海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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30 大貴族の落日4(ハーロルト視点)

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 幸運と不運はコインの裏表のようなものだ━━陳腐な表現だが、もしそれが事実であるとするならば、この日の儂は一枚のコインの裏表を、平等に見る機会に恵まれたというわけだ。

 まず最初にとびきりの不運を味わった。わがラングハイム家の家令が、ひどく気まずそうな表情で、その凶報をもたらしたのだ。

「ご主人様、アスペルマイヤー家の三女カリーナさまとグレッツナー伯爵さまが、婚約を発表したそうです」

 屋敷で執務中だった儂は、思わずペンを取り落としたものだ。

 カリーナ・フォン・アスペルマイヤー。それは儂が手に入れるはずだった、帝国三大美女のひとりだ。そのために国軍の配置にまで口を挟み、強権を発動させて、アスペルマイヤー家に圧力をかけた。

 それが、グレッツナー伯だと?

 あの昼行灯ひるあんどんとカリーナが婚約だと?

 握りしめたこぶしがわなわなと震える。

「おのれアスペルマイヤーめぇえぇえッ、いったいどこまで儂を愚弄するのだ!」

 カリーナを差し出すことを、拒みに拒んだアスペルマイヤー伯に、儂は鉄槌てっついを食らわせたつもりだった。国軍第四師団をアスペルマイヤー領に移動させ、やつの領地を干上がらせてやったのだ。

 そろそろ音をあげて儂に許しを請うてくるかと思えば、よりにもよって、グレッツナーごとき三枚目に、カリーナをあてがうだと!?あてつけにしても、度が過ぎている。

「やつがそのつもりなら、いいだろう、グレッツナー伯ともども、地獄に叩き落してくれるわ!」

 あるいは━━このときが唯一のチャンスだったのかもしれない。数年後に思い返したとき、儂は思った。このときならまだ間に合ったのだ。伯爵家のひとつやふたつ、簡単に潰すことができただろう。

 ところがそのとき、儂のもとに朗報が舞い込んできた。親類のカウニッツ侯爵が我が屋敷に馬車を乗りつけ、執務室にまで飛び込んできたのだ。

「ラングハイム公、驚きなされ!バルシュミーデ公が法務大臣を辞任しましたぞ!」

「なんだと!?」

 その報せをもってきたカウニッツ候は喜色を満面に浮かべていた。当然だろう。政敵が突然、権力闘争から脱落すれば、喜ばずにはいられないというものだ。

 だがバルシュミーデ公の辞任は、儂がしくんだものではないにせよ、いずれこうなる予感はしていた。

 それというのも、バルシュミーデ公の権力の源である、有り余る富が、はかなく霧散しつつあったからだ。

 バルシュミーデ領の財政は、たった数カ月でガタガタになってしまった。やつはおそらく、己が与党を繋ぎとめるための政治資金さえ、まともに保てなくなったに違いなかった。

 原因はこの数カ月のあいだにおこった、ウイスキー市場の暴落だ。

 バルシュミーデ家の富の源泉は、やつが独占してきたウイスキーの生産にあった。ところが、バルシュミーデ産ウイスキーは、またたくまに市場から駆逐されてしまった。

 より高品質で低価格のウイスキーによって。

 グレッツナー産ウイスキー。それこそが、バルシュミーデ公を背後から刺した剣の正体だ。

 まさかグレッツナーの昼行灯に、そのような才覚があったとは、思いもよらなかった。グレッツナー産ウイスキーは燎原りょうげんの火のごとく、帝都に広まった。その勢いたるや、我がラングハイム家の御用商人であるデニス・ガイガーが唖然としたほどだ。 

 デニスの商才が確かなことは、ラングハイム産の葉巻を広く世に知らしめたことからもわかる。そのデニスをして、グレッツナー産ウイスキーの猛威は「異常」としか映らなかったらしい。

 数か月前の会話を思い出す。

「これはグレッツナー伯爵さまの才覚というより、シェーンハイト商会の販売網を褒めるべきかもしれません。やつめ、いつのまにこれほどの力をつけたのか。そもそもあのような販売価格で本当に利益が出ているのか。仕入れ値はどうなっているのでしょうか。なるほど、あの品質のウイスキーをあの価格で売れば、それはあっという間に評判が広まりましょうが…」

 どこか平仄ひょうそくが合わない。デニスの表情が、そう物語っていた。だが儂は下賤な商人ではない。道理が立とうが立つまいが、そんなことはどうでもよいのだ。

「確かにバルシュミーデ家は没落するのだな?やつに起死回生の方法は本当にないのだな?」

「それはそのはずでございます。すでに市場のバルシュミーデ産ウイスキーは値崩れを起こしております。売れ残ればガラクタも同然、商人たちにしてみれば、仕入れ値を割ってでも、売り抜くしかありません。それには、グレッツナー産ウイスキーと同様の価格まで、売価を落とすしかないでしょう。となれば、いま出回っているバルシュミーデ産ウイスキーは損を覚悟で売るとして、今季はもう、バルシュミーデ領からウイスキーを仕入れることは、手控えるに違いございません。バルシュミーデ公爵さまは、在庫の山をかかえて路頭に迷う羽目に…」

「クハハハハっ、なんとも愉快な話ではないか。あとはアスペルマイヤー家からカリーナを迎えることさえできれば、我が世の春となるのう!」

 …それからしばらく経って、ついにバルシュミーデ公が官職を辞任した。儂が追い落とすまでもなかったわけだ。これで宮廷内にラングハイム家の敵はなくなった。儂は帝国の歴史上、最大の権力を掌中におさめることになる…。

「カウニッツ侯、ありったけの資金を用意するのだ!バルシュミーデ派が新たな領袖りょうしゅうを得てまとまる前に、旧バルシュミーデ派の貴族たちをラングハイム家になびかせねばならぬ」

 儂が西方諸侯をまとめあげることができれば、もはや帝国内に逆らうものはいなくなる。そうなったあかつきには、帝国三大美女をすべて我がものとする。東方諸侯をしめあげてアードルング家からエリーゼをめとり、グレッツナー伯からカリーナを略奪してやる。

 グレッツナー伯とアスペルマイヤー伯の目の前で、カリーナを凌辱し、儂を侮ったことを後悔させてやるのだ。

 二年のうちに事は成る━━帝国のすべてが儂のものになるのだ。となればカリーナの婚約など、些事にすぎない。遠くない未来に、儂はすべてを手に入れるのだから。

 高笑いが止まらなかった。このとき儂はなにもわかっていなかったのだ。

 帝国のすべてを飲み込む闇が、グレッツナー家の片隅で生まれ、大きくふくらんでいたことを。
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