯を噛みしめていたらしい。

 里の子どもが殴られていた。あの騎士がやったのだ。大の大人が、子どもの顔を腫れあがるまで殴った。それでも無礼なのはこちらのほうだ。人族さまの機嫌を損ねた罪というわけだ。身分というものは、まったく…。

 そしてなおも卑屈に、無様に、貴族の子どものための道化ピエロを演じねばならんのか。

「ここが私の家でございます」

 自宅に入り、ハンナさまに席をすすめる。となりにひかえた線の細い騎士は、家の中をキョロキョロと見回し、居心地わるそうにしている。わるかったな、こんな掘っ立て小屋にまねいたりして。

 と、そこでフと気づいた。騎士と違ってハンナさまの視線は落ち着いているのだ。お屋敷で日々暮らすお貴族さまには、みすぼらしい獣人の家など、さぞ珍しい光景だろうに。とうてい子どもらしくない反応だ。

 騎士が咳払いをした。

「お嬢様、さきほどのように、このような身分の低いものと、直接会話してはなりません。それが貴族らしいふるまいというものでございます」

 なるほど、そういうものか。するとさっきまで俺とハンナさまが会話していたのは、非礼にあたるわけだ。本来なら、誰か中間の身分のもの━━この場では騎士を通して言葉を交わす。たとえば…

ハンナ「鹿肉が欲しいと伝えなさい」
騎士「お嬢様は鹿肉を欲しておられる」
俺「鹿肉はございません」
騎士「お嬢様、鹿肉は無いそうです」
ハンナ「ウサギでも良いと伝えなさい」
騎士「ウサギでもかまわぬ、献上せよ」
俺「ははーっ」

 …こんな感じだろうか。なんとまあ、面倒なしきたりがあったものだ。

「フリッツ、今日は突然押しかけてもうしわけありませんでした」

 ん?いまハンナさまは俺に直接話しかけてるのか?しきたりはどうした。

「さらには里の子どもにあのような乱暴をしてしまって、お詫びのしようもありません」

 しかもさっきの騒動を詫ている。俺の心臓がドキンと強くはねた。10になるやならずの子どもが、家臣のあやまちを詫ているのだ。家来の罪は自分の罪とばかりに。だが、これには騎士が黙っていない。

「お嬢様!貴族らしくふるまいなさいませ。まして、犬を一匹こらしめた程度のことで、謝罪など軽々しゅうございます」

 ところがハンナさまは騎士の方に見向きもしなかった。ただ俺をじっと見据えている。

「フリッツ、あの童べに、なんぞ詫びのしるしを贈らせてくれませんか。馬車には飴玉がひと瓶あります、それでどうでしょう」

 これは━━ハンナさまは騎士を無視しているのか。これみよがしに。…無視された騎士は屈辱を顔面で表現している。

 いや、そんなことよりも。そもそもこの貴族令嬢は、獣人に向かって『詫びる』と言ったのか?かりにも伯爵家の血をひく少女が、人間以下の獣人に向かって。

 俺は混乱していた。
 どうすればいいというのだ。

 ハンナさまの問いに答えたいのは山々だが、俺の立場では騎士を無視することもできない。俺が騎士をそっちのけでハンナさまと会話したら、ますます騎士のメンツがつぶれてしまう。

 ここはただただ平伏の一手しかない。

 俺が平伏したまま沈黙を守っていると、ハンナさまはため息をついた。

「もしかしてフリッツは、この馬鹿に遠慮しているのですか?」

「…馬鹿とは、私のことですか」

 騎士の声が震えた。チラリと盗み見ると、屈辱のあまり顔を真っ赤にしている。当たり前だろう、人間以下の獣人の面前で、騎士たるものが罵倒されているのだ。それでもなお、ハンナさまは騎士を無視して俺に語りかける。

「良いですか、フリッツ。このような愚物ぐぶつに遠慮することはありません。この男はあなたも知っている通り、里の子どもを殴りました。私がどのような思いで獣人の里にやってきたか、教えられていながらです」

 俺はいつのまにか顔をあげてしまっていた。ハンナさまの目を真っ直ぐみて、話を聞きたいと思ったからだ。

「私は獣人族であるあなたたちと、対等の立場で交渉したくこの場に参りました。ならば従者たるもの、主人の意思をおもんばかって、私心を抑えるべきではありませんか。たとえ獣人を卑しむ気持ちがあろうと、職務を遂行するうえで必要とあらば、表にださずに済ますものです。しかるにこの男は、童女であるからと私の意思を軽んじ、忠告も聞かずに暴走したのです。かような粗忽そこつものを用いていれば、いずれグレッツナー家に害をなす。私は帝都に戻り次第、フーゴの騎士身分剥奪をご領主様に上申するつもりです」

 これは…並みの少女じゃない。貴族令嬢とはみな、こうも英邁えいまいなものなのだろうか。となりの騎士は目を白黒させている。当然だろう。5等級からなる騎士階級を、降格処分ではなく剥奪。すなわち平民に落とされるということだ。

「お、お嬢様!お待ちください!」

 だがハンナさまは聞く耳をもたず、もろ手を打った。

「誰かある。フーゴを逮捕しなさい!ご領主様の代理人として、この男に拘禁の仮処分を下します」

 とたんに家の中にふたりの騎士が入ってきて、わめきちらす男を縛りつけて出ていった。嵐が去った家の中は、シンと静まり返っていた。俺は口も利けないまま呆然とするしかない。しかし衝撃の展開はそれだけにとどまらなかった。

「さあて、フリッツ。これでようやく、この場はアタシとアンタのふたりきりだ。腹ぁ割って話をしようじゃないか」

 ハンナさまの雰囲気がガラッと変わり、少女には似つかわしくない、老獪ろうかいな笑みが浮かんでいた。俺の背筋に冷たいものが走る。

 それは人族なんかには理解できない感覚だったかもしれない。五感が鋭敏な獣人にしか感じられない畏怖。

 この少女はただものではない。


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