海千山千の金貸しババア、弱小伯爵令嬢に生まれ変わる。~皇帝陛下をひざまずかせるまで止まらない成り上がりストーリー~

河内まもる

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40 大貴族の落日9(アルフォンス視点)

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 午前中の取引が終わったことを知らせる鐘が鳴り響き、私は涙を浮かべたデニス・ガイガーと固い握手をかわした。

「どうだデニス!これで市場の綿花はすべてきったであろう」

「はいっ、閣下。本当にようございました」

 デニスが涙するのも無理はない。本当に首の皮一枚だったのだ。ラングハイム家は、全財産を綿花相場につぎこんだ。デニスをして、この暴騰は取引所の伝説に残るだろうと言わしめるほど、綿花相場は異常な値上がりを続けたのだ。1番最後の取引など、綿花ひとつが同じ重さの金とつりあうと言われたほどだ。

 父が高らかに哄笑する。

「あとは明日にでも勅命をもって、グレッツナー伯に木綿を売りつけるだけだ」

 そうなれば間違いなく、グレッツナー家は破産するだろう。帝都の屋敷もウイスキーの醸造所も手放して、領地に引きこもるしかなくなる。それは哀れに思うが、一歩間違えればラングハイム家がそうなっていたことを考えると、いまさら手心を加えるわけにはいかなかった。

「それでは屋敷に凱旋がいせんするとしようか」

 父が言うと、デニスは微笑みを浮かべた。

「閣下、せっかくですから、午後の取引をながめながら、ここで祝杯をあげませんか」

「ほう、なかなか乙なことを言うではないか」

 父は満足げにうなずき、取引所の職員を呼びつけてぶどう酒を運ばせた。チーズとナッツをつまみにして、父がグラスをあおる。

「うむ、儂はこの雰囲気が気に入ったぞ。また何んぞの機会があれば、相場をのも悪くない」

「ですが父上、もう今日のようなヒヤヒヤする取引はごめんですよ」

 私が嘆くと、父は笑った。

「あのスリルがあればこその、勝利の美酒ではないか。この味気ない罫線図を眺めながら飲む酒は、ひとしお美味い」

 そうこうするうちに、午後の取引がはじまる。商人たちがぞろぞろと入ってきて、木札を手元に準備する。取引所の職員が黒板をいったん消して、取引開始にそなえる。

 それらの人の中に、マルコ・シェーンハイトの姿を認めた私は、なんとなく違和感を覚えたものだ。そういえば、マルコは午前中の取引に参加していなかったはずだが、午後から重要な取引があるのだろうか。だとしたら、どうして朝のうちから取引所に姿を現したのか。

 取引開始の鐘が鳴ったタイミングで、私はデニスに問いかける。

「ガイガーどの、シェーンハイトの会頭がきている。今日はなにか大きな取引があるのでしょうか」

「ん、そういえば…。しかし今日こちらの取引部屋で売り買いされるのは、綿花と菜種、それから…」

 その次の瞬間だった。とうのマルコ・シェーンハイトが木札を打ち、こう告げたのだ。

綿、100タングっ」

 取引所内がざわついた。新たに綿花が売りに出されたこともそうだが、驚くべきはその価格だった。それは午前の最終取引の、8割の価格だったのだ。私たちが反応するよりも早く、あっというまに買いがつく。

 するとすぐさま、マルコは二の矢を飛ばす。

「バルテン産、アイジンガー産、エスクナー産、綿花売りっ、200タングずつだ!」

 それが崩壊の合図だった。次々に南部の産地の名前があがり、綿花売りが続く。一方的に売り続けているのはマルコひとりだ。あっというまに、取引所内はマルコの独壇場となった。私はただ呆然とその光景を見守るしかない。

 その意味では、父のほうが神経が太かったのかもしれない。茫然自失から自力で回復し、父は叫んだ。

「な、なにをしているっ、買えっ、すぐにあの綿花を買うのだっ」

「む、無理ですっ。もはや資金は尽きております」

「ならばあとで借金でもなんでもすればいい、とにかくいまは、あの綿花を買えぇえっ!」

 デニスを叱り飛ばし、父は買いを宣言する。だが、それよりもシェーンハイトの売りが早かった。

「フェヒナー産、キルステン産、メルケル産、綿花売りだぁっ。200タング!」

 ラングハイム家の買いが追いつかないぶんは、どんどん他の買い手にさらわれてしまう。そのとき私は気づいてしまった。

 いまマルコが売っている綿花は、すべて南部の伯爵領がその産地なのだ。

「ち、父上、お止めください!これは陰謀なのですっ。伯爵家がカーマクゥラの御前の指図で、いっせいに裏切ったのです。もはやすべて買い切るなど不可能です」

「世迷言を言うな、アルフォンス!カーマクゥラなど、この世のどこにも存在せぬっ」

「借金をして相場をはるなど、狂気の沙汰です。もしこのまま値崩れをおこしたら…」

 そのとき、取引所内の空気が変わった。

「売りだっ、ちくしょう、ザウアーランド産っ、100タングっ」

 マルコ以外の商人が、売りだしたのだ。それはさっきマルコが売ったばかりの綿花だった。つまり━━その商人はこのままシェーンハイトの売りが止まらないと判断し、値崩れをおこすまえに損を覚悟で売りに転じたのだ。

 そこから先はあっという間だった。商人たちは雪崩を打って売りに走った。それでもマルコはなお売り続ける。その姿は、まるで綿花が無限に湧き出す壺でもかかえているかのようだった。そして得意満面だった父の顔は、時間とともにろうのように崩れていった。

「父上っ、我が家も売りに出ましょう。損を覚悟で売りぬくのです。そうしなければ、少しでも資金を回収しなければ━━ラングハイム家は破産いたしますっ」

「う、うるさいっ、儂はこの綿花をっ、グレッツナー伯がっ、だから、だから…」

 ぶつぶつとつぶやき続ける父を差し置いて、私は売りを宣言した。だが、そのときにはもう遅かったのだ。

 大暴騰のあとの大暴落━━綿花相場はそれから2時間も経たないうちに、例年の価格を大きく下回り、値下がりし続けた。ラングハイム家は借金こそ抱えなかったものの、全財産を失って取引を終えた。

 絶望に満ちた時間は終わった。

 静まり返った取引所の個室で、私もデニスも、汗みずくになっていた。さっきまで私たちは、暴れる父を懸命に取り押さえていた。父はマルコを止める、取引所を停止させると言い出して暴走したのだ。そしていまは━━抜け殻のような表情でソファにうなだれている。

 これほど生気のない父の姿を、私は知らない。もうすぐ57歳になる父は、こうして見るとただの老人に過ぎなかった。その老い方は、痛々しさすら感じるほどに。

 無理もない、これでラングハイム家はおしまいだ。たった数時間で、父はすべてを失ったのだ。

 そのとき、個室のドアがノックされた。取引所の職員だろうか。たしかにいいかげん、引きあげないことには、取引所に迷惑をかけてしまう。そう思った私は、申し訳なさげな表情を作ってドアをあけた。

 そして思わずのけぞった。

 ドアの向こうにあったのは━━仮面。執事服に仮面をつけた姿の男が、闇を背景に背負って立っていた。

「な、何者ですか」

「これはこれは、ご挨拶が遅れました。私はカーマクゥラ四天王がひとり、『辣腕』のクラウスと申します」

「ら、辣腕っ」

 その男は異常な気配を全身から漂わせていた。背景の闇が歪むほどに━━それは死神の気配とでも呼ぶべきしろものだった。

 私はこれほどの威圧感を持つ相手と、これまで出会ったことがなかった。思えばラングハイム家を破産に追い込んだのはカーマクゥラなのだが、憎むよりも前に気圧されてしまった。

「本日はカーマクゥラの御前より、伝言をたまわってまいりました」

 そう言うと、辣腕は背後の闇の中からトランクを持ち上げ、招きもしない個室内にずかずかと乗り込んでくる。

 そして父の前でトランクをあけて、その中身を明らかにした━━それはまばゆいばかりの黄金の山だった。総額がいくらほどになるのかも定かではない。私のとなりで、デニスが生つばを飲み込んだのがわかった。

「一度しか言わない、よく聞いてください」

 辣腕が背筋を正した。

「羽虫の分際でカーマクゥラに挑んだその意気やよし。褒美にこの金は。プライドがなければ、乞食のように受け取ってみるがいい━━返答や如何?」

 これほど━━これほど神経を逆なでした言葉もなかった。父は帝国宰相で、貴族の最大多数を率いるラングハイム派の領袖りょうしゅうで、人類史上最高の権力者だったのだ。

 

 だが一方で、この金を受け取らなければ、ラングハイム家はおしまいだ。帝国宰相の座を奪われ、派閥は解散し、帝都の家屋敷も失い、葉巻の利権さえ手放して、みじめに領地でひきこもるしかない。

 あるいは━━これまで虐げてきた他家の貴族に復讐されるやもしれず、そこまでいかずとも嘲笑の憂き目にあうことは疑いないだろう。

 この小さな個室内で、金を受け取りさえすれば。父はみじめな末路をたどることもない。

 それでも父の迷いは、長く、深かった。

 そしてポツリとこぼしたのだ。

「アルフォンス、少しの間、部屋を出ていろ」

「だめです」

 だが辣腕は、即座に却下した。

「いずれラングハイム家を受け継ぐ嫡子なら、父親の姿をよく見ておきなさい。そして理解するのです、ラングハイム家が誰の慈悲によって生かされているのかを」

 私だって、父が屈服する姿など見たくはなかった。だが、いま辣腕に逆らえば、この金は受け取ることが出来ないだろう。

「ぐぅうぅっ」

 父が拳を強く握りしめ、うめき声をあげた。そして━━震える声で言ったのだ。

「…カーマクゥラの御前のご温情に感謝する。よしなにお伝えいただきたい」

 辣腕は、ソファに腰かけた父を睥睨へいげいすると、ひとこともなくその場を立ち去った。トランクをテーブルのうえに残して。

 救われた。これでラングハイム家は救われた。私は父の選択が正しかったことを讃え、慰めようと父に近づきかけた。

 そのとき目にした光景を、私は一生忘れないだろう。

 父は黄金の粒を震える手でわしづかみにし、一瞬の間をおいて、黄金を壁に投げつけたのだ。そしてローテーブルのうえのものを、トランクも罫線図もペンもワインボトルもグラスもなにもかも、勢いよく払いのけて地面に落とした。グラスの割れるけたたましい音が静まると、今度は室内に父の嗚咽が響いた。

「おぉおぉおっおっおっおっ、おああぁあ━━っ」

 ローテーブルにしがみついて、父は泣きじゃくった。数十年かけて築きあげてきたもの、そのプライドを粉々に砕かれて。

 権力がかつて父に歓びを与え、権力がいま、父を追い詰めて慟哭どうこくさせている。

 私は父に声をかけることができず、ひとり取引所をあとにした。外はすでに日も暮れて、夜の帳が降りていた。あてどなく街をうろつきながら、私はふと立ち止まる。

 人生とはこういったものなのだろうか。夜空を見あげると、ひとりの男の絶望とは無縁に、星は燦然さんぜんと輝いていた。
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