海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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17 裏影

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 用意できる金額は多くなかった。与えられる地位も高くなかった。その意味じゃ、交渉に不安があったんだけどね。

 亜人がおかれている境遇ってのは、アタシが想像するよりはるかに劣悪だったみたいだ。人間扱いされない━━それがどれだけ人を追い詰めるかってことだ。尊厳を回復したい。その思いはまさに命がけさ。

 彼らはアタシのために死んでもいいと言った。このアタシのために。『しらみ』のために。アタシゃそんな大層な人間じゃないってのにね。むしろ軽蔑されるべき輩さ。

「ひとつ忠告しとくことがある」

 だからアタシは、帝都へ戻る馬車の中でフリッツに釘を刺した。

「あんたたちがアタシのために死ぬことは許さないよ。死なないために最大限の努力をして、想定外の事態がおこったらすぐに身を引くんだ」

「請け合いかねます」

 馬車のはしのほうで、腰かけることもなく地べたに座っていたフリッツが頑是なく首をふった。

「我らを引き上げてくださったハンナさまのために、命がけで任務をまっとうする。それが我らの誇りなのです」

「こいつは雇い主としての命令だ。いいかい、これにはちゃんと理由があるんだ」

 納得しがたい顔をしているフリッツのために、アタシは語る。

「アンタを帝都まで連れて行く理由は説明しただろ」

「諜報員としての教育をするため、でしたか」

「そうだ。なにが必要で何が不要か、入手する情報の取捨選択をするためには、アンタはこの社会とグレッツナー家の立ち位置を知らなければならない。それを知ったらおのずとわかってくることだが、アタシゃ、影の存在なのさ」

「影?」

「アタシの政治的な行動は、グレッツナー家とは無関係━━ということになっている。だから正体を隠す」

「正体を隠されているのですか」

「ああ、アタシはハンナ・グレッツナーでもあるが、『鎌倉の御前』でもある。そして鎌倉の御前の正体がハンナ・グレッツナーであることは隠し通さなければならない。これが最優先事項なんだ」

 フリッツがなんともいえない顔をしている。たぶん、アタシの言うことを理解しかねているのさ。だけど理解できるできないは別にして、フリッツの質問には誠実に応えよう。

「帝国内を蠢動しゅんどうする『鎌倉の御前』はグレッツナー家と無関係だ。関係があるかもしれないと疑惑をもたせることさえ避けなくちゃならない。そうなると、裏でコソコソとグレッツナー家の利になる情報を集める者がいる、ということ自体を知られちゃならない。ようするに、情報を盗む対象に、盗まれたということを悟られちゃまずい」

「盗まれたことに気づかれない?そのようなことが可能なのですか」

「情報というのはそういうモンさ。それを理解するにゃ、アンタはものを知らなすぎる」

「フーム」

「とにかく、アンタたちは死体を残しちゃいけないんだ。だから死ぬことは許さない」

 まっとうな人間がアタシなんかのために犠牲になってほしくないしね。

「ハンナさま、あなたはいったい…」

「これからはハンナじゃなくて『鎌倉の御前』と呼びな」

「御前、さまは━━いったいなにを目指しておられるのですか」

「アタシの望みはだだひとつ、コンラート・フォン・グレッツナー伯爵の幸いさね」

「兄君の…。御前さまが心酔なさるほどのお方なのですか」

 それを問われると耳が痛い。

「…いいや、はっきりいって少人物だねえ。人が良いのは取り柄だが、コンラートは見ている世界が狭すぎる。貴族社会に生き、貴族社会に死んでいく、典型的なバカ貴族さ」

「では、肉親の情というやつですか」

「というよりも、恩返しさ。そこはアンタたちと同じかね。アンタたちにゃ、いっそ親近感を覚えるよ。自分を救ってくれたもののために、人生をささげるのは当たり前だろう?」

 コクリとフリッツがうなずいた。お互い義理と人情に己の生き様を左右されているもの同士さ。そのことになんのためらいもない。

「ところで」


 アタシは話題を変えた。

「アンタたちの諜報機関に名前をつけなくちゃならないね。なにか希望はあるかい」

「…されば、御前さまは影の存在であるとおっしゃられました。ならば我らは影の影。裏影うらかげとでも名乗りましょうか」

 影が深く濃くあるほどに、光は強く輝くもんだ。アタシは苦笑まじりに、フリッツの提案を了承した。




 屋敷に戻ったアタシは、コンラートにことの次第を説明した。この頼りない男は、わかっているんだかいないんだか、微妙な面持ちでアタシの報告を聞いていた。そしてすべてを聞き終えたあと、困ったような顔で口を開いた。

「…諜報機関のことは、よくわからないんだが、フーゴの騎士階級剥奪の件については、にわかに首肯しかねるな」

「と、いいますと?」

「ハンナは幼いからまだよくわからないかもしれないけれど、組織にはいろんな人材が必要なんだ」

 アタシは目を見開いた。まさかコンラートの口から、組織論について聞かされるとは思っちゃいなかったんだ。

「フーゴのような男は、軍では貴重だと私は思う。無骨な武辺者が多い軍にあって、貴族階級との橋渡しができる存在は必要じゃないか、と私は思うんだが」

 自信なさげにアタシのほうをチラチラ見るコンラートの姿に、思わずクスリと笑っちまった。

「お兄様がそうおっしゃられるのならば、お好きになさいませ」

「…ハンナ、怒ったのかい」

「私が怒る道理がございません。また、私が怒ったからといって、人事の判断を曲げるようなことがあってはいけません。それは私情ですわ」

 たしかにコンラートの世界は狭すぎる。だけど、その狭い世界において、この男の気質は、実はめちゃくちゃ領主に向いているのかもしれないね。アタシがそうだったように、救われたフーゴは、しゃにむにコンラートのために尽くすだろう。コンラートは無意識のうちに、義理と人情を使いこなしてる。

「お兄様はフーゴをお許しなさいませ。ただ、あの男は独断が過ぎるところがありますから、階級をひとつ落として、反省をうながすのがよろしいでしょう」

「そうか、そう言ってくれるか。やはりおまえは優しい娘だね」

「私が優しいのでは困ります」

「…なんだって?」

「私はとても怒っていたと、フーゴには伝えてください。絶対に許さないと。階級をひとつおとしたことで、ようやく納得したのだと」

「おまえは…、それじゃ、ハンナは悪者になってしまう」

「それでいいのです。グレッツナー家のために、そうするがよろしゅうございます」

「私が妹を悪者にして自分の株をあげるような男だと思うのか!」

 憤慨するコンラートに、アタシは強い眼差しを向けた。とたんにコンラートはシオシオと萎縮する。

「私はグレッツナー家のためと申しました。お兄様のためではございません。いい加減、領主としての自覚をおもちくださいませ」

「…家臣に恩を売って手懐ける。私はそんなに器用な男ではない」

 ボソボソとコンラートがつぶやく。そんなことはわかってるさ。計算高い男なら、アタシを妹として迎え入れたりしない。思わずため息がもれたねえ。

「わかりました、お兄様はフーゴに降格を伝えるだけでよろしゅうございます。私は私で、好きにさせていただきます」

 言い切って、アタシは退室した。こうなったら、嫌でも悪役になってやる。




 …数日後、フーゴがアタシに面会を求めてきた。たぶん、詫びのひとつもいれにきたんだろう。アタシゃ、ここぞとばかりに、嫌味を言ってやった。

「おやフーゴ、あんたはまだ屋敷に出入りできる身分なんだねえ」

 もはや口調をかざる気もなかった。

「せいぜいお兄様に感謝するんだね。だけどアタシゃ、アンタの不手際を、金輪奈落、許す気はないからね」

「……」

「なにを黙っているんだい!無能者なら無能者らしく、ゴキブリみたいに地べたに這いつくばって許しを乞うたらどうなんだい」

「……」

「アタシゃ、アンタをこの屋敷から追い出すように、お兄様に詰め寄ったんだ。だけど、お兄様はお優しいから…」

「お嬢様、もう演技はよろしゅうございます」

 ふと見ると、フーゴが涙ぐんでいた。

「お嬢様のお心は、すべて伯爵さまからうかがってございます。私はもう、恥ずかしくて」

 なにをやっているんだ、コンラートあのバカは。アタシは頭をかかえたくなった。

「失礼ながら、10歳の子どもがグレッツナー家のことを思って自ら悪人になろうとしているというのに、私は任務に私心をまじえて、獣人との関係構築に邪魔をしてしまう始末。穴があったら入りたい気持ちでございます」

 まあ反省するのはいいことだけどね…。

「今後は心を入れ替えて、誠心誠意、お嬢様にお仕えいたしたく思います。どうかお許し願えませんでしょうか」

「アタシに?勘違いするんじゃないよ、アンタが仕える相手はお兄様だろ」

「いいえ、いいえ!お嬢様に仕えることこそ、伯爵さまに、ひいてはグレッツナー家に尽くす最大の手段であると、思い至ってございます」

 ふむう、少しは頭を使ったみたいだね。たしかに、ここで使える手駒がひとつ増えるのはわるいことじゃないが。

「私心を殺すことができるんだね?」

「むろんでございます」

「アタシはグレッツナー家のためなら、手段を選ばないけど、いいんだね?」

「それはもう、獣人を使う手管てくだを見ていれば、覚悟していることでございます」

 アタシは鋭い視線をフーゴに突き刺した。とたんにフーゴは顔を青くする。

「今後は獣人に敬意を払うんだ。それを約束できるのなら、アタシに仕えることを許そう」

「ははーっ」

 まるで時代劇のお白州みたいに、フーゴが平伏する。それでもまだだ。まだまだだ。フーゴにゃ今後、フリッツ同様に教育をしていかなくちゃならないね。

 やるべきことが多いってのに、まったく、面倒なことになったもんだよ。
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