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28 大貴族の落日2(ハーロルト視点)
しおりを挟む室内には葉巻の煙がもうもうと充満していたが、文句をつけるやつは誰もいなかった。伯爵以下の貧乏貴族でもあるまいし、葉巻の味もわからないのは恥だという風潮が、大貴族の中には存在しているのだ。
かくいう儂も葉巻の愛好家だが、他の貴族どものそれとは、愛好の意味が違う。儂が真に愛好しているのは、葉巻のもたらす利益の方だ。
儂とても、領民や伯爵家から金を搾り取るだけで、富を築いたわけではない。とくに煙草は我が領の特産品で、莫大な利益をラングハイム家にもたらしている。
だからこそ葉巻のブランドイメージが重要だった。大貴族だけが味わえる、特別な嗜好品━━それでこそ煙草の値がつりあがるわけだ。ゆえに儂は自ら率先して葉巻を吸い、いかにも特別なもののように帝室にも献上してきた。
かつて喫煙が、南部のドワーフが嗜んでいるだけの野蛮な風習だったとは、この連中は夢にも思うまい。地道な努力が実を結び、いまや御前会議の場までもが、こうして紫煙に満たされているわけだった。
領民や伯爵家から搾り取る金などは、しょせん臨時収入にすぎない。本当に大事なのは定期収入なのだ。それがわかっているものは、儂をふくめてこの場にふたり━━。
儂の視線の先に、バルシュミーデ公のにやけ面があった。やつが未だ30にもならぬ身で、こうして御前会議に列席していられるのは、バルシュミーデ領におけるウイスキーの利益があればこそだ。
ウイスキーのブランド化に成功したやつの手法は、儂のやり方を模倣したものだったが、目端が利くことは疑いようもない。西方の山猿ふぜいが、いまや法務大臣として宮廷内に重要な地位をしめている。
舌打ちしたくなるのをこらえて、官僚からの報告を聞いていると、耳障りな単語が飛び込んてきた。
「━━にございますれば、帝都における犯罪組織が資金源としておりますのは、密造酒、人身売買、殺人請負、また昨今とみにカジノ等の非合法な賭博の開帳が…」
カジノ━━その単語を耳にするだけで、いやがうえにも苛立ちが募る。しかし…。
「ほっほっほ」
唐突な笑い声の主に視線を向ければ、それはやはりバルシュミーデ公だった。
「バルシュミーデ公、なにが可笑しい?」
皇帝陛下が下問すると、バルシュミーデ公はいったん「失礼しました」と侘びたものの、少しも悪びれた風もなく続けた。
「カジノ賭博などというものは、それこそ犯罪組織に似つかわしい、下衆なやり方ではありませぬか。欲望と背徳の園、存在するだけでもおぞましい場所ですから」
「…そうかもしれぬな。だが民衆にはガス抜きの場が必要だ。帝国政府が公認するカジノは、いわば必要悪とも考えられぬか?」
「下賤な者どもはそうでしょう。ところが陛下、こともあろうに帝国貴族ともあろうものが、屋敷を改築してカジノ場を開こうとしているとしたら、それでも陛下は公認をお与えになられますか?」
思わず息を呑んだ。バルシュミーデ公が言わんとするところは、おそらくグレッツナー伯の件だろう。腹の底から、フツフツと怒りが湧いた。やつめ、どこでその情報をつかんだか、よもや御前会議の場で問題にするとは。
儂の隣では気の弱いところのあるアメルハウザー公が、あからさまに顔を青くしている。これで大蔵大臣がつとまっているのだから、帝国は優秀な官僚機構に感謝すべきかもしれない。
むろん陛下は即答をさけられた。当然だろう。仮にバルシュミーデ公の言うような事実があったとして、皇帝が断を下せるか否かは、高度な政治判断を要する。もしも性急に決断したとして、帝国貴族が団結して皇帝の決定を拒絶したら、皇帝は自らの判断を撤回せざるをえなくなる。そうなったら、皇帝の面子は丸つぶれだ。
となれば儂のやるべきことは、この隙をついて火消しにまわることだろう。
「いったい何が言いたいのだ、バルシュミーデ公!ありもしない仮定の問題で、陛下のお心を迷わせたてまつるとは、無礼であろう」
「はたして本当に、ありもしない話ですかな?」
白々しいバルシュミーデ公の態度は、いつも以上に鼻につく。我しらず自分の声に、必要以上の力がこもった。
「それでは問うが、いったいどこの貴族が屋敷を改築したというのだ。そのような事実がどこにある!」
そうだ━━そんな事実は存在しない。計画のすべては水泡に帰した。儂のたてた計画は失敗したのだ。
「…これはあくまで噂なのですが。先日グレッツナー伯は、ご自身の下屋敷をカジノに改築するようにと、とある大貴族に焚きつけられたとの風聞があります。しかしグレッツナー伯は帝国貴族の名に恥じぬ清潔な人物。カジノ事業などに手を出すわけもありませぬ。その大貴族はにべもなく断られて、公爵たる面目を失い、赤っ恥をかいたとか」
バルシュミーデ公の言葉は、所々に笑いが滲んでいた。この男は御前会議の場で、儂を笑いものにしているのだ。奥歯が折れ砕けるほど強く歯ぎしりをし、儂は恨みのこもった視線をバルシュミーデ公に突き刺すしかなかった。これ以上、この場で抗弁すれば、やぶ蛇になりかねない状況だ。
それにしても、グレッツナー伯が清潔な人物などとは、言いも言ったりだ。グレッツナーの昼行灯とて、カジノ事業の話には、途中まで乗り気だったのだ。ところが突然、平謝りで事業の中止を告げてきた。改築費用が足りないだのと、言い訳がましく言っておったが、つまるところ、この計画のトリックに気づきおったのだろう。
それにしても、あのマヌケな男がどうしてトリックに気づいたのだろうか━━…まさか!
「バルシュミーデ公、おぬしなのか?」
震える声で儂が問うと、バルシュミーデ公は首を傾げた。
「なんの話ですかな?」
「グレッツナー伯に助言をしたのは、おぬしなのかと聞いておる」
「…助言?」
そらトボケおって!儂は確信した。この男が儂の計画をつぶしたのだ。しかもそれだけでは飽き足らず、皇帝陛下の御前で、儂に恥をかかせようとした。そうやって儂の影響力に水をさし、いずれ儂から帝国宰相の座を奪い取ろうという腹なのだろう。
怒りに頭がクラクラした。こやつだけは許せぬ。だが、いまはまだ儂に力が足りない。バルシュミーデ公を叩き潰すだけの力が。
しかし見ておれよ、数年後を。儂が東方諸侯を傘下におさめた暁には、やつごとき山猿は必ず宮廷から放逐し、西方諸侯の権益をことごとく取りあげて、バルシュミーデ家がもつ地盤のすべてを奪い尽くしてくれる。
間違っても儂が負けるわけにはいかぬ。
バルシュミーデ公にだけは、絶対に帝国宰相の椅子は渡さん!
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