32 / 46
31 大貴族の落日5(アルフォンス視点)
しおりを挟む
なんらかの異変が帝国内でおこっている。
私がそのことに気づいたのは、ほんの数カ月まえのことだ。父の仕事を手伝って領地の経営にたずさわるようになった私は、領内の物価が大きく変動していることを知った。
それもここ最近のことだ。たとえば俵物の値が、ひと月のあいだに3倍にもなった。ラングハイム領には海がないので、海産物は輸入するほかないのだが、その価格が高騰しているのだ。
商人から話を聞いたところ、海産物に限らず、ラングハイム領への物流が途絶えがちになり、品薄が続いているのだという。
「なにもラングハイム領に限った話ではないのです」
商人、デニス・ガイガーは苦しげな表情で言う。
「ガイガー商会は、大貴族さまを主に顧客とさせていただいておりますが、だからといって零細貴族を無視することはできません。むしろ安く商品を仕入れるには、伯爵家を相手取ったほうが、なんというか、その…」
「値付け交渉の余地があるのですね?」
私が助け舟を出すと、デニスは大げさにうなずいた。ようするに、デニスは伯爵家から商品を安く買い叩いているのだ。だが伯爵家とはいえ相手は貴族。大商人とはいえ平民のデニスは買い叩いているなどとは言えないだろう。
「これまでガイガー商会は、伯爵家との値付け交渉に際して、優位な立場でした。ほとんど我々の言い値で買うことができていたのです。ところが先日来、伯爵家はひどく強気で、自分たちの言い値でなければ売らないと言わんばかり…」
「…どこか特定の家ではなく、伯爵家なのですか?そういうことなのですか?」
「ご賢察、恐れ入ります」
デニスが汗を拭いながら頭をさげた。
「つまりガイガーどのは、複数の伯爵家が談合して商品の値をつりあげていると言いたいわけですね?」
「そうでなければ説明がつきません。商品が売れなければ困るのは、伯爵家のほうです。我々は他から買えば良い立場なのですから。故にこそ値付け交渉において、商会側が優位だったのです。ところが━━」
「急に伯爵家が強気になった。それもいくつかの家がそろって…」
「いくつか、ではありません」
「え?」
「すべての伯爵家が、です。少なくともガイガー商会が取引している伯爵家はすべて強気に出ております。ですからこう申し上げているのです。ただ伯爵家と」
背筋がぞっと寒くなった。デニスはきちんと状況を理解しているのだろうか。いや、いち商人の立場では理解できまい。
これはたんなる談合という言葉で片付けられる問題ではない。言うなれば協商同盟━━ガイガーの言うことが正しいとすれば、帝国内の全伯爵家が、大同盟を成したということになる。
「帝国の勢力図が塗り変わるぞ…」
伯爵家が豊かになるということは、相対的に大貴族は衰微するということだ。経済的な裏づけなしに、権力が保たれるはずはないのだから。
いずれ公侯爵家と伯爵家が対等になる時代がくる。それも大して遠い未来ではあるまい。
ガイガーから話を聞いて以来、私は情報収集につとめた。帝国諜報部に働きかけて、伯爵家の動きを探らせたのだ。だが諜報部を使ったにもかかわらず、はっきりとした情報は集まらなかった。
まるで黒い霧に閉ざされているかのように。
しかし一方で、私には確信していることがあった。
霧の向こうに誰かがいる。
この協商同盟は、自然発生的に成されたものではない。そのような動きは、帝国数百年の歴史上、ありえなかったからだ。
伯爵家の地位を向上させる。そんな機運が常に満ちていたならば、いつかはこのような同盟が成されることもあっただろう。
だが、帝国の秩序は常に身分の上下で保たれてきた。伯爵家は、己が分際をわきまえていたのだ。
それが急に変化するわけがない。
だとすれば、この協商同盟には、裏で糸を引いている人間が存在していることになる。
闇の中で何かが蠢いている。得体のしれない何かが。私は必死にその存在に触れようとした。
そうしなければ━━いずれラングハイム家は没落する。今でこそラングハイム派は、かつて政敵だった西方諸侯を傘下に組み入れ、帝国で唯一絶対の権勢をほこっているが、新しい時代の波がやってきたとき、どれだけ持ちこたえることができるだろうか。
時代の変化そのものを相手に、対処法があるのかないのか、それはわからないが、まずは相手を知らなければはじまらない。
とにかく今は、敵の正体をつかむことだ。
だが━━焦慮にかられる日々の中、ふと冷静になる瞬間がある。
私ははたして、ラングハイム家の権力維持を、本当に望んでいるのだろうか。
それは父の望みであって、私の望みではないのではないか。
権力欲にとりつかれ、だれかを平然と陥れたり、負の感情に振り回される父の姿を間近で見てきた私は、いつしか疑問を抱くようになった。
権力を得て、本当に人は幸せになれるのだろうか。
…それでもいまは、父の望んだ良い子を演じなければならない。そうでなければ、私は父に捨てられる。あるいはそれは、たんなる妄想でしかなかったのかもしれないが、父と血縁で結ばれていないという事実が、私に恐れをいだかせるのだ。
ラングハイム家次期当主の座が惜しいわけではなかった。私はただ、父に愛されたかった。
子どもじみていることはわかっていたが、それでも。
私は父に愛されたかったのだ。
私がそのことに気づいたのは、ほんの数カ月まえのことだ。父の仕事を手伝って領地の経営にたずさわるようになった私は、領内の物価が大きく変動していることを知った。
それもここ最近のことだ。たとえば俵物の値が、ひと月のあいだに3倍にもなった。ラングハイム領には海がないので、海産物は輸入するほかないのだが、その価格が高騰しているのだ。
商人から話を聞いたところ、海産物に限らず、ラングハイム領への物流が途絶えがちになり、品薄が続いているのだという。
「なにもラングハイム領に限った話ではないのです」
商人、デニス・ガイガーは苦しげな表情で言う。
「ガイガー商会は、大貴族さまを主に顧客とさせていただいておりますが、だからといって零細貴族を無視することはできません。むしろ安く商品を仕入れるには、伯爵家を相手取ったほうが、なんというか、その…」
「値付け交渉の余地があるのですね?」
私が助け舟を出すと、デニスは大げさにうなずいた。ようするに、デニスは伯爵家から商品を安く買い叩いているのだ。だが伯爵家とはいえ相手は貴族。大商人とはいえ平民のデニスは買い叩いているなどとは言えないだろう。
「これまでガイガー商会は、伯爵家との値付け交渉に際して、優位な立場でした。ほとんど我々の言い値で買うことができていたのです。ところが先日来、伯爵家はひどく強気で、自分たちの言い値でなければ売らないと言わんばかり…」
「…どこか特定の家ではなく、伯爵家なのですか?そういうことなのですか?」
「ご賢察、恐れ入ります」
デニスが汗を拭いながら頭をさげた。
「つまりガイガーどのは、複数の伯爵家が談合して商品の値をつりあげていると言いたいわけですね?」
「そうでなければ説明がつきません。商品が売れなければ困るのは、伯爵家のほうです。我々は他から買えば良い立場なのですから。故にこそ値付け交渉において、商会側が優位だったのです。ところが━━」
「急に伯爵家が強気になった。それもいくつかの家がそろって…」
「いくつか、ではありません」
「え?」
「すべての伯爵家が、です。少なくともガイガー商会が取引している伯爵家はすべて強気に出ております。ですからこう申し上げているのです。ただ伯爵家と」
背筋がぞっと寒くなった。デニスはきちんと状況を理解しているのだろうか。いや、いち商人の立場では理解できまい。
これはたんなる談合という言葉で片付けられる問題ではない。言うなれば協商同盟━━ガイガーの言うことが正しいとすれば、帝国内の全伯爵家が、大同盟を成したということになる。
「帝国の勢力図が塗り変わるぞ…」
伯爵家が豊かになるということは、相対的に大貴族は衰微するということだ。経済的な裏づけなしに、権力が保たれるはずはないのだから。
いずれ公侯爵家と伯爵家が対等になる時代がくる。それも大して遠い未来ではあるまい。
ガイガーから話を聞いて以来、私は情報収集につとめた。帝国諜報部に働きかけて、伯爵家の動きを探らせたのだ。だが諜報部を使ったにもかかわらず、はっきりとした情報は集まらなかった。
まるで黒い霧に閉ざされているかのように。
しかし一方で、私には確信していることがあった。
霧の向こうに誰かがいる。
この協商同盟は、自然発生的に成されたものではない。そのような動きは、帝国数百年の歴史上、ありえなかったからだ。
伯爵家の地位を向上させる。そんな機運が常に満ちていたならば、いつかはこのような同盟が成されることもあっただろう。
だが、帝国の秩序は常に身分の上下で保たれてきた。伯爵家は、己が分際をわきまえていたのだ。
それが急に変化するわけがない。
だとすれば、この協商同盟には、裏で糸を引いている人間が存在していることになる。
闇の中で何かが蠢いている。得体のしれない何かが。私は必死にその存在に触れようとした。
そうしなければ━━いずれラングハイム家は没落する。今でこそラングハイム派は、かつて政敵だった西方諸侯を傘下に組み入れ、帝国で唯一絶対の権勢をほこっているが、新しい時代の波がやってきたとき、どれだけ持ちこたえることができるだろうか。
時代の変化そのものを相手に、対処法があるのかないのか、それはわからないが、まずは相手を知らなければはじまらない。
とにかく今は、敵の正体をつかむことだ。
だが━━焦慮にかられる日々の中、ふと冷静になる瞬間がある。
私ははたして、ラングハイム家の権力維持を、本当に望んでいるのだろうか。
それは父の望みであって、私の望みではないのではないか。
権力欲にとりつかれ、だれかを平然と陥れたり、負の感情に振り回される父の姿を間近で見てきた私は、いつしか疑問を抱くようになった。
権力を得て、本当に人は幸せになれるのだろうか。
…それでもいまは、父の望んだ良い子を演じなければならない。そうでなければ、私は父に捨てられる。あるいはそれは、たんなる妄想でしかなかったのかもしれないが、父と血縁で結ばれていないという事実が、私に恐れをいだかせるのだ。
ラングハイム家次期当主の座が惜しいわけではなかった。私はただ、父に愛されたかった。
子どもじみていることはわかっていたが、それでも。
私は父に愛されたかったのだ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
前世で私を捨てた皇太子が、今世ではなぜか執着してきます。でも私は静王妃なので『皇叔母様』と呼ばせます
由香
恋愛
沈薬は前世、皇太子の妃だった。
だが彼の寵愛は側室へ移り、沈薬は罪もなく冷宮へ送られ――孤独の中で死んだ。
そして目を覚ますと、賜婚宴の日に戻っていた。
二度目の人生。
沈薬は迷わず皇太子ではなく、皇帝の弟である静王を選ぶ。
ただしその夫は、戦で重傷を負い昏睡中だった。
「今世は静かに生きられればそれでいい」
そう思っていたのに――
奇跡的に目覚めた静王は、沈薬を誰よりも大切にしてくれた。
さらにある日。
皇太子が前世の記憶を思い出してしまう。
「沈薬は俺の妃だった」
だが沈薬は微笑んで言う。
「殿下、私は静王妃です」
今の関係は――
皇叔母様。
前世で捨てた女を取り戻そうとする皇太子。
それを静かに守る静王。
宮廷を揺るがす執着と溺愛の物語。
【本編完結】伯爵令嬢に転生して命拾いしたけどお嬢様に興味ありません!
ななのん
恋愛
早川梅乃、享年25才。お祭りの日に通り魔に刺されて死亡…したはずだった。死後の世界と思いしや目が覚めたらシルキア伯爵の一人娘、クリスティナに転生!きらきら~もふわふわ~もまったく興味がなく本ばかり読んでいるクリスティナだが幼い頃のお茶会での暴走で王子に気に入られ婚約者候補にされてしまう。つまらない生活ということ以外は伯爵令嬢として不自由ない毎日を送っていたが、シルキア家に養女が来た時からクリスティナの知らぬところで運命が動き出す。気がついた時には退学処分、伯爵家追放、婚約者候補からの除外…―― それでもクリスティナはやっと人生が楽しくなってきた!と前を向いて生きていく。
※本編完結してます。たまに番外編などを更新してます。
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
人見知りと悪役令嬢がフェードアウトしたら
渡里あずま
恋愛
転生先は、乙女ゲーの「悪役」ポジション!?
このまま、謀殺とか絶対に嫌なので、絶望中のルームメイト(魂)連れて、修道院へ遁走!!
前世(現代)の智慧で、快適生活目指します♡
「この娘は、私が幸せにしなくちゃ!!」
※※※
現代の知識を持つ主人公と、異世界の幼女がルームシェア状態で生きていく話です。ざまぁなし。
今年、ダウンロード販売を考えているのでタイトル変更しました!(旧題:人見知りな私が、悪役令嬢? しかも気づかずフェードアウトしたら、今度は聖女と呼ばれています!)そして、第三章開始しました!
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる