海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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29 大貴族の落日3(アルフォンス視点)

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 幼い日のことを、いまでも思い出すことがある。屋敷のホールに集まった大勢の大人たち。貴族にしか許されない派手な染付の衣装に身をつつみ、贅沢にも絹織物で着飾っているものまである。それぞれに談笑していた大人たちは、しかし私を引き連れた父が現れるや、一斉に沈黙し、うやうやしく礼をした。

 父はゆったりとした動作でホールを進み、壇上にあがって私を抱いた。

「諸君、これがラングハイム家の次期当主となる、アルフォンスだ」

 父の声に大人たちは拍手で応えた。彼らの表情にこめられた、敬意、畏怖、媚態、おもねり、あるいはへつらい。私が見上げるとそこには、満足げな父の笑みがある。父は私にしか聞こえないだろう声音で、そっとささやいた。

「アルフォンス、がみんな、いずれお前のものになる。お前はラングハイム家の━━儂の子どもなのだから」

 子煩悩な父がいつも私に玩具をくれるときの、優しい声だった。温かいはずのその響きに、ぞっと寒気がした。

「お前は儂の子だ。儂の子なのだ…」

 父の目は、私を見ていなかった。視線だけは私に向いていたが、どこか遠くをさまよっている目だった。

 それから数年後のことだ。偶然、侍女たちのうわさ話を耳にしたのは。

 私は父の子ではない━━侍女はたしかにそう言った。そんなはずはないのだと。何十人もの妻や愛妾をもちながら、誰ひとり父の子を身ごもったものはいない。。そんな偶然があるはずはないと。

 もちろんそれは、無責任なうわさ話でしかなかった。証拠は何もない。母はとうに亡く、真偽を確かめるすべもない。しかしヘラヘラと笑って言った侍女の言葉は私の胸を貫いた。

━━だってアルフォンスさまは、ちっとも公爵閣下に似ていらっしゃらないわ。閣下と違って、お顔立ちが整いすぎていらっしゃるんだもの。

 私が受けた衝撃は大きく、しかし短かった。自分が父の子でないという事実(らしきもの)に接して、もちろん傷つきはしたものの、その悲しみはすぐに別の感情に埋められてしまったのだ。

 これでは父があまりに可哀そうだ。

 当時すでに50を過ぎていた父が、10歳の私に哀れまれるというのも妙な話だが、それが私の素直な気持ちだったのだから仕方がない。

 父は血を受け継いだ子どもがどうしても欲しくて、その想いを母に利用されたのだ。母は別の男との間に子を作り、それが父の種になる子だと偽った。ラングハイム家の当主の母になるために。だが、こんな残酷なことはない。

 よりいっそう悲壮なことは、父が私の出自にうっすらと気づいていることだ。だから父は必要以上に私を可愛がり、ことあるごとに「お前は儂の子だ」と私に吹き込み続けた。

 そうすることで、父は自分自身を納得させようとしていたのだろう。父は私が自分の血を受け継いだ子どもだと、のではなく、のだ。

 いったい父は、どんな気持ちで私を愛してきたのだろう。少しも自分に似ていない子どもを。自分を騙した女の息子を。それでも愛さずにはいられなかったのだ━━これが哀れまずにいられるだろうか。

 そしてその感情を引きずったまま、私は13歳になった。15歳になれば『学園』の政経科に入学して、政治を学ぶのがラングハイム家の嫡男としての義務だが、そのまえに、すでに私は貴族としての心構えを父から学び始めていた。

 父の後について、領地経営を見、人脈の引き継ぎを行うのがそれだ。とくに伯母が嫁いだカウニッツ侯爵家や、ラングハイム派閥の両翼と呼ばれるアメルハウザー公爵家との交流は頻繁だった。当代のカウニッツ侯、アメルハウザー公とは何度も顔を合わせ、会食の機会も多かった。

 全人類の命運を握る、帝国の軍務大臣、大蔵大臣、宰相の三者がそろった場所に、13歳の子どもが当たり前の顔をして同席しているのだ。異常な光景といっていい。だがこれこそが貴族政治であり、派閥政治なのだ。ラングハイム家の次期当主である私には、彼らと同席する資格が充分にある。

 顔見知りの大人たちの、くだらない世間話の合間に国家的事業が決まっていくという体験は、私にとって刺激的だった。大人の階段を百段飛ばしに駆けのぼっている気分だ。下積みもなしで、いきなり国家の中枢をのぞき見した私は、危うく自分が特別な存在なのだと勘違いしそうになった。

 父に言わせれば、私は真実、特別な存在ということになるのだろう。だが私は知っている。自分がラングハイムの血統を受け継いでいないことを。だからこそ私は、ギリギリのところで冷静さを保つことができたのかもしれない。

 そんな日々が続いたある日のことだ。私は父に呼ばれて、初めて帝城に昇った。これも異例のことだろう。宮廷になんの役職もない、爵位もまだ譲られていない子どもが、皇帝からの応召もなしに城に入ったのだ。普通なら門前払いになるところだが、ラングハイム家に逆らえるものなど、そう多くはない。私は官僚に案内されて、父のもとにたどり着いた。

「おお、待っておったぞアルフォンス!」

 入室するなり、父が笑みを浮かべて私を迎えた。その広い部屋は軍務大臣の執務室だった。当然、部屋の主であるカウニッツ侯もその場にいる。軽く会釈して、私は父に向き直った。

「父上、帝城に呼ばれるとは、いったい何事ですか」

「うむ、今日はお前に、権力の使い方というものを実地で教えようと思うのだ」

「実地?」

「…この部屋には今から、国軍の司令長官が来ることになっておる」

「司令━━するとリーゼンフェルト侯が」

「そうだ。やつめ、なにやらカウニッツ侯に抗議すると息巻いているそうな。愚かなことだ」

 リーゼンフェルト侯爵家といえば、近ごろ父と対立しがちな東方諸侯の武断派だ。これまでに10人以上の司令長官を輩出している武官の名門でもある。

「…儂はこの3年間、東方諸侯の勢力を排除することに血道をあげてきた。リーゼンフェルト侯爵家はその最後の巨魁だ。やつを潰せば宮廷から東方諸侯の影響は一掃できる。そうなればやつらは、政府の決定に抗うすべがなくなる。あとは煮るなり焼くなり、儂の思うがままだ」

 父の言うことに私はうなずいた。

 東方はかつて建国の際、最後までヴァイデンライヒ帝家に抵抗した、協調に欠く地域だ。全人類が手を取り合い、魔族に対抗せねばならなかったときに、東方諸侯が我をはって足並みを乱したことは、利敵行為といってよい。それが今になって中央政府に派閥をつくるなど、厚かましいにもほどがある。私は周囲の大人たちにそう教えられてきたし、少なくともこの時点では、私も東方諸侯に不信感をもっていた。

 それが吹き飛んだのは、リーゼンフェルト侯の発言によってだ。

「なにゆえこの時期に国軍の駐留地を変えなければならなかったのか、その根拠をうかがいたい!」

 最初から興奮ぎみだったリーゼンフェルト侯は、問答を重ねるたびに激していった。

「魔王国の活動が活発になったなどという報告は、諜報部から受けておりません。そもそも駐留地の選定は武官よりの進言をもとになされるのが慣例でしょう。戦時ならいざしらず、平時の続くいま、軍務大臣はなにゆえ武官の見識を軽んじ、秩序を乱されるのか!」

「その秩序とやらが、既得権益の温床となり、軍部の権力が肥大することを懸念しているのだ」

「その結果がアスペルマイヤー領への移動ですか!それはまた大したご見識ですな。北部にあって対魔王国の防壁の一部である第4師団を、内地に動かすということは、前線の防御ラインに致命的な弱点を生じせしめることになりもうす。この利敵行為としか考えられない現実を、軍務大臣はいかがお考えか!」

 ほとんど恫喝にひとしいリーゼンフェルト侯の声音に、カウニッツ侯はたじたじとなる。私としては、縁戚であるカウニッツ侯に味方したいのが人情だったが、リーゼンフェルト侯の発言には一本筋が通っていた。

 平時とはいえ前線から軍の一部を動かすとなると、無用な混乱を招くだけではないか。まして軍事上の要衝ともいえないアスペルマイヤー領に、国軍を駐留させるなど、素人である私にも不自然に思われたのだった。

 とはいえ、軍務大臣と国軍司令長官の討論に割って入るほど、私は増長していなかった。この場で意見を述べられる資格がある者は、いまひとりだけ。帝国宰相である父だ。

 その父が白熱するふたりを手で制し、重々しく口を開いたとき、私はなんとなく安心感を覚えたものだ。

「もうよい、リーゼンフェルト侯、自分と意見が違うからといって、上司にあたるはずの軍務大臣の決定を、利敵行為呼ばわりするのはいかがなものかな。これではいったい、どちらが秩序を軽んじているのやら」

「…失礼いたしました」

 素直に侘びたリーゼンフェルト侯だが、その目に宿る光はいささかの衰えもない。正義は我にありと疑わないものの目だった。案の定、反駁はんばくするために彼は口を開いた。

「しかしです━━」

「もうよいと申しておる!」

 リーゼンフェルト侯を父が掣肘せいちゅうする。

「反抗心はいまだ失われず、か。これだから東部の田舎者は…。貴様ら東部貴族が秩序などと口にするとは、片腹痛いわ。かつて建国に際して、高祖陛下にたてついた不忠者どもが!」

「…いったいいつまでなのです?」

 リーゼンフェルト侯の声が震えた。

「いったいいつまで我らは、そうして外様あつかいを受けねばならぬのですか。建国の際ですと?700年もまえの話ではありませぬか!」

 その発言に、いまさらながらはっとした。そうだ━━帝国の世界統一は700年も前のできごとだった。そんなあたりまえの事実にさえ、これまで私は思い至らなかったのだ。

「私は人類と、帝国と、皇帝陛下のおんために、誠意を持って進言しているのです。どうか駐留地の変更については、ご再考ください。お聞き入れくださるならば、私は職を辞してもかまいません!」

 おどろくほどに清廉な覚悟だ━━私はリーゼンフェルト侯の発言に感動すらしていた。その熱意は父をも動かしたのだろうか。

「…良いだろう、おぬしが司令長官職を辞めるというなら、駐留地変更について、一考してやる」

「本当ですか!」

「帝国宰相たるもの、二言はない」

 こうして一件は落着した。リーゼンフェルト侯が出ていったあと、父は葉巻に火をつけて、盛大に煙を吐き出した。そして━━唐突に哄笑したのである。

「ハーハッハッハ!」

「クックック」

 カウニッツ侯も笑っていた。父は喜色を満面に浮かべて言う。

「やつめ、やつめ自分から司令長官を降りたぞ。信じられん愚か者だ!」

「リーゼンフェルト家の政治下手は有名な話ですが、あれほどとは思いませなんだな」

「こちらから切り出す手間がはぶけたわ。これで邪魔者は消え、駐留地変更も成った。一石二鳥とはこのことよ」

 駐留地変更が成った…?私は耳を疑った。思わず父に問いかける。

「父上、駐留地変更は考え直すお約束では」

「アルフォンス、お前までなにを寝言をほざいておるのだ。邪魔者が消えたというのに、どうして我らが計画を変えねばならぬ?」

「し、しかし、帝国宰相に二言はないと…」

「だから儂は言ったではないか。と。考えた末に、あらためて駐留地を変更する必要があると判断したのだ」

 それではあまりに━━言いかけた言葉を、私は飲み込んだ。そうだ。父にはなにか深い考えがあって、駐留地を変更するとおっしゃられているに違いないのだ。だからその真意を問わずにはいられなかった。

「…どうして候補地がアスペルマイヤー領だったのですか?」

「アスペルマイヤー伯が我が意に逆らったからだ」

 続く言葉はなかった。それだけなのだ。本当にそれだけで、父は駐留軍をアスペルマイヤー伯に押し付けようとしているのだ。

 失望が私の胸中に広がった。

 あるいは━━私たちが本当の親子だったら、このとき私は父に意見したかもしれなかった。血縁という、絶対の裏づけがあれば。父のやり方に反発する余地があったのかもしれない。

 だが私たちは本当の親子ではなかった。私はそのことに気づいていたし、父も知っていたに違いない。

 ゆえにこそ、私には反抗期などという甘えは存在しなかった。父を憐れむと同時に、私は父を恐れていた。

 いつか父に捨てられるのではないか━━その考えは、おそらく生涯を通して、私の中から消えることはないだろう。
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