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20 軍事工場
しおりを挟む前回同様、薄暗い部屋に香を焚いて、アタシはクラウスとともにアスペルマイヤー伯爵を待っていた。約束の時間どおりに現れたその男からは、およそ覇気というものが感じられなかった。最初アタシは、使用人と勘違いしたくらいさ。
髪のうすい頭をしきりになでつけ、うつむき加減で眉尻をさげているアスペルマイヤー伯は、貴族の威厳というものと無縁に思えた。
「フンベルト・フォン・アスペルマイヤーでございます」
「ああ」
会釈するフンベルトに、アタシは横柄な返事をする。しかしアタシが言うのもナンだけどね…。鎌倉の御前って名前は、今のところそれほど権威のあるものじゃないんだ。実績といったら、小さなグレッツナー領の財政を立て直したくらいのモンさ。
ところがフンベルトの態度といったらどうだい。こりゃ、へりくだりすぎだね。帝国宰相からの要求を決然と突っぱねたって話と、落差がありすぎる。となると、よっぽど娘が大事なんだろう。
けれどいちおう、ひとこと忠告しておく。
「さっそくだけど、話はアスペルマイヤー領の経済振興策ってことでいいんだね」
「はあ」
「それなら話は簡単さ、美人で評判のアンタの娘を権門に売って、帝国政府から援助をうければいい」
「なんですと!」
「相手はそうだね、帝国宰相ラングハイム公爵なんてのはどうだい」
とたんにフンベルトが席を立った。
「そういうお話なら、この場は失礼させていただく」
「ちょっと待ちなよ、いったい何が気に食わないんだい」
「娘を権門に売って、自身の栄達をはかるなど、汚らわしいにもほどがある!」
おやおや、顔が真っ赤になってるよ。
「だけどね、こんなことは誰でもやってることじゃないか。まして相手はラングハイム公だ、これからアスペルマイヤー家は間違いなく厚遇されることになるし、娘も富貴な生活を楽しめるだろ」
「我ら貴族は商人ではない!娘が高く売れたからといって喜ぶような輩は、貴族の風上にもおけぬ。そもそも、あのように脂ぎったヒヒ親父に、娘が汚されることを思うと、私は胸が張り裂ける思いだ」
そしてフンベルトは盛大にため息をついた。
「私は今日、カーマクゥラの御前が賢者であると聞いて、頭を下げにやってきた。だが、聞くと見るとでは大違いだ。いち領地40万人の生活をうらなう相談をもちかけられて、奴隷商人の答えをだすとは。噂はあてにならぬものだ」
「ほお、アンタは領民のことを思って、頭を下げにきたというのかい。変わった貴族もいたモンだ」
「私ではない、娘だ」
「娘?」
「わが娘、カリーナはみずから領民のために身を投げだし、ラングハイム公のもとへ嫁ぐと言った。私はカリーナの志に胸を打たれたからこそ、今日、この場にある。しかし…」
アタシが隠れているついたてをちらりと見やり、フンベルトは顔をそむけた。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
「アンタの娘が鴻鵠で、アタシが燕雀だというのかい。それほどまでに讃えられる娘なら、いちど会ってみたいモンだねえ」
「だれが会わせるか!」
だいぶオカンムリだ。しかしこりゃ、美談だねえ。娘は領民のためにその身を犠牲にし、父は娘のために権門に逆らう。フンベルトが行こうとする道は、イバラの道だ。黙って長いものに巻かれていれば、楽に豊かになれるというのに。
だけど、かつて娘をもった身としちゃ、フンベルトの気持ちがよくわかる。うちの娘も、そりゃあ良くできた娘だったからね。
フンベルトの覚悟はよくわかった。それならアタシは、ラングハイム公と真っ向から対立する道を示してやれる。
退室しようとするフンベルトの背中に向かって、アタシは声をかけた。
「志をもつのは結構なことだが、いまこの部屋を出ていったら、アンタは一生後悔するよ」
「後悔などせぬ!」
「たった40万人の小領が、国軍第4師団の駐留にたえられるとは、とうてい思えないけどねえ」
「なっ、なぜそれを…」
ふりかえったフンベルトが目をみはる。アタシはわかりきったことをツラツラと述べたてた。
「駐留費の負担こそないが、第4師団は戦闘員だけでも15万人、それを支える軍属まで含めりゃ20万人にもなるだろ。いきなり領の人口の5割にも達する居候ができるわけだ。しかもこいつらは、いっさい生産に寄与しない。ひたすら領内の物資を食い尽くすだけさ。いくら金を落とすといったって、限界があるさね」
駐留軍は、必要な物資を現地から買いあげる。そしてその取引は、民間のそれよりも優先される。これからアスペルマイヤー領の民需物資は、軍に吸い上げられて欠乏するだろう。領民は飢えに泣き、逃散するものも現れる。アスペルマイヤー領はみるまにやせ細っていくに違いないねえ。ラングハイム公もエゲツないことを考えたモンさ。
「だからといって、娘を売るわけには…」
しだいに声が小さくなっていくフンベルト。
「にっちもさっちも行かない状況だねえ。ところでフンベルト、ここにひとつだけ、逃げ道があるとしたらどうだい」
「に、逃げ道?」
「ようするに問題は、駐留軍に売るための物資が足らなくなって、領民の生活物資まで売らなくちゃならないことさ」
「それは、そうですが…」
なにやら口調がおとなしくなりはじめたフンベルトだった。
「どうしてそんなことが起こると思う?」
「……」
「物資が足らないなら、隣の領からもってくりゃいいじゃないか」
「それは、輸入品は入領税がかかるため━━」
「そうだ、地産地消するよりも高くつく。そこで安いアスペルマイヤー産の物資は軍に買い叩かれ、領民は高い輸入品で生活せざるをえなくなる。本来なら領民の生活を守るための、関税的な意味合いをもっていた入領税だが、これでは逆効果さ」
「フーム、それではグレッツナー領のように、入領税を廃止するべきだと」
「グレッツナー領だって、すべての入領税を廃止しているわけじゃないさ」
いまのところ、グレッツナー領の免税札をもっている商人は、シェーンハイト商会だけだからね。ただし、そのシェーンハイトは下手な公爵なんかより財力があるんだが。
「なんでもかんでも廃止すりゃいいってモンじゃない。限られた貴族と限られた商人が結びつくべきだと言ってる。そうすることで━━」
ゴクリ、とフンベルトが生唾をのみこんだ。
「━━商隊が列をなしてアスペルマイヤー領にやってくるようになる。そうなりゃ、駐留軍は良いお客様さね。必然的にアスペルマイヤー領は20万人の顧客を獲得する。領で作った余剰の作物はバカバカ売れるようになる。いっそ食料品はすべて輸入に頼って、領内では軍需物資をつくればいいさ。矢、盾、鎧、剣…」
「し、しかしそういった物資を作るには、鉱物資源が必要になるのでは」
「鉱物資源を輸入すればいい。アスペルマイヤー領は一大工場になるのさ。原材料を輸入して、加工品を軍に卸す。賭けてもいい、5年も経ちゃアスペルマイヤー領の税収は、倍以上になってるだろうさ」
絶句するフンベルトを尻目に、アタシはクラウスに目配せした。クラウスがフンベルトの前に、1枚の木札を差し出す。
「免税札でございます」
「これは…」
「その札をもつ商人と、商人がもつすべての荷を、免税するだけでいい。それだけでアンタは、ラングハイム公の鼻をあかしてやることができる」
ニヤリと笑って言うと、フンベルトが震える手で免税札をとった。その目に復讐の色が宿るのをアタシはハッキリと見たね。
フンベルトがパートナーシップに参加することを承知したのは言うまでもない。なにせアスペルマイヤー家は沈みかけた船だ。無償で差し出された手を拒めるわけがない。最後には、ペコペコと何度も頭を下げて帰っていったモンさ。
そして、これがすべてのはじまりだったんだ。
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