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敗走(6)
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私の足の手当てもかねて、少しの休憩を取ることになった森の中。
医療に通じた護衛兵に応急処置をしてもらい、息を吐く私の横で、アンリは険しい表情をしていた。
アンリを挟んで、私と反対側に腰を下ろすのはコンラート様だ。
アデライトの姿はない。『ミシェル君の足を冷やすために、冷たい水を汲んできてほしいなあ』なんて言って、コンラート様が追い払ってしまったのだ。
――仮にも王女なのに……真っ先に突っ走るなんて……。
私個人としては嬉しいけれど、侍女としては複雑な気分だ。
もう少し落ち着いてほしい――なんて思うのは、甲冑を着て付いてきた時点で、今さらなのかもしれない。
「――アンリ」
思わずついたため息を、コンラート様の静かな声がかき消す。
護衛兵にも聞こえないように声を落とす彼は、普段からは想像もつかないほど真剣な顔をしていた。
「君、わかっていただろう」
淡々としたその言葉に、私は瞬いた。
――……わかっていた?
「こうなるとわかっていて、ミシェル君を連れて行っただろう」
アンリは無言だった。
コンラート様も私も見ないまま、視線を伏せている。
それがきっと肯定の意味であることは、私にも察せられた。
「様子がおかしいとはずっと思っていた。王都に近づくほどピリピリしていたし――なにより、どうして素直に城へ入った? アンリくらい力があれば、その前に逃げることもできただろう」
あ、と私は口の中で声を上げた。
護衛兵たちもアンリも、グロワール兵に素手でも立ち向かえるくらい強い。
いくら剣を向けられたからと言って、素直に武器を捨てたのは、思えば無抵抗すぎた。
門に立つグロワール兵たちの様子から、異常は私にも察せられた。
あのときの私は、オレリア様が魔王だと思っていたけど――アンリは違うとわかっていたはずだ。
「……城に入るまで、確証があったわけではありません」
私とコンラート様の視線を受けて、アンリは重たげに口を開いた。
うつむいたままの顔に影が落ちる。
青い瞳が、今はまた暗い色をしていた。
「これが本当に婚約披露宴なら、止めるにはミシェルの力が必要です。俺に剣を向けることくらい、父上やオレリアならやりかねません」
「でも、『本当は婚約披露宴ではない』とも考えていただろう」
コンラート様の声は、低く、落ち着いている。
穏やかで柔らかい口調に、だけど静かな非難が含まれていることは、はたから聞いていても感じ取れた。
「危険を予想しておきながら、どうしてミシェル君を逃がさなかった。彼女は私たちとは違うんだぞ」
「……それは」
アンリはゆっくりと瞬くと、隣に座る私を見た。
私を見据える瞳の陰に、思わずぎくりとする。
底の見えない目の色は――まるで、私を引きずり込もうとしているように思えた。
「一緒にいて欲しかったんです」
瞳とは裏腹に、声はどこか乞うようだった。
表情も、声も、言葉も――今のアンリは、すべてが奇妙にちぐはぐだ。
「俺が魔王にならないために、ミシェルに傍にいて欲しかったんです。ミシェルがいれば、俺は魔王に取り込まれない。傷つけないように自分を抑えることができるから」
「……自制心のためってことか。意志の力で魔王にならずにいられる――というのなら、たしかに君には、ミシェル君が必要だろう。……けどね」
そう言うと、コンラート様はアンリの肩を掴んだ。
無理やり自分に顔を向けさせると、彼は逃げるアンリと目を合わせ、短くこう言った。
「本当にそれだけか?」
アンリは口を開かない。
コンラート様は目を逸らさず、アンリもコンラート様を見据えたまま。
重く息苦しい沈黙は、水を汲みに行ったアデライトが戻ってくるまで消えることはなかった。
医療に通じた護衛兵に応急処置をしてもらい、息を吐く私の横で、アンリは険しい表情をしていた。
アンリを挟んで、私と反対側に腰を下ろすのはコンラート様だ。
アデライトの姿はない。『ミシェル君の足を冷やすために、冷たい水を汲んできてほしいなあ』なんて言って、コンラート様が追い払ってしまったのだ。
――仮にも王女なのに……真っ先に突っ走るなんて……。
私個人としては嬉しいけれど、侍女としては複雑な気分だ。
もう少し落ち着いてほしい――なんて思うのは、甲冑を着て付いてきた時点で、今さらなのかもしれない。
「――アンリ」
思わずついたため息を、コンラート様の静かな声がかき消す。
護衛兵にも聞こえないように声を落とす彼は、普段からは想像もつかないほど真剣な顔をしていた。
「君、わかっていただろう」
淡々としたその言葉に、私は瞬いた。
――……わかっていた?
「こうなるとわかっていて、ミシェル君を連れて行っただろう」
アンリは無言だった。
コンラート様も私も見ないまま、視線を伏せている。
それがきっと肯定の意味であることは、私にも察せられた。
「様子がおかしいとはずっと思っていた。王都に近づくほどピリピリしていたし――なにより、どうして素直に城へ入った? アンリくらい力があれば、その前に逃げることもできただろう」
あ、と私は口の中で声を上げた。
護衛兵たちもアンリも、グロワール兵に素手でも立ち向かえるくらい強い。
いくら剣を向けられたからと言って、素直に武器を捨てたのは、思えば無抵抗すぎた。
門に立つグロワール兵たちの様子から、異常は私にも察せられた。
あのときの私は、オレリア様が魔王だと思っていたけど――アンリは違うとわかっていたはずだ。
「……城に入るまで、確証があったわけではありません」
私とコンラート様の視線を受けて、アンリは重たげに口を開いた。
うつむいたままの顔に影が落ちる。
青い瞳が、今はまた暗い色をしていた。
「これが本当に婚約披露宴なら、止めるにはミシェルの力が必要です。俺に剣を向けることくらい、父上やオレリアならやりかねません」
「でも、『本当は婚約披露宴ではない』とも考えていただろう」
コンラート様の声は、低く、落ち着いている。
穏やかで柔らかい口調に、だけど静かな非難が含まれていることは、はたから聞いていても感じ取れた。
「危険を予想しておきながら、どうしてミシェル君を逃がさなかった。彼女は私たちとは違うんだぞ」
「……それは」
アンリはゆっくりと瞬くと、隣に座る私を見た。
私を見据える瞳の陰に、思わずぎくりとする。
底の見えない目の色は――まるで、私を引きずり込もうとしているように思えた。
「一緒にいて欲しかったんです」
瞳とは裏腹に、声はどこか乞うようだった。
表情も、声も、言葉も――今のアンリは、すべてが奇妙にちぐはぐだ。
「俺が魔王にならないために、ミシェルに傍にいて欲しかったんです。ミシェルがいれば、俺は魔王に取り込まれない。傷つけないように自分を抑えることができるから」
「……自制心のためってことか。意志の力で魔王にならずにいられる――というのなら、たしかに君には、ミシェル君が必要だろう。……けどね」
そう言うと、コンラート様はアンリの肩を掴んだ。
無理やり自分に顔を向けさせると、彼は逃げるアンリと目を合わせ、短くこう言った。
「本当にそれだけか?」
アンリは口を開かない。
コンラート様は目を逸らさず、アンリもコンラート様を見据えたまま。
重く息苦しい沈黙は、水を汲みに行ったアデライトが戻ってくるまで消えることはなかった。
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