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王妃の反旗(2)
――アンリのため。
「どんな無茶でもできるかしら? あなたが絶対にやりたくないことも、あなたの人生を、すべて変えてしまうようなことも」
フロランス様は笑っていない。
真剣なまなざしが、まっすぐに私に向いている。
誤魔化すことも、逃げることも許されない強い視線に、私は息を呑んだ。
――本気でいらっしゃるわ。
こういうときのフロランス様が、言葉を違えたことはない。
ここでうなずけば、きっと私は本当に、無茶で、やりたくない、人生を変えてしまうようなことをしなければならなくなる。
だけど――――。
「どんなことでも、できます」
私は迷わなかった。
私は本来、この国にいることも許されないはずの身。
それを助けてくれたのは、アンリだ。
だから、その恩を返すためにも――私は従者として、彼に仕えるものとして、どんなことでもする。
彼に尽くすことが、私の――罪逃れてしまったフロヴェール家の贖罪なのだから。
……と覚悟を決めた私に、フロランス様は「にっこり」とでも音が聞こえそうな笑みを浮かべた。
「――――言ったわね」
満足そうな声。満足そうな笑み。
なのになぜだろうか。背筋がぞくりと寒くなる。
アンリのためになんでもする気はあるけれど、今の言葉を撤回したくなってしまう。
「たしかに、私の耳で聞いたわ。今さら嘘だったとは言わないでしょう?」
そんな私の内心を読み、フロランス様は釘を刺す。
…………に、逃げられない。
「それでは、ミシェル。手始めに――――」
〇
隣国ソレイユの歴史と文化、それから言語を学ぶように――というのが、フロランス様からの最初の命令だった。
それも十日で、現地人並みの知識と会話能力を得るように、と。
――十日で!? 現地人並みに!? い、いえ、それよりもなんのために……!?
どうしてそんなことをする必要があるのか――という問いに、フロランス様は答えてはくれなかった。
『いずれわかります』と言ったきり、他にやるべきことがあるからと、私たちを部屋から追い出してしまったのだ。
そういうわけで、私は現在、離宮にあるアデライトの部屋にいた。
「どうしよう……婚約……処刑……お兄様が知らない女と結婚なんて…………」
アデライトは、ずっとこんな調子だ。
幼いころから可愛がっているウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま、ベッドの上でずっとぐすぐす泣いている。
「やだ……エンディングが来る……ギロチン怖いよぉ……」
「アデライト様が処刑なんてされるはずありませんよ」
私はベッドの端に腰を掛け、アデライトにそう声をかけた。
フロランス様からのご命令もあるので、本当はすぐにでもソレイユの勉強をしたいのだけど、さすがにこの状況のアデライトを放ってはおけない。
部屋を出る前に借り受けた歴史書を膝に置き、私は泣き続けるアデライトの背中を撫でた。
「アンリ様だって、アデライト様を断罪しようなんて思いませんよ。そもそも、アデライト様は悪いことなんてしていらっしゃらないでしょう」
ギロチンにかけられることなんて、それこそ私の父のような国賊レベルの大罪を犯さなければ起こらない。
アデライトの悪事なんて、せいぜい夜中におやつを食べたとか、つまみ食いをし過ぎて夕飯が食べられなくなったとか、その程度だ。
とてもアデライトの心配する未来が起こるとは思えない。
だけど、私の言葉もアデライトは信じられないらしい。
泣きはらした目を私に向け、ギッと強く睨みつける。
「そんなのわからないわ! だって、あんなに邪魔したのに、ゲーム通りに婚約されちゃったんだもの!!」
「……それは、そうですけれど」
たしかに婚約はされたけど――少し強引すぎるのではないだろうか。
アデライトの話では、『乙女ゲーム』はもっと胸をときめかせるような内容のはずだ。
これほど一方的な婚約が、本当にゲーム通りなのだろうかと疑問である。
「フロランス様のお話では、アンリ様自身も乗り気ではいらっしゃらないようですし、ゲームとは状況が違うのではないですか?」
「でも……でも! 実際にイベントは起きてるし……それに、そう! お兄様とオレリアは魔王を倒しているのよ!!」
魔王?
と首を傾げる私の目の前で、アデライトの表情がますます歪んでいく。
信じたくない、と言いたげにぬいぐるみに顔をうずめ、彼女は大きく首を振った。
「だってこれ、乙女ゲームなのよ! 腕力で魔王を倒すゲームじゃないの! 攻略対象との絆で倒すのよ!!」
「攻略対象……アンリ様の?」
「そうよ! お兄様との間に愛情がないと、魔王は絶対倒せないの! 魔王は生き残って、そのままバッドエンド直行よ! …………だ、だから……お兄様がオレリアを愛しているのは……確定……?」
――アンリがオレリア様を愛している……?
アデライトの背を撫でる手が止まる。
昨日の態度を見るに、考えられない――と言いたいが、それは私の勝手な想像だ。
――本当に……? ……い、いえ! 私がなにか言う資格はないのだけど……!
二年前の約束もなかったことになったうえ、『近付かないでくれ』とまで言われている身だ。
そんな私が、アンリの恋路に口を出すことはできない。
そもそも、彼が誰を好きになろうと、彼の自由で――――。
「許さないわ! 私のお兄様よ!!」
自由ではなかった。
先ほどまで泣いていたアデライトが、今度は顔を真っ赤にして泣きながら怒っている。
「ミシェル以外との結婚なんてさせないんだから! た、たとえ魔王を倒すほどオレリアを愛しているのだとしても――――そ、そうだわ! 取り返せばいいのよ!!」
「……と、取り返す、ですか?」
興奮したアデライトの様子に、私は思わず身を強張らせる。
こういうときのアデライトは、だいたい手が付けられないのだ。
嫌な予感がする。
「お母様が、お兄様も離宮に来てるって言ってたわ! だったら今から、もう一度惚れさせるのよ! ミシェルに!!」
「わ、私ですか!!!??」
やっぱり!!
と思う私の腕を、アデライトはむんずと掴んだ。
細い体つきのくせに、ものすごい力だ。
「当り前じゃない! そうと決まれば行くわよ!!」
もちろん、私に拒否権なんてない。
すっかり涙も引き、元気を取り戻してしまったアデライトは、そのまま私を連れて部屋を飛び出した。
「どんな無茶でもできるかしら? あなたが絶対にやりたくないことも、あなたの人生を、すべて変えてしまうようなことも」
フロランス様は笑っていない。
真剣なまなざしが、まっすぐに私に向いている。
誤魔化すことも、逃げることも許されない強い視線に、私は息を呑んだ。
――本気でいらっしゃるわ。
こういうときのフロランス様が、言葉を違えたことはない。
ここでうなずけば、きっと私は本当に、無茶で、やりたくない、人生を変えてしまうようなことをしなければならなくなる。
だけど――――。
「どんなことでも、できます」
私は迷わなかった。
私は本来、この国にいることも許されないはずの身。
それを助けてくれたのは、アンリだ。
だから、その恩を返すためにも――私は従者として、彼に仕えるものとして、どんなことでもする。
彼に尽くすことが、私の――罪逃れてしまったフロヴェール家の贖罪なのだから。
……と覚悟を決めた私に、フロランス様は「にっこり」とでも音が聞こえそうな笑みを浮かべた。
「――――言ったわね」
満足そうな声。満足そうな笑み。
なのになぜだろうか。背筋がぞくりと寒くなる。
アンリのためになんでもする気はあるけれど、今の言葉を撤回したくなってしまう。
「たしかに、私の耳で聞いたわ。今さら嘘だったとは言わないでしょう?」
そんな私の内心を読み、フロランス様は釘を刺す。
…………に、逃げられない。
「それでは、ミシェル。手始めに――――」
〇
隣国ソレイユの歴史と文化、それから言語を学ぶように――というのが、フロランス様からの最初の命令だった。
それも十日で、現地人並みの知識と会話能力を得るように、と。
――十日で!? 現地人並みに!? い、いえ、それよりもなんのために……!?
どうしてそんなことをする必要があるのか――という問いに、フロランス様は答えてはくれなかった。
『いずれわかります』と言ったきり、他にやるべきことがあるからと、私たちを部屋から追い出してしまったのだ。
そういうわけで、私は現在、離宮にあるアデライトの部屋にいた。
「どうしよう……婚約……処刑……お兄様が知らない女と結婚なんて…………」
アデライトは、ずっとこんな調子だ。
幼いころから可愛がっているウサギのぬいぐるみを抱きしめたまま、ベッドの上でずっとぐすぐす泣いている。
「やだ……エンディングが来る……ギロチン怖いよぉ……」
「アデライト様が処刑なんてされるはずありませんよ」
私はベッドの端に腰を掛け、アデライトにそう声をかけた。
フロランス様からのご命令もあるので、本当はすぐにでもソレイユの勉強をしたいのだけど、さすがにこの状況のアデライトを放ってはおけない。
部屋を出る前に借り受けた歴史書を膝に置き、私は泣き続けるアデライトの背中を撫でた。
「アンリ様だって、アデライト様を断罪しようなんて思いませんよ。そもそも、アデライト様は悪いことなんてしていらっしゃらないでしょう」
ギロチンにかけられることなんて、それこそ私の父のような国賊レベルの大罪を犯さなければ起こらない。
アデライトの悪事なんて、せいぜい夜中におやつを食べたとか、つまみ食いをし過ぎて夕飯が食べられなくなったとか、その程度だ。
とてもアデライトの心配する未来が起こるとは思えない。
だけど、私の言葉もアデライトは信じられないらしい。
泣きはらした目を私に向け、ギッと強く睨みつける。
「そんなのわからないわ! だって、あんなに邪魔したのに、ゲーム通りに婚約されちゃったんだもの!!」
「……それは、そうですけれど」
たしかに婚約はされたけど――少し強引すぎるのではないだろうか。
アデライトの話では、『乙女ゲーム』はもっと胸をときめかせるような内容のはずだ。
これほど一方的な婚約が、本当にゲーム通りなのだろうかと疑問である。
「フロランス様のお話では、アンリ様自身も乗り気ではいらっしゃらないようですし、ゲームとは状況が違うのではないですか?」
「でも……でも! 実際にイベントは起きてるし……それに、そう! お兄様とオレリアは魔王を倒しているのよ!!」
魔王?
と首を傾げる私の目の前で、アデライトの表情がますます歪んでいく。
信じたくない、と言いたげにぬいぐるみに顔をうずめ、彼女は大きく首を振った。
「だってこれ、乙女ゲームなのよ! 腕力で魔王を倒すゲームじゃないの! 攻略対象との絆で倒すのよ!!」
「攻略対象……アンリ様の?」
「そうよ! お兄様との間に愛情がないと、魔王は絶対倒せないの! 魔王は生き残って、そのままバッドエンド直行よ! …………だ、だから……お兄様がオレリアを愛しているのは……確定……?」
――アンリがオレリア様を愛している……?
アデライトの背を撫でる手が止まる。
昨日の態度を見るに、考えられない――と言いたいが、それは私の勝手な想像だ。
――本当に……? ……い、いえ! 私がなにか言う資格はないのだけど……!
二年前の約束もなかったことになったうえ、『近付かないでくれ』とまで言われている身だ。
そんな私が、アンリの恋路に口を出すことはできない。
そもそも、彼が誰を好きになろうと、彼の自由で――――。
「許さないわ! 私のお兄様よ!!」
自由ではなかった。
先ほどまで泣いていたアデライトが、今度は顔を真っ赤にして泣きながら怒っている。
「ミシェル以外との結婚なんてさせないんだから! た、たとえ魔王を倒すほどオレリアを愛しているのだとしても――――そ、そうだわ! 取り返せばいいのよ!!」
「……と、取り返す、ですか?」
興奮したアデライトの様子に、私は思わず身を強張らせる。
こういうときのアデライトは、だいたい手が付けられないのだ。
嫌な予感がする。
「お母様が、お兄様も離宮に来てるって言ってたわ! だったら今から、もう一度惚れさせるのよ! ミシェルに!!」
「わ、私ですか!!!??」
やっぱり!!
と思う私の腕を、アデライトはむんずと掴んだ。
細い体つきのくせに、ものすごい力だ。
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