海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

文字の大きさ
40 / 46

39 大貴族の落日8(アルフォンス視点)

しおりを挟む
 結局、父を説得できないまま、今日という日を迎えてしまった。朝から父とともに取引所を訪ねた私は、貴族用に設えられた個室のソファに腰かけた。

 相場を貴族というのは珍しくない。競馬やカードのように、賭け事として楽しむわけだが、ギャンブルとしてはいささか地味ながいなめない。結果が出るまでに数時間から下手をすると数カ月かかることもあるからだ。

 一方で、一度でも取引をたら、やみつきになってしまうものも多いのだ。熱狂に包まれる取引所の、その雰囲気ごと好きになってしまうらしい。とはいえたいていの場合、海千山千の商人にしてやられて損をするのだが。

「勝ちはすでに決まっているのだ」

 そう父は断言する。たしかに今日まで、市場には綿花が出回っていない。ラングハイム家が裏から手を回して、南部からの今年の出荷を抑え込んでいるからだ。ゆえに、いまの時点ですでに綿花相場は高騰しはじめていた。

「あとは上がり続けるしかないのだ。儂が潤沢な資金で強引なを続けるのだからな。アルフォンス、ラングハイム家は今日、市場の綿花をすべてぞ」

 果たしてそう上手く行くだろうか。目の前のローテーブルに広げられた、右肩上がりのグラフに目を落とし、私は不安を拭いされなかった。

 個室の壁は、一面がガラス張りになっており、取引の様子が高みから見下ろせるようになっている。そこで、ふとこちらを見上げているひとりの男と目があった。どこかで見覚えがある━━私は帝国内の要人の顔はひととおり覚えるようにしている。どこかで一度見かけたら、忘れないようにしているのだ。

 思い出した。あれはシェーンハイト商会の会頭…たしかマルコ・シェーンハイトといったか。

 シェーンハイトは帝都三大商会のひとつだ。私が財界の重鎮の顔を見忘れることはない。年賀の挨拶で顔を合わせたことがあって覚えていたのだろう。むろん、ラングハイム家の取引一切は、ガイガー商会が独占しているから、本当に挨拶程度のことだったはずだが。

 マルコに会釈されて、私は鷹揚おうように応えた。それにしても、シェーンハイトの会頭自らが取引所に出向くなど、今日は何か大きな取引でもあるのだろうか。

 そうこうしているうちに、今日の取引が開始される。さざ波のようにはじまった取引だが、10分もたたないうちから、取引所の中は怒号のような喧騒に包まれた。数こそ少ないものの、わずかずつ綿花の売りも出はじめる。

「買いだ、買えっ。いくらでもかまわん、綿花はすべて買え!」

 乱暴な買い方で、父は手元に綿花を集める。こうなると売り手も盛り上がるのだろう。信じられないほどの高額で、綿花が続々と市場に売り出された。

 2時間後、デニス・ガイガーが個室を訪ねてきた。デニスは取引に熱中する父に無視されながら挨拶を済ませると、ふと罫線図に目を落として、みるみるうちに青ざめはじめた。

「な、なんという上がりかただ…」

 そして私に向き直ると、詰問口調で訊いてくる。

「公爵閣下は、いったいどのような買い方を?」

 私は気まずい感じで首を横に振るしかなかった。

「いくらでもかまわん、とにかく買えと」

「馬鹿なっ、いくら資金が潤沢とはいえ、限りがあるのですぞ」

 もはや暴騰といっていい綿花相場の盛り上がりを、デニスは恐怖する眼差しでみつめる。

「閣下は、やはりを軽視されたままなのですか?」

「はい、父は伯爵家など歯牙にもかけぬという態度です。やつらが裏切るはずがないと、断言されて」

「たった一家でも裏切ったら、ラングハイム家は破産するとしてもですか?」

「えっ」

 さすがにそれは意外なひとことだった。だがデニスの表情は真剣だ。

「私も閣下が、これほどの買い方をされているとは思いませんでした。見てくださいアルフォンスさま。ラングハイム家以外からも、綿花の買いが出はじめています。今買って、2時間後にラングハイム家に売りつければ、どんな額でも売れると、彼らは理解しているのです。ラングハイム家はカモにされているのですよ」

 今度は私が青ざめる番だった。デニスは不安をにじませながら言う。

「取引がはじまってまだ2時間ですが━━すでにラングハイム家の財産は、半分が綿花相場につぎこまれております。このあとの上がりかたから予想すると、いまの資金ではギリギリもいいところ。なんとかすべての綿花を市場からことができたとして、どこかの伯爵家が裏切ってしまえばもうおしまいです。あらたに出回った綿花すべてを、ラングハイム家が買い切ることなど不可能でしょう」

「ならば今すぐ父を止めて━━」

 デニスが首を横に振る。

「なんと言って止めるのですか?いま止めれば、ラングハイム家の大損で終わるのです。それを閣下がご承知めされるとお考えですか?」

「うっ」

 私は言葉をつまらせた。

「私も止めました、アルフォンスさまも止めました。ですが閣下はお聞き入れくださらなかった。我々が閣下をお止めする根拠は、とどのつまり南部の伯爵家が裏切る可能性です。そのことをご理解いただけない限り、損を承知で取引を切り上げることなど、閣下が良しとされるはずがございません」

 室内には父のかすれた声が響いている。顔を真っ赤にし拳をふりあげて叫び続ける、動物じみた父の姿に、ぞっと寒気がした。

「買えっ、買えっ、買えっ、買えっ、買いつくせぇえぇっ!」

 いまとなってはもう、南部から裏切りが出ないことを祈るほかない。すべての綿花をラングハイム家がきれば、異常な価格の木綿をグレッツナー家に押しつけることができる。だが、グレッツナー伯がラングハイム家以外から木綿を買える可能性を残してしまえば、我が家は売りぬくことも不可能な高額の綿花を抱えたまま、家も財産も失くして路頭に迷うしかないのだ。

 どうしてこんなことになってしまったのだ。

 私はなお熱狂する取引を見つめながら、胃の痛みがともなう吐き気を、必死にこらえていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

巨乳すぎる新入社員が社内で〇〇されちゃった件

ナッツアーモンド
恋愛
中高生の時から巨乳すぎることがコンプレックスで悩んでいる、相模S子。新入社員として入った会社でS子を待ち受ける運命とは....。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる

しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。 いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに…… しかしそこに現れたのは幼馴染で……?

処理中です...