36 / 76
陛下の奸計(2)
この婚約を推し進めたい人物――というと、すぐに思い浮かぶのはオレリア様だ。
大変失礼ながら、陛下と同じく暴走しがちな彼女であれば、強引に婚約を推し進めても不思議はない。
あるいは――今の陛下には、まっとうな人たちが傍にいない状態だ。
誰か、良からぬ人間が近づいている可能性もあるだろう。
フロランス様の言葉に、大臣たちがざわめき出す。
手紙の件を聞いたときは、陛下がまた暴走しただけだと思っていたけれど――もしかして、思った以上に大変な事態なのかもしれない。
「こうなると、穏便には済まないかもしれません」
動揺する人々を見回して、フロランス様は首を振った。
凍れる美貌に浮かぶのは、深い憂いの色だ。この横暴の顛末を予想して、彼女は苦々しく息を吐く。
「正攻法で済ませたかったけれど、そうも言っていられないわ。最悪の事態も考えておかないと――」
「母上」
その言葉を、短い声が遮った。
声の持ち主はアンリだ。彼は片手を上げて、フロランス様にこう告げる。
「俺が行ってきます。披露宴の開始にはもう間に合いませんが、それでもこのまま完遂させるよりはましなはずです」
手紙によると、披露宴は午前中に始まるらしい。
離宮から王宮までは、早駆けの馬でも数時間はかかる。どう急いだところで到着は午後となり、披露宴には間に合わない。
きっと、陛下はわざと手紙を遅らせたのだろう。
形式だけは『事前に連絡した』ということにして、フロランス様に文句を言わせないつもりなのだ。
――……卑劣だわ。フロランス様は、穏便に済ませようとなさっていたのに。
恐れ多いと思いながらも、私は内心で陛下を非難せずにはいられなかった。
フロランス様は、けっして陛下に恥をかかせようとしていたわけではない。
むしろ、なるべく穏やかな手段で、可能な限り内々にことを収めようとしていたのだ。
今ならまだ、婚約宣言は大きく広まっていない。
諸外国には急ぎ謝罪と撤回をし、国民には情報が伝わる前にマルティナを打ち出して、オレリア様の件はうやむやにできたはずだ。
そのためにフロランス様は十分な根回しをし、正当な手順を経て陛下に掛け合うおつもりだった。
実際、もう陛下にはほとんど耳に入っている――という状況になってからの、この仕打ちだ。
私でさえやりきれない思いでいるのだから、当事者であるフロランス様やアンリの心情はどれほどなものだろうか。
ちらりと窺い見るアンリは無表情で、その心の底は見えない。
「大勢で王宮に向かうには、時間がかかりすぎます。最低限、俺とミシェルと、叔父上がいればいいでしょう。なるべく早く父上に会って、披露宴をやめるよう説得をしてみます」
「……説得、できるかしらね」
フロランス様の声には諦念が満ちている。
すっかり陛下にはさじを投げてしまった様子だ。
「それに、一応は他国からも客を呼んでの披露宴です。いくら陛下でも警戒しているでしょうし、無理に割って入るのは危険ではなくって?」
「だとしても、行かないわけにはいきません。黙っていれば、俺とオレリアの婚約が真実にされてしまいます」
迷いのないアンリの言葉に、フロランス様は口を閉ざす。
そのままじっとアンリを見つめ――しばらくの沈黙のあとで、長い息を吐き出した。
「止めても無意味のようね」
そうつぶやいたときには、部屋を流れる魔力の風は消えていた。
だけどフロランス様の表情は険しいまま。彼女は誰にともなく、小さな声でつぶやいた。
「……誘い出されているのかしらね」
うっかりすれば聞き逃しそうな声でそう言ったあと、「まさかね」とフロランス様自身で否定する。
それから、先のつぶやきなどなかったかのように、彼女は凛とすました顔で立ち上がった。
しゃんと背筋を伸ばした彼女の姿に、思わず私も背筋を伸ばす。
彼女は威圧感のある目で会議の参加者を順に見渡すと、力強い声で宣言した。
「わかりました。アンリ、あなたの出立を許可します。十分に気を付けて行ってきなさい!」
大変失礼ながら、陛下と同じく暴走しがちな彼女であれば、強引に婚約を推し進めても不思議はない。
あるいは――今の陛下には、まっとうな人たちが傍にいない状態だ。
誰か、良からぬ人間が近づいている可能性もあるだろう。
フロランス様の言葉に、大臣たちがざわめき出す。
手紙の件を聞いたときは、陛下がまた暴走しただけだと思っていたけれど――もしかして、思った以上に大変な事態なのかもしれない。
「こうなると、穏便には済まないかもしれません」
動揺する人々を見回して、フロランス様は首を振った。
凍れる美貌に浮かぶのは、深い憂いの色だ。この横暴の顛末を予想して、彼女は苦々しく息を吐く。
「正攻法で済ませたかったけれど、そうも言っていられないわ。最悪の事態も考えておかないと――」
「母上」
その言葉を、短い声が遮った。
声の持ち主はアンリだ。彼は片手を上げて、フロランス様にこう告げる。
「俺が行ってきます。披露宴の開始にはもう間に合いませんが、それでもこのまま完遂させるよりはましなはずです」
手紙によると、披露宴は午前中に始まるらしい。
離宮から王宮までは、早駆けの馬でも数時間はかかる。どう急いだところで到着は午後となり、披露宴には間に合わない。
きっと、陛下はわざと手紙を遅らせたのだろう。
形式だけは『事前に連絡した』ということにして、フロランス様に文句を言わせないつもりなのだ。
――……卑劣だわ。フロランス様は、穏便に済ませようとなさっていたのに。
恐れ多いと思いながらも、私は内心で陛下を非難せずにはいられなかった。
フロランス様は、けっして陛下に恥をかかせようとしていたわけではない。
むしろ、なるべく穏やかな手段で、可能な限り内々にことを収めようとしていたのだ。
今ならまだ、婚約宣言は大きく広まっていない。
諸外国には急ぎ謝罪と撤回をし、国民には情報が伝わる前にマルティナを打ち出して、オレリア様の件はうやむやにできたはずだ。
そのためにフロランス様は十分な根回しをし、正当な手順を経て陛下に掛け合うおつもりだった。
実際、もう陛下にはほとんど耳に入っている――という状況になってからの、この仕打ちだ。
私でさえやりきれない思いでいるのだから、当事者であるフロランス様やアンリの心情はどれほどなものだろうか。
ちらりと窺い見るアンリは無表情で、その心の底は見えない。
「大勢で王宮に向かうには、時間がかかりすぎます。最低限、俺とミシェルと、叔父上がいればいいでしょう。なるべく早く父上に会って、披露宴をやめるよう説得をしてみます」
「……説得、できるかしらね」
フロランス様の声には諦念が満ちている。
すっかり陛下にはさじを投げてしまった様子だ。
「それに、一応は他国からも客を呼んでの披露宴です。いくら陛下でも警戒しているでしょうし、無理に割って入るのは危険ではなくって?」
「だとしても、行かないわけにはいきません。黙っていれば、俺とオレリアの婚約が真実にされてしまいます」
迷いのないアンリの言葉に、フロランス様は口を閉ざす。
そのままじっとアンリを見つめ――しばらくの沈黙のあとで、長い息を吐き出した。
「止めても無意味のようね」
そうつぶやいたときには、部屋を流れる魔力の風は消えていた。
だけどフロランス様の表情は険しいまま。彼女は誰にともなく、小さな声でつぶやいた。
「……誘い出されているのかしらね」
うっかりすれば聞き逃しそうな声でそう言ったあと、「まさかね」とフロランス様自身で否定する。
それから、先のつぶやきなどなかったかのように、彼女は凛とすました顔で立ち上がった。
しゃんと背筋を伸ばした彼女の姿に、思わず私も背筋を伸ばす。
彼女は威圧感のある目で会議の参加者を順に見渡すと、力強い声で宣言した。
「わかりました。アンリ、あなたの出立を許可します。十分に気を付けて行ってきなさい!」
あなたにおすすめの小説
公爵令嬢は、どう考えても悪役の器じゃないようです。
三歩ミチ
恋愛
*本編は完結しました*
公爵令嬢のキャサリンは、婚約者であるベイル王子から、婚約破棄を言い渡された。その瞬間、「この世界はゲームだ」という認識が流れ込んでくる。そして私は「悪役」らしい。ところがどう考えても悪役らしいことはしていないし、そんなことができる器じゃない。
どうやら破滅は回避したし、ゲームのストーリーも終わっちゃったようだから、あとはまわりのみんなを幸せにしたい!……そこへ攻略対象達や、不遇なヒロインも絡んでくる始末。博愛主義の「悪役令嬢」が奮闘します。
※小説家になろう様で連載しています。バックアップを兼ねて、こちらでも投稿しています。
※以前打ち切ったものを、初めから改稿し、完結させました。73以降、展開が大きく変わっています。
運命に勝てない当て馬令嬢の幕引き。
ぽんぽこ狸
恋愛
気高き公爵家令嬢オリヴィアの護衛騎士であるテオは、ある日、主に天啓を受けたと打ち明けられた。
その内容は運命の女神の聖女として召喚されたマイという少女と、オリヴィアの婚約者であるカルステンをめぐって死闘を繰り広げ命を失うというものだったらしい。
だからこそ、オリヴィアはもう何も望まない。テオは立場を失うオリヴィアの事は忘れて、自らの道を歩むようにと言われてしまう。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、テオも将来の王妃をめぐる運命の争いの中に巻き込まれていくのだった。
五万文字いかない程度のお話です。さくっと終わりますので読者様の暇つぶしになればと思います。
「いらない」と捨てられた令嬢、実は全属性持ちの聖女でした
ゆっこ
恋愛
「リリアーナ・エヴァンス。お前との婚約は破棄する。もう用済み
そう言い放ったのは、五年間想い続けた婚約者――王太子アレクシスさま。
広間に響く冷たい声。貴族たちの視線が一斉に私へ突き刺さる。
「アレクシスさま……どういう、ことでしょうか……?」
震える声で問い返すと、彼は心底嫌そうに眉を顰めた。
「言葉の意味が理解できないのか? ――お前は“無属性”だ。魔法の才能もなければ、聖女の資質もない。王太子妃として役不足だ」
「無……属性?」
〘完〙前世を思い出したら悪役皇太子妃に転生してました!皇太子妃なんて罰ゲームでしかないので円満離婚をご所望です
hanakuro
恋愛
物語の始まりは、ガイアール帝国の皇太子と隣国カラマノ王国の王女との結婚式が行われためでたい日。
夫婦となった皇太子マリオンと皇太子妃エルメが初夜を迎えた時、エルメは前世を思い出す。
自著小説『悪役皇太子妃はただ皇太子の愛が欲しかっただけ・・』の悪役皇太子妃エルメに転生していることに気付く。何とか初夜から逃げ出し、混乱する頭を整理するエルメ。
すると皇太子の愛をいずれ現れる癒やしの乙女に奪われた自分が乙女に嫌がらせをして、それを知った皇太子に離婚され、追放されるというバッドエンドが待ち受けていることに気付く。
訪れる自分の未来を悟ったエルメの中にある想いが芽生える。
円満離婚して、示談金いっぱい貰って、市井でのんびり悠々自適に暮らそうと・・
しかし、エルメの思惑とは違い皇太子からは溺愛され、やがて現れた癒やしの乙女からは・・・
はたしてエルメは円満離婚して、のんびりハッピースローライフを送ることができるのか!?
【完結】【35万pt感謝】転生したらお飾りにもならない王妃のようなので自由にやらせていただきます
宇水涼麻
恋愛
王妃レイジーナは出産を期に入れ替わった。現世の知識と前世の記憶を持ったレイジーナは王子を産む道具である現状の脱却に奮闘する。
さらには息子に殺される運命から逃れられるのか。
中世ヨーロッパ風異世界転生。
悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません
れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。
「…私、間違ってませんわね」
曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話
…だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている…
5/13
ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます
5/22
修正完了しました。明日から通常更新に戻ります
9/21
完結しました
また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います
【完結】 私を忌み嫌って義妹を贔屓したいのなら、家を出て行くのでお好きにしてください
ゆうき
恋愛
苦しむ民を救う使命を持つ、国のお抱えの聖女でありながら、悪魔の子と呼ばれて忌み嫌われている者が持つ、赤い目を持っているせいで、民に恐れられ、陰口を叩かれ、家族には忌み嫌われて劣悪な環境に置かれている少女、サーシャはある日、義妹が屋敷にやってきたことをきっかけに、聖女の座と婚約者を義妹に奪われてしまった。
義父は義妹を贔屓し、なにを言っても聞き入れてもらえない。これでは聖女としての使命も、幼い頃にとある男の子と交わした誓いも果たせない……そう思ったサーシャは、誰にも言わずに外の世界に飛び出した。
外の世界に出てから間もなく、サーシャも知っている、とある家からの捜索願が出されていたことを知ったサーシャは、急いでその家に向かうと、その家のご子息様に迎えられた。
彼とは何度か社交界で顔を合わせていたが、なぜかサーシャにだけは冷たかった。なのに、出会うなりサーシャのことを抱きしめて、衝撃の一言を口にする。
「おお、サーシャ! 我が愛しの人よ!」
――これは一人の少女が、溺愛されながらも、聖女の使命と大切な人との誓いを果たすために奮闘しながら、愛を育む物語。
⭐︎小説家になろう様にも投稿されています⭐︎