18 / 46
17 裏影
しおりを挟む用意できる金額は多くなかった。与えられる地位も高くなかった。その意味じゃ、交渉に不安があったんだけどね。
亜人がおかれている境遇ってのは、アタシが想像するよりはるかに劣悪だったみたいだ。人間扱いされない━━それがどれだけ人を追い詰めるかってことだ。尊厳を回復したい。その思いはまさに命がけさ。
彼らはアタシのために死んでもいいと言った。このアタシのために。『しらみ』のために。アタシゃそんな大層な人間じゃないってのにね。むしろ軽蔑されるべき輩さ。
「ひとつ忠告しとくことがある」
だからアタシは、帝都へ戻る馬車の中でフリッツに釘を刺した。
「あんたたちがアタシのために死ぬことは許さないよ。死なないために最大限の努力をして、想定外の事態がおこったらすぐに身を引くんだ」
「請け合いかねます」
馬車のはしのほうで、腰かけることもなく地べたに座っていたフリッツが頑是なく首をふった。
「我らを引き上げてくださったハンナさまのために、命がけで任務をまっとうする。それが我らの誇りなのです」
「こいつは雇い主としての命令だ。いいかい、これにはちゃんと理由があるんだ」
納得しがたい顔をしているフリッツのために、アタシは語る。
「アンタを帝都まで連れて行く理由は説明しただろ」
「諜報員としての教育をするため、でしたか」
「そうだ。なにが必要で何が不要か、入手する情報の取捨選択をするためには、アンタはこの社会とグレッツナー家の立ち位置を知らなければならない。それを知ったらおのずとわかってくることだが、アタシゃ、影の存在なのさ」
「影?」
「アタシの政治的な行動は、グレッツナー家とは無関係━━ということになっている。だから正体を隠す」
「正体を隠されているのですか」
「ああ、アタシはハンナ・グレッツナーでもあるが、『鎌倉の御前』でもある。そして鎌倉の御前の正体がハンナ・グレッツナーであることは隠し通さなければならない。これが最優先事項なんだ」
フリッツがなんともいえない顔をしている。たぶん、アタシの言うことを理解しかねているのさ。だけど理解できるできないは別にして、フリッツの質問には誠実に応えよう。
「帝国内を蠢動する『鎌倉の御前』はグレッツナー家と無関係だ。関係があるかもしれないと疑惑をもたせることさえ避けなくちゃならない。そうなると、裏でコソコソとグレッツナー家の利になる情報を集める者がいる、ということ自体を知られちゃならない。ようするに、情報を盗む対象に、盗まれたということを悟られちゃまずい」
「盗まれたことに気づかれない?そのようなことが可能なのですか」
「情報というのはそういうモンさ。それを理解するにゃ、アンタはものを知らなすぎる」
「フーム」
「とにかく、アンタたちは死体を残しちゃいけないんだ。だから死ぬことは許さない」
まっとうな人間がアタシなんかのために犠牲になってほしくないしね。
「ハンナさま、あなたはいったい…」
「これからはハンナじゃなくて『鎌倉の御前』と呼びな」
「御前、さまは━━いったいなにを目指しておられるのですか」
「アタシの望みはだだひとつ、コンラート・フォン・グレッツナー伯爵の幸いさね」
「兄君の…。御前さまが心酔なさるほどのお方なのですか」
それを問われると耳が痛い。
「…いいや、はっきりいって少人物だねえ。人が良いのは取り柄だが、コンラートは見ている世界が狭すぎる。貴族社会に生き、貴族社会に死んでいく、典型的なバカ貴族さ」
「では、肉親の情というやつですか」
「というよりも、恩返しさ。そこはアンタたちと同じかね。アンタたちにゃ、いっそ親近感を覚えるよ。自分を救ってくれたもののために、人生をささげるのは当たり前だろう?」
コクリとフリッツがうなずいた。お互い義理と人情に己の生き様を左右されているもの同士さ。そのことになんのためらいもない。
「ところで」
アタシは話題を変えた。
「アンタたちの諜報機関に名前をつけなくちゃならないね。なにか希望はあるかい」
「…されば、御前さまは影の存在であるとおっしゃられました。ならば我らは影の影。裏影とでも名乗りましょうか」
影が深く濃くあるほどに、光は強く輝くもんだ。アタシは苦笑まじりに、フリッツの提案を了承した。
屋敷に戻ったアタシは、コンラートにことの次第を説明した。この頼りない男は、わかっているんだかいないんだか、微妙な面持ちでアタシの報告を聞いていた。そしてすべてを聞き終えたあと、困ったような顔で口を開いた。
「…諜報機関のことは、よくわからないんだが、フーゴの騎士階級剥奪の件については、にわかに首肯しかねるな」
「と、いいますと?」
「ハンナは幼いからまだよくわからないかもしれないけれど、組織にはいろんな人材が必要なんだ」
アタシは目を見開いた。まさかコンラートの口から、組織論について聞かされるとは思っちゃいなかったんだ。
「フーゴのような男は、軍では貴重だと私は思う。無骨な武辺者が多い軍にあって、貴族階級との橋渡しができる存在は必要じゃないか、と私は思うんだが」
自信なさげにアタシのほうをチラチラ見るコンラートの姿に、思わずクスリと笑っちまった。
「お兄様がそうおっしゃられるのならば、お好きになさいませ」
「…ハンナ、怒ったのかい」
「私が怒る道理がございません。また、私が怒ったからといって、人事の判断を曲げるようなことがあってはいけません。それは私情ですわ」
たしかにコンラートの世界は狭すぎる。だけど、その狭い世界において、この男の気質は、実はめちゃくちゃ領主に向いているのかもしれないね。アタシがそうだったように、救われたフーゴは、しゃにむにコンラートのために尽くすだろう。コンラートは無意識のうちに、義理と人情を使いこなしてる。
「お兄様はフーゴをお許しなさいませ。ただ、あの男は独断が過ぎるところがありますから、階級をひとつ落として、反省をうながすのがよろしいでしょう」
「そうか、そう言ってくれるか。やはりおまえは優しい娘だね」
「私が優しいのでは困ります」
「…なんだって?」
「私はとても怒っていたと、フーゴには伝えてください。絶対に許さないと。階級をひとつおとしたことで、ようやく納得したのだと」
「おまえは…、それじゃ、ハンナは悪者になってしまう」
「それでいいのです。グレッツナー家のために、そうするがよろしゅうございます」
「私が妹を悪者にして自分の株をあげるような男だと思うのか!」
憤慨するコンラートに、アタシは強い眼差しを向けた。とたんにコンラートはシオシオと萎縮する。
「私はグレッツナー家のためと申しました。お兄様のためではございません。いい加減、領主としての自覚をおもちくださいませ」
「…家臣に恩を売って手懐ける。私はそんなに器用な男ではない」
ボソボソとコンラートがつぶやく。そんなことはわかってるさ。計算高い男なら、アタシを妹として迎え入れたりしない。思わずため息がもれたねえ。
「わかりました、お兄様はフーゴに降格を伝えるだけでよろしゅうございます。私は私で、好きにさせていただきます」
言い切って、アタシは退室した。こうなったら、嫌でも悪役になってやる。
…数日後、フーゴがアタシに面会を求めてきた。たぶん、詫びのひとつもいれにきたんだろう。アタシゃ、ここぞとばかりに、嫌味を言ってやった。
「おやフーゴ、あんたはまだ屋敷に出入りできる身分なんだねえ」
もはや口調をかざる気もなかった。
「せいぜいお兄様に感謝するんだね。だけどアタシゃ、アンタの不手際を、金輪奈落、許す気はないからね」
「……」
「なにを黙っているんだい!無能者なら無能者らしく、ゴキブリみたいに地べたに這いつくばって許しを乞うたらどうなんだい」
「……」
「アタシゃ、アンタをこの屋敷から追い出すように、お兄様に詰め寄ったんだ。だけど、お兄様はお優しいから…」
「お嬢様、もう演技はよろしゅうございます」
ふと見ると、フーゴが涙ぐんでいた。
「お嬢様のお心は、すべて伯爵さまからうかがってございます。私はもう、恥ずかしくて」
なにをやっているんだ、コンラートは。アタシは頭をかかえたくなった。
「失礼ながら、10歳の子どもがグレッツナー家のことを思って自ら悪人になろうとしているというのに、私は任務に私心をまじえて、獣人との関係構築に邪魔をしてしまう始末。穴があったら入りたい気持ちでございます」
まあ反省するのはいいことだけどね…。
「今後は心を入れ替えて、誠心誠意、お嬢様にお仕えいたしたく思います。どうかお許し願えませんでしょうか」
「アタシに?勘違いするんじゃないよ、アンタが仕える相手はお兄様だろ」
「いいえ、いいえ!お嬢様に仕えることこそ、伯爵さまに、ひいてはグレッツナー家に尽くす最大の手段であると、思い至ってございます」
ふむう、少しは頭を使ったみたいだね。たしかに、ここで使える手駒がひとつ増えるのはわるいことじゃないが。
「私心を殺すことができるんだね?」
「むろんでございます」
「アタシはグレッツナー家のためなら、手段を選ばないけど、いいんだね?」
「それはもう、獣人を使う手管を見ていれば、覚悟していることでございます」
アタシは鋭い視線をフーゴに突き刺した。とたんにフーゴは顔を青くする。
「今後は獣人に敬意を払うんだ。それを約束できるのなら、アタシに仕えることを許そう」
「ははーっ」
まるで時代劇のお白州みたいに、フーゴが平伏する。それでもまだだ。まだまだだ。フーゴにゃ今後、フリッツ同様に教育をしていかなくちゃならないね。
やるべきことが多いってのに、まったく、面倒なことになったもんだよ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる